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● この指とまれ!Web同窓会
お名前: タナカ
ハラパンのインターネットと地域活性化試論,同窓会etc談義,ハラパン塾,見させていただきました。
ひぐちさんとみれさんのやりとりは私にとっては参考書のようなものです。今後の展開を楽しみにしています。
ハラパンのページへ再録していただいて結構です。[1998/06/14 14:14:36]
お名前: 宇野 みれ URL
田中先生、皆様、
http://www.harapan.co.jp/Miyazaki/Chiiki/mushima_BBS.htm
試みに、どんなものになるか、「六島分校掲示板:同窓会etc談義」を作成してみました。
「これは外して」というのがありましたら、どんどんお伝えください。
===
以前、分校・僻地小規模校リンクを作成したとき、リンクの依頼でメイルのやりとりがあった、長崎県五島列島・六島分校の田中先生から、「掲示板を設けました」というメイルをいただき、遊びに行きました。六島分校のホームページは温かくて、分校リンクの中でも、私が一番好きなホームページなのです。
六島分校HPの掲示板は、新しいテーマの書きこみがあると、一つの「掲示板」スレッドができるという形式です。
私は、ちょうど、同窓会Webは、分校や小規模校でこそ威力を発揮するのではないかと思っていたので、この指とまれ!同窓会Web
という新しいテーマで書きこみました。すると、六島分校の田中先生、横須賀/横浜のひぐちさんから素早いレスポンスがあり、同窓会スレッドがどんどん成長、しまいには、「よそもの」である私とひぐちさんの「掛け合い漫才」的様相を呈するようになりました。
ひぐちさん、田中先生など、このスレッドの参加者のご快諾を頂いて、こちらにも一部、再録いたします。
再録にあたり、システムの制限上、手動で入力していた改行の削除、明白な入力ミスなどを修正し、読みやすいように句読点を補っています。また、発言が新しいものが上に表示されていたのを、流れが追いやすいように、時系列に並べ替えました。下線がついているリンクは、私が後から挿入したものです。
話題は、同窓会Webや同窓会にとどまらず、多岐に展開しています。
気の向くままの放談ではありますが、放談の断片が、何らかの形で、インターネットによる地域活性化のヒントにでもなれば、幸いです。
===[1998/06/14 09:05:56]
お名前: ひぐち
田中先生、皆様
↓と言うことで如何でしょう。
皆様の温かいお気持ちを充分に頂いた猶興館の同窓会も終わりました。心よりお礼申し上げます。
六島HPでの次なる展開に、乞うご期待!(やっぱし、掛け合い漫才かな)
田中先生の講評など頂けたら幸いです。[1998/06/14 02:33:05]
お名前: 宇野 みれ URL
田中先生、みなさま、
ここで知り合ったひぐちさんとは、裏でもメールで色々「ディスカッション」していたのですが、ひぐちさんの了解を得て、「ハラパン塾」往復書簡という形で、ハラパンのホームページに掲載しました。
http://www.harapan.co.jp/Miyazaki/Chiiki/harapanjuku.htm
いろいろ六島HPをダシにしています^^;。一度、ご笑覧ください。
また、ひぐちさんとのメールのやりとりのなかで、こちらのこの同窓会Webの掲示板での二人の「掛け合い漫才」を、ハラパンのホームページの方でも再録したいのですが、よろしいでしょうか?
その際、田中先生や他の方のメッセージの引用もそれぞれご本人から了承していただけると、とても嬉しいのですが…。よろしくお願いします。[1998/06/14
02:00:28]
お名前: ひぐち
田中先生、みれさん
学校と学校のHPは違いますが、何でも話せて何でも出来て誰でも行けるところが学校。個性を大切にしてくれて、それを育ててくれる先生がいる。
学校が嫌いな人も好きな人も本質的にそして潜在的に皆さんお持ちでは?
ここにはその本来の姿が見えるのですが、みれさんもそうなんでしょう。
忘れ去られようとしている何かがここにはあるんですよ(^^)[1998/06/13
13:41:40]
お名前: ひぐち
町田さん
いろいろとお忙しいようですね、AGOKAZEとひらの会のHPで拝見しました。按針忌でのBGフルートは聞きたかったですね、あの周辺は下宿時代に崎方公園から遠見ガ丘にかけて青春の夢を描いた思い出深い場所でした。平戸に寄ったら必ず行ってみる場所の一つです。
遠く望む松浦の海、足下の黒子島、白波立つ白瀬の灯台は瞼を閉じると懐かい情景が浮かんできます。
遠見が丘の、チョット目障りな展望台が気になりますが、あの辺りで野外コンサート等あったら教えて下さい。
[1998/06/13 13:28:15]
お名前: 宇野 みれ URL
田中先生、
田中先生の「何度も六島のホームページに来て欲しい]作戦は効を奏し、私もひぐちさんも日参してますねぇ^^;。宮崎の椎葉中学に通うようになったのも、討論の電子会議室があったからでした(こちらはダンナと二人で乱入してかけあい漫才やってました…)。
ホームページは、どうしても一通り見終わると、後はなかなかアクセスしないものです。
また、「あ、いいな」とか「ここが気になるな」と思っても、なかなか知らない人にメールを出すことはないものです。知らない人へのメールって、砂に染み込んでしまう水のような感じが、どこかあります。
そういう意味で、六島の掲示板は大好きですよ!
私は年賀状や書中見舞いなど、節目節目に「今、ホームページでこんなことやってます」とはがきやメールでばらまきますが、一挙にアクセスが増えます^^;。
ハラパンでも電子会議室をもっとうまく利用したいのですが、ひぐちさんのように、何度やっても、よう書かん人がおるからねぇ…。
こちらで書いていた電子会議室論議、ハラパンの「インターネットと地域活性化試論パート2」にまとめてみました。
http://www.harapan.co.jp/Miyazaki/Chiiki/shiron2_BBS.htm
ついでに、「オンライン書店の展開」もまとめました。
ここで色々な話をしていると、いろんなことを書きたくなってくるのですよ。[1998/06/13
01:32:08]
お名前: タナカ
町田さんようこそ。これからよろしくお願いします。
管楽器の演奏をされているんですね。まさき君がトランペットがんばっていますので,一度ご覧になっていただけませんか。
ひぐちさん,みれさん,
分校のホームページに掲示板を設けたのは,何度もこのホームページに来ていただきたかったからです。
掲示板については配慮が必要なようですね。
みれさんの注意書き(?)を参考にさせていただきたいと思います。
掲示板の書き込みについても子どもたちのプライバシーに気をつけているつもりです。
その点で,掲示板では多くの人とのメッセージのやりとりができますが,メールの方が内容を制限する部分が少ないのかなと思います。
他の学校の子どもたちと交流する場合,その内容によって使い分けていこうと思っています。
ひぐちさん,私もページ作るときはほとんど自分のノートでやっています。
ただ写真の補正は液晶よりもブラウン管のディスプレイのほうが明るく見やすいので,学校のパソコンを使っています。ひぐちさんのホームページ楽しみにしています。[1998/06/13
01:00:27]
お名前: ひぐち@office
オーットト!
みれさんに先を越されてしまいましたね(^^;
町田さん>よーこそお越し頂きありがとうございます(これー、田中先生の役目かな、六島の皆さんおおめに見て下さい)
町田さん・みれさん・田中先生・誠先生・川下先生・feynmanさん・・・・・・・
も皆さんネットワークで皆さんお知り合いどうしなんですよ、ご存じでしたか?
みれさんのharapan HPで上流文化圏交流会議で小佐々のHPの紹介がありましたfeymanさんは、六島HPにご挨拶の掲示がありますヨ、feymanさんのリンク先に「ひらの会」、そしてそのリンク先に町田さんのHP皆さん以前からお知り合いだったんです。(楽しいですね、みれさん曰く、PCもインターネットも業務命令でなく楽しみながら・・・・・・ですよね、^^)
やっぱり、こうなると私もHPを創らなきゃー、そん時は皆さん応援して下さいね(ノートPC1台で何とかなりますかネー^^;)[1998/06/12
18:20:18]
お名前: 宇野 みれ URL
町田さま、はじめまして!
平戸のこと、色々教えてください。
看板の作品のあるホームページ面白いですね![1998/06/12 16:43:58]
お名前: 町田 雅之 URL
初めまして。平戸市から、です。
樋口様から早くにご紹介いただいておりましたが、遅くなってしまいました。
なんだかんだと所用が多くて落ち着きません。
きちんとした書き込みはあらためてさせていただくことにして、今回はご挨拶まで。どうぞよろしくお願い申し上げます。[1998/06/12
16:31:31]
お名前: 宇野 みれ URL
ひぐちさま、田中先生、
「これからメールを送る」「何時にメールをくれ」と電話で打ち合わせるのはおもしろいですね^^;。でも、まだ、小、中、高校レベルでは常時オンラインのところが少ないですから、ある程度しかたがないですね。交流がうまれるといいですね!
