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パーフェクト サークルガタカシューティング・フィッシュアンナ・カレーニナ
アサインメントビヨンド・サイレンスアルビノ・アリゲーター
Touch/タッチジャンク・メール傷心/ジェームス・ディーン 愛の伝説

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パーフェクト サークル

1992年、前年から始まったユーゴ紛争によって、ボスニアの首都・サラエボも敵に包囲されていた。
詩人のハムザ(ムスタファ・ナダレヴィッチ)は厳しい現実を前に、自分の詩が何の意味も持ち得ないことに絶望していた。
そんなハムザに業を煮やした彼の妻は、娘を連れて国外へ脱出してしまう。
銃撃の続く町でひとりきりになったハムザには強い自殺願望が芽生え、孤独で酒に浸る日々を送り続けていた。
そんな冬のある夜、外から帰宅すると見知らぬ2人の少年が家に入り込んでいた。
その9才のケリムと7才のアーディスの兄弟は、敵に村を襲われて父と母を失い、サラエボまで逃げて来たのだった。
兄のケリムは耳が不自由で口がきけず、弟のアーディスだけが彼の言葉を理解する事ができた。
ハムザは孤児である2人を寒空に放り出す事はできず、家にとどめる。
翌日ハムザは子供たちを連れて、彼らの唯一の親戚である叔母を訪ねるが、
彼女もまた銃撃で重傷を負い、すでに国外へ非難していた。
行く当てのない子供たちをハムザは見捨てる事ができず、三人は奇妙な共同生活を始める。
そして、いつしか彼らの間に深い絆が作られていくのだった。

重い。何て重い作品なんだろうと思いました。
あえてネタをバラしておきます。
この作品は、実質的にも精神的にもハッピーエンドではありません。
サラエボの戦火を実際に経験してきたというこの監督の言わんとしていることは、
戦争はあくまで悲劇しか生まないということです。
そして、その戦争の悲劇の現実と平和への希望のために
戦火のサラエボで狙撃から身を守りながら撮影を続けたというこの作品には、戦争の真実があり、
死に直面した人々の生活や人間ドラマが、実にリアルに描かれているのです。

襲撃が続き、水も食料も不足し、自分自身が生きることで精一杯のはずなのに、
ハムザは親を失った2人の少年を家にとどめます。
隣人に「何故に」と尋ねられ、「仕方ない」と言葉では言いながら。
しかしハムザもまた、死んでもいいと思うほど孤独であったが故の行動なのです。
私は赤の他人のために無条件で自己を犠牲に出来るほど、人間は美しいものではないと思っています。
でもこの2人の少年を拾うことで、死の淵に立っていたハムザ自身も救われ、
そこにこの作品の人間愛が成立していくのです。
ところが、この子供が今度は足に銃弾を受けた瀕死の犬を拾ってしまいます。
「捨てられない」と訴える子供に、ハムザはその犬までもを連れて帰ります。
それを観ていた私はさすがに「何故に」と思わずにはいられませんでした。
そして、そんな私の気持ちを代弁するかのように、隣に住む爺さんは言います。
「何のために拾ってきた。無駄骨だ。殺した方が犬のためだ」
しかし、ハムザは犬の傷を手当てし、歩けない犬のために歩行器まで作ってやります。
これが人間の持っている美しい部分を象徴しているのだと思うのです。
自分の持っている汚れた心をその爺さんの姿に見て、
改めてハムザや子供たちの心の美しさに感動させられるのでした。
ラストシーンで耳の聞こえない兄・ケリムのとった悲しい行動も含め、
この作品を撮ったアデミル・ケノヴィッチ監督は、その気持ちの表現力が素晴らしい人だと思いました。
そしてCGなんてものは一切なしでも、この作品の中に完璧な戦場を観せてくれたのです。
97年東京国際映画祭でグランプリと最優秀監督賞を受賞、カメラワークも素晴らしいです。
レベル4

