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トゥルー・クライム /
エイミー
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トゥルー・クライム
北カリフォルニアのサン・クエンティン刑務所では、
6年前に妊娠中のコンビニの店員を射殺した罪で囚われている
フランク・ビーチャム(アイザイア・ワシントン)の死刑が24時間後に迫っていた。
しかしその頃、ビーチャムの死刑を取材するはずの女性記者が交通事故で死んでしまう。
彼女が事故の直前まで一緒に居た先輩記者のスティーブ・エベレット(クリント・イーストウッド)は、
翌朝、ボスから彼女の代わりに取材をするように命じられるが、
エベレットは、ビーチャムの有罪を決めた証人に不自然なものを感じる。
もしも、この映画をイーストウッドが主演しなければ、もう少し素直に観ることが出来たのかもしれませんが、
彼が主演だというだけで、かなりの偏見を持って観てしまいました。
いい年齢して“俺様映画”を撮り続けている彼が、私はあまり好きではないからです。
この作品でも、冒頭からいきなり23歳の若き女性を口説くシーンがあり、
いくら何でもそりゃないでしょって感じ。
あのじいさんが女にモテモテという設定が、私的にどうしても納得いかないのです。
ストーリー的には面白いものがあるのですが、その追い方がイーストウッド演じるエベレット中心で、
それ以外の部分がとても雑なことが気になりました。
特に、冒頭の女性記者の死に関しては、死後まる1日も経過していないのに、
荒れた部屋で父親が泣きながら遺品を整理しているシーンがあったり(そんなことしてる場合か?)、
事件のポイントとされている少年の存在も、警察がうやむやにしてしまった理由が明確にされていなかったり、
新聞記者が一瞬で疑問に思ってしまうことを、どうして警察が分からなかったのかという疑問も沸いてきて、
観ていてすっきりしないものを感じてしまったのです。
24時間という限られた時間でのドラマを見せようとしたアイデアは買いますが、
その短い時間の中で起った出来事にしては、色々詰め込み過ぎの感がありました。
このストーリーならあえて24時間で見せる必要はなかったのでは?
この作品と同じようなネタを常盤貴子が『タブロイド』というドラマでやっていました。
こちらの作品は、女性記者が3か月かかって殺人犯を無罪へと導くお話。
それくらいの時間をかけた方がドラマ的には説得力があるし、オチもこっちの方が面白かったです。
レベル3
エイミー
オーストラリアの田舎町で母タニア(レイチェル・グリフィス)と一緒に暮らす
8歳の少女エイミー(アラーナ・ディ・ローマ)。
エイミーは、ミュージシャンだった父親ウィル(ニック・バーカー)が目の前で感電死した4歳の時以来、
耳が聞こえなくなり、言葉も話せなくなってしまった。
福祉局の人間たちは、そんなエイミーの教育権を母親から剥奪しようと執拗に追いかけてくる。
タニアとエイミーは、彼らから逃げるようにウィルとの思い出の地、メルボルンへ引越した。
彼女たちが新しく住むことにした家の隣には、下手な歌で騒音を撒き散らす、
売れないミュージシャンロバート(ベン・メンデルソン)が住んでいた。
ある日ロバートは、耳が聞こえないはずのエイミーが自分の歌に反応することに気付く。
大好きだった父親の死を目の前で見てしまったことがトラウマとなり、
耳が聞こえなくなって、言葉が喋れなくなってしまった少女の物語。
予告編を観ただけで涙が出そうになってしまい、号泣の感動ものだと思って観たのですが、
実際にはコメディタッチの描写もある、ほのぼのとした作品でした。
耳が聞こえないのに歌だけは聞こえるという非現実的な心の病気も、
このストーリーが“おとぎばなし”であると考えればOKでしょう。
エイミー親子を執拗に追いかける福祉局の人間たちは悪役という設定ですし、
ミュージカル調の表現もあって、まるでディズニー映画のような作品でした。
心に傷を負っていたのは、エイミーだけではありません。
エイミーの母親タニアもまた、夫を無くしたショックに加え、娘が口をきかなくなってしまったことで
やりきれない深い悲しみの中に居たのです。
一方、新しく引っ越した土地の住人たちは、よそ者をひどく嫌う連中。
しかし、他人に対する愛情など、これっぽっちも感じることが出来ない世捨て人のような住人たちが
エイミーと出会い、触れ合うことによって魔法にかかってしまったようにどんどんと変わって行き、
エイミーもタニアも、彼らのおかげで幸せを取り戻すことが出来るのです。
心が冷え切った人間たちが、音楽によって心を通わせ、明るく幸せになっていくといった
現代のおとぎばなし。
音楽の力って、素晴らしいと感じた作品です。
レベル4