学校現場にマシンが配備されるようになると先生が大変ですね。私は、コンピュータをいじって10数年になりましたが、自分の意思で始め、たまたま面白くてはまりこむことができたのは、幸せな出会いだったと思います。あまりパソコンをいじる者がいない職場である程度いじれたので、コンピュータやニューメディア系の職場への異動の打診もありましたが、逃げまくっていました^^;。趣味でやるから楽しいのであって、わからんちんの、知らないわりに勝手に無理難題ふっかけてくるなかで仕事としてやりたいとは思わなかったのです。
職場のDOSのデータベースのデータ1万件をWindows95に移植し、パソコンがわからない人でも入力,検索がしやすいシステムというのを構築したことがありますが、これも、自分からやると言い出したからできたことで、「業務命令」なら、「ほんなもん、システムに頼むか外注してください」と突っぱねてますよ…。どれがどうしんどいかわかっているだけに…。
(未だに、古巣に顔を出すと、メンテしたり、入力担当者の相談に乗っています…^^;)。
学校現場でのパソコンの運用は人(先生)にかかってきてしまうのだと思います。配備が進めば進むほど、パソコンやりたくない先生も、嫌でもやらざるを得ないという状況になり不幸だと思います。しかし、その流れは変わりようもないので、業務でやらされる前に、パソコンとお友達になれるかどうか、なのでしょうね。
パソコンというのは、多くの機能、多くの側面、多くの可能性を秘めているものなので、学校や先生だけで教えようとするのではなく、地域の「パソコンの達人」を巻き込むと面白いと思うのですが。
富山の山田村は、過疎のインターネットのホープで全戸にパソコンを村の予算で配備したので有名ですが、そのアフターケアというのが面白いですね。私はホームページなどでの情報からしか知りませんが、まず、子供が親の先生になった、というのですよ。
地域でSOS班をつくり、夏にはボランティアの学生たちがチームを組んで泊まり込んで教える。その学生たちは、地域の人との交流に感動して毎年来るようになる…。
パソコンは単なる箱ですが、人が関わると色々なものに化けます。良くも、悪くも…。
宮崎は宮崎大学がかなり学校現場のホームページ構築の指導をしているようです。椎葉中学などのホームページの多くは、宮崎大学のサーバー上にあります。
宮崎大学教育学部付属教育実践研究指導センターという長い名前のところがホームページを持っています。
http://www.edc.miyazaki-u.ac.jp/
でも、近所の中学で、コンピュータ教育のモデル校(?)になっているところは、広告塔みたいなホームページがひらっと上がっているだけだったりします^^;。
椎葉中学を始め、県北の椎葉村は村教育委員会がかなり力を入れているようで、「ひえつきキッズ」という宮崎県椎葉村立小中学校ホームページ広場を持っており、各小中学校がホームページを立ち上げようとしています。ここのページでは、著作権や子供の人権などしっかりした制作ガイドラインも公開しています。
http://www.edc.miyazaki-u.ac.jp/~ujino/index.html
中心になっているのは、椎葉中学のうじの先生です。[1998/06/12
11:16:26]
お名前: ひぐち
田中先生
お疲れさまでした。
こちらの教育環境がどのようになつているか調べてみました。横須賀の例ですが、「日常の教室こそ児童にとってのマルチメディア環境」に不可欠と小学校へノートパソコンコンを配備しているようです。
各学校に学習用ノートパソコン各10台(1ユニット)を導入し、次年度以降は,中規模の学校にあと10台(1ユニット),規模の大きい学校にあと20台追加する予定のようです。学級数の多い学校では,同時に多くのクラスが利用できるように,という考え方で,学校規模により台数を変えています。
ノートパソコンの利用形態は,10台をまとめて教室間移動することを想定していますが,学校によっては余裕教室に設置したり,ひとまず各教室1台ずつなど,いろいろな形態が可能のようです。
今回は利用の自由度を優先し,ネットワークには対応していませんが,インターネット上の学習用ホームページを集めたCD−ROM(最近発売され始めた)は利用できます。
ノートパソコンにした理由は、パソコン画面に絵や音や文字が表示される機能をマルチメディアと呼んでいま
すが,コンピュータ教室だと児童にとって「パソコンしか利用できないモノメディア環境」になってしまいます。掲示物や生き物がいて学習環境が整っている教室で,学級文庫などと同じ感覚で気軽に使ってもらえるようにしています。
教育研究所のURLはhttp://www.edu.city.yokosuka.kanagawa.jp/a10.html
宮崎ではどうなんでしょうね(^^)/~
Q インターネットなどのネットワークにはつながらないのですか?
A 今回のノートは利用の自由度を高めるために「ワイヤレス」を目指したため,現時点ではネット
ワーク接続はしません。しかしプリンタを利用するための「無線バッファ」という機能を付け,
10台に対して
2台のカラープリンタをワイヤレスで利用できるようにします。またインターネッ
トの情報は
CD−ROM経由で利用することを考えています。 インターネット接続用パソコン(本年度
中・ろう・養護学校に導入)は平成10年度に予定しています。
Q うちは職員室の研修用パソコンの利用度が低いのですが,なぜ全校一斉なのですか?
A 第1に,今回のノートパソコンが研修用パソコンに比べ利用しやすくなっていること,第2に,
まず教職員がさわって「慣れ,親しむ」機会が必要なことが理由です。現時点で利用者が少ない
学校はまず先生方がさわってみてください。[1998/06/12 02:42:02]
お名前: タナカ
2日ぶりに六島に戻ってきました。
午後から学校へ出てみると,教頭先生に電話があって,知り合いの教頭先生から,自分の学校のパソコンクラブからメールを送るのでよろしくとのこと。
しばらくするとメールを送ったので,この時間に返事を送ってくれないかとまた電話がかかってきました。
たぶん"クラブ"の時間に子どもたちがメールを書いたのでしょう。そしてその返事が返ってくるのをその時間に楽しみに待っていたのだと思います。
早速まさき君をつかまえて,メールを書いてくれと頼んですぐに送りました。
そして,私が向こうの学校へ「送りましたよ」と電話をかけました。
なんか変なメールのやりとりでしたが,これがきっかけで向こうの学校の子どもたちが喜んでくれて交流ができていければと思います。[1998/06/12
00:36:11]
お名前: ひぐち
岡部耕大のご紹介
松浦市生まれ、伊万里高校卒、東海大文学部広報学科をへて劇団「空間演技」設立、「肥前松浦心中」で岸田戯曲賞受賞、「亜矢子」で紀ノ国屋演劇賞受賞95年の「風と牙(異聞源平合戦)」は源平合戦の頃の「松浦党」が題材。
つづいて97年の「あの玄海を染めているのは夕日か血か(元寇)」は、西の果ての松浦の海を舞台に鎌倉時代に起こった「元寇」を舞台化したもので、岡部の故郷への熱い思いが込められている。[1998/06/11
23:04:47]
お名前: ひぐち
猶興館同窓会幹事の村田さんよりメッセージが届いております。
六島HP同窓会Web・全国同窓会Web 様
ご声援ありがとうございました。
お陰様で猶興館東京支部同窓会は無事に終えることが出来、ホッとしているところです。私共当番学年幹事は、昨年の総会後14名で引き継ぎを受けましたが、皆様のご支援を頼りに準備をすすめてまいりましたが当日は四
十数名の協力が得られなんとか面目を果たせた次第です。
昨年の伊万里高ご出身の岡部耕大さんの友情寄稿につづき、今年は松浦高ご出身の小関さんによるオランダ商館復元計画のプレゼンテーション、平戸・北松・松浦各地区の皆様による物産展へのご支援などなど、一つ一
つ挙げてご紹介したいところではありますが、字数の関係もあり割愛させていただきます。
これから先も猶興館同窓会の活動を通して平戸・北松・松浦地区の方々と共に歩んで行くことを願っております。
ありがとうございました。まずはお礼まで
猶興館学年幹事代表 村田清治(39年卒)[1998/06/11
22:41:03]
お名前: 宇野 みれ URL
ひぐちさま、
地方自治体の書きこみ自由な掲示板については、ハラパンの電子会議室に都城のぼんち(盆地)ネットの朝倉さんの詳しい報告があります(free
talk97/12/03)。
以前、結構、インターネットと地域活性化についての議論を電子会議室でしていたのですよ。
書きこみ自由の掲示板をどう運用するかというのは、結構、クリティカルな問題です。
インターネットには色々な人がいますから、必ず、トラブルの可能性があります。
ホームページというのは公共性も高いので、トラブルが発生したときのダメージも大きくなります。特に、行政や学校など、公共機関の場合は、そのダメージも大きくなってしまいます。
たとえば、ここに猥褻な書きこみ、または、思想性の強い書きこみ(私はすれすれかな?)があると、そのメッセージがある、というだけで、議会やマスコミに叩かれかねない、じゃ、閉じてしまえということにすらなってしまうのです。
しかし、こうした話し合いができるのは、ここに、掲示板があるという場があるからです。
何ごとにつけ、トレードオフがあるのですが、インターネットの場合、特に悩ましい問題です。
私など、根が双方向的にメッセージをやりとりするパソコン通信の出身なものですから、結構、双方向的なやりとりとメッセージと流れの制御に慣れていますが、最初から一方向のインターネットで始めた所の場合、メッセージ制御のノウハウがなく、トラブルが発生したときにコントロール不能になる場合があります。
特効薬はないのですが、私なりの経験で得たノウハウをご紹介します。
まず、掲示板のルール、著作権、管理者の権限を明確にします。特に公序良徳に反する書きこみ、中傷行為などの禁止を明確に文書化し、削除権限を必ず明記します。
堅苦しくなりますが、ハラパンの電子会議室には、以下のような「ご注意」を上げています。
===
ご注意:
本会議室は,上記のような目的のために運営されているものですので,ここに記された文書は,すべて公開文書扱いとなります。そのため,公序良俗および社会通念に照らして,主催者は文書の削除権を行使し,事前の通告なく削除することがあります。また,情報の保存期間および各文書の占有する記憶容量については,特に定めていませんが,システムの運営上,なんらかの措置を講ずることがあります。その際,事前の告知などを行わない事があります。
第三者が著作権を保有するもの,およびその他の事由により,本会議室に記載された情報が,係争の対象となる場合,あるいはその可能性がある場合,また,本会議室に記載された情報をもとに行われたあらゆる行為について,発生した損害および第三者が被った損害,機会損失による損害等,あらゆる事件に対して,本会議室の主催者,会議室の提供者は,一切の責任を負いかねます。掲載者および閲覧者の自己の判断により,リスクを負うことを了解ください。
===
きっちりしたルールを明確にし、それは、よほどのトラブルが発生しない限り「抜かずの宝刀」として、実際にはゆるやかに運用する、それがコツなのだと思います。
次に、誰かが必ず、全部のメッセージに目を通すという体制を取ります。何が起きているかの把握は必要です。
そして、「良い場」を共に育てる「応援団」を作ることです。管理者がいちいち応対していたら、管理者は体がいくつあっても足りません(ね、田中先生?)。暖かいストリームができたら、それがある程度、自然な自制力となって働きます。
平戸の陶器情報、ありがとうございます。やっぱり、この平戸のようですね。今はなき窯の陶器人形の話題がアメリカで出るなんて、面白いですね![1998/06/09
15:33:14]
お名前: ひぐち@office
ジャスト1100番目の訪問です。
キリのいい数字は気持ちいいな(^^)
昨日は六島HPの訪問をお休みしましたが、アッというまに沢山の書き込みで細かいところを見落としそう(^^;
小値賀の教育会にインターネット研究部、少なからず六島のHPの運営が高く評価されたんでしょう(^^)/~
この前の薬局のおじさんの話のニュアンスでいい方向へ向かってるとは感じておりましたが、教育界で取り組むのが、なによりかと思います。
六島のHPファンは確実に増え続けています。
他の公的機関で書き込み自由の掲示板を見かけた事がありません。
これはある意味で画期的でもあります。いろいろ理由は考えられますがここんとこは、経験豊富なみれさんの出番でしょう。
えーと何の話でしたかネ
みれさんの質問で平戸の陶器の話でしたね、平戸には川内という地名のところがありますが、当時中国から招いた陶工によって窯をもうけ教育を兼ねながら量は少ないようですが磁器を産出していました。その後その窯は佐世保の方へ移り今も川内焼きの名称で出ております。
当時平戸で磁器は茶碗ものが大半ですが人形もの(と言うのかな?)も出ており繊細な作りと絵付けは、私好みです。五人唐子模様の茶碗などは小値賀のご家庭でもお目にかかる品物です。(今では貴重な骨董品)
最近、当時の場所に窯を造るような話は聞きましたが、その後どうなったでしょう。ヒョットシタラモウデテイルノカナ(^^;ここは平戸観光協会さまの出番なんでしょう)
同窓会Web=インターネットと地域活性化論=地域間交流=海外交流の図式が進んでいるんでしようかネ
田中先生のお許しも出たことですし皆さんでどんどん書き込んで下さいよ。
宮崎のみれさんは別格ですよ(^^;たぶん私が100文字を打つスピードでみれさんは2000文字!ですからね)
初めて訪問のHP掲示板への書き込みは、チョットしたスリルがありますネ
書き込んでクリックすれば、ナーンテことはないんです。[1998/06/09
14:39:32]
お名前: 宇野 みれ@宮崎 URL
うっかり、上流文化圏会議inニセコのページのURL張り間違えました^^;
正しいURLは、次の通りです。
http://www.harapan.co.jp/Miyazaki/Chiiki/niseko_index.htm
[1998/06/09 12:54:42]
お名前: 宇野 みれ URL
田中先生、ひぐちさま、
昨年11月に宮崎の五ケ瀬町(県西北部の熊本県境の町です)で開かれた日本上流文化圏会議in五ケ瀬に参加した後、触発されて、ホームページで「インターネットと地域活性化試論」という連載をしたのですが、また、六島に触発されて、「インターネットと地域活性化試論パート2」(安易な題だ…)という連載(?)を始めました。
一発目は、「同窓会Webの活用」。ここで書いたメッセージのつぎはぎのようでお恥ずかしいですが機会があったらご笑覧ください。
http://www.harapan.co.jp/Miyazaki/Chiiki/shiron2_dosokai.htm
この上流文化圏会議(いわば山間地域の連合です)の2回目は7月末に北海道ニセコで開かれます。そのご案内もしていますので、よろしく! 私は参加したいけど、丁度、仕事の修羅場にかかっていそうで…。長崎の小佐々町からもパネリストが出ますよ!
