まるこの日常生活の記録と映画鑑賞記
2000.6.11〜6.16
6月10日(土)
“食費を削って浪費を賄おう大作戦”を実施してから1ヶ月が過ぎた。以前は毎日お昼に650円のお弁当を買っていたので、たぶん1日の食費は1000円くらいにはなっていたと思う。その1ヶ月に3万円くらいは使っていたと思われる食費を、私は1ヶ月5000円にする計画を立てた。1ヶ月で25000円の食費を削って、4ヶ月で10万円浮かせる計画だ。素晴らしい。
とっても偉い私は、相変わらずお昼のお弁当はほぼ毎日作って持って行っているし、以前は週に3回くらいは通っては、晩ゴハンのおかずやら朝食のパンやらレトルトものを買い込んでいた近所のコンビニには、ゴールデン・ウィークからずっと行っていない。料理をするのも、普段やっていないと億劫になってしまうが、慣れてしまえばどうってことない。毎日のように、映画やら試写会やらに行ってから家に帰り、夜の10時頃から料理を始める。やっぱり私は偉い。
今日は、久しぶりにカレーを作ろうと思った。カレーはお弁当には持っていけないので土曜日に作り、土曜日と日曜日の2日間かけて食べきるのが、私の中の常識だったりする。野菜は前に買っておいたものが残っていたので、それを使えばよかったし、お肉も冷凍してあるものがある。あとはカレールーだけあれば完璧。たぶんトータル400円くらいで4食分のカレーが作れる。なんて経済的なんだろう。
しかし、スーパーマーケットは魔物である。カレールーだけ買いに行ったつもりが、野菜ジュースやらコーヒーやらチョコレートまで買ってしまい、結局4000円近くも使ってきてしまった。何もスーパーで食品だけで4000円も使ってこなくてもいいのに。もしかしたら、私は根っからの浪費家なのかもしれない。嗚呼、私の“1ヶ月食費5000円計画”はいずこへ(涙)。今度からスーパーに行く時は、1000円だけ持って行くことにしよ。でも、いざレジでお金が足らないというのもカッコ悪い気がするし、暗算は苦手だから、電卓も持参で行かなきゃダメかも。あー、侘しい。
だけど、ここ1ヶ月分のレシートを合計してみたら、食費は1万円程度に抑えられていた。結果的に1ヶ月で2万円浮いた。へへっ。やったね! さ、浮いたお金で飲みに行こっと♪ …あれ? 何か変?
6月9日(金)
リーダーの“スター”率いる特殊部隊の極秘会議が、名古屋市内の某・怪しい居酒屋で行われた。極秘会議ながら、メインのテーマは“アニマル悌団のコアラはなぜあんなに痩せたのか”ということだった。でも、私はアニマル悌団のコアラを知らないので、話についていけない。おさるは知ってるけど、コアラの顔を知らない。たぶん見たことはあるのだろうけど、覚えていない。だいたいアニマル悌団が何人組なのかも私は知らない。だって、バラエティ番組も観ないんだもん。“ふんどし先生”以外は。
悔しかったので、家に帰ってから“アニマル悌団”をネットで検索してみた。でも、オフィシャルのページがあるでもなく、ファンが作ったページすら見つからない。Yahoo! のカテゴリーの中にもないし、Gooで検索してみても、これぞというページが見当たらない。芸能人なら普通は1件くらいは隅々まで調べ上げたようなページが引っかかってくるようなもんだけど、“お笑い全般”のページにチョロっと出ている名前が引っかかるくらいで、写真も見つからない。この人たち、ファンは居るのだろうか。
今度は“三原じゅん子”と“コアラ”で検索して、ようやくふたりで写ってた写真は見つけた。でも、太っていた頃のコアラがどうしても見つからない。太っていた頃のコアラがどうしても見たい。誰か、太っていた頃のコアラの写真が載っているHPを知っていたら教えてくらさい。
6月8日(木)
東海地方も梅雨入りしてしまった。ヤな季節だ。私は雨の日が好きではないので、最近は毎年梅雨に入ると新しい傘を1本買う。新しい傘をさしていれば、嫌な梅雨も少しだけ嫌じゃなくなるから。結果、私の家は傘だらけになってしまっている。今日もまた1本傘を買い、これで私の傘は7本目になってしまった。そろそろ限界も感じている。
