第三回筝曲リサイタル
1991年12月12日(木)午後7時開演
芝・abc会館ホール
ご 挨 拶
本日は師走の御忙しい中、御来場賜り、誠に有難うござ
います。
三年に一回ずつ開かせて頂きましたこの会も、皆様の暖
かい御支援を頂き、第三回目を迎える事が出来ま
した。
この度は、恩師であります小橋幹子先生を始め、山口五
郎先生、山本邦山先生、森千恵子先生に御賛助出演頂き、
八橋検校、吉沢検校、宮城道雄という、各時代のあまり
にも代表的な作曲家の歌を唄うこととなり、それが思っ
た以上に大変な内からの挑戦となり、本日を迎えました。
御賛助の先生方の暖かい御励ましを力に精一杯演奏させ
て頂きます。
どうぞ最後までごゆっくりお聴き下さいませ。
柳井 美加奈
演 奏 曲 目
一、千鳥の曲 柳井 美加奈
尺八 山口 五郎
ニ、雲井の曲 柳井 美加奈
−−−−−−−−−−−−−−休憩−−−−−−−−−−−−−−
三、歎 詩 柳井 美加奈
十七弦 森 千恵子
尺八 山口 五郎
四、初 鶯 箏本手 柳井 美加奈
箏替手 小橋 幹子
尺八 山本 邦山

千鳥の曲
作曲 吉沢検校
作曲年代 幕末
しほの山
さしでの磯にすむ千鳥
君が御代をば
八千代とぞなく(合)
君が御代をば

(手事)
淡路島かよふ
千鳥のなく声に(合)
幾夜寝ざめぬ
須磨の関守(合)
幾夜寝ざめぬ
須磨の関守
この曲は吉沢検校が従来の古曲形式(筝が三弦に従属している形式)
から、三弦を離して筝のみの二重奏による「筝曲もの」として作曲
している。また「古今組」の一曲である。「古今組」とは歌詞を古今
和歌集の和歌より用いて、調弦を古今調子にする曲である。この曲の
撰歌に当っては古今集から一首、もう一首は百人一首からとってい
る。このように、古今集以外の和歌を用いているのは、後の「古今組」
の春、夏、秋、冬の四曲の最初の曲であり、「古今組」を確立する過
渡的な作品だからであろう。

雲井の曲              
作曲 八橋検校
作曲年代 1600年頃
一歌 人目忍の仲なれば、思ひは胸に陸奥の千賀の塩竃名のみにて、隔てて身をぞ焦がるる
二歌 忘るるや忘らるる、我が身の上は思はれで、仇名た憂き人の末の世いかがあるべき
三歌 たまさかに逢ふとても尚濡れまさる袂かな、明日の別れをかねてより思ふ涙の先立ちて
四歌 雨の中の徒然、昔を思ふ祈りから、哀れを添へて草の戸を、たたくや松の小夜風
五歌 身は浮き舟の楫緒絶え、寄る辺も更に荒磯の、岩打つ波の音につれて千々に砕くる心かな
六歌 雲井に響く鳴る神も落つれば落つる世の慣ひ、さりとては我が恋の、などか叶はざるべき

この曲の作曲者である八橋検校は今日一般的な生田流や山田流の筝箏
曲の基である八橋流筝曲を樹立し、「筝組歌」として伝えた。この
「筝組歌」は、表組七曲と裏組六曲の十三曲あり、この「雲井の曲」は
裏組の一曲である。曲名の「雲井」とは他の組歌十二曲はすべて「平
調子」であるのに対して「雲井調子」によって演奏される所に由
来している。
 *本日は第四歌を省略させていただきます。

歎 詩
作曲 船川 利夫
作曲年代 昭和四十五年
一、峨眉山月の歌                    李白
峨眉山月半輪の秋 影は平恙江水に入って流る
夜清渓を発して三峡に向かふ 君を思えども見えず渝州に下る

 秋唐清渓を舟出して、三峡に向かえば、峨眉山上、半月明らか
  に、その影は平恙江に映り舟と共に流れゆく。やがて三峡
  の山せまり、岸はそびえて明月は没し、月影を見るすべもな
  く舟は空しく渝州に下る。

ニ、易水送別                       駱賓王
此の地燕丹に別る 壮士髪冠を衝く
昔時人己に没し 今日水猶ほ寒し

 ここ易水の地は昔★★が燕の太子丹に別れた地だ。その折★
 ★悲歌を聞き、送別の士は皆目をいからせ怒髪は冠をつき
 ぬけたというが、当時の義士すべて歿して会う由もない。た
 だ易水だけはその日のままに寒々と流れている。

三、春日雑詩                       袁牧
此の地燕丹に別る 壮士髪冠を衝く
昔時人己に没し 今日水猶ほ寒し
 春の雨は花という花にそそぎ、山々は春雨にけっぶて詩人画
 人のえがくき出す絶景をおもわせる。山の上の春雲は、なまけ者
 の私に似て、日が高くなったというのに新緑の頂嶺に眠ってい
 るようだ。

四、事に感ず                       千墳
花開けば蝶枝に満つ 花謝すれば蝶還稀なり
惟舊巣燕あり 主人貧きも亦帰る
 花が咲けば多くの蝶がむらがり、花がしぼむと蝶もまれにな
 る。(同じように盛りの時に人々が集まるが、衰えてくると人
 々は見むきもしない。)ただ燕だけは古巣を覚えていて、貧し
 い主人のもとにも帰ってくる。

五、江南の春                       杜牧
千里鶯啼いて緑紅に映ず 水村山郭酒旗の風
南朝の四百八十寺 多少の樓臺烟雨の中
 江南千里、鶯はいたる処でさえずり、緑の若葉は紅の花に映
 じて春はたけなわ。水のほとりの村、山ぞいの町には酒屋の旗
 が春風にひるがえる。さてこのあたりは南朝の建都の地で、仏
 法興隆の当時建てられたという四百八十の寺院があちこちの
 堂塔のその名残をとどめ、そぼ降る雨に見えかくれしている。

タイトルの「詠詩」とは「詩歌を詠嘆する」という意味で、作曲者が作
曲者の好きな漢詩の中から五つの詩を選び、それぞれの詩の内容か
ら受けとった気分を筝、尺八、十七弦の三重奏にまとめた作品である。

初 鶯
作曲 宮城 道雄
作詞 大和田 建樹
作曲年代 大正三年
(前奏)
鶯の初音めづらし
梅一樹たづねて来鳴く(合)
鶯の初音めづらし
今日よりはつぎて鳴かなん
あすよりはなれて鳴かなん(合)
散る花の深さも知らで
残る夜の夢の枕を
鳴きさます声もこの声
(手事)
月かすむ夕山かげに
柴人のかへさおくりて
鳴き残る声もこの声
今日よりはつぎて鳴かなん
なれて鳴かなん

この曲は、宮城道雄が二十歳の時の作品である。鶯の鳴き声のさま
ざまな描写や鶯の谷渡りを描く部分など、標題音楽である。歌詞は
大和田建樹の詩集「雪月花」に所収の、当時最も愛誦された詩で五
七調で、鶯の初音を歌っている。