岩泉狐狸妖怪伝

第五話 橋の主

 鼠入川(そいりがわ)に架かる、とある橋にまつわる昔の話。

 その女は橋の中ほどに立っているという。年の頃は二十歳前、質素だが小奇麗な身なりをしており、どことなく都人(みやこびと)のような上品な雰囲気をもっているそうだ。
 ただ、いつもいるというわけではない。美しく着飾った若い娘が橋を渡るときに限って現れて、丁寧な物腰で
「必ず返しますから簪(かんざし)を貸してください」
だの
「必ず返しますから着物を貸してください」
だの、懇願するという。
 ねだられた方は、見ず知らずの相手から急にそんなことを言われるものだからビックリするが、不思議にだんだん優しい気持ちになってきて、すぐに貸せる物はその場で、そうでない物はわざわざ出直してきて、女に貸してしまうらしい。「らしい」というのは、女に物を貸した娘のみんながみんな、その辺のいきさつをよく覚えていないからだ。娘たちは一様に「気がづいだどぎには自分の家さ戻っていだった」と言っている。
 さらに不思議なことに、貸した娘が次に橋を渡るときも、女は必ず現れる。そして、さも満足そうな顔をして、丁寧な礼とともに借りていたものを本当に返してくれる。その後、これも娘はよく覚えていないのだが、女は「すぅ〜っ」と消えてしまったようだという。
 いつの頃からか、人々は、都人への憧れと理解できないものへの畏怖を込めて、この不思議な女のことを「橋姫様」と呼ぶようになっていた。

 しかし、実害がないとは言え、このような奇怪な現象が続いては心地よいわけがない。ついに村の長老が「橋姫様の正体を突き止めよう」と決心した。
 長老は、自分の孫娘に美しい着物を着せ、豪華な髪飾りを着けさせて、橋を渡らせることにした。そして、厳しい修行を積んだ老練な山伏に、こっそり後をつけさせた。
 娘の後をつけた山伏は、娘が橋に近づくと樹の裏側に潜み、気配を消して、橋の上の様子をうかがった。
 橋を渡り始める娘。まだ何も起こらない。山伏は気配を消したまま、橋の上に意識を集中する。
 娘が橋の中程にさしかかる。と、川面から靄のようなものが「すぅ〜っ」と立ちのぼり、橋全体が霞に包まれたようになった。
(いよいよだな)
霞の中に影がふたつ。なにやら話をしている。ひとつは長老の孫娘、そしてもうひとつは橋姫とかいう化物のはずだが……肉眼では確かめられそうにない。山伏は集中していた意識を一気に拡散させ、無心の状態となった。そして、心の眼を開く。
「あ、あれは……」

 魂を抜かれたような顔をして娘が戻ってくる。大きな髪飾りがなくなっている。橋姫に貸したのだろう。だが心配は無い。いずれ髪飾りは戻ってくるだろうし、娘も無事に家に帰るだろう。山伏はもう少しの間、橋姫の様子を見守ることにした。
 娘が去った後、山伏の心眼に映っていたのは、豪華な髪飾りを頭に載せて、川面を覗き込んでみたり、体をくねらせてポーズをつくってみたりしている……大蛇の姿だった。なにせ蛇のことだから表情まではわからなかったが、なんとも嬉しそうな様子だったという。
「そうか、やはりな……」

 長老の家に戻った山伏は、見てきたことをつぶさに報告し、
「あれは橋の主、いわば護り神だ。橋と村を守ってくれている。大切にするがよい」
と説いて聞かせた。

 それから後、村はたいそう栄えたという話だが、今ではそれが岩泉のどの集落のことなのか、よくわからないという。そのくらいずっと昔の話。おしまい。


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最終更新日:2001年12月10日(v1.02)