5/2(日)曇り
わたしの多良間島滞在も今日で終わり。今日の夕方の飛行機で、わたしとカヨコさん、KONISHIさんの3人は石垣島に移動します。
とよださんは宮古経由で大阪に、コサカさんはその少し後の飛行機で宮古経由で那覇に帰ります。うちはたさんは多良間で一日ダイビングしてから、明日の飛行機で帰宅。きつねさんの予定は未定。
今朝はまず、みんなでシューガーガー探検に行った後、きつねさん、KONISHIさん、ヤスコさんと4人で、「多良間御嶽めぐりツアー」に出ました。ちとせ旅館のすぐそばには、嶺間(みねま)御嶽というウタキがあります。そこからサトウキビ畑と木立の間の道を歩いて、運城(うんぐすく)御嶽、宮古遠見台、泊御嶽を通る道を歩くと、前泊港の近くの海岸に出ます。きのう島を歩き回っているうちにみつけた道で、とても味わいのある風景が続くコースなのです。あとになって、運城御嶽から後の道が、昔の集落の中心地である「アマガー」と前泊の港を結ぶ「前泊道(マイドゥマリミツ)」の一部であることを知りました。
案の定、「島旅ML写真機派」のきつねさんとKONISHIさんは、あっちこっちで絶好の撮影ポイントを見つけ、写真を撮りまくっています。
嶺間御嶽前にて 運城御嶽から嶺間御嶽への道 前泊道 泊御嶽
海岸に出てから前泊港のほうに少し歩くと、そこには「多良間シュンカニ」の石碑が立っていました。
琉球王国時代、首里の政府の命令で多良間島に派遣されてきた役人の現地滞在中、身の回りの世話をした女性が、任期満了で戻っていく役人を見送りに、「前泊道」を歩いていく唄です。石碑の隣には、「ウェーンマ」と呼ばれたそういう女の人(何人もいたはず)が、左手に酒瓶をかかえ、右手に男の子の手をひいて立っている姿を彫った石像が立っています。その姿は、
片手しや ぼうずがましゃぅきよ マーン 片手しや 瓶ぬ酒持てぃよ
主が船うしゃぎがよ シューリ すが下りよ
という歌詞から取られたものでしょうが、ここでひとつ疑問が。
当時の役人の任期は三年ということなのですが、女の人の連れている子ども(当然、その役人との間にできた子なんでしょうね)はけっこう大きい。任期を延長した役人がいたんでしょうか。一説には、この歌詞の意味は「あなたがお戻りになられたら、片手に子どもの手をひいて、片手に酒瓶を抱いてお迎えいたしましょう」ということなのだそうですが、多良間島への単身赴任に、再びやってくる役人がいたのでしょうか。それとも、それは見送る女性の願望にすぎなかったんでしょうか。うーん、なんか悲しい。
午後は島のあちこちまで足をのばすため、自転車を借りることにしました。D介さんが役場の人に聞いておいてくれたレンタサイクル屋さんに電話します。ちとせ旅館からはちょっと距離のある場所なので、車で迎えに来てくれました。なんだかレンタカー屋さんみたい。レンタサイクルをやっている「海秀企画」という会社は、集落の端にあって、そのオフィスの前からは、サトウキビ畑の向こうに、ずーっと横にひろがる防護林が見えます。
多良間シュンカニ ウェーンマ別離の像
レンタサイクル屋「海秀企画」さんの貼り紙
自転車を借りたわたしは、まず塩川御嶽に向かいました。ここには立派な「フクギの並木」があると聞いたからです。集落をはずれ、サトウキビ畑の中を走っていくと、突如現れる立派な参道。どうしてこんな所に? と思える風景ですが、どうやらこのあたりも昔の集落の中心地だったようなのです。現在多良間の集落は、島の中心からちょっと北よりの所にひとつにかたまっていますが、昔は塩川・仲筋というふたつの集落で、のちに塩川が仲筋の近くに移動していったようなんですね。
だから、今では道一本隔てた隣り合わせにくっついている塩川と仲筋では、言葉も少し違うそうですし、有名な「多良間の八月踊り」も、二ヶ所に別れて行われています。
塩川御嶽には、誰もいませんでした。御嶽のかたわらに自転車を停め、参道を歩いてみます。なんだか不思議な空間。
塩川御嶽のフクギ並木
