小説 |
2002. 1/ 8 |
男の戰い〜Side Stories From ClassMate2 #4〜 秋。とにかく体育祭の季節です。 もちろん、八十八学園だって準備を始めています。 校庭の真ん中にやぐらを組んで、そこからカラフルな国旗をつけ、白線をひいて、 コースを作り、ならし、バンケットや障害を用意して、封筒に何か書いてある紙をいれ、 マイクのテストをして、観客席にござを敷いて、貴賓席には畳を借りてきて…大変です。 そんなグランドに、風がひゅよっーと舞います。 砂ぼこりが竜巻を起こします。ある先生のかつらが校庭を転がっていきます。 帰り際の女の子がスカートを押さえます。 ちっ、と舌打ちをするのは、西御寺公なんです。 腕を組んで、サッカーボールに右足をかけて、何でもポーズをとる人なんです。 かっこいいかどうかは別問題ですけどね。 …ふん。まぁいい。 なにがいいのか誰にもわからないのですが、機嫌が悪いのはわかるんです。 ぷんぷんと、膨れっ面がいかにもおぼっちゃんな西御寺公ですものね。 そうです。屈辱を味わってしまったんです。 そして、これから回想シーンなんです。 体育祭の噂をしだすようなそんな頃の、普通の時間割の普通の休み時間でした。 「唯さん、お願いがあるのですが」 右手をお腹にあてて、うやうやしく頭なんか下げる西御寺公は、まるで貴族みたいな感じさえします。 それだけの雰囲気はあるんですから。 「さ、西御寺くん…ちょっと…唯、困るよ」 そんな事をされて本当に困っているのは唯ちゃんです。 高校生とは思えない幼さの女の子です。 左右につけた異様に大きなリボンが、ロリ…失礼。その手の趣味のある方には大人気。 去年の二学期に転入してからというものの、男子生徒に人気沸騰なんです。 ま、それはともかく。 「照れる唯さんもかわいいですよ」 聞いている方が恥ずかしくなりそうな台詞すら、すらすらと言える西御寺公です。 ほーら、唯ちゃんは赤面しちゃってなにも言えなくなっちゃいましたよ。 「それより、いかがでしょうか。今度の後夜祭は踊っていただけますよね」 そうなんです。八十八学園の体育祭には恒例のダンスパーティ、後夜祭があるんです。 こういう学校行事に、健全な男の子と女の子が望むものと言えば…あれですもんね。 西御寺公だって、もちろんあれを狙っています。だから唯ちゃんを誘っているんです。 でも…あれってなんでしょうねぇ。 「…だけど」 唯ちゃんは顔を上げられず、西御寺公の膝のあたりを見ながら返事をします。 自分の机の前の派手な出来事に、少しばかりとまどってもいるんです。 駄目押しに、もう絶対に書けないような歯の浮きまくりな台詞を用意している西御寺公です。 ですが、それを言うのはまだ早過ぎます。押し過ぎるのもよくないんです。 「もう先約がおありですか?」 そうです。こちらの用事だけを押しつけるのは野蛮人のあほうのやる事なんです。 ああ、なんて完璧なんでしょうか。こっそりと、自分の作戦にうっとり西御寺公です。 「う、ううん。そういうわけじゃないけれど…」 唯ちゃんがちらりとみたのは、最後方の窓際に座っている男の子です。 机にしがみつくような格好で、くーくーと寝息をたてているみたいです。 もちろん西御寺公もその視線に気がつきます。一瞬にして余裕をなくしてしまいます。 「ま、ま、ま、ま、ま、ま、まさかあのりゅうのすけと!」 「そうだったら…いいのにね」 驚く西御寺公と、本当に小さくて、きっと誰にも聞こえていないつぶやきを発する唯ちゃん。 さみしそうに西御寺公を見上げると、顔を左右に振ります。 「…誰とも約束はしてないけど…後夜祭は出ないつもりなんだ」 「ど、どうしてですか?」 「ごめんね、西御寺くん。せっかくだけど…」 笑顔を作ってみる唯ちゃんではありますが、しょせんは作り物。 またもさっきと同じ顔にもどってしまいます。 西御寺公の作戦も一気に崩壊です。戦線を立て直せるほど、強くはないんですもん。 「で、ですが、ぜひお願いします。