宮本顕治共産党葬のコメントとニュース
(宮地編集)
〔目次〕
1、立花隆『真っ先に民主集中制捨てよ』
2、後房雄『妥協して野党共闘に転換を』
3、yahoo『宮本顕治共産党葬』
4、共産党『厳かに故宮本顕治元議長の葬儀』8月6日
5、不破哲三『日本共産党中央委員会の弔辞』
6、志位和夫『葬儀委員長のあいさつ』
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『宮本顕治』ファイル多数
(注)、これは、朝日新聞8月7日朝刊が、「宮本元議長党葬」の関連記事として、「共産、再興の道筋は」というテーマで載せた立花隆と後房雄ら2人のコメントである。
「日本共産党の研究」の著書がある評論家立花隆氏
日本共産党が絶対の組織原則として守る「民主集中制」は、名称とは裏腹に民主的な制度ではない。党内の言論の自由を封殺し、指導部の絶対権力を保障する制度だ。
70〜80年代に欧州の共産党は自由な討論をもとに先進国革命の新しい方向(ユーロコミュニズム)を構築したが、宮本氏は正反対に民主集中制の規律強化を進めた。党中央に逆らう者は次々に除名や軌道修正(思想変更)をさせられ、共産党は誰も党中央に逆らわず、党中央の決定通りのことをおうむ返しに語るだけの組織になってしまった。
90年代、東欧革命とソ連崩壊で共産党がモデルとしてきた社会主義国が一斉に消滅し、政治経済モデルとしての社会主義の優位性も消えた。世界中の共産党が存続の危機に見舞われた。日本共産党も消滅の危機が迫ったため、04年の党大会で、それまでの宮本綱領と全く違う不破綱領を採択した。共産党はいわゆる「レーニン主義的革命」を目指す立場を捨て、あくまで議会で多数派を目指す党になった。私有財産を保障し、天皇制や自衛隊の存在も認めた。
しかし、その不破氏にしても民主集中制を捨てられずにいる。不破氏や志位氏は民主集中制の上に乗る方が地位が安泰だからだ。民主集中制を捨てれば党内で議論がわき上がって、2人はその地位を失いかねない。
参院選で日本共産党は3議席しか獲得できなかった。議会主義政党としては事実上消えたも同然だ。「たしかな野党」になれなかった。基本的に共産党の未来に望みはない。政策的に民衆の心をつかむ部分は多少あるから、地方選レベルでは若干の議員を出し続け、組織が何とか露命を保つことは可能だろう。だが、若い人がほとんど入ってこない政治党派に未来はない。
先進国市民社会に受け入れられる形で党組織を残すために真っ先にやるべきことは、民主集中制を捨てることだ。ヨーロッパの(元)共産党はとっくにそれを捨てている。それでも旧共産党の悪いイメージが強いヨーロッパでは生き残りに苦戦している。日本共産党も早く宮本時代の残滓(ざんし)を捨て去るべきだ。
(注)、朝日の解説囲み記事
民主集中制 共産党の組織原則。(1)党の意思決定は、民主的な議論を尽くし、最終的には多数決で決める。(2)決定されたことは、みんなで実行にあたる。行動の統一は、国民に対する公党の責任である。(3)すべての指導機関は選挙によってつくられる。(4)党内に派閥・分派はつくらない。(5)意見が違うことによって、組織的な排除を行ってはならない−の5点からなる。
欧州の左翼政党に詳しい名古屋大大学院教授後房雄氏
日本で共産党を一定の勢力にさせた中心的リーダーとしての宮本氏の功績は大きい。だが、イタリアでは指導者トリアッティの死後、世代交代でユーロコミュニズムに脱皮をしたのに対し、日本では宮本氏の次の世代の不破哲三、上田耕一郎兄弟が脱皮する可能性があり、他の野党とも70年代は連携したが、80年代に孤立路線を取った。
98年に不破氏が首相指名で民主党の菅直人代表(当時)に投票したのは宮本路線から一歩出る答申だった。「安保、自衛隊は現状維持で良いから非自民政権だったら入る」と踏み出した。
今の政策を変えるため野党で自民党を批判して妥協して野党共闘に転換をいても仕方ない、と国民も分かってきている。野党共闘に入る方針転換をした方が良いのではないか。ここ10年で党の苦境がはっきりしているのに独自色を言い張る。
衆院小選挙区は民主党だけでは勝てない状況もある。共産党が小選挙区に候補者を立てることで自民党を勝たせている、と有権者が見れば、共産党は邪魔だとなる。今は単なる死票ではなく、自民党を助けることになっている。
今度の衆院選が最後のチャンスではないか。自民、公明に対し民主、社民、共産と組んで勝てるなら共産党も意味がある。当選の可能性がない小選挙区に候補者を立てないだけでも良い。比例区は共産党に、と思う有権者はいるはずだ。妥協して野党連合に入るかどうかだ。
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