この作品は、面白いとか面白くないとかいう定規では図れないものです。

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ガタカ

近未来、遺伝子工学の進歩は、出生後すぐにその赤ん坊が将来どんな病気にかかりやすいか、
また何歳まで生きられるかを推定することまでもを可能にしていた。
そのため、親たちは完璧な子供を得るために劣性の遺伝子を排除し、
胎児を遺伝子的にデザインして出産するようになっていた。
そして、社会はそんな優秀な遺伝子のみを持つ者を“適正者”、
劣性遺伝子を持つ者を“不適正者”として差別していたのだった。
両親の自然な出産によって生まれたビンセント(イーサン・ホーク)は、
出生時に医師から心臓疾患の可能性が高く、推定寿命は30.2歳との診断を受けている“不適正者”だった。
物心ついたときからビンセントは宇宙飛行士になることを夢見ていたが、
宇宙局を持つガタカ・コーポレーションに採用されるのは、ごく限られた“適正者”のエリートのみ。
その夢が叶う可能性はゼロだった。
しかし、ある時ビンセントはDNAブローカーから、
“適正者”であるにも関わらず事故で下半身が不自由になってしまったジェローム(ジュード・ロウ)を紹介される。
ビンセントはジェロームから検査のための尿や血液などのサンプルの提供を受け、
ジェロームになりすましてガタカの入社試験をパスすることに成功する。
数年後、すでに医師から告げられていた推定寿命を過ぎていたピンセントだったが、
遂に一週間後に打ち上げられる宇宙船の飛行士に選ばれる。
しかしそれを知らされた日に、上司が何者かに殺される事件が発生。
警察が捜査を進めると、死体の側から“不適正者”ビンセントのまつ毛が検出される。
警察はガタカの中に“不適正者”ビンセントが潜り込んでいるものと推定、殺人の罪で彼の行方を追う。

この作品の未来描写には、ゾッとするものがありました。
ひとりひとりに関する何もかもが“データ”で管理されている世界。
そして、遺伝子操作で意識的に創られた優秀な人間たちが、そうでない者たちを管理する世界。
“適正者”と呼ばれるガタカ・コーポレーションの社員たちを見ていると、
みんなのっぺらぼうで、ロボットのようでした。
もしも私がその世界の人間であったとしたら、間違いなく“不適正者”と呼ばれるでしょう。
自然な形で生まれてきたことにより“不適正者”の烙印を押されたビンセントは、
そんな不自然な世界に紛れ込んでしまった、現在の私たちの象徴とも言える気がしました。
生まれた時からすでに30年という寿命が決められていたとしたら、
その人は一体どんな生き方をすれば良いのでしょうか。
“不適正者”と呼ばれ、社会から排除されたことをひがみ、
“夢”なんて持つことすら無駄だと考えてしまうのではないでしょうか。
しかし、ビンセントはそんな自分の運命に逆らい、自分を排除した世の中にも逆らって、
その夢を叶えるために懸命に努力し、戦い続けました。
そしてその結果、不可能を可能に変えてしまうことが出来たのです。
とても重いテーマの作品でしたが、ビンセントは何か大切なものを教えてくれたような気がします。
レベル4

イーサン・ホーク、良いです。今後注目の俳優です。

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シューティング・フィッシュ

ディラン(ダン・フッターマン)とジェズ(スチュアート・タウンゼンド)は共に孤児院育ち。
バイトで知り合ったふたりは、大邸宅に住むという幼い頃からの共通の夢を持っていた。
そのバイトにおいて、互いのひらめきと才能で“イカサマ”を決めて意気投合したふたりは、
夢を実現するための200万ポンドを稼ぐべく、タイピストに女子医大生ジョージー(ケイト・ベッキンセイル)を雇い、
リッチな企業を相手にインチキパソコンを売りつけるなどの詐欺的セールスに励んだ。
ジョージーはふたりの仕事を怪しむが、
“富める者から金を巻き上げ、孤児に寄付する”というふたりの言葉を何となく信じて彼らに協力するのだった。
しかし彼女もまた、とある理由で大金を必要としていた。
そして、彼らの大金稼ぎの理由が嘘だと分かった時、彼女は彼らの貯めた200万ポンドを横取りしようと考える。