http://www.harapan.co.jp/Miyazaki/Chiiki/shiron2_dosokai.htm[1998/06/09 12:52:35]
お名前: 宇野 みれ URL
田中先生、ひぐちさま、
実は、私もハラパンのささやかな「電子会議室」で、昨日、六島の掲示板の宣伝をしたのですよ。
===
「インターネットと地域活性化」の「分校・僻地小規模校リンク」でご紹介している長崎県五島列島の小値賀小・中学校六島(むしま)分校のホームページhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~memm/index.htm
に、最近、掲示板ができたので、よく遊びに行っています。
この六島分校は小学6年生が1人、中学生が5人の6人で、ホームページのタイトルは「十二の輝く瞳」。
「英語が苦手」という中学生の書きこみから、「私も苦手やったけど、英語できたらアジアに友達できたんよ」みたいな話をしていたら、「アジアの人と電子メールのやりとりをしたい」と英語の先生から提案があり、東南アジア青年の船の仲間のオンラインの30数人に呼びかけたら、インドネシアの6人の子持ちの仲間から「子供に聞いてみる」と返事があり…。
また、同窓会Web「この指とまれ!」の紹介をきっかけに、横浜の人と掛け合い漫才になり、同窓会の話から、戦争の話から、どんどん発展していって先生が青くなっているのではないか、という…。
また、皆様もお気軽に遊びに来てください!(って私が言うのもおかしいか…)。
宇野 みれ
===
ただ、ハラパンの掲示板は使い勝手が悪いとあまり人気が無く、ここほど書きこみがないのですよねぇ…。それなりにアクセスはあるようなのですが…。[1998/06/09
10:54:04]
お名前: 宇野 みれ URL
田中先生、
好き勝手に書いているものが「インターネット活用の参考」なんて、なんだかお恥ずかしいけど嬉しいです(そろそろ、田中先生が手を焼いているころかと思いました^^;)。
分校小規模校リンクでリンクのお願いをした関係で、鳥取県の分校の先生とも、メールをやりとりしています(リンク解除の申し入れからメールのやりとりが始まったのですから、縁は異なものです…^^;)。こちらにも、「この指とまれ!」の情報を伝え、先生が興味を持たれたので「六島の掲示板で展開しています」とメールを送りました。
昨夜アクセスされたようです。「見るだけじゃだめですよ、ちゃんとエール交換するんですよ!」って言っておいたのに…。ね、サエキ先生!
「この指とまれ!」のような同窓会Webを、一番活用できるのは、学校が地域のシンボルとして機能しており、多くの若者が故郷を離れるケースが多い小規模校ではないかと思っています。
六島が一つのモデルケースになるのではないか、と期待しているのですよ![1998/06/09
10:38:40]
お名前: タナカ
分校のホームページも4月から新しくなって,ひぐちさんやみれさんのおかげで,子どもたちもいろいろな活動ができるようになってきました。
小値賀町の教育会(小中学校の全教職員が会員)でも今年は"コンピュータ・インターネット研究部"ができます。
このホームページを通しての交流を紹介して,それぞれの学校でのインターネットの活用について参考にしてもらえればと思っています。これからもよろしくお願いします。[1998/06/09
02:30:48]
お名前: 宇野 みれ URL
あはは、操作に失敗して下のメッセージ知りきれとんぼになってしまいました…。
外国に行くときは、特に相手の国が、過去に日本と関わりのある場合は、簡単な史実だけでも知っておく必要があると思うのです。
インドネシアでは、「バリに来る日本人はバリがインドネシアにあることを知らない」というジョークがあります^^;。
田中先生、ども、関係ない話の書きこみばかりですいません! ご迷惑ならストップかけてくださいね!
[1998/06/08 04:15:27]
お名前: 宇野 みれ URL
ひぐちさま、
平戸って、陶器の人形が有名なのですか?
最近、東京の新宿にオープンした、インドネシアのニュース週刊誌ガトラ東京支局が開いたインドネシア文化宮という情報発信スペースのホームページをハラパン上に作成し、英語版も作成したので、多くの人に見てもらおうと、検索していて見つけたAsian
Artsというアメリカのホームページの読者の手紙欄で紹介しました。
ついでに他の書きこみも見ていると、これがまた面白い! 「miamoto(miyamotoではありません^^;)
musashiの刺青を入れようと思っているのだけど、白黒の絵の写真しかない。誰かカラーの絵を持ってないか」、とか、「karashishiはどういう意味だ、ライオンか、犬か。なぜ、子獅子と遊んでいるんだ」とかいうメッセージが上がっています^^;。
獅子の方には思わずレスを書いてしまいました…。
ところで、次のようなメッセージを見つけました。何か、心当たりありますか?
I need some information on how to identify a porcelain dog I purchased from an estate. I
found a photo of a very similar piece in N. Schiffer's book on Japanese porcelain and am
wondering if what I have is Hirado, but need some help as I have only begun to study
oriental porcelain.
陶製の犬の情報求む。あるところから買ったものだが、日本の陶器に関する本に載っている写真に似ているので、ヒラドではないかと思う。でも、東洋の陶器は勉強を始めたばかりなので助けて欲しい、という内容です。
3月23日に書かれたもので、レスはついていませんでした。もし情報があれば教えてください。
オランダといえば、インドネシアとも縁が深いのですよ。インドネシアの旧宗主国で、今でも知識階級でオランダ語を話す人は多いし、オランダに旅行に行ったことのある友人も多いです(みな一様に「犬の糞が多くて汚かった」と感想をもらします^^;)
オランダにはインドネシア料理店がたくさんあるそうです。
でも、それ故にオランダでは反日感情が強い部分があるのですよね。
過去の戦争のことを現在の若い世代が十字架として背負う必要はないと思うのです。ただ、何があったのか、そしてそのことを相手の国がどうとらえているかを常に認識しておく必要があると思うのです。
私が学生時代、学生団体間の交流プログラムで香港に行ったとき、日本人側の10数人の学生のうち、日本がパールハーバー直後に香港を占領したと知っていたのは、私を含め2人でした。香港では数10人の学生たちが私たちにアテンドしてくれましたが、全員が知っていました。いつもにこにこしていた受け入れ側のリーダーは、最終日の双方のスタッフの打ち合わせの席で、「お前たちに会えて良かった。親から日本人は残酷な人種だといい聞かされて育ち、そうだと思いこんでいた。お前たちに会って、日本人が残酷な人種ではないとわかった」と言われたときは、本当にショックでした。「過去の不幸な戦争は忘れて」という前に、忘れるべき記憶すら持っていなかったから。日本人サイドが。
私だって、香港に行く前に香港関係の本を読んでいて、初めて知ったのです。
香港を訪れる観光客の何割が、過去の日本との関わりを知っているのだろう? 「日本人観光客はば
あるそうです。[1998/06/08 04:12:32]
お名前: ひぐち
田中先生へ
長崎六島のHPの掲示板を活用させていただきありがとうございます。
皆様から好評をいただいておりますのでお伝えいたします。
先生のご負担になってないかと気がかりですがよろしくお願いいたします。
みれさんへ
過去におかした東南アジアへの加害は、どんな償いをしても消し去ることは出来ません。でも何もしないことは、更にいけないことだと考えます。国家の課題は別にして私共一人一人に日常的にできることは心がけたいと思いま
す。戦争という悲惨な状況はそれより以前に貢献した人々の誠意や事業も消し去ってしまう怖さがあります(加害と貢献を天秤にかけることは、出来ませんが、過去の英知と当地で功績を残した人々と誇りは持ち続けなければ
なりません)
偉人を産んだ長陽萩の松下村塾、天下の誇る吉田松蔭が修養の最も大切な時期に、平戸藩の山鹿高紹(江戸より招聘し、平戸に居を構える)の学と徳の高さを慕って、嘉永2年5月十五書を葉山左内(兵学、陽明学)を通じ
て藩の許可を得て一意専心講学に打ち込みました。長崎出島に海外貿易の拠点を移すまでは、オランダ、イギリス、ポルトガルとの海外貿易の拠点は平戸にありましたので、松蔭平戸在中にそれらの文化に触れたことだと
考えられます。(手元の史料では不明です、松蔭研究家のお話を待ちましょう)
松蔭が拠り所にした葉山左内の住居跡は、フランシスコザビエル教会から数百メートルの所にありました。(3月に平戸に行ったとき友人が案内してくれました、周囲は藪に覆われていましたので屋敷の中までは行けず)
司馬遼太郎の街道をゆく十一「肥前の諸街道」は、お薦めです。虹の松原の唐津から伊万里、松浦、平戸、佐世保、長崎までを魏志、元寇、交易、キリスト教伝来などに纏わる話ですが、この地に吹き渡った貿易風のにおいを存分に感じさせます。[1998/06/08
01:11:43]
お名前: 宇野 みれ URL
ひぐちさま、
名門校ともなると、同窓会も大掛かりで有意義なものですね! わが母校の高校なんて、100周年でも、カンパ募って記念の小さな建物を母校に寄付、程度ですものね…。
しかし、同窓会で、オランダ大使館から人を呼べるのいうのは凄い!
