謹賀新年

 

 昨年夏、木曾・赤沢自然休養林の山中を2日間登り下りし、たっぷりと森林浴を楽しみました。秋には、鈴鹿・国見岳に登りました。鈴鹿はどの山も嶮しいですね。私は、下りは疲れないのに、登りでは息があえぎます。妻はその逆で、登りをさっさと稼ぎます。

 

 HPは、夫婦・長男で計55万アクセスを超え喜んでいます。総選挙に向け、共産党のじり貧的瓦解5段階データ分析とともに、議席シミュレーションを初めて試みています。現有9→7議席に減るという推計です。もっとも、共産党議席が減るというような予想を出しているマスコミ・選挙アナリストは、現時点でまったくいません。ほとんどが増えるというシミュレーションです。はたして、有権者は最初の体験となる政権選択選挙でどのような投票をするのでしょうか。

 

 レーニン批判テーマでは、稲子恒夫著書『ロシアの20世紀』が出版されたことが、私にとって目から鱗がとれたような研究進展をもたらしました。レーニンが隠蔽し抜いた膨大な極秘資料を発掘・掲載した稲子年表・コラム内容とレベルから、私は、レーニンが最高権力者5年2カ月間で追求・完成させたのが、他党派殲滅路線による党独裁・党治国家だったという著者コラムと同じ結論に至りました。

 

 これら日本初の画期的なレーニン極秘資料年表の2007年出版がなければ、私の研究は、レーニン・トロツキーらが1917年10月にしたことが、社会主義革命でなく、臨時政府権力とソヴィエト権力という二重権力双方にたいする単独武装蜂起・単独権力奪取クーデターだったという認識レベルに留まっていました。しかし、この出版によって、レーニンが最高権力者5年2カ月間でしたことは、犯罪的な他党派殲滅路線に基づき、政治的民主主義・複数政党制・三権分立を廃絶させる反革命クーデターだったとする認識に至っています。

 

 レーニン・トロツキーらがしたことが、革命でなく、二重権力双方にたいする10月クーデターだったとするのは、世界・日本の研究者ほとんどの常識になっています。しかし、レーニンが5年2カ月間でしたこと全体を、それら人類がたたかいとってきた政治制度遺産にたいする反革命クーデターだったと性格規定する研究者は、まだいません。

 

 皆様のご健康とご多幸を願っています。

 

mel-ken@mxw.mesh.ne.jp  宮地健一

2009年元旦

 

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(写真は、昨年秋、宇治・源氏物語ミュージアム周囲一面のコムラサキシキブ)