岩泉狐狸妖怪伝

第一話 炭焼き卯三さん

 宏美の母の生家は月出(つきで)という集落にある旧家で、和家(わいえ)と呼ばれていた。
 昭和三十年代、和家の山の木から炭を作って商売にしている炭焼きが三人いたという。そのうちの一人、卯三(うぞう)さんが出会った不思議な話。

 ある晩のこと。
 昼間和家の畑仕事を手伝って、すっかり帰りが遅くなってしまった卯三さんは、山奥の自分の炭焼き小屋へ急いでいた。今日は女房が里帰りしていて、小屋で待っているのは赤犬の太郎だけだった。だから特に急ぐ必要はなかったのだが、木々がうっそうと生い茂った、昼でさえ暗い山道だ。明りといえば和家で借りた堤灯ひとつ。いくら通い慣れた道とは言え、気持ちのよいものではない。卯三さんの足取りは自然に速くなっていた。
 と、そこへ
「おばんでござんすう」
後から声をかける者がある。
 びくっとして振り返ると、それは和家の隣に住む真中家(まんながいえ)の良夫さんだった。これから自分の炭焼き小屋へ行くところだと言うが、この暗闇に堤灯も持っていない。それどころか、ひとつしかない卯三さんの堤灯を貸してくれと言う。
 卯三さんは怪しんだ。こいつは本物の良夫さんじゃく、堤灯の蝋燭を狙った古狐が化けているのかもしれない。蝋燭の蝋は狐の大好物なのだ。
 そこで
「この堤灯は和家のだすけえ、貸すぞうど困るすけえ、俺げぇさ一緒に来てけだら、家のを貸してやんがあ」
と言ってみると、良夫さんは一瞬いやそうな顔をしたが、しぶしぶ後をついてきた。

 卯三さんの小屋は里からいちばん遠く離れている。途中、良夫さんの小屋の方へ行く別れ道のところへさしかかったが、良夫さんは何も言わなかった。
(ははあ、やっぱりこいつは良夫さんじゃねえなぁ)
卯三さんの疑惑は確信に変わった。
(よしよし、しばらぐ化がされだふりでもしてみっぺえがなぁ)
 それでも、どこかで狐が尻尾を出すのではと思って、時々後ろを振り返って見たが、敵もさるもの、いつも見えるのは良夫さんの顔だった。

 ふたりはようやく卯三さんの小屋の近くにたどり着いた。今夜は女房がいないので、小屋には明りひとつ灯っていない。

 ワンワンワンワンワン!

 突然、犬の吠える声。ガサガサガサッ、後ろで何かが動いた。
 そして、良夫さんは消えていた。


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最終更新日:1999年 8月 7日(v1.01)