戦力の差は、ほぼ三倍。訓練の度合いも考慮に含めると、もはやそれは戦闘ではなく、 狩りに近かった。正面から戦端が開かれれば、戦線は瞬時に崩壊しただろう。村の運命は、 絶望的なものだった。  だが、窮鼠の騎士団は思わぬ善戦をした。  村に潜入したシャナラの近衛部隊を即時に壊滅させた騎士団は、すぐさま森に伏兵した。 ややあって森の小道から侵入してきたシャナラの本隊は、彼らの横合いからの奇襲に遭い、 戦列を崩壊させた。これにより、村の騎士団は、シャナラ軍と数の上では戦力は互角にまで 持ち込んだ。勢いに乗る同数と、壊滅して討ち減らされた同数。ここまで来れば、 もはや訓練度など重要ではない……。  だが。 「伝令! カンディード小隊、現在村の北西、二二〇歳ミズナラの辺りにて交戦中!」 「伝令! ……アギーレス小隊、善戦しつつも被害甚大、これより敵の半包囲に 突入を試みます!」  村の広場に土嚢を積んだだけの野戦司令部で、参謀長のアベルは豊かな、しかし 手入れのよくない髭をむしらんばかりの勢いで引っ張った。そのむこうに、 食いしばった歯がちらりとのぞいた。 「何人いるのだ、奴らは……。尋常な村の兵隊の数ではないぞ。仮に女子供から 老人まで――それこそ妊婦や乳飲み子、杖をついた年寄りまで総動員したって、 兵士がこの半分も集まるかよ! ……村長、これは、まさか……」  歴戦の勇士、アベル。この村で最年長の戦士ながら、その豪快さと老練さゆえに、 この村では敵うものはいない。鼻っ柱の強いヒューゴーですら、彼には敬意を払う。 彼の使う斧を十以上振るうことができる戦士は、この森にはいないのだ。  そのアベルが、柄にもなくあせっている。それだけ事態は深刻なのだ。 「……安心しろ。サダルメリクに味方する連中は、この森にはおらんよ。奴は気性が 荒すぎる。部族連合は確かに実力を伴わぬ組織だが、サダルメリクのような男には、 絶対に与せぬ」 「……それだけが取り柄ですから、な」 「そういうことだ」  だが、敵の手持ち兵力が異常なまでに大きいことは、まぎれもない事実だった。 部族連合がどうこうする政治上の駆け引きなど、この現実の前には空論に過ぎなかった。 村長も、参謀長も、それを無視することはできなかった。  ……一体、奴らは何者なのだ? 「……丸耳野郎ども……?」  人間なら、鎧兜に身を包めば、少なくともその「特徴的な」耳は見えない。 「それも違う、丸耳の大部隊なんぞが森に侵入すれば、辺縁部族が黙ってはいない。 丸耳の侵入を許せば、最初に焼かれるのは彼らの村だ。シャナラは森の中央にあるわけだし、 丸耳を手引きするのはかなり難しいだろうよ」  参謀長は落ち着かなさそうに身体をゆすった。鎧がこすれ、キシキシとかすかな 悲鳴を上げる。 「……アールヴではない。丸耳でもない。では、一体……」  参謀長は気づいた。長も、いらついている! 得意の魔法でも、多分サダルメリクに 邪魔されて、相手の様子がうかがえないのだ。漠然とした不安が、さらにつのる。 村長に対抗できるほどの魔術師なら、ひょっとすると……。 「……異形のものども、ですね?」  村長は答えない。 「鎧を着る怪物は世界に二種類。アールヴという怪物と、丸耳という怪物です。 ですが、いま一つ……ございましたね――」  だが、村長の口から漏れた返答はあまりにも重々しく、参謀長はそれ以上 追求するのをやめた。 「……だとしても、儂は騎士たちにそれを喋ってもよい立場には、ない」  沈黙が、野戦陣地を覆った。駆けつけた伝令は、痛々しいまでのその沈黙に 気圧されたが、その務めを全うすべく、叫んだ。 「伝令! アレハンドロ小隊長より緊急の報告! ……カンディード隊、裏切りました!」 「何! ……そんな、馬鹿な――」  アベルはそばにあった木の箱に、大斧を力任せに叩き付けた。飛び散った 木っ端が伝令の顔をかすめたが、伝令はわずかに顔をしかめただけで、真顔のまま続けた。 