はえある第一回を何にしようか、しばらく悩んだ結果、こんな形で始めてみようかと思う。
そもそも「みみずの体操」は、副題にあるように「ジャズとよもやま話し」、中でもとりわけ
ジャズもしくは音楽を語るホームページとしてスタートした。それが、10年たつうちに
すっかりよもやま話しに主軸が移って、めったなことでは音楽を語らなくなった。
そのことにわたし自身じくじたる思いがあるし、時々「語りたい」魂がむくむくと頭を
もたげては「早くここから出してくれ」とわたしを責める。
今のわたしに最新の最前線の音楽を語ることはとてもできないし、かつてのように
日記形式でレポートを綴っていくのも困難だ。そうは言っても、人様に読んでいただくからには
情報性も必要だろう。いやまて、書きたいと読んで欲しいはどっちが優先か?
対象とする五感を(事物を)広げ、客観的なレポートではなく、個人的な考察という形をとったほうが、
かえって気楽に書けるかもしれない。自分が体感したことを、何故? まで掘り下げて吐露してしまう。
「聞いた」「見た」だけではなく「食った」が入っても良いし、もしかしたら「触った」「匂った」
で語りたいことが見つかるかもしれない。それを読んでちょっとでも面白いと思ってくれる方が
いればそれは幸い、くだらなければ捨て置いてもらう。個人ホームページなんざ、
それで良いのではないか。
ああでもないこうでもないと、タイトル画像を作りながら、考えた結果の第一回である。
土曜ドラマ「ハゲタカ」
画像はAmazon.co.jpより。
架空の物語でありながら、微に入り細に入り重箱の隅までつつきまわして、
骨の髄までしゃぶりつくしたくなる作品というのがある。例えば世界を席捲している
「ハリー・ポッター」現象はまさにそれだし、
シャーロキアン(シャローック・ホームズ・フリーク?)は作者コナン・ドイルが亡くなって
既に70年以上が経過しているにも係わらず、まず地上から絶えることは無さそうだ。
わたし自身で言えば、かつて池波正太郎の「鬼平犯科帳」をもとに長谷川平蔵の
年代記を作ったり、複製の古地図まで買い込んで往時のお江戸を夢想したりした
(もっとも鬼平は実在人物であるが)。
「ハゲタカ」もまたそういう、ドラマから得られる限られた情報をつなぎ合わせて、
実際には映像に現れていない、人物・社会の相関関係や背景や、着ているもの
手に取っているものに至るまで、物語空間をありとあらゆる事象で埋め尽くして
そこに自身を置いてみたくなる、そういう作品のひとつだと思う。
土曜ドラマ「ハゲタカ」は2007年2月から3月にかけて、6週にわたって放送された。
見始めたが最後、絶対に画面から目を離すことができず、1回見終わるごとに次回を待望し、
今日が最終回だと思っただけで感無量になり、終わったあとはしばし呆然としていた。
内容自体は幸福感とは一線を隔した経済がテーマ、しかしわたしは、予告編の時点から
第6回までを通して、実に幸福だった。異世界にたゆたう幸福感というやつだ。
続々と登場する大俳優、迫真の演技、実際に経済界で起こった事件とのクロスオーバー、
斬新でシャープな映像と音。無縁と思っていた「経済」という事象に初めて触れる好奇心。
興奮する要素はたくさんあった。しかし人間はそれだけで、
「何故こうなったのか」「次はどうする気だ」「本当はこう考えているのではないか」
などと、まるで会社の同僚や上司を論じるごとく、ドラマの越し方行く末を真剣に考えたりしない。
ただの感情移入とは違う。虚構とは思えない、思いたくない。あまりにも緻密で現実味がありすぎる。
描写だけではない(ちなみに描写は緻密を極めていた)、一つ一つのパーツがあるべきところにあって、
平面で切っても時間軸で切っても矛盾を感じない。緻密に計算された世界があって、
その中を登場人物が行き来するリアリティ。こういうものを呈示されると、
人は自らはまってみたい誘惑にかられるのかもしれない。