三線 月ぬまぴろーま節

このところ「女の情念シリーズ(笑)」が続いているので、ついでにもう一曲。
実は今、ちょっと思い入れがあって集中的に独習している唄でもあります。八重山民謡の中でも「大唄(うふうた)」と呼ばれる、スケールが大きくて唄うのに気力・体力が要求される唄のひとつ。
月と潮の満ち干という宇宙のリズムと、女が恋する男に寄せる気持ちをひとつにうたい上げるという、八重山民謡の中でも名曲と呼ばれるにふさわしい唄です。


 月(つぃくぃ)ぬ真昼間(まぴろーま)や やんさ潮(すー)ぬ真干(まへ)
 夜(ゆる)ぬ真夜中(まゆなか)や ハイヘー みやらびぬ潮時(すーとぅぎぃ) ハイヘー

 月に願(ぐゎん)立てぃてぃ 星(ふすぃ)に夜半参(やはんまい)
 思(うむ)いすとぅ我(ば)んとぅ ハイヘー 行逢(いか)しゆ給(た)ぼり ハイヘー

 思いすとぅ我んとぅ 行逢さんどぅあらば
 あたら我(ば)が命(いぬち) ハイヘー とぅらばちゃすが ハイヘー


意味:
 月が宙天にこうこうと照り輝く時は 潮も最大に引く時
 夜の真夜中は 乙女が人目を忍んで来る潮時

 お月様にお願いして 星に夜半参りをする
 わたしの想っているあの人に どうか逢わせてください

 わたしの想っているあの人に 逢わせてくれないというならば
 わたしはわたしの命を断ってしまいますよ どうしますか


この唄につれて浮かんでくるのは、こんな光景。
月がこうこうと白く砂浜を照らしている浜。そこを、夜半参りのため男装した若い娘がひとり、ひたひたと歩いていく。
「夜半参り」というのは、昔の八重山に伝わる願掛けの方法で、女は男装し、男は女装して人に見つからないよう通い続ければ、恋が成就するというものだそうです。
とある八重山民謡ライブでこんな情景が説明されたところ、思わず「怖い」とつぶやいた男性がいましたが、そりゃまあ、これだけの想い、なまはんかな男じゃ受け止めきれませんものね。

唄の意味はもっとソーゼツ。市販されているCDは、わたしの知っている限り、なぜかみんな2番までで終わっています。
これは、CDを出しているのがみんな男性の唄い手だということも関係するのかもしれません。唄の意味を深く知るみなさんだからこそ、あえて3番は唄わない(唄えない)のだと思います。

3番を抵抗なく唄えるのは女性の特権かもしれません(笑)。で、自分で唄ってみると、3番を唄うのと唄わないのとでは、唄全体の意味も少し違ってくるように思います。
(ここからはわたしの独断的解釈ですので、そのつもりでお読みくださいね)
男性諸氏が唄う「月のまぴろーま」は、八重山の美しい月夜の情景や、そこに登場する娘の美しさ、そしてロマンチックな娘の情熱、といったものにウェイトがあるように思います。

でも、わたしが3番まで唄ってみると、この唄のテーマは「祈り」だと思うのです。
月や星に願掛けせずにはいられない娘の気持ち、想いを寄せるあの人に、一度でも多く会わせてほしいという切ない願いが、ひしひしと身にせまってくるように感じるのです。
3番なんて、「会わせてくれなきゃ死んでやる」という身も蓋もない歌詞ですけれどねぇ……

それから、この唄のメロディーの雰囲気、なんとなく「干瀬節」に似ているような気がするんですけど、そう思うのはわたしだけ?

[参考]
「八重山古典民謡工工四 下巻」大浜安伴編
「ハイサイ沖縄読本」篠原章&宝島編 JICC
 安里勇「浮遊人(ふゆまやー)」CDライナーノート


INDEX Next