HITOウワサ75日ミャンマー篇 〜特別寄稿〜

マンダレー発ヤンゴン行「LEOエキスプレス」搭乗記

冒険者M


 ミャンマーの広さを実感するため、帰りのヤンゴン行は夜行バスということにした。HITOセンターのMMW氏「DXバスを」とお願いしたが、チケットの値段は2000K(チャット:98年12月頃の実勢レートでUS$1=約330K)という破格であった。(注1)
 チケットオフィスがホテルのすぐ前だったので、そこでピックアップしてくれるのかと思っていたら、なんと「マンダレー空港の近所のバスターミナルへタクシーで行け」とのご指示。タクシー代350Kに「足元を見やがって」と憤慨しながらも、時間がないので言い値で乗って一路バスターミナルへ。(注2)

 着くとそこには「LEO EXPRESS」とボディーにペイントされた観光バスが。乗り込むとそれは「遠州鉄道バス」であった(どこが「5スターZIPANG」やねん。当然ながら車内にトイレなんか付いておらず、しかもフロントガラスには一条のヒビが。いつ風圧で割れてコナゴナになるかスリルも味わった)。(注3)

 午後5時、予定どおり出発。
 隣のオネーチャンはタイ人のようで、周りの仲間とタイ語で会話。後ろのミャンマー人のおばちゃんと英語でお話。
 車内ではいきなりハリウッドのアクション映画のビデオ上映。しかも字幕なしの吹き替えなし。「なんてインターナショナルなバスだ」と妙に感動(ミャンマー人みんな英語がわかるとはおそるべし?)。(注4)

 出発して3時間。辺りが真っ暗になった頃、周囲は田圃か畑かそれとも荒野なのか全然わからん中をひた走っていると、突然のミャンマー語に引き続く英語のアナウンスがあり、晩飯休憩30分。「ここはどこ?状態」のLEOエキスプレス専用食堂で食事(無料)。おかず1品にスープに野菜。そしてご飯はおかわり放題。味はなかなかGOODだった。

 食後再び乗車。

 静かに時間は過ぎてゆき、午前1時頃、眠気を覚ます、またも突然のアナウンスの後、中間地点(?)であるLEOエキスプレス専用ドライブインに到着。そこにはヤンゴン発のバスも停まっており、客がごったがえす中、「ミルク、砂糖入り小袋インスタントコーヒー」タイム。コーヒーにお湯を入れるため、非常に大勢の小学校高学年くらいの学童がポットを持って深夜労働に励んでいた。(注5)

 30分後、再び出発。その後は、ペットボトルに詰め替えて持って来た例のお屠蘇の日本酒を睡眠薬に、熟睡したのであった。

 午前7時頃、再び例のお目覚めのアナウンスがあり、バゴー近郊の、またまた専用食堂にて朝食。ここはヤンゴン発の乗客が夕食をとるポイントであり「考えて設定してる」と感心した。

 そして午前9時前、ヤンゴン郊外のバスターミナルに到着。
  スーレーパゴダまで400Kもタクシー代を払って、ロイヤルヤンゴンシティーホテルの前の道を通って市内へ向かったのだった。(注6)


編集部注

(注1)マンダレー−ヤンゴン間、飛行機だとUS$100前後であることを考えると確かに安い!

(注2)たぶん値切っても300Kまでだと思う。350Kならまずまずだろう。

(注3)この例に限らず、ミャンマーでは、日本や韓国で一線を退いた観光バスや路線バスの車両が現役でバリバリ活躍している。

(注4)もちろんそんなことはない。

(注5)ミャンマーの実情が見える一幕。でも、日本人の感覚で見ると、ミャンマーの人は男性も女性も実年齢より若く見えるので、本当に小学生くらいの年齢かどうかはわからない。

(注6)スーレーパゴダはヤンゴン市街地の中心。ロイヤルヤンゴンシティーホテルは、ヤンゴン市街と空港を結ぶ道路沿いにあり、HITOセンターの日本人支援者がよく利用する。ちなみに料金はツインで1泊US$28(98年12月現在)。市街地から遠いせいか、設備の割りには安い感じ。


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最終更新日:1999年 2月11日(v1.01)