ダンナの故郷の山口の名士ということで吉田松陰には興味を持ち、司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読みました。その後、龍馬など維新前後(ダンナの母校の校歌には「維新の偉業」というくだりがあるそうで…)の本を読み進み、長崎には強い興味を持っています。
ああ、最初に読み始めたのは、もう司馬遼太郎が亡くなった後、初めて触れた「坂の上の雲」でした。「まだ、読んだことないねん」と兄貴に言うと「まだ、読むべき司馬の本をいっぱい持っていて羨ましい」と変な羨ましがられ方をして、日露戦争に興味がある、というと、勧めてくれたのが「坂の上の雲」でした。青雲の志を抱いて上京するあたりまでは良かったのですが、日露戦争の凄惨な描写にたじろぎました。
なぜ、日露戦争なのか、というと、やはりアジアの影響なのです。よく、アジアの友人に日露戦争のことを聞かれました。「なぜだ?」と聞くと、非白人が初めて白人に勝った戦争だ、というのです。私の日露戦争の知識というと、年号を覚えているだけでありましたし、やはりアジアの友人たちが興味を持つ明治維新も年号だけでありましたので、一度、まとまった知識が欲しいと思っていたのです。
アジアに友人を持つということは、自分が住む日本という国を知るということにもなります。
多くの友人の両親は日本の占領を経験しており、親戚が日本軍に殺されたという人もいます。
友人のお父さんが日本から来た私たちをもてなそうと、「日本の歌を知っている」と、軍歌を日本語で歌ってくれたことがあり、非常に複雑な気持ちになりました。
「草むす屍」を初めて聞いたのも、東南アジア青年の船の上、インドネシアの中年のリーダーが朗々と日本語で歌ってくれたものでした。どこで覚えたのか、聞くことはできませんでした。
今の若い世代はどうなのかわかりませんが、私の学生時代、日本人の学生が戦争というのをまるで自分たちとは関係のないものだと思い、「戦争を知らない子供たち」を自認している一方で、同世代のアジアの学生が、親や親戚から語られた生々しい思い出として同じ戦争を認識していることを知り、ショックでした。
あらら、話が違う方に流れてしまいました。[1998/06/07 22:12:05]
お名前: ひぐち
ありがとうございました。
昨日(6月6日)の猶興館東京支部同窓会は、余韻と明日への期待を残しつつ熱気冷めやまぬ内に無事終了いたしました。
ご声援・支援、ご協力いただきありがとうございました。
長崎平戸から駆けつけて頂いた皆さんお疲れさまでした。これからも東京支部の皆さんと一体となった会の運営にご尽力くださいますようお願いいたします。
懇親会では、オランダ商館復元計画の紹介とお笑いをテーマとしたアトラクションは参加者の皆様に好評でした。
懇親会開催前の30分程、松浦さん(松浦史料博物館理事長、松浦藩41代当主)、ファンウェルさん(オランダ大使館報道文化担当官)のお二人を交えてディスカッションいたしましたが、皆さんの共通点は日蘭交流の原
点とも言うべき平戸が、そして地域計画がよりよい方向へ進むことに大変な熱意をお持ちであると言うことでした。
ファンウェルさんは在日6年の好青年で、長崎は第二の故郷でフィアンセの方はこちらの方の様です、流暢な日本語と日本語独特のニュアンスも聞き取り、ソフトタッチのスピーチも皆さんに好感を与えておりました。
懇親会のメインとなった計画の話は、冒頭に松浦さん(実行委員会会長)のオランダ商館復元計画をきっかけに平戸の歴史を皆さんに再認識していただきたい。
つづいてファンウェルさんのスピーチ、小関さん(プロジェクトカロン会長代行)と木下さん(プロジェクトカロン事務局長)による計画の趣意と概要説明古川さん(筑波大学社会工学助教授)のフォローアップが披露されました。
昨年の西日本海洋クラスター構想のご紹介に引き続き、今回はオランダ商館復元計画のPRを致しましたが、より多くの方が関心を持たれることによって当地の将来を見据える事ができます。そして猶興館同窓の意義深さをあらためて伺い知ることが出来たと確信しております。
松永会長(s20年卒)、相川幹事長(s30年卒)、村田当番幹事代表(s39年卒)、s39年卒の皆さん本当にお疲れさまでした。
1998年6月7日 猶興館同窓38会より[1998/06/07 21:22:27]
お名前: ひぐち@office
只今lest time(^^)
みれさんご夫妻の考え方に同感です。
長崎平戸では、オランダ商館復元計画はこれまでの400年と未来をタイムスリップさせるものになると予想されます。
一方でPC・NETがもたらす複雑な課題・問題も秘めていることは誰しも不案をもっているようです。
平戸は多くの蘭学者が学問を求めて滞在いたしましたが、その中で平戸の影響を受けた一人に吉田松陰があげられます。松蔭をテーマに「心を育てる」という課題で取り組んで方々がいらっしゃいます。
詳しいことは、次の機会にご紹介しますが、みれさんご夫妻のバランスのとれた「人づくり」がとても重要になってきます。
私の専門の世界では「器は出来ても魂入らず」のたとえに似ているような気がします。(チョト観点が違ったかな)
[1998/06/05 11:37:54]
お名前: 宇野 みれ URL
ひぐちさま、
実は、子供が理科や科学の基礎を学ばぬまま、その「必殺PCの使い手」になるのが、恐ろしいと思うのですよ。終日マシンの前で過ごし(仕事もしてまっせ…)パソコンの上で寝ているんじゃないか、と言われる私が言うのも変な話ですが、私が言うと、説得力あるでしょ?
我が家は、小学校2年と保育園年長さんとまだ小さいですが、英語もパソコンも意識的に触れさせていません。多分、かなり大きくなっても、触れさせないと思う。
28歳と大人になってから、パソコンに触れ、通信の世界に触れた私でも、コンピュータの魅力と同時に恐ろしさを感じます。目も手も痛めていますが、それよりも精神的な依存症の方が怖いですね。
ダンナの先生の名言に「コンピューターは思った通りには動かない。指示した通りにしか動かない」というのがありますが、ある程度使いこなせるようになると、指示した通りにマシンが動くのがとても楽しくなります。でも、現実の社会って、決してプログラム通りには動かないのですよ。
ダンナはコンピュータ技術者で、現実社会でのバランス感覚も取れている方ですが、オセロをやって私がいつも勝っていたときに、ふと、「マシンだったら、電源切れば済むのに」と漏らしたときは、怖かったですねぇ…^^;
実際に色々な人に会い、実際に色々な体験をして、初めて、マシンをツールとして使いこなせると思うのです。最初からマシンを実体験とすると、バーチャルな世界に取りこまれてしまうのではないかと不安を持っています。
ミヒャエル・エンデの「果てしない物語」が好きですが、よく、バーチャルな世界って、「果てしない物語」に似ていると思うのですよ。通信にはまっていたとき、自分が主人公のバスチアンではないか、と悩んだことがあります。現実の世界では弱虫でずるくていじめられっこのバスチアンは、本を読んでいて入り込んだファンタージエンの世界では、自分が思うままの者になることができました。勇気があると思えば勇気がある少年になり、いくじなしだった自分のことは忘れてしまった。でも、すべてを忘れたとき、バスチアンは現実世界に帰れなくなります。通信の世界でも、自分が思い描く理想の自分を演じることができるのですよ。正義感の強い自分とか、面倒見のいい自分とか…。でも現実の自分とあまりに乖離してしまうと、現実世界に戻れないのではないか、そんな不安を抱きます。
パソコン通信では、オフラインミーティングという実際の顔合わせの会合が盛んなのですが、そういう時に、いつも明るく饒舌なメッセージを書いていた人が、暗くて一言も話さない、なんてことあります。こちらが意見を聞いても「別にぃ」なのに、帰った途端、「あのミーティングはなんだ」と痛烈なメッセージ上げたりするのです。その場で言えよ、その場で!(あ、すいません…。)
車を運転すると人格が変わると言いますが、パソコン通信でも人格変わってしまう人、多いのです。実際に会うと大人しい人が、メッセージでは、人を名指しで面罵(というのもおかしいか…)したりします。
また、アメリカではキーボードの打ちすぎによるRSIという病気が問題になっています。
人間の体はコンピュータと長くつきあうようにはできていないのですよ。大人になって始めた私でも体を痛めるのに、小さいうちから長時間、コンピュータの前に座っていたらどうなるのか、それはこれから10年後、20年後になって初めて結果が出る問題なのだと思うのです。
そうした負の部分を、いたずらに騒ぐのではなくきっちり見据えた上で、子供とコンピュータとの関わりを考えて行かないといけないと思うのですが…。[1998/06/05
04:16:54]
お名前: ひぐち
つづき
子供の理科離れについては、今日の講演で質疑がありましたが、長谷川さんは「心配いらない」と言ってました。
子供たちの方が数段PCの使い手としては上手になり、大人たちをリードするし、それがこれまでの既成としての理科ではない技術の方向を生み出すと、(なにやら手塚の漫画で子供とマシンが世界を征する?ありませんでしたか?)
