岩泉狐狸妖怪伝

第四話 引っぱり蔵助どん

 岩泉と田老(現在の岩手県下閉伊郡田老町)を結ぶ旧街道に「鬼の坂(さが)」と呼ばれる難所がある。昔から、ここを通る旅人たち、とりわけ夜中に通った人たちは災難に見舞われるという。昔の人曰く「鬼に捕って喰われた」また「鬼に魂を抜かれた」など、枚挙に遑が無い。実は狐や狸の仕業のようなのだが……。

 ある夜更けのこと。鬼の坂付近を、田老から岩泉方面に向かって急ぐ若者がいた。名を蔵助(ぞうすけ)という。
(すっかり遅ぐなっちまったなぁ。狐だの狸だのに気をつけねえと。特に狸はタチが悪いから……)
などと考えながら歩いていると、前の方から灯りがひとつ近づいてきた。近づくにつれ、姿形がはっきり見えるようになり、蔵助さんは驚いた。なんと、それは祖母だったのだ。けれども、
(脚腰の弱った婆ちゃんが、こんなどごまで迎えに来るわげがねえ。それに……)
蔵助さんのお婆さんは右目が不自由だった。目の前の、祖母にそっくりな婆さんも片目が不自由な様子なのだが、それは右目でなく、左目だったのだ。
(ははぁ、狐だか狸だか知らねえが、所詮はケダモノだってこった。少し騙されたふりをして、どっかでふん縛ってやろう)
「婆ちゃん、こんなどごろまで迎えさ来てくれてありがとう。疲れだべぇ。こごがらは俺がおぶって行ってやるすけぇ」
と言って、蔵助さんは偽者の祖母を背負って歩き始めた。

 しばらくとりとめのない話をしながら歩を進めていたが、婆さんはなかなか尻尾を掴ませない。ついに業を煮やした蔵助さん、化物の隙をついて、エイッとばかり背負い投げをくらわした。そして気絶した化物を持っていた縄で縛りあげた。
 見ると、化物の正体は狸だった。
(危ねえとごろだった。でも間抜けな奴で助かったぜ)
 この地方では、狐に化かされても命に別状ないが、狸に化かされると死ぬと言われている。「鬼に魂を抜かれた」というのは、狸にしてやられたということなのかもしれない。

 蔵助さんは生け捕りにした狸を家まで引きずって帰った。途中、気のついた狸が何度も「助けでけろ」と懇願したが、聞こえないかのように無視していた。

 夜が明ける頃ようやく家に着くと、蔵助さんは狸を高い木の枝に吊るして言った。
「もう悪さはしないと約束するが?」
狸は助かりたい一心で
「約束する、約束する。だがら放してけろ」
と出まかせを言う。蔵助さんは半信半疑だったが
「よし、今度人を化かすような真似をしたら、狸汁にして喰っちまうからな。覚えとげよ」
と念押しして、狸を放してやった。
 狸は解放してもらった礼もそこそこに、山へ逃げ帰って行った。

 その後、鬼の坂を通る人は、ときどき不思議な声を聞くようになったという。
「引っぱり蔵助どんはおらんかぇ〜」
これは、近くにあのおっかねえ蔵助さんがいないことを確かめるために、あの時の狸が山から街道に向かって尋ねている声だ。蔵助さんに延々引きずられたのが、よほど堪えているらしい。
 え?「引っぱり蔵助どんはおらんかぇ〜」と聞かれたら何と答えれば良いかって?
 そりゃ当然「こごさいるぞ」と答えてやらないと。
 でないと、狸に化かされて……。


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最終更新日:2000年12月16日(v1.01)