「……小隊長は、虫食いカエデ葉の紋章を見た、と言っています。そんな紋章を 付けた一族は、森ではカンディード小隊長の家だけです」  だが、村長は顔色一つ変えなかった――むしろ、最初から顔色は悪かったのだが。 「カンディードが裏切るはずもない。……たとえ、それが本物のカンディードだとしても」 「……は?」 「……よい。任務に戻れ」  伝令は無言で去った。アベルは、無言で村長の顔をうかがった。そこに、別の 伝令が走ってきた。 「コデル小隊長より、早急に問い合わせたいとの伝言です」 「……伝言?」  アベルはさらに顔をしかめた……と言っても、もうそれ以上表情の変わりようもない。 もはや暴発寸前だ。極端に言えば、兵士は上官から死ねと言われたら、 文句一つ言わずに黙って死ぬものなのだ。それが文句ばかりか、上官に質問――もはや、 村の部隊の士気は致命的なまでに低下しているのだ。 「……コデル小隊長は、今戦っている敵は、先ほど森の中で撃滅したはずの 敵ではないか、と申しております」 「…………」 「一、目玉に雷の紋章は、敵シャナラの有力氏族、アグスティン家のものです。 二、先ほど我々の部隊は、森の中で敵主力を壊滅させました。特にアグスティン家のような 手ごわい敵は、その機会に完全に潰しておくことが必要であり、またそうしました。三、……」 「……覚えのある敵なら、両手両足を潰せ」  村長は伝令の方を直視はせず、絞り出すように言った。伝令は怪訝そうな顔をしたが、 凶悪な参謀長の顔を見ると、肩をすくめてそのまま引き下がった。  再び村長が口を開くまで、しばらくの時間が過ぎた。 「……我々の敵戦力は、やはり当初の読み通り、我が方の三倍程度だ」 「……どう見ても、敵の数はブナに生えたコケの株数より多いのですが、ね」 「……絶対数が三倍、ということだ。延べ数ならそのくらいいよう」 「…………」  アベルの小刻みに震え、つり上がった眉毛が少しだけ緩んだ。参謀長の傷だらけの 四角い顔から、今までの暴発寸前の怒りの表情が引き、かわりに恐怖の色が貼りついた。 丸耳との戦ですら、こんな酸鼻なものにはならなかった。もはや人として許されざる 領域を逸脱した男が、敵なのだ……。 「……あれは、屍だ。死人返り、だよ」  長はかろうじてため息をついた。吐息一つで、気力も体力も根こそぎ奪われてしまうような 気がしたからだ。その場の空気にすら、辟易した。汗の臭い、掘り返した土の臭い、 カビ臭い土嚢の臭い、焼けた木の刺激臭、漂ってくる血の臭い――それは、疲労の臭いだった。 「……全軍に通達せよ」 「は」  一人の騎士が歩み出た。伝令を買って出たのだ。 「……コデル隊に伝えた通りのことだ。敵の両手両足を潰せ。剣では、チェインメイルの 上から首や胴体を切断するなどという芸当は不可能だ。あばらや内臓や脊椎を へし折ったところで、両手両足さえ無事なら、敵はまた襲いかかってくる。奴らは 魔法で動かされているのだ。いま一つ……古い屍を見たら、最優先で潰せ。それが 魔法の本体だ。……生きる屍として捕らわれた仲間の魂も、救ってやれるかもしれない」  一気に命令した長は、息苦しさにしかたなく重い空気を吸った。そばにいる騎士が 数人、まだ困惑しているようだった。長はたたみかけた。 「……いまの話を兵士に伝えた方が良いと思う者、手を挙げてくれ」  数人が手を挙げ、二、三人が手を挙げなかった。アベルがむっつりとだが手を 挙げてくれたことが、長にとってはささやかな救いだった。 「多数決だな。カルガン、頼んだぞ」  カルガンと呼ばれた先ほどの騎士は、黙礼してすっと走り去った。 「……敵の魔法の正体、お察しなのですな」 「おぼろに聞いたことがあるだけだがな。はるかな昔、死者を操るおぞましくも 穢らわしい魔法を信者に授ける邪神がいたらしい。