「まるちゃん、一緒に映画を観たことがないから一度行こうよ」と、業界通なすカレーくんに誘われ、一緒に『インサイダー』を観に行く。彼は1年前、私を『ハムナプトラ』の完成披露試写に誘ってくれたことを忘れているらしい。彼のおかげで初めて階上の関係者席に座れて、大はしゃぎしてたのに。はしゃぎ過ぎて、となりに座ってたオヤジに怒られたのに。『ハムナプトラ』は、既に彼の記憶から抹消されているのだろうか…。
『インサイダー』を観た劇場は、その昔、私がモギリのアルバイトをしていた劇場だった。スクリーンの下には小さいステージがある。『ドラえもん』を上映していた時は、このステージにガキんちょが上りたがるので大変だった。社員の人に「ステージに上ってる子供たちを引きずり降ろしてこい」と言われ、私は頑張って引きずり降ろした。でも、降ろしても降ろしても、また子供たちは上ってくる。初めは「上っちゃだめよ〜」などと優しく声を掛けていたものの、少しも言うことを聞いてくれない子供たちを相手にしていると、そのうちそれは怒りにも変わってくる。私は絶対保母にはなれないと自覚したものだった。…ってゆーか、親はこういう場で子供を野放しにするなっちゅーの!と、怒りまくったものだった。普段はあまり足を運ぶことのない劇場なので、スクリーン下のステージを見ながら、ちょっとそんな思い出にも浸ってみたりして。
社長と意見を対立させた、タバコ会社B&W社の副社長ワイガンド(ラッセル・クロウ)は、ある日突然、解雇を言い渡される。彼は、多額の退職金と病気の娘の医療手当を得るため、退職の際に“会社内部の情報を一切外部に漏らさない”という終身守秘契約に同意させられていた。一方、CBSテレビのプロデューサー、バーグマン(アル・パチーノ)は、フィリップモリス社の極秘ファイルを手に入れ、タバコをテーマにした報道番組を製作しようとしていた。ファイルについて詳しく説明出来る人物を探していたバーグマンは、ワイガンドの存在を知り、接触を試みる。しかし、バーグマンと接触したことをきっかけに、ワイガンドはタバコ会社から執拗ないやがらせを受け始める。行動を常に監視されていることを知り、守秘義務と自らの信念の板ばさみで苦悩するワイガンド。彼の退職は、タバコに含まれる発ガン性物質を除くよう社長に申し出たことがきっかけだったのだ。家族を心理的に追い込むまでの圧力をかけるタバコ会社に対する気持ちは、やがて彼の中で怒りにも変わり、彼はインサイダー〈内部告発者〉となる決意をする。
かなり前のことになるが、アメリカでタバコがガンを引き起こしたか否かをめぐる裁判で、原告が勝ったという記事を読んだ記憶がある。しかし、その勝訴の裏にこんなドラマがあったとは、知る由もなかった。ラストで、このドラマにはある程度の脚色が施してあるというテロップが出るが、事実に基づき、実在のタバコ会社やテレビ局を実名のまま批判する内容は、下手な作り物のドラマよりもずっと説得力があり、この映画で語られている出来事の重さを感じることが出来た。
企業という大きな力に圧迫されて怯え、怒りながらも、人間として正しいと思ったことを全うしようとした強い意志と、男の意地を見せる男をラッセル・クロウが熱演している。この作品のメインキャストはアル・パチーノなのだろうが、私にはラッセル・クロウがメインの映画のように感じられた。
会社という組織の中で働く誰もが、色んな不満を抱えていると思う。しかし、例えば自分が不当に解雇された時、その会社を敵に回して真っ向から勝負する勇気はあるのだろうか? ワイガンドの立場に立った時、私だったらどうするだろうか? 私もひとりの社会人として、大きな問題を投げかけられた気がした。
この作品は、アカデミー賞の作品賞で『アメリカン・ビューティ』と張り合い、負けた作品である。奇しくも、2作品とも一家の主が会社を解雇されたシーンで物語が始まり、それによって家庭が崩壊していく様子を描いている。アカデミー賞では負けたが、身近な問題を取り上げているだけに、私は『インサイダー』の方が心に迫るものを感じることが出来た。 レベル5
2時間40分という長さを感じさせない、いい映画だった。でも、劇場内には2時間40分の間、ずーーーーっとしゃべり続けていたバカなカップルが居た。他の人に聞こえないとでも思っているのだろうか。しゃべりに来るなら、映画館なんかに来なくてもいいのに。それも、『インサイダー』のような固そうな映画をわざわざ選んで。