長谷川慶太郎が何をいわんとしたか?私のつたない数行の文章で読みとるとは・・・・・・・・・・・・・・・a na
ana ot or osi ya(ン!何語)[1998/06/04 23:01:26]
お名前: higuchi
I'm rather fat now!
just now !
put a mark on my PC'bookmark(^^)/[1998/06/04 22:38:46]
お名前: 宇野 みれ URL
東南アジア青年の船に参加したのは、私も大学4年の9月〜11月でしたので、結構、大変でした^^;。一般の学生でも参加できるって知ったのが、大学4年の春、もう2週間で締め切り、という状況で、あわてて健康診断を受けて、すべりこみで応募。1次は通過したものの、2次の面接であえなく落選(後で聞いたら、「協調性が無い」というのと、「面接室を出て行くとき、面接官が礼をしているのに振り向きもせずに出て行った」というのが、落選の決め手だったようで…^^;)、それでもインドネシアに(ただで^^;)行きたい、という気持ちは抑えられず「空きが出たら声をかけてください」と手紙をだしたのです。
そしたら「空き」が出たんですねぇ。やはり大学4年の参加者が国家公務員試験の一次を通過したので辞退、私は、出港の2週間くらい前に急遽、再度面接を受けて参加が決まったのです。私も大阪府の高校の英語の教員採用試験の一次に受かっていたので、家族にも友人にも、随分、反対されました。「将来のこと考えているのか」って。
当時は、女子大生なんて、土砂降りでしたから。というか、「え、就職するの」って感じでしたから。
帰国すると案の定、全然、就職口はなく、就職試験は受ける端から落とされ、で、知人のツテで当時、神戸にあったインドネシア総領事館に勤めました。ほんま、縁というものは恐ろしい…。仕事はビザのはんこ押しでしたが、その10ヶ月でインドネシア語を覚え、その後、試験に受かって、子供の頃からなりたかった新聞記者になりました。
船と領事館のときの短い体験が、私のその後の生き方や考え方の原点となったと思います。
アジアの友人たちには、精神的に随分、支えられました。私が新聞記者になって喜んでいるときに、日本の友人って、「体大丈夫?」とか「結婚どうするの」って、否定的なことしか言わないんですよね。アジアの友人たちは、「みれがチャレンジングな仕事をするのは、私もとても嬉しい」と励ましてくれるんですよ。記者として芽が出ず(はは、
これはついに16年間ずっと出ませんでした…)落ち込んでいるときに、タイに遊びに行ったら、船のときの仲間が「私は占いが得意だが、おまえを占うと将来、有名なジャーナリストになると出た。将来の有名なジャーナリストの友人であることを誇りに思う」と、変な慰め方をしてくれるのですよ。どこまで仕事と割り切ればいいのか、と悩んでいたときは、インドネシアの友人が「みれ自身を一番、大切にすればいい」と言ってくれました。精神的に一番、苦しいときに支えてくれたのって、こうしたアジアの友人たちの言葉でした。
子供と主婦が情報社会の主役というのは納得します。両者とも、自己実現の場がないのですよ。投書欄の担当をしたことがありますが、心にすとんと落ちる投書は、女性と子供からのものが多かったです。おっちゃんたちは、麗しい文章で立派なことを書いてくるのですが、その背後にその人の顔が見えない、なぜ、その人がこう思うようになったかが伝わってこない。
女性の投書は、投書というよりも、心のつぶやき、さけびみたいなものが多かったです。
本音で書くんですね。投書というよりも壁に語り掛けるように書く。実際、投書の採用の際に電話をすると、「え、読んでくれたんですか。誰も読んでくれないかと思った」と言う人も多かったです。
とーちゃんは、幻想かもしれなくても、会社で、仕事で、自己実現をしている、と思いこむことができる。しかし、現在の社会は結構、専業主婦に冷たいので、主婦はやり場のない思いを抱えているのです。
パソコン通信にしろ、インターネットにしろ、簡単に自己実現の場を作り出すことができるので、行き場の見つかったパワーの発露は、凄いですよ!
私自身、結婚、出産、育児で、仕事は続けていましたが、会社と家庭の往復、ずっと自分の時間というのがとれず、たまっていたパワーが炸裂したのが、5年前でした。パソコン通信は長かったのですが、7年ほど遠ざかっていたのが、また、一気に開花、という感じで。さすがに以前ほどのパワーとエナジーはないですが…。
日本の技術力については、モノを作る技術者であったダンナと共に憂えています。ダンナいわく今の最新技術の種は、みな、20年前に蒔かれたものであるそうです。1つの技術が育ち成熟するには20年かかる。であるなら、20年後の技術の種は、今蒔かないと、20年後ではもう間に合わないわけです。でも、いま、教育でも理科離れが進み、小学校から理科がなくなって生活科になってしまった。大学も理系に人気が無い。せっかく理系を出ても、バブルのときは、製造業ではなく、金融に流れてしまった…。種を蒔かず、苗を育てず、今の木の実を見て、「ああ、立派だ、よそにない」と言っても、仕方ないと思うのです。
私の友人の中国人は研究者になろうと日本の大学に留学してきましたが、研究の内容よりも「協調性」を大切にする現場に見切りをつけて、今、日本で自分で会社を起こしています。
「中国のビル・ゲーツになる」っていうのが口癖ですよ。日経で若い会社員の「理想像」の1位が釣りバカ日誌のX社員でビル・ゲーツなんてほとんどいなかった、というのを見て、あ、こら、日本もあかんなぁ、と思いました。
アジアの学生たちは、もっと元気で、良くも悪くも、もっと国を背負っていて、もっと前向きなのが多いですよ。日本の昔の姿です。追いつけ、追い越せで、日本の経済成長を支えてきたのもそういう若者たちだったと思います。
私にアジアの友人が多いのは、話していて元気になって、自分も頑張らんとあかんなぁ、って思えるからだと思います。
おっと、また、長くなってまった…。[1998/06/04 21:32:07]
お名前: ひぐち
みれさん
今日は久々に早い帰宅です。午後からKM協(神奈川マルチメディア産業推進協議会主催の講演に行って来ました。この組織はマルチメディアを活用したベンチャービジネスを育成する事を目的に3年程前に設立したものです。
今日の講演者は長谷川慶太郎さんの「日本経済再来の条件」でした。
その中で真の情報化社会到来の一つの条件として(条件というより時間の問題で到来)公共料金の自由化が上げられていました。これは交通費も電気料金、水道料金などが季節・時間帯、事前予約の時期によって料金が変わる(すでに航空、JR等は一部サービスを開始)とPCとネットワークを最大限に利用した個々のライフスタイルが発達する、という話でした。
すでにみれさんのお宅では、そのようなスタイルになってるようですが、どこのお宅でもいずれそうなると力説してました。
情報化社会の主役は、子供と主婦とのことでした(おじさんは、どうすればいいのヨ、益々肩身が狭くなるのか)
本題の「日本経済の再来」は、今が底であり日本の技術力はたとえば工作機械、金型、液晶、カーナビ等に代表されるように日本だけしか持ち得てなく他国の追従を許さないのではないか!
もう一つ印象的だったのは、これまでの常識が非常識になり、非常識だった事が常識となる(経済社会において)でした(注:居眠り混じりでしたので・・)
アジア青年の船は、私も参加したかった。
がその頃の日本経済は、ようやくオイルショックから立ち直りかけている時で、それに単身赴任地の広島から帰って来たばかり、娘は3歳、とても家族にも上司にも相談出来る状況ではなかった。
が、押し切っていたら会社は首、カミさんからは三行半・・・・・・・・・・・・だったかもm(^^)ネ
みれさんと田中先生、なにかの縁だろうなー[1998/06/04 19:51:19]
お名前: 宇野 みれ URL
ひぐちさま、
東南アジア青年の船のリユニオンは、時期は決まっていないけど、5日分のスケジュールはもう決まっているのですが、中2日はその湘南国際村に泊まります^^;。最初と最後は、船のときにも泊まった、懐かしの(おんぼろの)代々木オリンピックセンターです。
鎌倉と逗子のエクスカーションが予定されているようです。私はダンナとチビを連れて一家で参加しようと思っています。
東南アジア青年の船のプログラム中、私はあまり活発ではなく、そう、友人もいなかったのですが、昨年9月に同期のホームページを立ち上げてから、急に、また、ネットワークが広がりました。お互い、「そういや、いたっけ?」程度(いつも手元に当時の顔写真入りのプログラムを置いています)だったのが、新たに「出会う」のですよ。
ホームページを立ち上げたのは、私が英語のホームページを立ち上げて、フィリピンのメンバーの電子メールを教えてもらって「見て見て」とメールを打ったとき、アメリカに住んでいる一人が「船のホームページを立ち上げるのが夢だ」と言った一言がきっかけでした。
「じゃ、ちょっとやってみようか」って軽い気持ちで作り始めたのですが、皆がすごい喜ぶので、結構、手をかけて育てました。
お互いの国の中のメンバーでも疎遠になっていたのが、急にコミュニケーションを始めたようです(アジアにも「同窓会のお年頃」ってあるんですねぇ…)。
簡単なBBSを備えているのですが、昨日のことのようにプログラムの話に花が咲いたり、「中学生の息子がたばこ吸ってた…。
どうしよう」なんてお母さんの悩みが出たり。フツーの井戸端やってます。
オーストラリアに渡ったきり、フィリピン仲間とも音信が途絶えていたフィリピン・メンバーがオーストラリアからアクセスしてきたときは、盛り上がりました。いつもはきちんと英語で書いているフィリピンのメンバーの間でタガログ語が飛び交って。よっぽど嬉しかったんですね。
このホームページ(http://www.harapan.co.jp/SSEAYP79.htm)は全文英語ですが(一部、インドネシア語が紛れ込んでいたりする…)、私も英語が苦手なので、プログラム当時と現在の写真が中心です。
当時18〜30歳だった「青年」も、いまや38〜50歳の立派なオジサン、オバサン…。
ルイスの「オジサン」写真もハッピー・リユニオン・コーナーにありますよ![1998/06/04
16:08:44]
お名前: ひぐち
朗報!
全国同窓会Web「この指とまれ」の学校整備担当の伊集院さんから、mailが届いていました。
今週末の猶興館同窓会へお祝いのメッセージをレタックスで入れてくれるそうです(^^)
今日は幹事と学年幹事でオランダ大使館を表敬訪問して、当日の事前打ち合わせと、来られる広報文化担当官の方にお会いしたと連絡がありました。イヨイヨ私の出番です。
日増しに参加希望者も増えており予想外の展開がありそうです。
乞うご期待!(^^)(^.^)(^。^)(^^)
みれさん
リユニオンの20年記念会合が鎌倉で!・・・ですか。
イヨイヨ近くなりましたネ、鎌倉からYRP(横須賀リサーチパーク)まで20km足らず、途中にはSIV(湘南国際村)があります。ここは国際学術研究交流をテーマ事業にしておりますのでリユニオンにはもって来いでしょう。区域内の住宅は交換留学生の受け入れを街づくりの一環にもしているようですし、村長さんは前神奈川県知事の長洲さんです。20年前のリユニオンの支援メンバーには、入ってしませんでしたか?
