正式名称
通称
形式
コードネーム
製作会社
紫電二一型
紫電改
N1K2−J
George
川西
全幅
全長
全高
自重
全備重量
11.99m
9.35m
3.96m
2900kg
4000kg
エンジン
馬力
最高速度
航続距離
武装
乗員
中島 誉 二一型
空冷複列星型18気筒 × 1
1990hp × 1
594km/h
1,715km
20mm機銃×4
爆弾60kgまたは250kg×2
1名
説明
欠点だらけの失敗作?紫電を改良したのが本機です。
エンジンさえ絶好調ならカタログスペックをはるかに上回る600Km/h以上を軽く出すし、
自動空戦フラップのおかげで運動性能は悪くないし、紫電より部品点数は35%も少ないし、紫電に比べて胴体も細くなったし。
いい事ずくめの機体なのですが昭和20年1月採用というのは遅すぎたとしか言いようがないでしょう。
この機がいまだに名機として語り継がれている理由はやはり松山343空(通称剣部隊)の大活躍による物でしょう。
3月19日の戦闘では敵の大部隊に対して60機足らずの紫電改で大勝利をあげ米軍に恐怖を与えました。
60機足らずで数百機の敵機を圧倒したのですからたいしたものです。
まあ、その後の度重なる戦闘で機体、人員ともに消耗してしまいましたが343空は終戦まで本土防衛に大活躍しました。 この機の欠点としてはやはり誉エンジンを使ってしまった事でしょう。
紫電のところで書いたので詳しくは書きませんがこのエンジンは日本でつかうにはつらいエンジンでした。
実際、終戦後の米軍でのテストでは誉エンジンを搭載している本機や"彩雲”陸軍四式戦"疾風"などがことごとく公表値を大幅に上回る速度を記録したのですからエンジン自体はとてもすばらしいエンジンだったのだと思います。
また、本機は艦上機型も試作され、巨大空母"信濃"(巨大戦艦大和型3番艦)の公試運転の際に搭載されていました。
本機は二一型、三一型、三二型等を含め計400機程度しか作られませんでした。
本当に出番の遅すぎた悲運の名機といって良いのではないでしょうか。
写真の模型はハセガワの1/72の物です。