ベスト・キッド [DVD] ベスト・キッド (製作年度: 2010年)
レビュー日:2010.12.12
更新日:
評価:★★★★★
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解説(Yahoo映画より):
弱々しい高校生が空手の老師匠と出会い、修行を通じて心身共に強く成長していく姿を描いた1985年公開の名作『ベスト・キッド』のリメイク。ウィル・スミスの実子で『幸せのちから』のジェイデン・スミスが本作では小学生の主人公に挑み、カンフーの達人をジャッキー・チェンが演じる。監督は、『ピンクパンサー2』のハラルド・ズワルト。オリジナル版の要素を継承しながらも、新たな師弟が紡ぎ出す感動ドラマに注目だ。


いぶし銀ジャッキー

格闘技大嫌いだったわたし(笑)ですから、もちろんリメイク元の映画は見ておりません。主人公に空手を教えるミヤギさんが沖縄の人だった、ってのは知ってますが。

なので純粋にこの映画単品での評価ですが、よかった〜。
今まで見た中でいちばん渋いジャッキー(まさしくいぶし銀)。
もともと「気(チィ)にあふれた人」だけに、よくここまで自分の「陽」の気を抑え込めたものだなと感心してしまいました。
……時々ちらっとだけ、いつものお茶目な雰囲気が出かかるところはあるけれど、とにかくずーっと暗い表情なので、ラストの笑顔を見るとなんだかこっちもほっとします。

でも、暗い過去をひきずった雰囲気とか、ドレを見つめる表情とか、また一段とさえる演技がすばらしい。もちろん随所でちらりとだけ見せるカンフーの技もさすがだなぁと言う感じ。

自分の手でめちゃめちゃに壊した車の中で、つらい過去をドレに打ち明けて泣き崩れるシーンなんてもう……いや今までだって結構ジャッキー泣くシーンあったけど、ここまでじぶんの弱さをさらけだしちゃう場面ってなかったよね。見てるこっちも涙目です。

ドレ(ジェイデン君)は典型的なアメリカのガキンチョという感じで、カワイイけどナマイキ(笑)。でも根性はたいしたものだわ。それにあのうらやましすぎる身体能力。いいよなコドモは身体柔らかくて。

新しいものと古いものが交錯する北京の風景もいいです。ミスター・ハン(ジャッキー)の住む家は典型的な四合院(NHK中国語講座のおかげですっかりおなじみになった)だけど中庭に電信柱があったり家の中に車があったり……その中庭で来る日も来る日も鍛錬する風景が印象的でした。

【ミスター・ハンのまなざし】

いろいろ考えさせられることもあったけれど、もっとも印象に残ったことふたつ。
そのひとつが「コドモを見守るオトナのまなざし」。
コドモを育てるにおいては、口でいろいろ教えることも大事だけど、それ以上に大事なのはどれだけコドモをよく見てあげるか、ということなのかもしれない。

この作品でも、主人公ドレ君は、母親や先生など、いろいろなオトナに見守られている。
(それでも結果的にイジメにあっちゃうところが、いかにイジメが根深くて陰湿なものかをあらわしているようだけど)

見守るオトナの代表格がジャッキー扮するミスター・ハン。
はじめ管理人室の暗がりから、周りの環境に不慣れな新しい住人を見つめるまなざしは、やがて自宅の庭で鍛錬する弟子の技量を見極めるまなざしへと変わり、試合会場で戦う愛弟子を見守るまなざしへと変化していく……

ハンがドレを見つめるシーンはたびたびあるし、随所に、あ、この人はドレのことをちゃーんと見てるんだなぁ、とわかる描写があって、これけっこう大事なポイントかもしれないな、と思うのです。

ドレをいじめるカンフー少年の所属する道場の悪師範(笑)が最後に少年たちにソッポを向かれるのも、最後までドレを見守るハンとは対照的に、試合に勝つことばかりにとらわれ、倒すべき相手にばかり目が行って弟子たちを見なくなる、彼らの気持ちに思いが及ばなくなった結果だとすれば、至極当然な結末なのかも。

結局オトナがどれだけコドモのことを見ているか、彼らは敏感に察知するんだよね。
それから、師たるもの、弟子のことはよーく見なくちゃいけない、ということでもあるようです。

【伝統のグローバル化】

印象に残ったことふたつ目がこれ。

アートにしろスポーツにしろ、昔はその地域独特の伝統芸があって、どこにおいても「ヨソ者には真の○○はわからんさ」という一言が決まり文句でした。

でもこれだけ世の中グローバル化してくると、もうそういうセリフって成立しない状況になっているのかな、という気も。

「ベスト・キッド」でも、アメリカからやってきた黒人少年ドレが(いくら師匠がいいとはいえ)短期間にカンフーの真髄を会得して本場武術学校の生徒に勝ってしまう、という設定。いっぽうドレと仲良くなる中国人少女はバイオリンを習っていて、バッハの名前さえ知らないドレよりよっぽど西洋音楽に詳しいし、クラシックだけじゃなく今どきの音楽もしっかり楽しんで、ドレの前でノリノリのダンスを決めて見せたりもする。

大昔は「アジア人に本場のクラシック音楽がわかるか」という見方をされていたけれど、いまやヨーロッパのオーケストラに日本人奏者はいくらでもいるし、逆の立場なら大相撲の琴欧州とか演歌のジェロさんとか、日本伝統の世界と思われてた分野に外国人が飛び込んできた例はいくらでもあるわけで。

もはやカンフーが中国人だけのものではないように、相撲も日本人だけのものじゃなくなりつつあるし、三線も……
最初は違和感も抵抗もあるかもしれないけど、そういうものはだんだんなくなっていくのかもしれません。

つまりもう「本場だから」というだけでは、まったく縁もゆかりもない所から飛び込んできてもその伝統に魅力を感じ、それを一生けんめい習得し理解しようという「ヨソ者」にはかなわないし、これだけ回りにいろいろな情報があふれている時代には、吸収するものがそれしかなかった時代と違って、意識的に努力して取り込んでいかないと伝統は身につかない、ということだと思うのですよね。


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