鎌倉、逗子、葉山、横須賀はショートエクスカーションには適地です。
横須賀市は元々外国人の多い街でもあり国際交流事業には力を入れている自治体でもあります。澤田市長は「海の手文化都市」をテーマにもしています。
県市ともに国際交流には力を入れていますし、ホームステー受け入れのボランティアも発達しているようです。
YRPでも東南アジアの研究者を受け入れる体制を検討していますので、早ければ来年には、居るかもしれません。
現在は、この春から博士課程の学生さんが大勢ここに詰めています。
研究実務者は、USA、スウェーデン、フィンランド、日本の人達です。
みれさんの為ならエンヤコーラ(^^)
いろいろと智恵とネットワークを生かして・・・・・・ウーン楽しみだなー[1998/06/03
22:49:06]
お名前: 宇野 みれ URL
ひぐちさま、
私のほうも、来年が東南アジア青年の船の私たちの年の20周年となり、リユニオン(同窓会)を日本で開くことになっているので、準備が始まりました。私は青年の船のホームページを開いている関係で、なぜか通信係になってしまった…。アジアの経済状況が日本も含め厳しいので東南アジアメンバーは参加できる人も限られていますが、日本人は夏休みがいいと言い、アジアはゴールデン・ウィークにと言い、アメリカに渡ったメンバーはまた別の時期を、と、結構、大変です。場所は鎌倉で5日くらい、子連れ参加が多いので、ついでに後、子供をホームステイで残す交換プログラムの実験をしないか、という話も出ています。
なんせ、参加当時18〜30歳だった元「青年」は、今や38〜50歳…。高校生、大学生の子供がいるメンバーもいます。
青年の船のホームページを立ち上げたのは、昨年の9月でした。私は、あまりプログラム中も活発ではありませんでしたし、その後、あまり連絡も取ってなかったのですが、英語のホームページを立ち上げたもので、アクセスして欲しい、と、フィリピンのメンバーのアドレスを聞いてメールをしたのです。すると一人が「船の同窓会のホームページを立ち上げるのが夢だ」というので、「じゃ、ちょっと作ってみようか」って、軽い気持ちで始めました。
でも、みながあまりに喜ぶし、東南アジアのメンバーのアクセスが多くて嬉しくなって色々手を入れています。ここほど立派じゃない簡易BBS機能があるのですが、オーストラリアに渡ってずっとフィリピン仲間とも音信不通になっていたフィリピンのメンバーが、なんとオーストラリアで警官になっていて、パートタイムで軍隊でも働いている、と軍のネットからアクセスしてきたときは、日ごろ、英語で書いているフィリピンの仲間でタガログ語が飛び交っていました。本当、嬉しかったんでしょうね。
それやこれやで、それぞれの国内でも連絡が絶えていた仲間たちとのつながりが復活して今度のリユニオンは楽しいものになりそうです。
今、仲の良い仲間は、船のプログラムのときは、ほとんど話したことのない人が多いというのも面白いものです。船で出会って、後でまた、何度も出会いなおしているのですね!
国内の仲間への連絡の手紙を発送して、ほっとしている、みれでした…。[1998/06/03
20:39:32]
お名前: ひぐち
土曜日の同窓会の準備も盛り上がりの熱気が伝わってきます。
事務局メンバーから電話とFAXで手元へメッセージが届いて熱気ムンムンの様子。平戸、佐世保、東京、千葉などからです。
心配してた参加者数も予想では昨年以上になりそうです。eーmailと「この指とまれ」が効をせいして今回無理でも来年の参加と企画のイメージが出来つつあります。
昨年苦労したから今年はのんびり参加のつもりが、早出になってしまいましたm(^^)m[1998/06/02
20:08:21]
お名前: 宇野 みれ URL
田中先生、ひぐちさま、
薬局のおじさんのお話、面白いですね!(見ていたら、出てきてくださいね!)
「ぴんとこらっさん」人が多い、というのは、別に地域や年齢は関係ないと思うのですよ。
私しゃ、そら、まあ、もう、ええ歳ですが(といっても、ひぐちさんよか若い^^;)学生時代の友人が、やっとここ数年で何人か電子メール使えるようになったか、という感じです。
前の職場は新聞社という、端から見たら「情報時代の最先端」ってところですが、実は、やっと電子メールアドレスを配布する、せん、という状況で、私よりももっと若い人でもメールは使うようになっても「ぴんとこらっせん」という人がほとんどなのですよ。
「そんな時間ない。忙しい」言うて…。
結局、その面白さを知るかどうか、はまるかどうか、ということなのだと思います。
実際に、画面を見せると、「こんなことができるのか」って、乗り気になる人は多いです。
しかし、町長にそういうオルグをかけるおじさんがおり、地元出身のデザイナーがホームページを作成するというのは、先端じゃないですか! 時代だからって、適当に業者にホームページの作成頼んで、広告塔みたいなホームページ、ひらっと掲げている自治体、会社、組織というのが増えてきましたが、中途半端なホームページだと、かえって、「これだけしかPRできるものないの」と、恥をかいてしまいます。
一番必要なのは、素材に対する愛情と、「これだけは伝えたい」という熱い思いなのだと思うのですよ。
私が、六島のホームページが好きなのは、田中先生の熱い思いや、島に住む人たちの気持ちが伝わってくるからなのです。「顔の見える」ホームページなのですよ。
宮崎でもホームページは盛んになっていますが、結構、県北が盛んです。その中でも、椎葉村という山村は盛んですよ。もともと県北でホームページが盛んになったのは、椎葉中学にJETの英語教師として来たエリックさんというアメリカの青年が、当時、日本でもあまり一般的でなかったホームページ(http://www.mnet.or.jp/~erikkass/)を英語で制作し、それに周りが触発されたからだそうです。エリックさんは、表紙で高らかに、Shiiba,
like the rest of inaka (rural Japan) is where Japanese culture has its roots and where
even today, draws its strength from.
The key to understanding Japanese culture lies out in inaka, not in places like Tokyo or
Osaka. The goal of this website is to provide you with a new way of looking at Japan.
と歌い上げています。椎葉は、実は日本よりも先に世界にデビューしちゃったという…。
椎葉中学は100人くらい生徒がいますが、その半数以上が寮生活をしています。
エリックさんは、「12の歳に家を出て、大学を出る頃には人生の半分以上を家から出て過ごしている子供たちが、果たして帰ってくるだろうか」というシビアな問いかけをしています。
六島は学校は小さいけど、皆、中学までは家から通えるのかな?
椎葉中学のホームページ(http://www.edc.miyazaki-u.ac.jp/~ujino/shiibaJH/index.html)も面白いですよ。
ここのようにテーマ別ではありませんが、来校者リストという形の掲示板もあります。
一度、遊びにいってみてください。中学2年生の歌う「ひえつき節」の音声データ、いいですよぉ!
[1998/05/31 18:36:57]
お名前: ひぐち
みれさん>私の母校わかりました。そうでした高校が平戸で小中は松浦市と小値賀です。親父の転勤で転々としておりましたもんで・・・・・昨日、一時在学も含めて「この指とまれ」の登録が終わりました。どこも私が年長者?
気持だけは若いんですが?
タナカ先生>小値賀のインターネット環境も進みそうですか?
「ぴんとこらっさん」人が多いのは年齢層が高い地域のせいですかね?
薬局のおじちゃんの様に以前は小値賀の人は先進的な人が多くいる地域として有名でしたし、歴史的にも多彩な人材や産業等に貢献した所ですよ。
ここ横浜金沢では、域内の人口が約22万人の内メールアカウントをお持ちの方がおおよそ3千人(事業用を除く)くらいでしようか、60歳前後の方も大勢いらっしゃいます。お話をお聞きしますと「自叙伝を書きたい」「海外にいるお孫さんと交信したい」「近くにいない昔のおなじみさんと会話がしたい」「趣味と実益を両立させたい」「電話と手紙の両方の良さを持ってる」等々で、可能性を模索なさってる段階でしょうが、皆さん共通して通信手段のメインに置いてらっしゃる事は間違いないようです。
まだまだ今のPCの扱いは厄介ですね、タナカ先生のような方が小値賀に2−3人いらっしゃればなんとかなるんでしょうがね。「ぴんときてもらわないと手遅れですよ」・・・・・・・「宮崎の青い空海」も「小値賀の青い空海」も「横
浜の空海」も時を越えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・∞☆★∞[1998/05/31
13:32:03]
お名前: タナカ
今日は土曜日だったので午後から小値賀へ行きました。
ご飯を食べたあと薬局で買い物をしていると,薬局のおじさんから,「学校の先生?」とたずねられ「はい,六島です。」と答えると,ちょっと奥へいって,分校のホームページをプリントアウトしたものをもってこられました。
検索されていて見つけられたそうです。
そのあとはインターネットの話になって,「町長にも(インターネットの)話をしているけど,ぴんとこらっさんもんね。」(言葉はちょっと違うかもしれません)と。
私よりもお歳もずっと上の方なのですが,話をしていると,町のためにインターネットが活用できないかと考えておられるのではないかと感じました。
離島の小さい町ですが,だからこそ,何とかしたいという気持ちが強いのではないのかなと思いました。
小値賀町のホームページは小値賀出身のグラフィックデザイナーの方が作られる予定だそうです。
[1998/05/31 00:35:32]
お名前: 宇野 みれ URL
ひぐちさんの母校ってどこかな、と思ってたんですが、今日、この指とまれ!を散歩していて見つけてしまった…。お近くだったんですね![1998/05/30
21:34:30]
お名前: ひぐち
みれさん
いつも貴重なアドバイスありがとうございます。Home Town は一度Harapan サイトからジャンプして訪問した事があります。多くの方を引き寄せるまたは引きつける魅力を感じますね。
みれさんからのアドバイスはオランダ商館復元計画のメンバーhttp://member.nifty.ne.jp/AGOKAZE/ さんへ伝達しておりますのでアクセス等ございましたら宜しくお願いいたします。
face to face from YOKOHAMA[1998/05/30
20:32:30]
お名前: 宇野みれ URL
ひぐちさま、平戸のオランダ商館復活計画、面白いですね!
地域起こしの仲間で、「まちむら80字ニュース」というメールマガジンを発行している名屋さんという青年がいます。Home
Town(http://member.nifty.ne.jp/Town/)というホームページを立ち上げており、そこから無料で購読できます。
地域政策専攻の大学院生当時にホームページとメーリングリストを立ち上げたのですが、種屋さんに就職して社会人1年生となった今も、頑張ってメールマガジン、続けています。
彼にその情報を流したらいかがですか? 情報収集には苦労しているようなので、自前の「特派員ネットワーク」を育てるよう、アドバイスしているのですが…。
彼自身が興味を持つと、手厚く取り上げますよ!
