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いちげんさんリング0/バースデイ
地雷を踏んだらサヨウナラ御法度
黒い家秘密Mr.Pのダンシング・スシバー

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いちげんさん
1989年、スイスで生まれ育った“僕”(エドワード・アタートン)は、
世界各地を流れ歩いたあと京都へとたどり着き、大学に入って日本文学を学んでいた。
ある日、“僕”は京子(鈴木保奈美)という盲目の娘が、対面朗読をしてくれる留学生を探していることを知り、
興味を持ってそれを引き受ける。
たどたどしい日本語の朗読に京子は真剣に耳を傾け、鋭い感性で感想を述べた。
やがて“僕”は京子と一緒に町に出るようにもなり、ふたりの間には信頼と愛情が芽生え始めた。
そして、いつか愛し合うようになったふたり。
しかし、京子は“僕”がいつまでも自分の傍に居る人ではないことに気付いていた。

鈴木保奈美の引退作品であり、この作品の中で、彼女は女優として初めてヌードを披露しています。
いままで主にテレビドラマ女優としてキャリアを積んで来た彼女は、映画にも何本か出演はしていますが、
どれもテレビドラマの延長のような役どころばかりという印象を受けていました。
それも彼女が演じる役はいつも気が強い女性なので、どの作品を観ても“いつも同じ”という感じです。
この『いちげんさん』の京子も、盲目ながら芯の強い女性なので、演技的には“いつもと同じ”。
しかし、芯が強いながらも盲目であることに対しての悲しみを内に秘めた役柄をきっちりこなしていて、
彼女的には最後にして初めて“演技力”を認めてもらえる役柄を手に入れたのではないかと思います。
彼女がこの作品でヌードになったのも、きっとこの作品だからこそなのだと感じました。
物語は“いちげんさん”と呼ばれ、よそもの扱いされている外国人留学生が盲目の女性と恋に落ちる…というもの。
ふたりが寄り添って京都の町を歩くシーンでは、ふたりが居るところだけ違う空気を感じました。
京都の町では、彼らふたり共が“いちげんさん”なのです。
ある意味で社会から疎外された意識のあるふたりだからこそ、分かり合える部分があったり、
特別な感情で惹かれ合ったりして、恋に落ちて行く姿がとても自然に映りました。
しかし、世界中の各地を旅して京都にたどり着いた彼が、
いつまでも同じところに留まる人ではないことを京子は気付いています。
「あなたはサメのような人間なのかもしれない。いつも泳いでいないと沈んでしまう」と、
京子が彼に向かってにこやかに話すセリフがとても悲しく聞こえました。
同じところに留まるということは、彼が彼でなくなってしまうということも、
自分が盲目であるが故に彼についていける人間ではないことも、彼女は気付いているのです。
愛し合っているのに、一緒に泳いでいくことが出来ないと分かっているふたりの気持ちが切なく、
それを芯の強さで乗り切ろうとする京子の姿がいたいけでした。
しかし、彼と出会ったことによって、京子が自分の進むべき道をきちんと見つけて行く…という
ある意味で肯定的なエンディングは、全くもって私の好みです。
エンドロールの曲を聴きながら余韻に浸れる、いい作品でした。
レベル4

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リング0/バースデイ
昭和43年、18歳の山村貞子(仲間由紀恵)は、東京の劇団“飛翔”の研究生だった。
しかし劇団員たちは、貞子に何か異様なものを感じ、
それから劇団内の雰囲気が変わってしまったことに気づき始めていた。
そんなある日、本番を間近に控えた芝居の主役女優が、突然謎の死を遂げる。
彼女の代役として、貞子が抜擢されるが…。

