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八日目
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ラヴソング
1986年、シウクワン(レオン・ライ)は、故郷の天津に婚約者を残し、香港に上京した。
大都市・香港での生活は、シウクワンにとって驚きの連続。
しかし広東語がカタコト、英語も話せない彼には、日常会話で困ることもしばしばあった。
そんなある日、生まれて初めて行ったマクドナルドで注文に戸惑った彼は、
自分の母国語である北京語を話せる店員・レイキウ(マギー・チャン)と出会う。
レイキウに英会話学校を紹介してもらったシウクワンは、彼女が香港でただ一人の友だちとなる。
香港人を気取っていたレイキウも、実は中国大陸からの移民だった。
その事実を隠しながら香港で生活を続けるレイキウも、孤独な女性だったのだ。
ふたりはだんだん心を通わせていくが、シウクワンが上京した理由は、
香港で仕事を見つけ、婚約者を呼び寄せて結婚するためだった。
お互いにそれは承知の上での“友だち関係”だったのだが、
ある時、ふたりは一線を越えてしまう。
1997年香港アカデミー賞、最優秀作品賞他9部門受賞作品。
「天使の涙」で“クールな殺し屋”を演じたレオン・ライが、
田舎から都会に出てきた純朴な青年を演じています。
また、ウォン・カーワァイ監督の「恋する惑星」「天使の涙」などのカメラマン、クリストファー・ドイルが
レオン・ライ演じるシウクワンの英語の教師として出演しています。
前半の、シウクワンとレイキウが、お互いに惹かれているのに“友だち”だと言い張りながら
微妙な関係を続けて行くという、心の揺れの表現が何とも良いです。
自分の気持ちを素直に表現するのが苦手で、いつも突っ張っている気の強いレイキウが、
フッと弱気になってしまった瞬間、シウクワンが彼女を初めて“女”として意識してしまう・・・・というシーンは、
観ていてドキドキしてしまいました。
しかし、ふたりが喧嘩別れしてしまってからを描いた後半は、前半の繊細な作りに比べて大ざっぱな気がしました。
特にレイキウの身上と気持ちの変化については、もう少し丁寧に描いて欲しかったです。
省略してもいい部分はあると思うのですが、省略されすぎていたため、
シウクワンともう一人の男性の間で揺れるレイキウの気持ちが分かりにくくなってしまっていたと思います。
前半では男と女の微妙な心の揺れが見事に描かれていたのに、
後半で一気にメロドラマになってしまったのにも、やや不満が残りました。
レベル3.5
ラストシーンは、やっぱり出来すぎって気が・・・・。
この森で、天使はバスを降りた
1996年サンダンス映画祭観客賞受賞作品。
16歳の時に刑務所に入ったパーシー(アリソン・エリオット)は、5年間の刑期を終え、
バスで小さな町ギリアドに降り立った。
保安官の紹介で老女主人・ハナの経営するレストランに住み込みで働き始めたパーシーだったが、
ハナには怪訝に思われ、好奇心が旺盛でよそ者を嫌う町の人々には好奇の目を向けられていた。
ある日、足を骨折したハナを助けたことで、パーシーはようやくハナに認められ、
その人柄や彼女が提案したアイデアで、ハナの店になくてはならない存在となり、
やがて、町の人たちの気持ちをまとめる中心人物になって行く。
しかしハナの甥・ネイハムは、前科者のパーシーを信用していなかった。
久しぶりに地味なのにすごく良い作品を観た気がしました。
「スリング・ブレイド」に設定は似ていますが、こちらの作品の方が何倍も良かったです。
何よりもまず、私はパーシーの人柄に惹かれました。
それはタイトルの“天使”という、純粋で優しいというイメージだけのものではありません。
自分の素性を探ろうと、こそこそと話している人たちの前で、
「私は5年間刑務所に入っていた」と大声で言ってしまう潔さです。
その告白は、過去に犯した罪を恥じていない気持ちからなのか、
あるいはその罪を背負って生きて行こうと思う気持ちからなのか、