六島の皆様も、身近な話を是非、投稿してあげてください。
メールはpxn13321@nifty.ne.jpです。[1998/05/29 22:40:00]
お名前: ひぐち
昨日はいいお天気でしたが今日は雨風の荒れ模様です。日曜日は回復の予報です。
「この指とまれ」をたよりに来月の同窓会への参加案内と当日の準備の進捗状況など問い合わせしました。
みれさんの「インターネットと地域活性化論」をネットで体感しました。
昨年のテーマを引き継いでくれた事務局と平戸のメンバーの働きかけが「この指とまれ」を接点としてネットワークとトーキングが広がり、思いがけない展開をしております。
平戸ではボランティア組織による「オランダ商館復元計画」を進めており、これまでは地元中心に協力の呼びかけをしておりましたが、同窓会の東京と大阪支部へ積極的に出ていこうとしているところでした。
当初は事務局の一人がチラシを持参して寄付を募る予定の様でしたが、当方からのアクセスで東京側の受け入れ状況が伝達され、数回の意見交換で双方ともに、よりよい企画に立ち上がっております。
当日の予定ですが、オランダ商館復元計画コーナーを設置してパネル展示敷石の見本展示、趣意書(計画概要)の配布、大使館の広報文化担当官の招聘などを準備しています。
これをきっかけに互いの交流が活発になり、形と分厚い調査報告書だけの地域振興策でない真の地域性と活性化の原点になるのではと期待してます。
昨年立ち上げました。今!融合(猶興)の時`ひらんど’サヴタイトル「イメージアイランド”ひらんど”で融合の夢を!」でしたが昨年に引き続き地域間の交流が課題として浮き上がっております。
「12の輝く瞳」も地域間や世代間、距離と時間の垣根を取り払った親密で信頼性の高い交信が、一歩一歩確実につづいております。
6月6日の様子などは、ここで報告いたします。いずれオランダ商館復元計画推進メンバーにも登場して頂きましょう。[1998/05/29
13:16:47]
お名前: タナカ
「この指とまれ!」情報ありがとうございます。
「メールアドレス登録なし」制度で、分校の子どもたちも登録できるようになります。
今度「この指とまれ!」のページを見せて、子どもたちに話をしたいと思います。
島の方々にも登録していただければ島を離れていかれた方の登録も増えるかもしれません。
分校が閉校になる前に増えてほしいです。[1998/05/29 10:03:52]
お名前: 宇野 みれ URL
「この指とまれ!」から「2周年記念」のメールが来てましたが、まだ、2周年、小学校の部ができたのは、なんと、昨年12月からだったのですね! 2年でこれだけ成長するとは、楽しみなWebです。
7月からは、「メイルアドレスなしでの登録」制度が始まるそうです。
メイルアドレスを持っていない人でも、ゆびとまIDを申請して、その専用IDを使って登録できるそうです。
ということは、メイルアドレスのない、現在の分校の児童・生徒6人も登録できる、ということではないですか!? お父さんも、お母さんも、お兄さんも、お姉さんも、六島分校の出身なら、みんな登録できるということじゃないですか!?
やはり、母校のあれが今どうなってる?などというのは、関心事でありましょうし、現在の子供たちがメンバーとして登録していると、OBの登録も増えるかも…。
私は母校の中学の近くに住んでいるという同じ中学の出身者に「体育館は無くなったけど、塀は残ってる」などと聞いて、急に4半世紀前の母校の面影が頭の中を駆け巡り、懐かしく思ったものです。
また、他の学校でも、私は木が好きだったので、あの学校の大きなユーカリはまだ元気だろうか?とか、あの学校の大きな柳はまだ切られていないだろうか(原爆の時に、木陰に、逃げて来た被爆者を寝かしていたと聞いたことがあります)とか、大学の裏のやたら大きな花をつけていた椿はどうなったのだろうか、と、木のことが気になることが多いです。[1998/05/28
21:02:18]
お名前: ひぐち
みてきました(^^)ょ
同窓会Web「この指とまれ」の六島にHPマークがついてますね。卒業生ででも一時在校生でも職員でもない私には登録できない(。...。...)。
インターネット聴講生なぞがあったら、即登録したいです(^。^)ょ
猶興館で登録をしてパスワードを取得、登録者の内在京者にメールを出しましたら返事と参加の回答がありました。うれしいですねー
メンバーはメカとソフトに詳しい人もいるようですから、近い内にネット上で懇親会を開いて挨拶とか物産展、抽選会、ゲーム等やりたいですね。
なんせ我が母校は、120年(2年後)の伝統が邪魔しており若い方が参加しずらいとの声が聞こえいますので、
[1998/05/24 23:01:54]
お名前: 宇野みれ URL
田中先生、
「この指とまれ!」を見に行ったら、ちゃんとHPボタンができていて、押すとこちらにジャンプしましたよ!
ただ、なんと、六島分校のメニューが、
小値賀町立小値賀小学校六島分校
小値賀町立小値賀小学校大島分校
小値賀町立小値賀小中学校六島分校
と3つもできていました…^^;
中学校で検索すると、六島分校の名前は出ないようですし…。
一度、このあたりを「この指とまれ!」の事務局と相談して整理したほうが良いかもしれませんね。
せっかく誰かが登録しても、分散されてしまうと残念ですから…。
ひぐちさま、
インターネットやホームページは基本的に非常にアナーキーな世界で、それなりの怖さも秘めている代わりに、それ以上の素晴らしさも秘めていると思うのです。
地域や団体など、コミュニティとしてホームページを運営するときの難しさは、その辺にあると思います。ホームページって、作っている人の顔や考え方が、モロ出てしまうのです。
そしてそれが魅力にもなれば、つまらなさにもなるのだと思います。
学校や行政などは、担当者が変わりやすいので、どうやって継続性を持たせて行くかが難しいと思います。
結局、担当者一人に負担がかからぬよう、応援団が必要なのかな、と思います。そうした意味で、出身者って、良い応援団になってくれると思うのですよ。
内と外とで呼応して、良いほうに発展して行くと凄いだろうなって楽しみにしています。
月刊六島新聞を「この指とまれ!」の同報機能を利用して町内や出身者に配信したら、こちらの手間はあまりかからずに、喜んでもらえるとか…。
といいつつ、田中先生の時間取っている気がするなぁ…。[1998/05/22
15:31:43]
お名前: ひぐち URL
みれさんには、いつもフォロー頂きましてありがとうございます。
ハラパンメディアの「インターネットと地域活性化論」は、HPは情報発信の大切な手段であることと、もう一つはコミュニティーを形成して地域の活性化に貢献する。と私は受け止めております。
長年街づくりと建築計画に取り組んでおりますと、一番大切で困難なことはコミュニティーの形成にあると痛切に感じております。
新しい手段としてインターネットは欠かせない社会になることでしょう。
街の道路・公園・建物はインターネットの世界ではホームページがそれにあたります。
コミュニティーの形成は、自治活動などの手段として施設を活用した会議とか電話、話し合いなどですが、それに透明性のある掲示板等を常時活用することで即応性が出て来ます。それとなんといっても素晴らしいのは、遠くの方や経験者、そして学識者など幅広い分野から意見やアドバイスを受けて運営され、偏った方向へ向かない安全性を秘めております。
一言でいえば、どんな小さな社会も世界中の人が見守ってくれ、大きさや力ではない、街も人も個性(=パーソナリティー)が輝くLANDが芽生え、育つと考えております。
またまた長くなってしまいました。お許しあれ[1998/05/22 13:00:40]
お名前: 宇野みれ URL
ひぐちさま、田中先生
ひぐちさんのPRでアクセスが増えるといいですね! ホームページはアクセス数のみで生きるのにはあらず、ではあるのですが、また、単にアクセス数を増やすためだけに、客寄せ対策をするのは無意味だと思うのですが、内容に自信があるホームページは、一人でも多くの、それもその情報、内容が本当に役に立つ人に見てもらいたい、というのは、やっぱり人の情です。
と、さんざん、弁解めいた前置きをふっておいて、最近、私はbiglobeの検索エンジンNETPLAZAにハラパンのホームページの各コーナーをせっせと登録しております。
この1週間で11コーナーくらい登録しました(ぼかっ!)
ハラパンのホームページは、名刺代わりというコンセプトですので、これまで、YAHOOなど大手の検索エンジンに登録したことはありませんでした。それでも、goo,infoseek,
exciteなどの検索ロボットは定期的に来ているようで、勝手に登録されており、それによるアクセスが非常に多いです。NETPLAZAは最初、検索ロボットでこちらのホームページをみつけ、「登録した。必要ならそちらで登録内容をカスタマイズしてください」とメールが来たのでどうせ載るなら、こちらの思うとおりのプレゼンテーションをしよう、と登録内容に手をいれたことからはまってしまいました。
ハラパンはダンナとやっているSOHO有限会社のホームページですが、プライベートな部分が増殖してしまい、ほとんど個人ページのノリです。おまけに翻訳、コンピュータ技術、オンライン・ブックストアから、宮崎、地域活性化、インドネシア、中国とカバー範囲が広く(単に「行き当たりばったり」とも申します…)ほとんど、それぞれのコーナーが独立したホームページの体裁を取っていますので、表紙ページで登録するときに、どういうカテゴリに登録すればよいのか、というのが、常に悩みの種でした。
で、インドネシアの部屋、インドネシア口語辞書、世界の言語、インターネットと地域活性化、Iターン奮闘記など、自分では自信を持っている(ぼかっ!)コーナーのインデックスページを個々に登録してみたのです。
なんだか、目に見えてアクセスは増えているようで、時節柄、「インドネシアの部屋」はアジア・カテゴリーのTOP20の9位にランキングされました。
このNETPLAZAは誰でも登録できます。選定キーワードは12、説明は200字以内、カテゴリーは結構幅広いカテゴリーの中から10個選定できます。登録すると確認メールが届くので、そのまま返送すると、だいたい次の日にはリリースされます。
私は他の検索エンジンに登録したことがないので、比較はできませんが、かなり、こちらの思ったとおりのプレゼンテーションができると感じています。
大きな検索エンジンではいくら登録しても埋もれてしまいがちですが、ここは規模が大きすぎも小さすぎもしない、適正サイズだなと感じました。
URLはhttp://netplaza.biglobe.ne.jp/index.html
URL登録変更メニューを選択して新規登録、メンテができます。[1998/05/22
11:50:24]
お名前: タナカ
今日は小値賀も良い天気でした。今日は本校へ交流学習へ行って来ました。
校長先生ともインターネットのことについてお話をしてきたんですが,予算面で厳しいです。
子どもたちがそれぞれメールアカウントをもてるようになるのは難しいみたいです。
数年後には全小中学校がインターネットに接続するようになりますが,その予算がついてから町も動き出すのかな...