塩川御嶽に向かう途中、サトウキビ畑の向こうに、大きな風車が見えました。最近沖縄のあちこちの離島に建設されている、発電用の風車です。近くにまで行ってみると、かなり大きなものです。稼働するとけっこううるさいという話を聞いたことがあるのですが、その日は動いていなかったので、確認はできませんでした。
風車を近くで見た後は、浜に下りてみました。ちょうど引き潮で、かなり遠くまでリーフが見えています。オカズ採りをしているらしい島の人も何人か見かけました。わたしも浜辺で、タカラガイをたくさん拾って帰りました。
その後は集落に戻り、ひたすらあちこちを自転車で走りました。多良間の集落のあちこちには、ウタキ(御嶽)の他にもサトゥガン(里神)と呼ばれるスポットがあります。たまたま見つけた多良間の集落に関する論文で、ウタキよりも時代の古い拝所であるサトゥガンの説明を読んだわたしは、実際にどんなものだか見てみよう、と思い、その本にのっていた簡単な地図を頼りに、いくつか回ってみました。
それは昔の井戸だったり、小さな祠だったりといろいろでしたが、あちこちにある「不思議なスポット」をめぐっていると、なにか宝探しをしているような気分になってきて、楽しくなってしまいました。こういう場所がたくさんあるということは、住んでいる人たちがその場所を大切にしているということのあかしでもあります。昔の遺跡や地名を、効率優先主義の名のもとにどんどん壊していってしまった大都会や、もともとそんな歴史のない所に作った街では、決して味わえない、なにか豊かな気分を満喫したひとときでした。
最後に、八重山遠見台の近くにある「ふるさと民俗資料館」に立ち寄ってみました。実は4月28日、とよださんと展望台に登った帰りに寄ってみたのですが、その時は閉まっていて入れなかったのです。今度は開いていたのですが、人の気配がない。飛行機の出発時間まであまり時間がなかったこともあって、パンフレットなど資料だけいただいて帰りました。実は、ちょうどその時、きのう宿で出会った鈴木さんと加藤さんが来ていて、館長さんの所で話を聞いていたのだということを後で知りました。ううむ、残念。そうと知ってれば。
のんびりとちとせ旅館に戻ってくると、なんとすでに空港行きのバスが待っています。ええーっ、もうそんな時間? うっそーっ! と大慌てしましたが、どうやら出発時間よりずいぶん前にやってきたようです。昨日は飛行機の時間がせまっているのになかなか姿を現さず、すでに島時間から都会時間にシフトしかけていたD介さんをおおいに焦らせたりと、最後までこのバスはわたしたちに強烈な印象を与えてくれました。
きつねさん、うちはたさん、ヤスコさんに見送られ、カヨコさん、KONISHIさんとわたしはバスに乗り込みました。先の予定が決まっていなかったきつねさんは、ここ2日間の撮影行ですっかりこの島が気に入ってしまったようで、できるだけここに滞在していくことに決めた様子。先の予定が決まっているKONISHIさんはいかにも後ろ髪を引かれる様子。きっとそのうち、この島に戻って来ることでありましょう。
多良間空港ターミナルと連絡バス
空港にはほとんど人がいませんでした。売店で最後のおみやげ、と多良間名産「ぱなぱんぴん」と「うやきがーす」を買い足しました。形状から察するところ、「ぱなぱんぴん」は小麦粉に卵や牛乳を入れて練り、細長くのばして3つほど輪を作って花のような形にしたもの、「うやきがーす」は普通の生地に黒糖を混ぜた生地を重ねてくるくると巻いたものを中心にまとめ、三角柱のように成型して端から小口切りにしたもの(だから、三角形の中心に渦巻きが見える)で、どちらも油で揚げてあって、「食べ出したら止まらなくなる」お菓子です。どちらもおみやげに持っていった先では好評でしたが、お菓子としてはちょっと甘い「うやきがーす」のほうに軍配があがりました。ビールのつまみとしてなら、また話は別。
出発時間がせまってくるのに、わたしたち以外の乗客が現れる気配はありません。もしかしたらこれは水納島オフメンバーの貸し切り便か? と思いましたが、もうすぐ出発、という時間になって、あかんぼうを抱いた女の人と、その連れらしいもうひとりの女の人がやってきました。
17時15分発石垣島行きのDHC-6は、5.5人(?)の乗客を乗せて、多良間空港を飛び立ちました。