三線 上り口説 (ぬぶいくどぅち)

(三線をクリックしてみてください。メロディが聞こえてくるかも……)
今回紹介する「上り口説」は、ちょっと民謡とは言えない。これ、どっちかというと「古典音楽」なんですよね。ちなみに、「上り口説」は「のぼりくどき」ではなく、「ぬぶいくどぅち」と読みます。

 この唄は首里を出発して那覇から船に乗り、奄美諸島、吐喝喇列島を通り過ぎて薩摩へと旅をするありさまをうたったものです。今でこそ那覇新港から鹿児島本港までは、大型客船「ぷりんせすおきなわ」とか「かりゆしおきなわ」で21時間の旅。それでも飛行機に比べればずいぶん時間がかかるのですが、昔は風が順調に吹いてくれたとしても3日以上かかったそうです。
 嵐に遭うことだってあるし、途中には伊平屋渡や七島灘といった、波荒く、潮流の早い難所が待ちかまえていますから、もう命がけの旅。だから出発にあたって、観音堂(首里観音堂)で旅の無事を祈り、親類縁者と別れの杯を交わしていくわけです。

  1. 旅ぬ出で立ち観音堂 千手観音伏し拝で 黄金酌とて立ち別る
  2. (たびぬいじたちくゎんぬんどー しんてぃくゎんぬんふしをぅがでぃ くがにしゃくとぅてぃたちわかる)

  3. 袖に降る露押し払ひ 大道松原歩みゆく 行けば八幡 崇元寺
  4. (すでぃにふるつぃゆうしはらゐ うふどーまつぃばらあゆみゆく ゆきばはちまんすーぎーじ)

  5. 美栄地高橋うち渡て 袖を連ねて諸人の 行くも帰るも中之橋
  6. (みーぢたかはしうちわたてぃ すでぃをぅつぃらにてぃむるふぃとぅぬ ゆくんかゐるんなかぬはし)

  7. 沖の側まで親子兄弟 連れて別ゆる旅衣 袖と袖とに露涙
  8. (うちぬすばまでぃうやくちょうでー つぃりてぃわかゆるたびぐるむ すでぃとぅすでぃとぅにつぃゆなみだ)

  9. 船のとも綱疾く解くと 舟子勇みて真帆引けば 風や真艫に午未
  10. (ふにぬとぅむづぃなとぅくどぅくとぅ ふなくいさみてまふふぃきば かじやまとぅむにうまふぃつぃじ)

  11. 又も廻り逢ふ御縁とて 招く扇や三重城 残波岬も後に見て
  12. (またんみぐりおーぐゐんとぅてぃ まにくおうじやみーぐすぃく ざんぱみさちんあとぅにみて)

  13. 伊平屋渡立つ波押し添へて 道の島々見渡せば 七島渡中も灘安く
  14. (いひゃどぅたつなみうしすゐてぃ みちぬしまじまみわたしば しちととぅなかんなだやすぃく)

  15. 燃ゆる煙や硫黄が島 佐多の岬に走い並で(エーイ) あれに見ゆるは御開聞 富士に見まがふ桜島
  16. (むゆるちむりやゆをがしま さだぬみさちにはゐならでぃエーヰ ありにみゆるわうかゐむん ふじにみまごーさくらじま)

( )内は歌詞の発音


 この「上り口説」、若葉マーク三線奏者にとっても最初の関門。今までの安波節や安里屋ユンタとは違って、この曲には厄介な問題があります。というのも、三線と唄のメロディーラインが、ぜんぜん違う部分があるのです。
 それは「千手観音伏し拝でぃ」の部分。
 
歌詞 ○し んー てぃー ーくゎ んー ぬー んー ○ふ しー をぅー がー でぃー
唄のメロディ ○シ シソ ソー ファソ ソシ ドー ドー ○ド レド ドー ドー シ〜ソ ファ
三線のメロディ シー ソー ミ− ソー シー ドー ドー レー ドー シド ファ
(○は半拍お休み、ーはのばす、赤字は1オクターブ下。〜は次第下げ、といって、いわばポルタメントのようなもの)

 これってほとんど、「もしもし亀よ」を弾きながら「浦島太郎」を歌うようなものだと思う。最初は「いったいどうすりゃいいんだ」と途方に暮れました。
 結局の所、無意識でも三線を弾く指が動く段階まで練習しないとだめなんですよね。「次なんの音だっけ」と考えると、必ず唄の音程がそれに引きずられてしまうんです。

 で、それをなんとか乗り越えても、次は沖縄語(ウチナーグチ)独特の発音が待ちかまえています。それは上記の歌詞の発音(下にひらがなで表記してあります)を見ていただければわかると思いますが……「くゎ」とか「をぅ」とか、「ゐ」なんて発音もあるんですもの。現にわたしも、音程はなんとかクリアーしたものの「発音がねぇ……」と先生に言われております(汗)。

 それでも、この唄をマスターしておくのは大切なことです。なぜなら、同じメロディで歌詞を変えた唄がたくさんあるからです。わたしが知っている限りでも、今度は帰り道を唄った「下り口説」や、琉球舞踊の重要な演目である「高平良萬歳」、それに八重山民謡の「黒島口説」も、途中に長い囃子が入っているけれど基本形はこの「口説」です。それに、この唄は結婚式や送別会などでもよく唄われるおめでたい唄。沖縄の人たちにとっては、あの有名な「かぎやで風」と同様、とてもなじみの深い唄なのです。

 わたしがこの唄をうたう時にいつも感動してしまうのは、首里観音堂(沖縄都ホテルのそばです)で旅立ちの祈願をしてから、ずっと那覇へ続く大道をくだってきて、八幡宮(安里交差点のそば)、崇元寺(石門が有名)を通って、中之橋(泊港へ行く途中にある)を渡り、港から船に乗り……というところまでで唄の1番から5番までが終わってしまい、6番でやっと船が出て、実際はいちばん大変だったはずの奄美諸島から吐喝喇列島近辺は7番だけでさっと通り過ぎてしまうこと。8番に入ると開聞岳、桜島が見えてきてゴールイン。なんだか当時の人々の願望が、よーくわかるような気がします。

[参考]
「ヤマトンチュのための沖縄音楽入門」金城厚著 音楽之友社
「ウチナーのうた」藤田正篇 音楽之友社


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