タイトルの「シューティング・フィッシュ」というのは、
“樽の中の魚を打つのは簡単だ”ということわざで、“騙すのはチョロイ”という意味で使われているそうです。
魅力的なスマイルとマシンガントークで相手を丸め込むディランと、テクノおたくのジェズのチームに、
大企業のクライアントたちがまんまと騙され続けていくさまは、バカバカしいですが面白いです。
大事な商売道具のパソコンを盗んだ奴に、巧みな罠で仕返しを仕掛けて行くくだりも痛快、
ジェズの“そんなバカな”というような妙な発明品も、何でもありのこの作品では許されるでしょう。
男ふたりに女ひとりが絡んだ微妙な三角関係には、それほど目新しいものは感じませんが、
ジョージーに恋してしまうオクテなジェズが可愛くて、その恋の行方を応援したくなってしまいます。
ラストのまとめ方も上手く、深く考えずに楽しめる作品でした。
レベル4

ジェズが開発したというインチキパソコンに、なぜか“FUJITSU”のロゴが・・・・。

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アンナ・カレーニナ

1880年、モスクワ。
ある日、母親を出迎えるためモスクワ駅へ向かったヴロンスキー伯爵(ショーン・ビーン)は、
列車から降りてきたアンナ・カレーニナ(ソフィー・マルソー)を見て、一目で恋に落ちる。
彼女はロシアの高官カレーニン(ジェームズ・フォックス)の妻で、8歳の息子セリョージャの母だったが、
ヴロンスキーはその現実も目に入らぬほど彼女に夢中になっていた。
ヴロンスキーの気持ちに薄々気付いていたアンナは、意識的に彼を避けるが、
舞踏会で彼とダンスを踊ったことをきっかけに、彼女もまた彼が忘れられない存在となってしまったのであった。
お互いの気持ちを確かめ合った二人は身体でも結ばれるが、
二人のゴシップはあっという間にロシアの社交界の話題になり始める。
夫・カレーニンにも気持ちの変化に気付かれたアンナは離婚を申し立てるが、
息子の親権を盾に離婚を拒否され、息子を何よりも愛するアンナは離婚を諦めざるを得なかった。
しかし、その時すでにアンナの中にはヴロンスキーとの新たな命が宿っていたのだった。

予告編で観た時はなんだか良さそうな作品だったのに、面白くありませんでした。
主人公のアンナとヴロンスキーの恋愛の行方を淡々と描いているだけで、
彼らの気持ちが全く伝わってこないため、感情移入出来ないのです。
二人がお互いを想って恋焦がれる気持ちや、簡単に一緒になれない切なさを
単純に言葉で説明されているだけで、映像からは何も伝わって来ないのです。
ただでさえ私には“一目惚れ”という現象が理解し難いため、
その辺を丁寧に表現してくれないと、最後まで全く理解出来ない作品になってしまいます。
美男と美女が内面ではなく、お互いの外見に恋した物語を見せられても、
それで主人公の気持ちを理解しろっていう方が難しいのかもしれません。
アンナとヴロンスキーのエピソードの脇で語られていた、
ヴロンスキーに恋する娘キティのエピソードの方が、ずっと心にグッとくるものがありました。
レベル2

少なくとも、ヴロンスキーの方は私の好みじゃなかったしね。

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アサインメント

1986年、エルサレムを旅行中のアメリカ海軍少佐ラミレス(アイダン・クイン)は、
町なかで突然イスラエルの諜報機関に捕らえられた。
監禁されて尋問を受けたラミレスは自分の身分を告げるが、全く相手にされない。
彼は国際的テロリスト“ジャッカル”ことカルロス・サンチェスに瓜ふたつだったのだ。
ようやく誤解が解けて開放されたラミレスのところに、
ある日CIAのパリ副支部長のヘンリー(ドナルド・サザーランド)という男がやって来る。
10年以上もカルロスを追いつづけている彼は、ラミレスにカルロス逮捕への協力を要請するのだった。
ヘンリーの説得で、ラミレスは作戦に参加することを決意するが、
そこにはラミレスをカルロスの替え玉として仕立てるための、過酷な訓練が用意されていた。
そして、それがどのような作戦であるかも知らされないまま、
ラミレスは数ヶ月に渡り、身も心も極悪なテロリストになりきるための訓練を受けさせられるのだった。

94年に逮捕されたものの、その逮捕の経緯は極秘で一切明らかにされていないという、
実在する国際的テロリスト、カルロス・サンチェスの逮捕劇を想像して作られた作品。
“ジャッカル”と呼ばれたこの男、映画「ジャッカル」でブルース・ウイリスの演じた
元テロリストの殺し屋“ジャッカル”とは全く関係ないようです。