以前、あるラブ・ストーリーの映画を観に行った時、ほぼ満席の劇場で、私の隣に座ったカップルの女が予告編の間中、ずっと男にしゃべりかけていた。カン高い声だったのですごく気にはなったが、私は予告編の間はとりあえずガマンしていた。しかし本編が始まりそうになっても、女は喋るのを止める気配を見せなかった。そればかりか、オープニングタイトルが出たところで「そう言えば、○○さんの送別会の話、聞いた?」などと、今までとは全く違う話題に移ろうとしていた。さすがに耐えきれなくなった私は、すぐ隣に座っていた男の方に「すみませんが、静かにしていただけませんか?」と、とても丁重にお願いをした。男は「すみません…」と謝ったが、話の腰を折られた女の方はふてくされ、それから男の肩に顔をうずめて“寝たふり”を始めた。男はおとなしく最後まで映画を観ていたが、それから女はずっと男の肩に顔をうずめたままで、映画が終わった瞬間に「あ〜あ、よく寝た!」とのたまった。そして、女は男に「映画、面白かった?」と聞き、男はそれに「面白かったよ」とだけ答えた。ふたりはその後、仲良く手をつないで席を立ち、劇場を去っていった。そのバカ女を見た時、私は悟った。上映中に映画館で喋っている人間には、自分が悪いことをしているという意識が全くない。それを注意する人間こそが彼らにとっての悪者なのだ。だから、どんなに頑張っても私たちにはそいつらを排除出来ない。悔しいけど、どうにもならない現実だったりする。
6月6日(火)
『グラディエーター』の試写会。今日も試写状が余っていたので友人たちに声をかけてみたが、誰も乗って来なかった。またひとりなのかなと思ったら、会場には出没宣言なしだった友人たちが大勢居た。既にこの映画を観た友人たちの誰もが「良かった」と言う。完成披露試写でこの作品を観た業界通なすカレーくんは、「ちょっとダレてきたかなーと思ったところで、いい具合に戦いのシーンが入る」と言っていた。でも、私は“戦う映画”が苦手なのだ。以前、劇場に『スターウォーズ・特別編』を観に行って、ラストの戦闘シーンで退屈になってしまい、居眠りをしてしまった実績の持ち主なのだ。ましてや格闘技なんて、おぞましい。プロレスなんて大嫌い、ボクシングだって見たくない、相撲も柔道にも興味のない。以前、友人に勧められた『ベン・ハー』も、正直に言って面白いとは思わなかった。そんな私に、果たしてこの映画が理解出来るのだろうか。ちょっぴり不安…。
西暦180年、大ローマ帝国。兵の統率力があり、戦いを勝利へと導く力を持ったマキシマス将軍(ラッセル・クロウ)は、皇帝・アウレリウスに絶大な信頼を寄せられていた。マキシマスはアウレリウスから次期の皇帝の座を継いで欲しいと告げられ、困惑する。アウレリウスには実の息子・コモドゥス(ホアキン・フェニックス)が居たのだ。父親がマキシマスに皇帝の座を継がせたがっていることを知ったコモドゥスは、その事実が公になる前に父親を殺し、自分が皇帝の座に就いてしまう。マキシマスを逆恨みしたコモドゥスは、側近たちにマキシマスと彼の家族の処刑を命じた。マキシマスは辛うじてその場を逃げ出すが、彼が自宅に帰った時には、家族はコモドゥスの手下に無残に殺された後であった。生きる糧を失ったマキシマスはその場に倒れ込み、次に気付いた時には、奴隷として見知らぬ人間に拾われていた。剣闘士を養成する奴隷商人プロキシモに買われたマキシマスは、剣闘士として闘技場で見世物の戦いを強いられる。戦う意味を見出せないながらも、生きるために戦い続けるマキシマス。しかし、やがてコモドゥス皇帝の前で戦いを見せるチャンスを得た彼は、密かに復讐を誓う。
『ベン・ハー』に見られるような、古典的な復讐劇。正義感が強く、統率力があり、信頼も厚い男が、権力だけを武器にしている無能な男から妬まれ、徹底的にいたぶられる…という展開も、王道中の王道を行っている。しかしながら、スケールの大きさ、迫力とも素晴らしく、「これぞ映画だ!」と言えるものを見せてくれている。古代ローマの再現にはCGを使っているのだろうが、決してそれに気を取られることはなかった。それは、一番の見どころが生身の人間のアクションだからなのだ。格闘技が苦手な私なのだが、マキシマスの戦いのシーンでは、思いきり入り込んでしまった。それはきっと、マキシマス自身が格闘を見世物にすることに疑問を持ち、いつか自分が本当に倒すべき相手と向き合うことだけを考えながら戦いを続けていたからだろう。
