波照間島記

「マレビトと沖縄」の項でも触れたように、わたしが沖縄の離島に通い始めて最初にはまったのは八重山諸島、それも有人島としては日本の最南端に位置する波照間島です。

波照間島は、周囲15kmほどの楕円形の島で、人口は約600人。石垣島から船で約50分かかります。島の基幹産業はサトウキビを栽培し、それから黒糖を作ること。豊年祭(プーリン)やムシャーマなど、さまざまなお祭りや行事が現代まできちんと保存されており、民俗学の分野でも有名な島です。もっとも最近では「幻の泡盛<泡波>」の産地としての名声のほうが高くなってしまったような気もしますが。

わたしがこの島をはじめて訪れたのは1993年の春、「日本の最西端と最南端をきわめる旅」というパックツアーの一環で、与那国島から戻ってきた翌日の日帰りツアーでした。ちょうどサトウキビの刈り入れがたけなわで、島じゅうに製糖工場から流れてくる黒糖の甘い香りが漂っていたのが印象に残っています。ここで出会ったのが「ニシ浜」と呼ばれる島の北西部にある浜。

沖縄の島々を空路で結ぶJTA(日本トランスオーシャン航空)の機内誌で「コーラルウェイ」という雑誌があります。美しい写真と沖縄のさまざまな面を紹介した記事が満載の雑誌ですが、これを定期購読すると、Coralway Frends MEMBER'S CARDという美しいカードを発行してくれます。このカードに使われている夢のように美しいビーチの写真は、写真家垂見健吾さんが撮影した波照間のニシ浜の写真です。

日帰りの上、天候不順だったこともあり、泳ぐどころかビーチで遊ぶ用意もしてこなかったわたしと旅仲間の友人は、すごくくやしい思いをしました。「もう一度こんどは泊まりがけで来て、絶対ここで泳ごうね」とふたりで誓い、2年後の秋、リターンマッチのため波照間に戻ってきました。

この時出会ったのが、この島の南側に作られた「星空観測タワー」とそこに勤務するただひとりの職員、新城さんでした。5〜6月に来れば南十字星が見られる、という話を聞いて、「それはぜひ見たい」と思ったわたしたちは、またせっせと働いてお金を貯め、1997年5月に3度目の波照間上陸をはたしました。

わたしはその少し前から「沖縄ファンクラブ」の会員になっていましたが、みんなで沖縄の情報交換をするうちに、「沖縄専門の情報誌を作ったら面白いね」という話がもちあがりました。わたしは、「そうだ、波照間に行って新城さんから現地情報を仕入れれば、巻頭記事が書けるぞ」と思い、波照間に滞在した3日間、毎日昼間に自転車でタワーまで通い、新城さんに話を聞きました。これが大当たり。星の話に始まって、エコロジカルな視点から見た島の自然、島の儀礼、島のゴシップ、もう出るわ出るわ。わたしはたくさんのネタを抱え、ほくほくして家路につきました。

ところが雑誌の話はいろいろあって、おじゃんになってしまいました。ちょうどその頃リクルートが「じゃらんDE沖縄クチコミ1272」という本を出したのを読んで、「あー、やられた」と思いましたね。所詮大資本の情報収集力にはかなわないから、やらなくてよかったのかもしれないけど。ともかく、せっかくいただいてきたネタを無駄にするのはもったいないし、市販のガイドブックには波照間などほんの少ししか載っていないけれど、熱心なファンは多いらしいから、この際とことん調べて、波照間の事だけを書いた本を作ろうと思い、作ってしまいました。それが「波照間島記(はてるまとうき)」です。(2001年3月、内容に多少の追加訂正を加え、「波照間島記ver.2」として発行いたしました)

「波照間島記ver.2」は以下のような内容になっています。

はじめに
波照間島観光スポット
波照間島のおみやげ
波照間島のごちそう
イベント及び年中行事
波照間島の伝説
新城さん独占インタビュー
波照間島の天文ショー
波照間島とヤギのエコロジカルな関係
集中豪雨の話
「泡波」考
ニシ浜の謎
波照間島のおまじない
話の落ち穂拾い
おわりに〜南十字星の見える島で

この「波照間島記」はホームページに掲載する予定はありません。あまりにもページの容量が増えてしまうし、今まで買ってくださった数百人の方に申し訳ないからです。それに、わたしが本として完成させた姿のままで、みなさんの手元に置いていただきたい、ということもあります

このほど(2006年3月)、再び「波照間島記」を改版し、ver.3として発行いたしました。内容はほとんど変わっていませんが、A4版からB5版になってページ数が増え、今までのようなコピー製本ではなく、注文を受けたつどプリントアウトして製本いたします。価格は送料込み700円。納期は受注後だいたい二週間です。ご希望の方はメールでお問い合わせ下さい。