テロリストを扱った作品は数多くありますが、これほどまでに非情で生々しいテロ行為を描いた作品は
初めて観たような気がしました。
実在のカルロスも、映画の冒頭で描かれているようなテロ行為を十数年に渡り繰り返してきたわけで、
これが本当のテロリストの姿なんだと思ったら、恐ろしくなりました。
そのカルロスが極秘の作戦で逮捕され、その“極秘”の部分を想像して映画化するという、
ノンフィクションとフィクションを混在させたアイデアがとても面白いです。
そして、この“フィクション”の部分がこの作品のメインであり、それが非常によく出来ています。
この作品は、極悪なテロリストに顔がそっくりだったため、彼を逮捕するための協力を余儀なくさせられた
優しき家庭人ヘンリーが、数ヶ月の訓練でカルロスの心の闇に触れてしまい、
極悪のテロリストが乗り移ったようにすっかり人格が変わってしまうというサスペンスなのです。
なぜCIAはヘンリーにそんな訓練をさせるのか、その訓練に一体どんな意味があるのか、
ヘンリー自身が疑問であったように観ている私も疑問に思いました。
しかし、その理由も“作戦”を聞いてヘンリーと同時に納得。上手い演出です。
そして何の意味もなさそうだったヘンリーの訓練が、作戦実行中に思わぬ成果を発揮するというところも
大変面白いと感じました。
自分の中に根づいた“極悪”の存在に気付き苦悩するヘンリーの姿や、
ヘンリーをめぐる人間ドラマも描かれていて、地味ですが大変興味深い作品でした。
レベル4

ブルース・ウイリスの「ジャッカル」より、ずっと面白かったです。

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ビヨンド・サイレンス

耳の聞こえない両親を持つ、8歳の少女ララ(タティアーナ・トゥリープ)。
彼女は両親のために幼い頃から手話を覚え、必要な時には彼らの通訳をしていた。
クリスマスの日、ララと両親は祖父の家でのパーティに招かれ、
ララはそこで父親の妹でクラリネット奏者のクラリッサ(シビラ・キャノニカ)から
彼女が昔使っていたというクラリネットをもらう。
ララはすぐにクラリネットに興味を持ち、練習を始めると驚くほどにその腕を上げて行った。
楽しげにクラリネットの練習をするララを母親は暖かく見守ったが、
父親は自分が理解出来ない世界に娘が興味を持つことが面白くなかった。
やがて10年が過ぎ、ララ(シルビー・ステリュー)は18歳になった。
子供のいないクラリッサはララを自分の娘のようにかわいがり、
彼女のクラリネットの才能を認めて音楽学校に進むように促す。
当然のごとく父親は大反対するが、クラリネット奏者を目指すララは、
父親の反対を押し切り、音楽学校受験のために家を出てクラリッサのところに身を寄せる。

音楽への情熱と、深い愛情を持って育ててくれた耳の聞こえない両親への想いの間で揺れながらも
自分の選んだ生き方を貫いて行く女性の物語。
それと同時に、娘の自立を認めたくない父親自身の、心の成長を描いた作品でもあります。
ドイツの女性新人監督の作品で、ドイツで多くの賞を受賞した他、アカデミー賞外国語映画賞にノミネート、
東京国際映画祭でインターナショナル・コンペティション部門でグランプリを受賞しています。

“身障者”という重いものをテーマにしていますが、この作品には“暗さ”はありません。
むしろララの少女時代の両親とのエピソードは微笑ましく、ユーモラスなものがほとんどで、
観ている者を暖かい気持ちにさせてくれます。
しかし、そんな明るい家庭で育ったララが、“音楽”の素晴らしさを知ってから家族の関係が変化して行きます。
自分のやりたいことを理解してくれない父親に対してララは苛立ち、
自分の理解出来ない世界に没頭している娘に対して父親は苛立ちます。
監督と役者の表現力は素晴らしく、そのお互いの気持ちが手に取るように伝わって来るのです。
また、自分の選んだ道を貫いていくララの姿にも、大いに共感出来るものがあります。
ララがクラリッサのところに居る時に知り合った、ろう学校教師の青年との恋も描かれていますが、
彼がろう学校教師であることが、それほど作品の中で生かされていないような気がしました。
ララが彼とふれあうことで、両親に対して今まで気づかなかった何かに気づいていく、
という展開を期待していたので、出会いのきっかけだけだったことに少しがっかりしました。
それに、この作品の重要なポイントである、父親の心の変化がやけにあっさりと描かれていたのも不満。
父親の心が変化していく過程を、もう少しじっくり見せて欲しかったです。
とても良い作品なので、それだけに残念な気がしました。
レベル3.5