普段は私は復讐劇というものにも簡単には気持ちが入り込まないのだが、善人マキシマスと悪人コモドゥスの役割があまりにも分かりやすく描かれているため、誰もがマキシマスの応援モードにならざるを得ない。久しぶりに、分かりやすくて誰もが楽しめる、スケールの大きいエンターテイメント作品を観た気がした。 レベル5
怒涛の映画鑑賞週間4日目の水曜日は『フェリシアの旅』の予定だった。この映画、予告を観た限りでは中年男と少女の純愛ものに感じられて全く興味がなかったのだが、どうやらそうではないらしく、少しだけ興味が沸いてきたのだった。しかし、今日の新聞の映画のタイムテーブルを見ると、「明日は貸切のため最終回の上映なし」と書いてある。仕事が終わってから映画を観ようと思うと、最終回しか無理なのに。木曜日は既に別の映画の約束がしてあるし、最終日の金曜日は秘密の飲み会の予定が入っているので、もうどう考えてもこの映画を観ることは出来ない。…ということで、残念だけど断念。これは「観るな」という暗示なのだというふうに受けとめておこう。
6月5日(月)
『2番目に幸せなこと』の試写会。試写状が余っていたので友人たちに声をかけてみたが、誰も乗って来ず、めずらしくひとりで観ることになった。レディース試写会だったので、当然のごとく会場は女性ばっか。何だかムンムンしている。
本日のスポンサーは、全日空トラベル。丁寧に担当者までステージに出てきて、3泊5日のフロリダ・ユニバーサルスタジオ旅行99,800円を宣伝していった。私は去年、フロリダのディズニーワールドとユニバーサルスタジオ4泊6日を5万円で行った。もう一度行ってみたい場所ではあるけど、3泊5日は短か過ぎるでしょ。だって、乗り継ぎ時間も合わせると片道で20時間もかかるんだよ。エコノミーに乗ってるのって、ものすごく疲れるんだよ。それなのに、中2日しか遊べないのって淋しくないかい?
ヨガのインストラクターをしているアビー(マドンナ)は、音楽プロデューサーのケヴィン(マイケル・バルダン)と暮らしていたが、2年間の同棲生活の果てに彼は彼女のもとを去っていってしまった。いずれは子供を産み、家庭を持つことを夢見ていたアビーは落胆する。そして、そんな彼女を優しく支えるのが、彼女の親友でゲイのロバート(ルパート・エベレット)だった。ある日、酒に酔ったアビーとロバートは、ただ一夜限りの男と女の関係を持ってしまう。そして、しばらくして彼女は妊娠していることに気付き、それをロバートに告白する。「結婚はしなくてもいい。でも子供の父親になって欲しい」というアビーの願いをロバートは聞き入れ、ふたりは一緒に生活を始めるが…。
ジェニファー・アニストンが主演した『私の愛情の対象』にシチュエーションが似ているが、この作品では『私の愛情の対象』では触れていなかった、“その後”に起こる深刻な問題を描いていた。
アビーは、適齢期を過ぎた独り者の女性。ボーイフレンドは大勢いるが、生涯を共にすべき相手とはなかなか巡り逢えない。「今ではもう、何も恐れるものはなかった10年前の自分とは違うんだ」「子供を産むにもそろそろタイムリミットだ」という、あせりや不安が彼女を取り巻いている。彼女のそんな気持ちは私にはとてもよく分かったし、そんな気持ちから出た彼女のセリフにも、かなりグッとくるものがあった。
たまたま、念願の子供を持つことは出来たが、それは彼女にとって“1番幸せなこと”ではない。自分が愛し、自分を愛してくれる男性を求める気持ちもよく分かる。ある意味では彼女は身勝手な女性だが、長い年月の中で気持ちが変化していくのは当然のことだ。子供の父親ではあるが、自分にとっては“男”ではないロバートとの生活に満足しきれず、別の幸せを探し始めることも悪いことだとは思わない。自己中を自負する私にとっては、かなり感情移入出来た作品だった。久しぶりに見たマドンナが老けていたのには驚いたが、彼女はいい演技をしていたと思う。 レベル4
6月4日(日)