お馴染み『リング』シリーズの最新作。
貞子の出生の秘密…などと謳われてしますが、
これは出生というよりは、貞子が井戸に閉じ込められた経緯を描いた作品。
しかし、何ともお粗末な出来で、これはシリーズ最悪と言えるような、酷い作品でした。
まず、主演の仲間由紀恵が可愛すぎてダメ。
貞子の不気味さが全く伝わって来ず、彼女を警戒したり翻弄されていったりする
劇団員たちの気持ちが分かりません。
貞子役には、もっとミステリアスな魅力を持った女優を使うべきだったと思います。
それに、貞子を取り巻く全ての登場人物の性格が激し過ぎ。
みんなそれぞれに暴走してしまって、何が何だかよく分からない展開になってしまっていました。
恐怖も全く感じられず、観ていてバカバカしくなってきたほどです。
貞子が井戸へと落とされるところで物語は終わっていますが、
問題は、何故貞子がビデオを観た無関係の人々までもを死に落とし入れるまでの
強い怨念を持つようになったかではないでしょうか。
その部分が全く描かれていないこの作品を作った意味は、果たしてあったのでしょうか。
この作品によって、『リング』で観じた得体の知れない貞子の怨念の恐怖が
激減させられてしまったような気がします。
完全に蛇足でしかない作品でした。
レベル1

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地雷を踏んだらサヨウナラ
1972年、内戦の渦中にあるカンボジアの首都プノンペンに、
25歳の日本人ジャーナリスト、一ノ瀬泰造(浅野忠信)が居た。
彼は解放軍の聖域である遺跡アンコールワットを撮り、
ピュリッツァー賞をとることを夢見て戦地に単身で乗り込んだのだ。
その近辺では何人ものカメラマンや記者たちが命を落としていることを
知りながらも、彼はひたすらアンコールワットに想いを馳せ、無法地帯へと突き進んで行く。

実在したカメラマン、一ノ瀬泰造さんの伝記的映画ですが、完全な失敗作という印象。
戦火の中、自らの命をも省みないで突き進んでいった彼の生き方は、
実にドラマチックだと思います。
しかしこの映画を観ている限りでは、彼が身体を張ってまで戦地でシャッターを切っている、
その理由が理解出来ないのです。
確かにカンボジアの人々を愛し、また現地の人々にも愛された彼の優しい性格は
充分に表現されていました。
しかし、彼はなぜアンコールワットを目指したのか、そこには一体何があるのか、
一番大切であるはずのそれが分からないため、最後まで彼に感情移入することが出来ず、
私には彼がただの無鉄砲な青年にしか見えなかったのです。
そして、この作品の最大の失敗は、この映画からは“反戦”というテーマが見えてこなかったこと。
戦争をバックにした作品には、必ず“反戦”というテーマが土台として必要です。
実在していた一ノ瀬泰造さんは、何のために写真を撮っていたのでしょうか。
その根底には必ず“戦争の悲惨さを伝えたい”という気持ちがあったに違いないと思うのです。
しかしこの作品では、その部分はなおざりにされ、彼のアンコールワットへの執着のみが
クローズアップされていたような気がしたのです。
レベル3

私がこの映画を観ていて一番心が痛み、唯一涙が込み上げてきたのは、
両親が彼の部屋で弾痕の空いたカメラを手に取って見つめるシーンでした。
無鉄砲な息子の身を案じる両親の気持ちが、何より痛かったです。

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御法度
1865年、京都西本願寺にある新選組道場では、新隊士を選ぶ試合が行われていた。
その中で入隊を許されたのが、群を抜いて腕の立つ二人、
息を飲むような色気を放つ美貌の青年・加納惣三郎(松田龍平)と、
久留米藩脱藩の下級武士・田代彪蔵(浅野忠信)であった。
衆道(ホモセクシャル)の気がある田代に手込めにされた惣三郎は、その道に目覚め、
彼を愛する湯沢藤次郎(田口トモロヲ)とも関係を結ぶ。
やがて、新選組の周りでは惣三郎が絡んだ事件が勃発するようになり、組の秩序が狂い始める。

新選組という男臭い集団の中にひとりの美少年が入隊し、
彼の存在によって皆が翻弄され秩序が乱されていくという物語。
監督が描きたかったテーマは分かる気がするのですが、何か中途半端な作品のような印象でした。
テーマだけが膨れ上がって結論がそれに付随しておらず、
「だから何?」というエンディングを迎えてしまったのです。
基本的にこの作品は男色ネタのコメディなのでしょうが、素直に笑えたのはトミーズ雅の演技だけです。
彼や坂上二郎などのお笑い芸人を俳優に起用し、その人の存在だけで笑わせようとしているところも
見え見えで、少々鼻につきました。
的場浩司、神田うの、伊武雄刀などの“ちょっと有名”という俳優やタレントたちを端役で
次々に登場させるのも、映画本編に対する注意力を散漫にさせるだけで、あまり好きではありません。
しかし、それより何より一番鼻についたのは、主役を張る松田龍平の演技の下手さ。
優作の息子というだけで大役を手に入れたようですが、学芸会の延長のようなセリフ回しでは
共演の浅野忠信や武田真治がかわいそうになってしまいました。
ボソボソと喋るセリフも聞き取り難いし、最後の沖田総司の長々とした語りも退屈、
オチも分かり難かったと思います。
大島渚の復帰作として注目はされていますが、正直言って面白い作品ではありませんでした。
レベル2