どちらなのだろうと思いながら私はずっと観ていました。
あえてここでは書きませんが(それは物語の中で明らかになります)、
いずれにせよ、そんな好奇の目にも負けない強い精神を持った女性なのです。
そして、映画を観ている人をも引き込む人柄だからこそ、
映画の中の噂好きで閉鎖的な町の人たちが、だんだんと彼女に影響され変化して行くのが納得出来るのです。
パーシーを演じるアリソン・エリオットはほとんど無名の女優ですが、すごくいい演技をしています。
ラストシーンは・・・・泣けます。多くの人に観てもらいたい作品です。
レベル5
パーシーが何故タイトルで“天使”と詠われるのか、それは映画を最後まで観ると分かります。
スリング・ブレイド
カール(ビリー・トム・ソーントン)は12歳の時、母親の浮気現場を目撃し、その場で二人を殺害した。
知的障害を持っている彼は、その後25年を精神病院で過ごし、ついにその退院の日を迎える。
行く当てもなく故郷の町をさ迷っていた彼は、フランク(ルーカス・ブラック)という少年と出会う。
父親を亡くしているフランクはカールになつき、母親リンダにカールをガレージに住まわせてもらうように頼む。
リンダはカールを歓迎するが、リンダの恋人で横暴者のドイルはカールを目の敵にする。
題材はいいと思うのですが、あまり感動出来ませんでした。
たぶんそれは、登場人物たちがあまりにも自分の気持ちを“言葉”にしすぎるからだと思います。
余計なセリフなしで気持ちを表現してくれれば、もっと感動的な話になったと思います。
カールは知的障害を持っているのですが、それにしては考えていることがあまりにも普通で
(特異な技術を持っているだけではなく、普通の人以上にまともな考え方を述べたりもする)
しゃべり方と仕草を除けば“知的障害者”という感じではありません。
子供を愛している母親が、なぜあんな凶暴な恋人と一緒にいなければならないのか
その理由も理解出来ないし、ラストシーンも“やっぱりね”という感じがありました。
レベル3
ジム・ジャームッシュがクリームスタンドの店員(チョイ役)で出演してたのは面白かったな。
フル・モンティ
勤めていた鉄鋼所が閉鎖となり、無職になって6ヶ月のギャズ(ロバート・カーライル)。
別れた妻との間に10歳の息子がいるが、養育費が払えないために親権が得られない。
ある日、町の女性たちが男性ストリップショーに群がるのを見たギャズは、自分もそれでひと儲けしようと企む。
同じ鉄鋼所に勤めていて今だ失業中の元工場長、自分の体に自信がない太っちょの友だち、自殺未遂男、
腰痛持ちの元黒人ダンサー、ダンスはダメだが体だけは凄い男というメンバーを揃え、
1度限りのストリップショーに向けてダンスの練習を始める。
それぞれに裏に悲しい事情を持っているのにも関わらず、6人の男たちがそれぞれ個性的で、笑わせてくれます。
いい加減な父親ギャズと、そんな父親に少々うんざりしながらも付き合ってやる、しっかりものの息子・ネイサンとの関係も良いし、
妻に自分が失業していることを言えなくて、毎日会社に行くふりをし、スーツを着込んで弁当持って職安にやって来ては、
今だにギャズたちに上司風を吹かせて煙たがられている元工場長、という設定も面白いです。
でも、絶対お金を払ってまで見たくないような、にわかダンサーたちがひょんなことで有名になり・・・・というくだりまでは
良いのですが、ラストがいまいち面白くありませんでした。
それまでが面白かっただけに、もっとすごいオチを期待していたので残念でした。
レベル4
ラストでしっかり落としてくれれば、レベル5がついた作品だったのに・・・・。
ポネット
4歳の少女ポネットは、自動車に乗っていて事故に遭い、その車を運転していた母親を亡くしてしまう。
彼女は、「ママは死んだんだ。もう会えない」という父親の言葉でおぼろげにその意味を理解するが、
彼女を慰めようとする他の大人たちの言葉や、周りの子供たちの“死”に対するいい加減な知識や、
時々夢の中に出てくる母親の姿に惑わされ、本当の“死”の意味が分からなくなってしまう。
