下関の昔の絵はがき(その1)


山陽鉄道の馬関駅は明治34年赤間関市細江に開業、翌年下関市となり駅名も下関駅に改称された。この写真は大正か昭和のはじめころとおもわれる。


下関駅の屋根が替わっている。 次のはがきより連絡船のりばの塔が見えていて新しいと思われる。


昭和11年ごろの上とおなじ下関駅と駅前広場です。駅も改築され、広場も整備されている。右にある建物の山陽ホテルも木造から鉄筋コンクリートに建てかわっており、唯一ビルで現存する。昭和17年関門鉄道トンネル開通後現下関駅に移転した。写真の大ソテツも現下関駅前でいきのびている。


旧下関駅前の山陽が浜、本通りで映画館などあり大変にぎわった。昭和11年頃。


国鉄の関門連絡船桟橋。船は2階が客室でいつ動き出したかわからないほど静かで安定していた。


昔の日和山公園。花見や関門海峡を眺めることのできる市民憩いの場でした。


昔の日和山公園。高杉晋作銅像は戦争中供出され、現在は陶像になっている。写真の広場は木が茂って、いまは昔の面影はない。


昔の日和山公園の高杉晋作銅像


唐戸、三百目間の現9号線の側は線路と倉庫が並びすぐ横に貨物船の着く港だった。今は埋め立てがすすみ海響舘などが建っているアルカポートです。この線路の終点がつぎのはがきです。


昔の唐戸で国鉄貨物荷さばき場、左の建物の跡が今はグランドホテルです。