小値賀町のホームページが今年か来年にできるらしいです。
今日,「ご近所さんをさがせ」の私書箱からはじめてのメッセージが転送されてきました。
みれさんの書き込みの中に「ご近所さんをさがせ」のことがかかれていたので,このタイミングに驚きました。
[1998/05/22 01:11:49]
お名前: ひぐち URL
みれさん、田中先生
今日は良いお天気でした。長崎は宮崎はどうでしたか、
今日の「地方自治体〇〇〇ユーザー総会」は盛況でしたよ、仕事と総会の休憩時間とタイミングが良くありませんでしたので皆さんにお会いできませんでしたが、長崎県の方お二人とはお会いしました、とても遠慮深い方で・・・・、
宮崎県の方とはとうとうお会いできませんでしたが事務局をとおしてみれさんの事は伝えました。
六島のHPはしっかり宣伝しましたのでアクセスがあるかも知れませんネ[1998/05/21
20:54:55]
お名前: 宇野みれ URL
おお、「この指とまれ!」に六島分校ホームページへのリンクが付くのですか! 楽しみです!
「この指とまれ!」にしても「ご近所さんを探せ」にしても、しっかりしているな、と思ったのが、メールを私書箱形式で事務局が転送するので、相手にはこちらが自分のIDで返事をするまでこちらのIDがわからないことです。そうした意味ではプライバシーの保護はかなりしっかりしています。
私の登録した大学は、大学部門のベスト20に入るほど、登録数が多いところですが(部門別のベストを掲載した統計コーナーもあります。宮崎の大宮高校もベスト入りしていた…)
これまでにメールをもらったのは2件。二つともプライベートなものでした。1つは随分、上の先輩から「若い人が入るようになって嬉しい」(!?40歳が若いかねぇ…)というもので、1つは卒業年次が近い人から人違いで来たものです。この人とは、お互いメール交換をしてホームページの相互訪問などしています。まだ地元に残っている人なので、卒業後に移転した新キャンパスの状況や旧キャンパス周りのまだ残っている喫茶店(ローカル…^^;)の情報など教えていただきました。
インターネットはアナーキーな世界で、何があるやらわかりません。反面、無限の可能性を秘めている世界だと思うのです。そしてその可能性というのは、ある程度のリスクを覚悟して打ってでないと広がらないものである、とも…。
どこでどう調べるのやら、毛生え薬(こらこら、まだ、髪はふさふさしているぞ!)やら「もうけ話」のメールもちょくちょく紛れ込みますが、まだ支障のでるほどではありません。
ところで、先日、書き忘れましたが、確か、「この指とまれ!」は長崎が発祥の地ですよ。
今はどういう組織になっているか知りませんが、最初はボランティアで始められたようです。
リンクの通知で、事務局の方とメールのやり取りをしたことがありますが、誠実な対応でした。
(最後の「!」を忘れてリンクを張ったので怒られてしまったけど…)。
リンクの紹介に「同報メイルの受信に同意している登録者には同報メイルも送れるので,上手に活用できれば,ふるさとだよりを送ったり,故郷の応援団を組織できそう」と書いてあったので「本質を理解してくれている」と随分、喜んでもらいました。
宮崎県のホームページは、国土庁の地域情報ライブラリ(http://www.nla.go.jp/chitos/9802_lib.html)の一時選考にも入っている、中身の濃いホームページです。きっとしっかりした担当者が行くと思いますよ。
この国土庁の地域情報ライブラリは、各都道府県,政令指定都市のアンケートで、推薦・推奨された地域活性化で頑張るホームページ213件から,事例として参考になるホームページを選定したものですが、有識者のコメントというのが、行政ホームページとは思えないほど率直で面白いです。夫婦して乱入していた宮崎の椎葉中学の公開討論が「面白くて思わず書きこんでしまった」などとあり、焦りましたが…^^;
はは、また、長くなりました![1998/05/21 10:48:52]
お名前: タナカ
「しましまネット」の情報ありがとうございます。このあとのぞいてきます。
きのう「この指とまれ!」でリンクのお願いをしてきました。
次回の更新では「六島分校」の横にHPマークがつくと思います。
ひぐちさん,長崎県の担当の方には,離島の小さな学校がみなさんに支えられてホームページを運営していますよ
とお伝えいただければと思います。[1998/05/20 23:54:24]
お名前: ひぐち URL
さすがのみれさん。
ドキッ!私の行動がチェックされていた。
「この指とまれ」の信頼性は、どの程度なんでしょうか?皆さん経験ありませんか?
「私はあなたの大学の後輩ですがお話聞いてくれませんか」・・・・と言う奴
ゴルフの会員券、先物、ファンド、海外の別荘地、マンション等々、数あげたらきりがない。
仕事中に事務所まで押し掛けてくる、電話はしょっちゅう、これが私は心配でみれさんの様に大学以降の登録は躊躇してます。
もっとも大学の場合はゼミ、研究室、部活の仲間以外は学生の頃よりつき合いは薄いと思いませんか?
同窓会も一度も参加なし、恩師の退官記念講演とか、ゼミや研究室の仲間がたまーに集まる程度。
故郷指向の強くなる年頃になると田舎の中学とか高校の同窓会、クラス会は、皆さん本気で青春して楽しいですね。
みれさん
如何でしょうか、私目はこんな見方で今はおります。これからのネット社会はきっと違うんでしょうね。
明日は、ここYRPホールで「地方自治〇〇〇ユーザー会」で全国の情報担当の職員が来ます。宮崎県はお二人、長崎県は5人の参加の予定です。
時間があったら探してお目にかかろうと思ってます。ご希望などありましたらメール下さい。
YRPのHPは古いままですが、デザイン一新に取りかかっております。
イベント情報など速報で出せるようにしたいんですが、どの程度できますか、まわりは先端のメーカーさんばかりですから、少し観点を変えて親しみのある地域性を取り入れよーと企画中。
デビューは来月中の予定、予算とコンテンツの作成に苦労しそうです。
制作者はほど遠くプロデュースだけです。[1998/05/20 21:05:19]
お名前: 宇野みれ URL
おお、ひぐちさんも田中先生も対応が早い!
そうですね、このホームページにリンクすると、インターネットの窓口が二つになっていいいですね!
今の生徒さんたちは、まだ、個人ID持っていないでしょうが、IDを取得したときに登録するようにすると、いつになっても、どこにいても、ネットワークが残ります。
しかし、あの掲示板は先生は登録できるのでしょうか???
アクセスする立場から言うと、恩師にも是非、登録してもらいたいところです。
私は、昨夏、大阪の実家に帰った時に久しぶりに南海本線沿線の母校の高校を車窓からながめたら、ちょうど百周年の看板が出ていて、急に、同窓会づいてしまいました。もう、中学、高校を卒業して20ン年、中学、高校時代の同級生とは、年賀状のやり取りも絶えてしまったのに急に懐かしくなって。
大阪南部の田舎の高校なので、よもやホームページは持っていないだろうと思ったら、100周年ということで立派なホームページがあり、電子メールアドレスの名簿もできていました。
私の年度は誰も登録していなかったのですが、後で、ホームページを見た、と同級生からメールがありました。
それで、「ご近所さんを探せ」(http://www.gokinjo.net/)で、今まで住んだことがある高松、広島、大阪、甲府、名古屋を登録したのです。同じ時期にダンナは「この指とまれ!」にはまっていて、「ええよ」とか勧めてくれていたのですが、こちらはちょっと参加するのが遅れました…。
丁度、私が参加した頃から、同窓会の人以外からもメールを受け取ることができるメールボックスが設置され、1カ月ほど前から、同窓生だけが参加できる掲示板が設置されています。
私の大学は登録者数で大学のベスト10に入っていますが、掲示板は運用が難しいのか、まだ書き込みはなかったです。
こういう同窓会Webは、所帯が小さいほど盛り上がるのではないかと思います。
ホームページネタが続きますが(財)日本離島センターの「しましまネット」はご存知ですか?
URLは、http://www.shimashima.or.jp/です。島々へのリンク集では、五島列島が登録されていて、その中に小値賀島のコーナーもあったのですが、中身は準備中でした。多分、コンタクトとれば、六島分校として登録できると思います。他に、掲示板や島の仲間たちのリンク集など、中身の厚いところです。[1998/05/20
18:01:23]
お名前: タナカ
みれさん,ヒグチさんこんばんは。
私も高校と大学に登録してました。そこでしばらく連絡をとっていなかった小学校からの友達を見つけてすぐにメールを出しました。「この指とまれ!」に分校ホームページをリンクしてもらいます。登録しないとできないでしたっけ。今からいって確かめてきます。[1998/05/20
00:19:23]
お名前: ひぐち
みれさん
早速登録させていただきました。
「この指とまれ」のことは以前から存じていましたが、今日改めて見ますとぐーんと内容が濃くなっておりました。とあえず高校のだけ仮登録しました。私は小、中、高で6校+α?でした。ご近所さん探せもユニークですネ
[1998/05/19 21:54:28]
お名前: 宇野みれ URL
六島分校の皆様、おひさしぶりです。
まー坊、トランペット頑張ってね(あ、場所が違うか…)。私は今ごろになって何か楽器をやりたい、と、時々、リコーダー吹いています。ところで、今日は「この指とまれ!」という同窓会ホームページのご紹介です。
このWebは無料で全国の小学校、中学校、高校、大学、高専、各種学校のコーナーを開いており、各学校専用の掲示板も設けてあります。
私は小学校は3つ行ったので、小、中、高、大と6校に登録しています。新たに登録者がいるとメールで通知してくれます。先日は、偶然、別のWebで知り合った人が同じ中学の出身で、その人にも勧めてまだ9人しか登録していない母校の中学に登録してもらいました。2人でその掲示板を盛り上げようね、などと言っているのですが…。
六島を検索してみると、「長崎 小値賀町立小値賀小中学校六島分校の同窓生一覧」と、ちゃんとコーナーが開設されていましたよ!
ただ、残念ながら、
===
まだどなたの登録もありません。
さぁ、あなたが最初の登録者になってください。
あなたに続いて、きっと誰かが..
母校を..
同窓生を..
恩師の先生を..
なつかしむ方々がご登録いただけると思います。
ここを見ているあなたにも、なつかしい再会と
同窓の皆様との心温まる交流がありますように...
===
とのことでした。
六島分校には立派なホームページがあり、六島倶楽部もありますが、インターネットでは、いろいろなところに広く窓口を開いておいた方が、情報が届きやすいと思うのです。また、ここのリストで、タグを埋め込んで、六島分校にはホームページがあるよ、とお知らせすることもできます。いろいろ活用法があると思うので、トライしてみませんか?
廃校、統合校についても、申請すると無料で旧校名のコーナーを設置してくれるそうです(母校の中学が統合され、校名が無くなってしまったダンナは、先日、申請したそうです…)。[1998/05/19
14:11:43]