いつしか、“信じて待っていれば、必ずママに会える”と思い込むようになった彼女は、毎日のように外に出て母親を待ち続ける。
いろいろ考えさせられる映画でした。
夢の中に母親が出てきたことを、「ママが会いに来てくれた」と喜ぶポネットに対して、
「あなたが会いたいと思えば、いつでもママは会いに来てくれるのよ」と、簡単に言ってしまう大人の優しい嘘の残酷さ。
ゾッとしてしまうような言動を平気でしてしまう、悪気のない子供たちの恐ろしい世界。
そして、そのひとつひとつを信じ込んで、ひたすら母親を待ち続ける4歳の少女の純粋さ・・・。
でもストーリー的にはそれほど面白いとはいえないし、オチもなんだかな、って感じでした。(もっと違った終わり方にして欲しかった)
それに、どうしても4歳の女の子に感情移入するのは難しく、客観的な目でしか観ることが出来ませんでした。
またポネット役の女の子は、この作品でヴェネチア映画祭で4歳という史上最年少で主演女優賞を取ったらしく、
あまりにも上手すぎるため、どうやって泣かせてるんだろうとか、監督の演出方法ばかり気になってしまいました。
レベル3
ポネット役の女の子、すごくかわいいです。
でも、あの子が“演技”してると思うと、ちょっと怖い・・・。
ロザンナのために
不治の病を抱えたロザンナのたった一つの願いは、先に他界してしまった娘のお墓の横に自分のお墓を作ること。
しかしその墓地には、あと3人分しか余裕が無い。
愛する妻のその願いを叶えるために、夫(ジャン・レノ)は、町の人々が妻より早く死なないように奔走する。
予告編を観た限りでは、夫婦愛を描いた超感動作のように思えたのですが、全然ちが〜う!!
何、これ?って感じで、はっきり言って頭に来ました!
町から死人を出さないように、ジャン・レノはあらゆる手段を使います。
町の交差点に勝手に立って交通整理とか始める、・・・・というのは許せるのですが、
病院で脳死状態になった人の病室に勝手に入り込んで、
悲しみに打ちひしがれながら生命維持装置を切ろうとしている家族に対して、
「今、この人(脳死状態の人)がしゃべった。俺には聞こえた」などと嘘をつき、
それを家族に止めさせたり(それも、妻の墓を確保したいという理由のためだけに)、
あげくの果ては、知り合いが自分の目の前で事故死した時、その遺体を見つからないように
冷凍庫に隠してしまったりします。
そして、“行方不明状態”のその人と最後に会っていたことが警察にばれ、疑われたため、
あわてて冷凍庫から引きずり出し、ドライヤーをあてて解凍したりするのです。
はっきり言って、“死”をテーマにした、感動ものまがいのブラック・コメディです。
笑っていた人は大勢いましたが、私は笑えませんでした。
人の死をいったい何だと思っているんだ、と言いたくなるような作品でした。
レベル1!
97年に観た、私のワースト1です。
日蔭のふたり
十九世紀末、イギリスの勤勉な青年ジュードは、独学で大学進学を目指していた。
世間知らずな彼は豚飼いの娘アラベラに誘惑され、彼女の妊娠を理由に結婚するが、
共通点の少ない二人の生活はやがて破綻してしまう。
大学都市クライストミンスターに移り住み、石工として働きながら再び勉強を始めたジュードは、
その町で美しく洗練された、いとこスー(ケイト・ウィンスレット)に出会い、恋に落ちる。
しかし、将来を約束されたかのように幸せに見える二人には、過酷な運命が待っていた・・・・。
予告編からは想像できないくらい、ショッキングな映画でした。
たぶんそのショッキングシーンのために、Hなシーンは少ないけどR指定になっていたのでしょう。
アラベラが豚を殺して腹を裂いて内蔵を取り出すシーンや、スーの出産シーンはかなり生々しいです。
そして、「子供がいると駄目なんだよ」とアパートの入居を拒否され続けているジュードとスーを見ていた
8歳の息子のジューイが起こした、ある行動・・・・。
そのあとのシーンがうわの空になってしまうくらい、私はその映像にショックを受けてしまいました。
で、結局ラストはどうなるのかと思ったら、「・・・・?」というスッキリしない終わり方でした。
ひとつ分かるのは、私の好きな“精神的ハッピーエンド”ではなかったということです。