月曜日の『千里眼』の試写状を欲しがったジョージアに会うため、彼女と『Go! Go! L.A.』を観に行くことにする。よく考えたら、ここのところ、3週連続で日曜日にジョージアと会っている。これって、ある意味すごいことのような気がする。
前回のボーリングでジョージアが遅刻しなかったのは、きっとまぐれだろうと考えた。だから、私が少しくらい遅れたって、きっともっと彼女の方が遅く着くに違いないと思い、のんびりと家を出た。しかし、私が待ち合わせ場所に着いたら、彼女は既に居た。めずらしい! ってゆーか、一体どうしちゃったの? ジョージアは「これで遅刻常習犯の汚名奪回ね。よーく日記に書いておいてちょうだい。オーッホッホッホ」と高笑いをしていた。書かないと殺されそうなので、書いた。
イギリスの田舎町で葬儀屋を営むリチャードは、葬儀の途中でロサンゼルスから旅行に来ていた女優の卵・バーバラと出会い、一目で恋に落ちた。バーバラが忘れられなくなったリチャードは、仕事を辞めて彼女の居るロサンゼルスへと旅立った。田舎者のリチャードにとっては、L.A.での生活は驚きと失態の連続。途方に暮れる彼を、偶然出会ったお調子もののモス(ヴィンセント・ギャロ)が手助けする。
ヴィンセント・ギャロがメインでキャスティングされているように宣伝されていて、半分はそれを目当てで観に行ったのだが、彼はほんのチョイ役だった。単純なストーリーながらもテンポがあり、登場人物のキャラもそれぞれに面白いので、それなりに楽しめる。リチャードが部屋に貼ったジョニー・デップのポスターが動くというアイデアも面白かった。しかし、楽しめたのは最初の4分の3くらい。ラストへ向けてのトーンダウンでダレてしまい、結果、凡作という印象が残ってしまった。 レベル3
6月3日(土)
一体、私に何が起こっているのだろう。今日もまた、試写会の当選チケットが届いた。水曜日の『クロスファイア』1枚と、金曜日の『グラディエーター』が2枚。ミス・デイジーが送ってくれた火曜日の『グラディエーター』も届き、私の手元にある試写状は11枚にもなった。こんなに一気に当たったことは、試写会に通い始めてから初めてのことだ。こんなことはもう2度とないかもしれないし、せっかくなので、当たった試写状を扇状にして扇いでみたりした。
しかし、これを“運がツイてきた”と思っていいものなのだろうか。11枚も試写状を持っていても、自分で使えるのはたったの2枚だけなのだから。何か、ぬか喜びさせられてるだけで、本当はツイてないような気がする。
6月2日(金)
金曜日なのに予定がない。飲み会も試写会の予定も入ってないし、どうしても今日観なければならない映画もない。仕方ないのでデパートの催事場に行き、既にバーゲンになっている夏の洋服を物色した。かなり質のいいものが3割引から半額くらいで買えるので、私は案内状が届くたびに出向いて、いっぱいお金を使ってくるのだ。今日も気付くと3万円くらい使っていた。そろそろムリムリか…とも思われるようなノースリーブのワンピースを、また買ってしまった。
家に帰って私は驚いた。バカみたいに試写会のチケットが届いている。月曜日の『千里眼』2枚と『2番目に幸せなこと』2枚、火曜日の『2番目に幸せなこと』1枚と『グラディエーター』2枚。久しぶりに自力で試写状を当てたと思ったら、このありさまだ。2日間で7枚も当選させ、私にどうしろと言うのだろう。もったいないので3本とも観てみたいが、身体は1つしかないので2日間で3本の試写会に行くのは無理だ。私はたぶんショボいであろうと予想した『千里眼』を捨て、月曜日に『2番目に幸せなこと』、火曜日に『グラディエーター』に行くことにした。水曜と木曜にも映画に行く約束をしているし、来週は映画鑑賞強化週間になりそうだ。
そういえば、私は火曜日の『グラディエーター』を、ミス・デイジーにももらう約束をしてたんだっけ…。
6月1日(木)