観て損はないと思います。多くの人に観て欲しい作品でもあります。

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アルビノ・アリゲーター

ドヴァ(マット・ディロン)をリーダーとする3人組みは、真夜中に侵入した事務所で強盗に失敗し
慌てて車で逃げる途中、別の事件で張り込みをしていた捜査官を誤って轢き殺してしまう。
彼らは張り込み中の他の2人の捜査官に追跡中の銃器密輸犯と勘違いされ、車で追いかけられたため、
自分たちの乗っている車と捜査官の車をわざと衝突させ、捜査官たちに重傷を負わせて逃げる。
彼らはその衝突で怪我をした仲間の手当て手をしようと、たまたま目に留まった地下のバーに逃げ込むが、
店はあっという間に警察に包囲されてしまう。
その店は禁酒法時代からの古い作りで、裏口や窓はひとつもなく、あるのは正面のドアひとつだけ。
ドヴァたちは店に居た男女5人を人質に立てこもり、何とかしてそこから脱出しようと考える。

「セブン」や「ユージュアル・サスペクツ」などでクセのある人物を演じたケビン・スペイシーが初監督をした作品。
どうなっちゃうんだろうと、ドキドキしながら観ていました。
同じ“立てこもりもの”でも「マッド・シティ」のジョン・トラボルタが演じた、人のいい犯人とは違い、
彼ら犯人たちが何をやらかすか分からない、というのが緊張感を高めます。
その3人の犯人も、凶悪で人を殺しても何とも思わない男と、
強盗はするが人を殺すことは絶対反対の男と、
その真ん中に立たされて苛立つリーダーという設定で面白いし、
密室で煮詰まる犯人3人と人質5人のそれぞれの性格が、見事に描かれていています。
観ている途中で人質になっている“ギイ”と男の正体がなんとなく分かってしまい、
それがオチだったら面白くないなって思っていたのですが、物語は予想しない方向に行ってくれました。
衝撃のラストに、生き残った人間の最後のセリフ、すごく良かったです。
大満足の作品でした。
レベル5

これを観たら「マッド・シティ」なんて観られないよ。

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Touch/タッチ

教会のリハビリセンターでボランティアをする青年ジュヴナル(スキート・ウーリッチ)は、
病人に触れるだけで病を治せる不思議な力を持っていた。
宗教団体、詐欺師、マスコミは、そんな彼の力を利用してひと儲けしようと、
ジュヴナルを追い掛ける。
しかし、詐欺師の手下としてジュヴナルに近づいた女性、リン(ブリジット・フォンダ)と
恋に落ちてしまったジュヴナルは、“癒しの能力”を失ってしまう。

ベースになっているのはキリスト教で、ジュヴナルが病人に触れると
両手のひらと脇腹のキリストと同じ部分から血が流れ出すという設定や、
“聖人”と呼ばれ、リンに出会うまでは恋を知らなかったジュヴナルが、
彼女と恋に落ちてしまってからその能力を失ってしまうなど、
キリスト教を詳しく知らない者には分かりにくい部分があります。
それにジュヴナルとリンがどうして惹かれ合ったのかも良く分からないし、
ジュヴナルを利用しようとしている人たちの悪どさも、今ひとつ描ききれていません。
最後にはもろアホアホ系になってしまい、カラ笑いしてしまいました。
レベル2

「パウダー」のような感動ものを期待していたので、余計にがっかりしました。

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ジャンク・メール

うだつのあがらない郵便配達員ロイ(ロバート・シャーシュタ)は、いつもその憂さ晴らしに
他人の手紙を開封して覗き見したり、配達するべき郵便物を捨てたりしていた。
ある日ロイは配達の途中で偶然、密かに心惹かれる女性リーナ(アンドリーネ・セーテル)の部屋の鍵を手に入れる。
その鍵でリーナの留守中に部屋に忍び込んだロイは、留守番電話のメッセージから
彼女が何らかの犯罪に関わっていることを知る。
数日後再びリーナの部屋に忍び込んだロイだったが、ベッドで眠り込んでしまい、そこへ彼女が帰宅する。
あわててベッドの下に潜り込み彼女には見つからずに済んだが、彼女が風呂に入っている間に逃げ出そうとした時、
浴槽の中で彼女が睡眠薬を飲んで自殺を図っているのを発見してしまう。