邪神が滅んだ後も、信者たちは 自らの魔法ゆえに完全には死ぬことができず、塚や洞窟の中に封じられているとか。 そして、その魔法は微弱だが効果はてきめん、犠牲者が生きているうちは発動はせぬが、 死んだとたん、その者は動く屍にされてしまう」 「……『塚人に触れし者、いずれの末路は塚人』ですか(註:『ミイラ取りが ミイラになる』と同じ意味のアールヴのことわざ)……あれには、そこまで深刻な 裏の意味があったのですな」 「大災厄に遭って、手痛い目を見たご先祖様の、その痛みがようやく忘れられるように なってはじめて、警告の言葉は単なることわざにまで落ち着いたのだ」  胸の内を吐露した長は、いくぶんか平静さを取り戻したらしい。今日何度目かの 重いため息を、それこそ重々しくついた。            *           *           *  生者に対しては勇敢に戦ったアールヴの騎士たちも、動く死者に対しては憶病だった。 長の伝令は確かに現場の混乱を収拾はしたが、引き換えに別の恐怖をもたらしたに すぎなかった。長に対する不信、という致命的な士気の低下は防がれただけましではあったが。  まず、死者は死者であること、それ自体が気味悪い。その死者が意志もなく動き回るさまは、 どんな猛者をも震え上がらせる。切り裂いた皮膚からは血がほとばしるでもなく、肌には 張りがなく、目には胡乱でうつろな闇が宿っているだけだ。腐敗が始まった死体であれば、 その不気味さはなおさらだ。剣で切り裂くたびに、まだ比較的きれいな皮膚の下から、 血液ではなく腐肉の汁が、すえた臭いとともにねばっこくしたたるのだ。そして、死者は いくら剣で切り刻んでもその蠢きを止めない。生者が自然な生命力によって活動する――そして いずれは自然の摂理通り死ぬ――のとは異なり、死者は不自然な魔法の力によって 動かされ続けるのだ。理論的には、どんな魔法であれ、その魔法の源から対象を 遮断してやれば、魔法の効果は断絶する。しかし、今回はその魔法の正体がそもそも 不明なのだ。魔法を防ぐことは、ほぼ不可能だ。  そのうえ、このありがたくない不死身の「病」は、感染するのだ。もしこの死者の 肉体の一部でも触れたまま自分が死ぬと、自分も不死者となる。その魔法の力がいかに 微弱であれ、そもそも抵抗のすべも力も持たぬ死体には、魔法の効果は充分及ぶのだ。  騎士は、敵の腕をへし折った。一本、また一本。力ないその感触は、チェインメイルの 上からでも伝わってくる。だが敵は、ゆっくりとだが、その歩みを止めることはない。 チェインメイルの破れ目から、ひどく傷ついた肌と、折れて飛び出した骨がのぞく。 腰にぶら下げた剣の鞘、兜に刻まれた紋章、盾に描かれた大紋章――それらは、かつて その敵が友軍であったことを――かけがえのない親類縁者、友人であったことを告げている。 騎士は感情を押し殺し、薙ぎ、敵を倒す。剣撃の音のみが、戦場に響き渡る。 不思議なことに、誰ひとり喚声をあげる者はいない。それは、どこかに狂気をはらんだ 戦の空気というよりもむしろ、粛々としたセレモニー――言うなれば葬式に近かった。  臭い。それは、騎士たちに染みついて離れない臭いだった。だが、普段は彼らは その臭いを意識することはない。意識するのは刃が自分の身の上にふりかかってきた 一瞬だけ。死の臭い。そう、屍転がる戦場ですらそれを意識しない騎士たちですら、 動く死体のばらまくその強烈な死の臭いは無視できない。生きた死体への恐怖と、 生きた死体になる恐怖。恐怖は人の心を鈍らせ、腕をなまらせ、逃げ足を速くする。 戦場に幾多の死人の細切れをばらまきながらも、騎士団は浮足立っていた。  その背後へ、サダルメリクは隠し兵力に突撃を命じた。それは――。            *           *           *


続き(3章3へ)    小説のメニューへ