岩泉狐狸妖怪伝

第二話 古学校のキノさん

 その晩、家に戻ったキノさんは有頂天になっていた。
 見れば見るほど立派な、大きな塩鱒だ。こんなよい魚をまんまと手に入れた幸運に、黙っていても笑みがこぼれてしまう。
 キノさんは年老いた母と二人暮らし。ただなんとなく、刺激の少ない毎日を過ごしていたから、娘のキノさんとしてはこの塩鱒を早く母に見せて、久しぶりに親子で喜びを分かち合いたかった。
 けれどももう夜も遅い。すでに眠っている老母を起こすのもかわいそうなので、今夜はもう自分も寝ることにした。鱒は玄関の内側に吊しておいた。
(母ちゃん朝起きてびっくりするぞ……)

 床に入ったものの、キノさんはなかなか寝付かれず、今日の出来事を思い出していた。

 キノさんの家は月出(つきで)という集落の、昔学校だったところに建っていた。それで「古学校(ふるがっこう)」というのが屋号になり、皆からは「古学校のキノさん」と呼ばれていた。
 今日は歩いて2時間ほど離れた岩泉(現在の岩泉町岩泉)まで魚を買いに行ったのだが、店にはろくなものがなく、手に入ったのは雑魚ばかりだった。キノさんはがっくりと肩を落として帰路についた。
 岩泉から月出に帰るには「丹洞(たんどう)」と呼ばれる難所を通らなければならない。そこは、鼠入川(そいりがわ)沿いに切り立った崖の途中に人がやっと擦れ違えるくらいの細い道が通じているところで、昼間でも薄暗く、危険な場所だった。
 キノさんがそこにさしかかった時は、もう日が暮れていた。自然と足の運びが速くなる。
 そんな時、後ろから声を掛けられ、びっくりして振り向くと、鼠入のトシさんだった。トシさんは
「うんまそうな魚が手に入ったんでキノさんさけんがぁ。ただでけんのもなんだがら、おめえさん持っている魚ととっけぇっこするべぇ」
と言った。見ると、トシさんの魚は、本当に見事な塩鱒だった。

「キノぉ!キノぉ!」
母の呼ぶ声。
 朝になっていた。いつのまにか眠ってしまっていたらしい。
「キノぉ!ちょっと起ぎでこっちさ来て見ろぉ」
「うるせえなあ。塩鱒に驚いだがらって叩ぎ起ごさなくたっていいべぇ」
 キノさんは眠い目をこすりながら玄関へ出ていった。
「キノ、この腐れ下駄はいったいどごがら持って来たやぁ」
「え、下駄?それは鱒……あれえ?塩鱒をかげでおいだったのに……」
 キノさん自慢の鱒は、いつのまにか鼻緒の切れた下駄に変わっていた。
 昨晩のできごとを話すと、母は言った。
「そりゃあ、おめえ、丹洞の狐に化がされだんだべぇ」

 
現在の丹洞付近


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最終更新日:2000年 1月10日(v1.01)