97年カンヌ映画祭批評家週間最優秀賞、97年ノルウェー映画祭最優秀作品賞受賞作。
ポストマンの風上にも置けないような奴で、おまけに覗き趣味の変態野郎のロイに、
普通なら感情移入など出来ないところですが、彼はなぜか憎めないキャラクターになっていて、
その行動に“愛らしさ”すら感じてしまいます。
“悪意”がないため、何か子供の悪戯のように思えてくるのです。
そして何より、脚本がものすごく上手いです。
映画の中にさりげなく出てくるアイテム(時計・名刺・写真・額の傷など)の使い方が非常に上手く、
それらが全てストーリー上で後々重要な役割を果たして来ます。
男の職業が郵便配達員、女の職業がクリーニング店の店員というのも、上手く使われています。
レベル4

ストーリー展開に限って言えば、これはまれに見る秀作です。

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傷心/ジェームス・ディーン 愛の伝説

「エデンの東」「理由なき反抗」「ジャイアンツ」の3本の作品に出演し、
24歳の若さで自動車事故で亡くなった“ジミー”ことジェームス・ディーンの、
報われることのなかったひとりの女優との恋を、実話に基づいて描いた作品。

「エデンの東」の撮影中、ジェームス・ディーン(キャスパー・ヴァン・ディーン)は、
撮影所で出会った女優、ピア・アンジェリ(キャリー・ミッチャム)と恋に落ちる。
しかし、不良っぽく自由奔放なジミーを嫌い、娘をイタリア人の歌手ダーモンと交際させたいピアの母親は、
ふたりの交際に反対し、その邪魔をするのだった。
母親に逆らってまでジミーとの交際を続けることの出来なかったピアは、
ジミーを心から愛しながらも、母親のためにダーモンと結婚してしまう。
「エデンの東」で俳優として認められたジミーだったが、ピアへの想いを断ち切れず、
次の作品「理由なき反抗」の撮影をしながら、自動車レースにのめり込んで行く。
3本目の作品「ジャイアンツ」の撮影終了後、ジミーは4本目の作品「傷だらけの栄光」の出演依頼を受ける。
映画会社はジミーの妻の役に、ピア・アンジェリを使いたいという。
ピアをまだ愛していたジミーは、彼女と虚偽の夫婦を演じなければならないという残酷さにさんざん悩むが、
その作品にピアと共に出演することを承諾する。
しかし、その作品の撮影に入る数日前、自動車レース場に向かう途中に悲劇が起こる。

ジェームス・ディーンの人生の裏側に、こんなドラマチックな話があったんですね(涙)。
しかし・・・・なんなんでしょー、この映画。
役者が悪いのか、監督のせいなのか、それともわざとこういう風に撮っているのか、
とにかくめちゃめちゃな大根芝居です。
特に、この作品の中で一番重要な部分である、
ジェームス・ディーンとピア・アンジェリのふたりが絡むシーンは酷いものです。
そして、それにピアの母親と妹が加わると、もう最悪です。
私はNHK教育テレビの“英会話”の中の寸劇を延々と見せられているような気持ちになっていました。
途中からストーリーそっちのけで、ヒアリングの勉強に徹してしまいました。
単純な会話、かつ分かりやすい発音で、8割方理解出来ました。
英会話の初級ヒアリングの勉強には、最適の作品だと思います。
この作品をそんな風にしか観られないというのは、私がジェームス・ディーンに思い入れがないからでしょうか。
ジェームス・ディーンに思い入れがある方たちは、この映画をどんなふうに観るのでしょうか。
私はこんなドラマチックな話をこんな作品に仕上げられて、ジミーがかわいそうだと思ってしまいました。
レベル2

“世界中で愛されたのに、たったひとつの愛さえ手に出来なかった”
キャッチコピーはすごくいいのだけどね。

onpu ← この作品を観た記念に作ってみました。「エデンの東」のMIDIです。

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