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黒い家
若槻慎二(内野聖陽)は、昭和生命北陸支社に勤務するサラリーマン。
ある日、彼はある女性から「自殺でも保険金は下りるのか」という問い合わせの電話を受ける。
その女性が保険金を受け取るために自殺を考えていると思った若槻は、
自殺を思いとどまるように諌めたが、相手は彼の名前を確認すると電話を切った。
その翌日、若槻は菰田重徳(西村雅彦)と名乗る契約者から名指しのクレームを持ち込まれ、
その家を訪問するが、重徳の勧めで部屋に上がると、そこには菰田の息子・和也の首吊り死体があった。
調査を進めていくうち、若槻は菰田重徳が保険金詐欺の札付きであることと、
和也が重徳の本当の息子ではなく、妻・幸子(大竹しのぶ)の連れ子であることを知る。
和也の自殺に疑問を抱いた昭和生命は、調査が終わるまで保険金の支払いを拒否。
しかし、翌日から重徳と幸子が代わる代わる保険金の請求のために若槻を訪ねるようになる。

第4回日本ホラー大賞を受賞した貴志祐介のベストセラー小説を、森田芳光が映画化。
“心のない人間”が保険金狙いの殺人を犯し、その支払いの担当となった保険会社の社員が
執拗に追いまわされるというホラーですが、とにかく怖かった。
自分の家族に多額の保険金を掛け、それを受け取るために殺人を犯す…というのは、
小説の中の物語に止まらず、最近では現実の事件として何度も起っているだけに、
そのような異常な神経を持った人間の恐ろしさを充分に感じることが出来た作品でした。
特にこの作品では、そういう人間の異常さに気づきながらも、自分の力ではどうすることも出来ず、
やがてその矛先を自分に向けられてしまう…というくだりが、恐ろしさを倍増させます。
全く無関係の人間たちではなく、保険金の受け取りを妨害していく人間たちを次々と殺して行くことが、
若槻に対して“次はお前だ”と言わんばかりの挑戦状のように
受け取ることが出来、その異常さに寒気がしてきたほどです。
一番怖かったのは、若槻が問題の“黒い家”に潜入していくシーン。
お化け屋敷に潜入していくかのように、中で何が起こるか分からない恐怖と、
その後ろから殺人鬼に追われる恐怖に同時に襲われるため、かなりの緊張感がありました。
しかし、本当に怖かったのはそこまで。
若槻が殺人鬼と格闘するシーンには、恐怖感を盛り上げるための、
ピンと張り詰めた空気が欠けてしまっていました。
こういう作品は、ラストに向けてどんどんと恐怖感を盛り上げていかないと意味がありません。
中盤の盛り上がりに対して、後半でパワーダウンの演出には、ちょっとがっかりでした。
そして、ラストシーンのしょぼいこと…
あのボーリング場のシーンは、もう少し何とかならなかったのでしょうかね。
レベル3.5

ホラー映画は観客を怖がらせてなんぼのもの。
この映画はかなり怖かったので、それだけで充分に合格点に達しているのではないでしょうか。

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秘密
妻・直子(岸本加世子)と娘・藻奈美(広末涼子)に囲まれ満ち足りた生活をしていた平介(小林薫)。
しかし、直子と藻奈美が乗ったスキーバスが転落事故を起こし、
病院に運ばれた直子は息を引き取り、藻奈美は脳に障害を負い意識不明の状態に陥ってしまう。
最愛の妻を突然失い動転する平介の前で藻奈美は意識を取り戻すが、その人格は妻・直子であった。
信じがたい事実に戸惑いながら、平介は藻奈美の姿をした直子と生活を始める。
家の中では夫婦、しかし世間には親子を演じながら…。
17歳の藻奈美の姿をした40歳の直子もまた、そのギャップに戸惑いながらも、
もう一度10代をやリ直すことに新鮮さを感じる。
しかし、二度目の青春を謳歌する直子に平介は疎外感を感じ始め、二人の生活は徐々にすれ違い始める。

