HITOウワサ75日

ミャンマー篇


 あのM氏から特別寄稿!(1999/02/11)

HITOセンターのお屠蘇」のM氏から今度は長編が。名付けて「マンダレー発ヤンゴン行『LEOエキスプレス』搭乗記」。ミャンマーで貧乏旅行したい人必読!?(編集部M)

 HITOセンターのお屠蘇(1999/01/17)

ミャンマーの正月は4月(お釈迦様の誕生日)なので、1月1日もHITOセンターでは日本語の授業(フリークラス)が行われていた。が、遊びに来ていたお気楽な日本人達の間では、日本の正月休暇を利用してセンターを訪問したM氏の差し入れの日本酒(一升瓶)が、屠蘇と称して朝から嗜まれていた。日本語教師H嬢は「平日に朝から酒なんて」という感じで遠慮していたが、「日本の風習」ということでMMW氏MMS氏らミャンマー人スタッフも巻き込んで無礼講の酒盛りに。あっというまに残りわずかになってしまった一升瓶にH嬢は愕然としていた。(M氏本人より)

★ 日本語フリークラス(1999/01/17)

98年12月24日から99年1月5日まで、HITOセンターのクリスマスホリデー期間に開講された日本語フリークラス。
この短期集中講座を受講した生徒は70名(5クラス)。応募者数は倍の140名だったとのこと。ミャンマーの人々が日本と日本語に寄せる関心の高いことがよくわかる。
一方、講師は大阪の某大学の学生さんたち。朝8時30分から11時50分まで授業で、昼食後は翌日の授業のためのミーティングと、たいへんハードなスケジュール。にもかかわらず連日熱心に日本語を教えている彼女たちの姿に感動!(
編集部M) 

 Mr.「No Problem」(1999/01/10)

HITOセンターのGeneral SecretaryであるMMW氏は「お互い腹を割って話のできる好漢」(某氏談)。トラブルがおきても明るい声で「No problem」。彼と直接難しい話をしない僕らには、この「No problem」ばかりが印象に残り、いつしかMr.「No Problem」と呼ばれるようになった。「写真で顔を見ても『No problem』という声が聞こえてくる」とは編集部Hの話。(編集部M)

 ○○ライダー?(1999/01/10)

他のNGOに所属して地域医療に携わっている医師のMMS氏。HITOセンターの活動もいろいろと支援してくれている。日本語ができ、観光ガイドもできるので、僕らはついつい頼りにしてしまうのだ(編集部は今回、帰りの飛行機のリコンファームまでしてもらった)。マフラーならぬロンヂーをなびかせて、今日もバイクで東奔西走しているに違いない。(編集部M)

 お母さん(1999/01/10)

縫製指導のY先生は、HITOセンターのスタッフからも日本人支援者たちからも「お母さん」と慕われている。一年の大半をミャンマーで過ごしていて、ミャンマー(ビルマ)語も日常会話程度ならできるので、困ったときにとっても頼りになるよ。(編集部M)

 ヤモリとの付き合い方三態(1999/01/10)

HITOセンターにはヤモリが出没する。日本人女性のヤモリ対策は……。
「とにかく手の届くところにあるものでひっぱたく」(縫製指導Yさん)
「ときどき顔の上に落ちてくるけど実害はないのでほうっておく」(日本語教師Hさん)
「後ろ(ヤモリの死角)から襲いかかって、尻尾を切って遊ぶ」(日本語教師Sさん)
余談だが、編集部Hは、宿泊したホテルの部屋に出現したヤモリを虫除けスプレーとうがい薬で追い回したあげく、穴から外へ逃げ出したところをビニール袋で塞いで、室内に戻って来られなくしてしまったのだった。(編集部M)

 「ウシ」をよろしく(1999/01/10)

HITOセンターの隣の教会で生まれた小犬。体の模様がホルスタインによく似ていることから、付いた名前は「ウシ」(日本語教師Sさん命名)。Sさんにたいへんよくなついていて、HITOセンター3階の教師の居室まで上がってしまうほど。(編集部M)

 ミャンマーで結婚式をあげた日本人とは?(1999/01/10)

何を隠そう我々編集部(MとH)なのだ。その顛末は、別のコーナーで紹介するので乞うご期待!(編集部M)


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最終更新日:1999年 2月11日(v1.03)