レベル3
ラストシーンですっきりさせてくれたら、レベル4はついたと思います。
ラリー・フリント
ストリップクラブの店長からポルノ雑誌の編集長になった、好色で自信家でスキャンダラスな男の半生を描いた作品。
実話がベースになっている。
過激なポルノ雑誌“ハスラー”を出版し、世間から反感を買ったラリー・フリント(ウッディ・ハレルソン)は、
ワイセツ罪と組織犯罪容疑で逮捕→裁判→逮捕→釈放→逮捕・・・・と繰り返しながらも、
“表現の自由”を求めながら戦い続ける。
やがて、何者かに裁判所前で狙撃され下半身付随の体になるが、それでも彼は戦うことをやめなかった。
フリントの妻・アリシアは、下半身付随の夫を支えながら、その精神的苦痛から麻薬の常習者となり、
ついにはエイズに感染してしまう。
正直言って、私は“ハスラー”のようなポルノ雑誌がいいとは思わないし、ラリー・フリントの目茶苦茶な言動に
同調出来るとは言えませんが、あそこまで自分の信念を曲げないで戦い続ける姿は立派だと思いました。
そして物語後半の、妻・アリシアとの夫婦愛を描いた部分には、何かすごく重いものを感じました。
なぜなら、そのことにはストーリーの中では直接は触れませんが、下半身付随の夫を持った妻がエイズに感染する
ということは、夫にとってすごく残酷な事実が裏にあるということです。
それなのに、フリントはみじんも妻を責めることなく愛し続けたのです。
観終わった後に、心の中に「ズーン」としたものが残る作品でした。
レベル4
同じく実在の人物の半生を描いた作品「シャイン」よりも、私は好きです。
コーリャ・愛のプラハ
チェコの初老のチェリストが、お金のために偽装結婚をする。
相手はチェコと敵対するロシア人の若く美しい女で、“コーリャ”という5歳の息子を連れていた。
女がロシアに強制送還されないための半年だけの結婚、という約束だったのだが、
女は結婚式が終わると子供を置いて恋人の待つ西ドイツに亡命してしまう。
ロシアからドイツには直接入れないため、彼女はチェコの国籍が欲しかったたけだったのだ。
言葉も通じない残された子供を、子供嫌いのチェリストは引き取る羽目になる。
初めはしっくりいかない二人。しかし、だんだん親子のような絆が生まれてくる。
アカデミー賞外国語作品賞受賞作品ですが、私はちょっとダメでした。
時代は10年ほど前の設定なのですが、チェコとロシアと西ドイツの関係が良く分かっていないと、
観ていても分かりません。
私は社会情勢や国際情勢が絡んだ作品に弱いため、さっぱりでした。
言葉もチェコ語とロシア語の二つが出てくるのですが、字幕ではその区別がされていないので、
ますます分からなくなってしまいます。
コーリャ役の男の子はすごくかわいいのですが、その子を泣かせて観客の涙を誘う、
というのも何だか・・・。
期待していただけにガッカリ。
レベル2
アカデミー賞の審査員と私の感覚ってズレてるのかな?
八日目
仕事一筋のため妻と子に愛想を尽かされた会社員・アリーは、雨のなか車で犬をはねてしまう。
その犬を連れていたのは、ママに会うために施設を抜け出したダウン症の青年・ジョルジュだった。
アリーはジョルジュをママの家まで連れて行く羽目になるが、ようやくそこに辿り着いた時、
彼の母親は数年前に亡くなっていることを知る。
唯一の家族である姉は、自分の生活を守るためにジョルジュを施設に入れていたのだった。
同じ孤独感を持った二人は、時間を共にするうち心が通い合ってくる。
そして、“子供の目”を持ったジョルジュに接しているうちに、アリーは大切なことに気づいていく。
すごく良かったです。
ジョルジュの子供のいたずらのような行動に振り回されるアリーが可笑しく、
ジョルジュの純粋さに触れているうちに“子供の気持ち”を取り戻していく、アリーの心の変化の表現が素晴らしく、
お互いの孤独を理解し合う、二人の男の友情に感動しました。
ラストで色んな場面で登場した脇役の人たちに歌を歌わせるという、監督のセンスもすごく好きです。
レベル5
主題歌がすごく耳に残ります。「メキシコ、メキシ〜コ」という曲。