わたしの音楽履歴

バイオリンの発表会

左端がわたし。こ〜んな時代もありました。あ、でも、元の写真はこんなセピア色になってませんからね。念のため(笑)。
後ろでピアノ伴奏しているのは父です。

クラシック・ジャズなどの西洋音楽が大好きだった父は、多少音楽関連の仕事もしていましたが、自分の子どもがプロへの道に進んでくれたらいいな……と思ったのか、さまざまな音楽体験をさせてくれました。
父の期待(?)に反して、紆余曲折の末沖縄音楽の世界に入ってしまったわたしですが、今までの音楽体験(特に幼少時)って体のどこかには残るものなんだなぁ、と思います。

項目 時期 最高到達レベル、などなど
バイオリン 5歳頃 「キラキラ星」や「メヌエット」どまりで、ビブラート奏法をマスターする前にやめてしまいました。ので、もはや「構え方」くらいしか覚えてません。
ピアノ 3歳頃〜大学1年(たびたび中断時期あり) 「ピアニストの道」は手が小さかったため早々にあきらめましたが、ピアノそのものは嫌いじゃなかったので(練習は嫌いだった)、断続的にずるずると大学に入るまで続けてました。
最高到達レベルはシューベルトの即興曲……かな。
最近ではピアノにさわることもないので、もう弾けましぇん。
ギター 中学2年の頃 フォークではなく、クラシックギターです。課外活動で少しかじったけど、「禁じられた遊び」前半で挫折。
声楽 大学2年〜3年 大学の女声コーラス部に入って、副指揮者・パートリーダー(メゾ)をやることになったので、1年生の時にピアノを習っていた先生に師事したまま、そのまま声楽に転向。もともと先生の専門が声楽(フランス歌曲)だったので……
好きなのはドイツ・リートでしたが、初心者にはムリということで、もっぱらイタリア歌曲をやりました。
最高到達レベル……???
もう歌詞うろ覚えだけど、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」なんて好きです。
合唱 大学1年〜1988年 南山大学女声コーラスに「ドイツへ演奏旅行に行けるよ」とスカウトされたばかりに、本来集団行動の苦手なわたしが合唱団の道へ……
もともとのわたしの声質はどうやらメゾ系のソプラノだったようなのですが、人数の関係で最初はアルト担当。2年生の時に副指揮者、3年生にはメゾに移籍してパートリーダーに。
卒業後も当時住んでいた新宿区の第九合唱団や、新星日響の合唱団に入って活動を続けましたが、1988年の区民第九演奏会(ズデニェク・コシュラー指揮、東京都交響楽団)を最後に引退しました。
一番想い出に残っているのは、サントリーホールで歌ったフォーレの「レクイエム」ですね。
社会人になってから入った合唱団では、パート判定でソプラノに入れられたので、ベートーヴェンの「第九」はアルト・ソプラノどちらでも歌えます。(^^;)
三線 1999年頃から はじめたきっかけについてはあらためてくりかえしませんが、最後の、そして一生の趣味となる可能性大。
子どもの頃からどっぷり西洋音楽漬けだったわたしがこんなとこに落ち着くってのも不思議ですが、亡き伯父は趣味で長唄などやっていたらしい(昔は興味がなかったので、詳しく覚えてません)ので、DNAには入ってたのかなぁ……名古屋は芸どころって言うし。
最高到達レベル……野村流音楽協会師範免許取得&琉球新報社主催琉球古典芸能コンクール三線最高賞