姿は娘の藻奈美であれど、妻・直子の魂を宿す女性と一緒に生活する平介の
戸惑いや複雑な気持ちがとても見事に表現されていた作品だったと思います。
これは、小林薫の演技力がかなりの功労を来していたと言っても過言ではないでしょう。
しかし、原作者・脚本家・監督のいずれもが男性であるということが原因でしょうか、
肝心の女性の気持ちがかなり欠落していたようにも感じました。
娘の身体のまま、夫に抱いてもらおうと考える直子。
躊躇する平介に「顔を隠そうか?」と何度も言いますが、ここに私は疑問を抱きました。
実の母親が、娘に対する罪悪感なしにそんな言葉を吐けるものなのだろうか、ということ。
その行為に戸惑う平介に対し、直子の方はあまりにもあっけらかんとしすぎてはいないか、ということ。
40歳の父親が10代の実の娘の身体を抱く…ということは、母親の立場からしても、
顔を隠せば済む…というような、簡単な問題ではないように思ったのです。
さすがベストセラー小説の映画化、ということで、ストーリー展開はとても面白いのですが、
作り方があまりにも雑であることも気になりました。
バスが転落するシーンなどは、かなりしょぼかったですし、
真夏の時期に短期間で撮影をしただけあって、雪山のシーンも合成まる分かり。
せっかくの面白いストーリーなのに、もったいない気がします。
製作がTBSということもあり、ドラマの延長のような作り方をしていて、
“お茶の間作品”のような仕上がりになっていることも
“映画”を期待して観に来ている側としては不満が残りました。
新進の映像作家がこの作品を撮ったなら、もっと面白い“映画”になったはずなのに。
原作小説には、発刊当初から30を超える映像化の企画が殺到していたそうです。
実にもったいない結果となった作品でした。
レベル3.5

それにしても平介と直子って、本当にいい夫婦ですね。
うらやましくなりました。

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Mr.Pのダンシング・スシバー
べトナム帰還兵のブルース(フランク・マクレイ)は、ロサンジェルスで
黒人ながら日本人の経営する寿司屋の看板シェフになっていた。
しかし、ある日、彼は働いていた寿司屋の日本人店長といさかいを起こし、
勢いで店を辞めて、自分の店を持とうと決心する。
彼の妻、日本人女性のミツコ(ナンシー・クワン)は反対するが、
やがてブルースの情熱に動かされ資金繰りに奔走する。
そのかいあってブルースの店“Mr.Pのダンシングスシバー”は開店し、予想以上に大繁盛した。
しかし忙しさのあまり、ブルースとミツコの気持ちはすれ違いはじめるのだった。

タイトルに惹かれて観に行きました。
もっとおバカな映画を期待して行ったら、ものすごくマジメな作品で、まずびっくり。
ベトナム戦争で、大勢の人を殺したことを心の傷にしている黒人男性と、
彼の妻である日本人女性の、夫婦愛のお話でした。
全編が英語であり、ロケ地もアメリカ、キャストのほどんどもアメリカ人ですが、
日本人監督の作品であり、これは日本映画に属するようです。
とても感動的な夫婦のお話であるのですが、私はこの作品にのめりこむことが出来ませんでした。
主役の黒人男性ブルースに、どうしても魅力を感じることが出来なかったのです。
彼の暴力的な言動は、全てベトナム戦争に行ったことの心の傷が引き起こしているのですが、
私はそれを深く理解してあげることが出来ず、妻・ミツコの彼に対する愛情も理解出来ませんでした。
自己中心的で、自分の夢を実現させるためにはミツコの気持ちをも考えず、
金を工面してもらおうと考えるブルースが、最後まで好きになれなかったのです。
また、寿司店で成功を収めたブルースの裏側で、壊れていくミツコの心情も表現の不足からか、
理解し難いものがありました。
サンダンス映画祭で高評価を得た作品とのことですが、
私には90分という短い時間すらも退屈を感じた作品でした。
レベル2

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