せっかくのレディースデーなのに“映画の日”と重なってしまった。今、気になっている映画は『エリン・ブロコビッチ』と『太陽は、僕の瞳』くらい。でも、今日みたいな日に『エリン・ブロコビッチ』に行ったら激混みは必至なので、『太陽は、僕の瞳』の方を観に行くことにした。しかも、サービスデーだというのに招待券で入場した。こんな混んだ日を選んでわざわざ招待券で入場する人はめずらしいのだろう。劇場の人は「今日は1000円の日ですが、よろしかったですか?」と親切に聞いてくれた。予想しなかった問いかけに、咄嗟に「は、はい、よろしかったです」と変な日本語で答えてしまったまるこっち。臨機応変な態度を取るのが苦手なのかもしれない。…ってゆーか、ここの劇場は2〜3年前までは名古屋市内では最も劇場係員の態度が悪く、いい映画を観ても立腹したり、いや〜な気分で帰ったりしたものだったのだ。私だって映画館でモギリのバイトをしたことがあるから、映画館のお客さんへの対応のノウハウは一応は知っている。当時私は高校生だったけど、お客さんに対する言葉遣いには気を使ったし、頭の下げ方や「ありがとうございました」の言い方だって練習させられた。しかし、ここの劇場の対応は、サービス業がこんなんで許されるのだろうかと思ってしまうほど、それはそれはヒドイものだった。匿名でここの偉い人にタレ込みしてやろうと考えたこともあるほどだ(やらなかったけどね)。でも、いつだったか忘れたが、ある時突然、係員の態度が改善されて普通の劇場になった。たぶん、まだ係員の態度が悪かった時の印象というのが、私の中で残っているのだろう。すっかり改善された今でも、ここの劇場の人からそんな親切な言葉が出てくるだけで、私はびっくりしてしまったのだ。
やっぱり“映画の日”だけあって、劇場はかなり混んでいた。
目の不自由なモハマドは、テヘランにある全寮制の盲学校に通う8歳の少年。学校が3ヶ月の夏休みに入るため、彼は久しぶりに山奥の小さな村にある自宅に帰ることが出来た。自宅に着いたモハマドは祖母や姉妹から優しく迎えられるが、父親は彼を歓迎してはいなかった。彼は妻を5年前に亡くしたあと、モハマドの世話を逃れるために彼を遠くの町にある全寮制の学校に入れたのだった。意中の女性との再婚話が順調に進んでいた父親は、家族に内緒にしたまま、いやがるモハマドを大工の見習いに出そうとする。
目が見えない少年は、神がどんなものなのか分からない。盲学校の教師は「神は目に見えないが、いつも近くに居る」と教えるが、彼には“目に見えるもの”と“目に見えないもの”の違いすらよく分かっていないのだろう。だから彼は“神は触れることが出来るもの”と信じ、自分も神に触れることを夢に見ている。生まれた時から目が見えない人の世界というのは、私たちに分かるはずはない。でも、この少年の純粋な気持ちは深く心に響いてきて、涙が出た。
一方、自分の息子を心から愛してやれない父親の気持ちも切ない。息子の気持ちも考えずに遠くの町の盲学校に入れてしまったり、自分の再婚のために彼を大工に預けてしまう無情さが表立っているものの、一生誰かに頼らなければ生活できない人生より、息子に自立した人生を送らせようとした彼の選択も、決して間違っているとは言えない。身勝手だとは思うが、自分自身の幸せを一番に考えてしまう気持ちも、私には分かる気がした。
ぶつかり合う父と息子の切ない気持ちがメインになっているとはいえ、決して暗くかわいそうなだけの話ではない。少年は自分の運命を受け入れ、いつも前向きに生きている。目が見える子供たちよりも勉強熱心であったり、自然を友だちにし、目の見える人間には分からない世界を楽しんでいる。そんな彼の姿は、自分の力で自分自身を幸せにする術を教えてくれている。
この作品を撮ったマジッド・マジディ監督は、前作『運動靴と赤い金魚』で貧しい家庭に育った子供たちと、その父親の気持ちを上手く表現していただけでなく、イランの人々の文化を映画の中で分かりやすく説明していた。この作品でもイラン式の結婚についての説明を、監督はさりげなく映画に取り入れている。それが観ていてまた面白い。世界の市場に出せる映画を作れる監督というのは、やっぱりそれだけの才能がある人なのだと感じられた作品だった。 レベル4
夜、ミス・デイジーから火曜日の『グラディエーター』の試写状を譲ってくれるというメールが入った。ミス・デイジーは明日からフラメンコを踊るためにスペインに行くので、当たったけど行くことが出来ないらしい。『グラディエーター』に行けるのは嬉しいけど、愛しのミス・デイジーがスペインでアントニオ・バンデラスばりの濃いぃ男に引っかかったりしないか、ちょびっと心配。彼女がケガレのない身体で無事帰って来ることを願うのら。
2000.5.21〜5.31
HOME