加々美光行著『歴史のなかの中国文化大革命』

書評 (岩波書店 2001

 

評者 経済理論研究者・中野英夫

 

 (注)、これは、『アソシエニューズレター2001年3月号』に掲載された、中野英夫氏の書評です。このHPに全文を転載することについては、中野氏の了解を頂いてあります。 健一MENUに戻る

 

四人の毛沢東がいる。毛沢東・毛泽东・毛澤東・MaoZedongである。毛沢東は、日本の中学・高校の教科書の中にいる。「中国共産党の指導者で中華人民共和国の創設者」である。毛泽东は、中国の農民と知識人の心の中にそれぞれいる。賞賛と反発、と評価は対極的だが、どちらも「農民上がりの秦始皇」であることには違いない。毛澤東は台湾人の恐怖心の中にいる。「全体主義体制の独裁者」である。最後のMaoZedongは、かつて西欧(および日本)の左翼知識人の観念の中にいた。「造反有理の思想家」である。

 

およそ三十年前、日本のジャーナリズムにおいては毛沢東かMaoZedongしか存在していなかった。そして、現在は毛泽东か毛澤東しか存在しないように見える。

 

加々美氏のこの著作は、毛沢東・MaoZedongを復活せしめた。もちろん、再び礼賛するためではない。文化大革命という空前の歴史的大事件において、毛沢東・MaoZedong(以下は、MaoZedongに代表させよう)の役割もやはり大きな意味を持っていたことを明らかにするためである。したがって、この著作は、文化大革命を中国共産党内の権力闘争としてのみ扱う、最近の研究動向に対してのアンチテーゼになっている。しかも、類書にあるような、党中央の人物を主軸にする書き方はしていない。ある一つの問題に徹底的にこだわるという著述スタイルをとっている。それは、紅衛兵運動における「血統主義」と「反血統主義」の対立である。

 

「血統主義」は中国共産党の人民支配の手段であった。人民を「紅五類」と「黒五類」に分け、プロレタリア独裁という大義名分によって前者の後者に対する支配を正当化したものである。建前では、人民の大多数である前者がごく少数の後者を支配するということになるが、実際は、少数の党・国家官僚が大多数の人民を支配するための手段に堕していたわけである。しかも、解放以前の「階級的出身」がその家族にまで及ぶという前近代的な観念すらまとっていた。

 

著者は、この「血統主義」に反逆した一人の紅衛兵に焦点を当てている。彼の名は遇羅克。父母が「右派」というレッテルを貼られた、「黒五類」の出身者である。文革の勃発とともに、「出身階級よりも政治的表現を重視せよ」という「血統主義」批判を打ち出し、その後の運動に大きな影響を与えた(著者は、広州での「血統主義」対「反血統主義」の闘争を紹介している)。彼は、「造反有理の思想家」MaoZedongの分身といってよい存在であったのである。

 

しかし、彼の「血統主義」批判は、もう一人の毛、すなわち、「秦始皇」たる毛泽东よって、実権派打倒という党内権力闘争に有効な限り認められたにすぎない。その目的が達成したとたん、彼は「反革命分子」として処刑される。なぜなら、この批判は、「紅五類」に属する個々人のみならず、党・国家官僚体制全体、そしてその頂点に立つ毛泽东への批判へと行き着く可能性を孕んでいたからである。

 

この限りにおいては、最近の研究に見られる、「文化大革命における大衆運動といったものは、党中央での権力闘争の手段にすぎない」という視角は、結局のところ正しいように見える。

 

しかし、著者は毛泽东の中にMaoZedongの思想もまた存在していたことを指摘する。それは、毛の著作や指令の中に見られる「主観的能動性の重視」や「プロ独下継続革命論」や「三大差別の撤廃」など、総じて「コンミューン主義的理念」と言われるものである。著者は、この理念がけっして建前だけのものではないことを、「奪権闘争」に対する毛の態度を実例として挙げている。「奪権闘争」に対して、林彪・周恩来は「軍・行政・生産の秩序維持」という立場から、「軍の介入・幹部の参加」を要請したが、毛は紅衛兵・造反労働者による直接的奪権を目指していたというのである。

 

こうした著者の見解は、文革の悲惨な現実が明るみに出た現在においても、妥当と言わねばならない。もし、毛が「秦始皇」・「全体主義体制の独裁者」でしかないなら、自己のライバルのみならず自己を支える機構までを打倒しようとしたのは、とうてい理解しがたいからである。

 

著者の視点はさらに現代の中国までに及んでいる。文革を「破壊と混乱」の時期として葬り去るのではなく、「大民主」というスローガンに象徴されるように、中国民衆が中国史の中で初めて政治的主体性を主張した時期としてとらえ、その底流は「民主化運動」に繋がっていったと、見ているのである。毛を「秦始皇」・「全体主義体制の独裁者」と批判し、彼の時代からの徹底的決別を唱える現代中国の知識人も、もう一人の毛、MaoZedongの子達なのだというわけである。

 

文革を「毛沢東晩年の誤り」として忘れ去ろうとしている現中共指導部、「党内権力闘争」としてのみ分析する「実証的」な日本の研究者、そして「全体主義体制下の狂気」としてそこからの完全な脱却を図ろうとする中国民主化運動のリーダー達、彼らは、文革の一面しか見ていない。この著作は、そうした時代の風潮に一石を投じたという意味で評価されるだろう。

 

とはいえ、不十分な点も残らないわけではない。それは、この著作が「秦始皇」としての毛泽东に、忘れ去られていた「造反有理の思想家」MaoZedongを対置させたにすぎないという点である。より重要なことは、なぜ、毛泽东MaoZedongが一人の個人の中に存在しえたかということではないだろうか。換言すれば、毛泽东MaoZedongの共通の基盤を探し出す必要があるのではないか、ということである。

 

その手がかりは、実は著者自身が与えてくれている。それは、前述した「コンミューン主義的理念」である。著者は、毛および毛派がコンミューン建設と国家権力の「背離性」にあまりに楽観的であったことを指摘しているが、むしろ、事態は逆なのではないか。農村共同体と専制国家の「癒着性」こそ広く観察される事象であろう。

 

ここに、「造反有理」の思想家と「秦始皇」が同一人物の中に存在している秘密があるのではないかと思われるのである。

 

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