唯さんと踊れないのでは、体育祭に出る意味すら…」 「…りゅうのすけ君が踊ってくれるっていうのなら、出てもいいかな」 この時、西御寺公のプライドはずたずたのぼろぼろにされてしまったのです。 …あのりゅうのすけに負けるとは…まさかこの僕が負けるとは… 唯ちゃんの席から離れる西御寺公は、屈辱、という言葉で全身包まれてしまったのです。 本当は、負けもへったくれもないとは思うんですけどねぇ。 でもまぁ…負けかな? …見ておれ、りゅうのすけっ! 右手をぎゅっと握ります。力が思わず入ります。 なんとしても唯ちゃんと踊りたい西御寺公でした。 「りゅうのすけ、勝負だ!」 指差しポーズなんかをしっかり決めて、西御寺公はうっとりしています。なにせナルシストの素質十分。 西御寺公のファンなら、きっと同じようにうっとりしてしまうところなんでしょうが… 「はぁ?」 なんて、少し間の抜けた声を出すのが精一杯のりゅうのすけ君です。 なにせ、このふたりは仲が悪くて有名なんですから、うっとりなんて当然できるはずもないんです。 「だから、次の体育祭では僕と勝負だと言っているんだ」 「なんでだよ」 ちゃきちゃきと帰り支度をしている最中の、まさに災難でしたから、少しいらついた声になっています。 自分の話が伝わらない西御寺公もいらついた声を出します。 「もし僕が勝ったら、後夜祭で唯さんと踊らせてもらうぞ」 「…唯と踊りたかったら勝手にすればいいだろ?」 りゅうのすけ君と唯ちゃんは、同じ家に住んでいる赤の他人さんなんです。 そのおかげで、ふたりの間にはいろいろな噂があるんです。特に、同棲の噂は有名なんですよね。 だから、唯ちゃんが自分のものにならないのはりゅうのすけ君のせいだ、と西御寺公は決めつけちゃっているんですもん。 確かに、ある意味そうなんですけど…逆恨みですね。 「もちろんそのつもりだ。だが、その前に邪魔者はつぶしておかねばならないからな」 「だから、俺さまは邪魔するつもりはないぞ」 頭を二度三度と横に振ってから、大きくため息をつきます。そして、あきれ顔で席を立つりゅうのすけ君です。 もう付き合ってられないといった感じですが。 「だいたい、唯がそんな勝負を認めるわけがないだろうが」 なんてやっぱり気になっちゃいます。微妙な関係のなせる技というやつです。 のってきた、とばかりに西御寺公はにやりとしました。胸をはって、両腕を組んでえっへんポーズをとりました。 それから、ふん、と鼻で笑います。で、ようやくなんです。 「唯さんには許可はもらってある」 「なっ…」 妙に偉そうな西御寺公の言葉に、思わずあっけにとられるりゅうのすけ君なんです。 少し視線が宙を泳いじゃいました。それから、思い出したように舌打ちをするんです。 「ど、どっちにしろ、俺には関係ないだろ。勝手にやれよ」 「ふふん」 りゅうのすけ君は、いまいましそうに西御寺公をにらみつけました。 ですが、それ以上はなにもしません。くるりと背を向けて、教室の出口へ急ぐだけでした。 ようやくお家に着きました。リビングからお台所へ、冷蔵庫へ一直線です。 りゅうのすけ君は、大きな三層式の冷蔵庫の真ん中の段の扉の取っ手のようなそうでないような感じの、 とにかくひっぱるにはちょうどいいはずの部分に右手をかけました。 それから、おもむろに開けるのかと思いましたが…珍しくうなだれて、ため息なんです。 西御寺公のお相手をしていたので、精神的にとてもとてもくたくたなんですもん。 「あ、お兄ちゃん。お帰りなさい」 そんな背中の哀愁に気がつかないのか、唯ちゃんの無邪気なチェリーッシュな声がリビングから聞こえてきました。 けれども、りゅうのすけ君は振り返りもしないで冷蔵庫を開けました。 「あのね、お兄ちゃん。西御寺くんから伝言があるんだけど」 西御寺公の名前を聞いただけで、気分はますます真っ青です。しかも伝言ですからねぇ。 唯ちゃんを見れば、どことなしに嬉しそうにもじもじしています。 だから、またため息なんてついちゃうんです。 片付いている冷蔵庫の中には、飲みたい物もないんですから。 「お兄ちゃんってば聞いてるのぉ?」 「…聞いてない」 「じゃあ聞いてよ」 「…そんな伝言、どうだっていいだろうが」 ついてないなぁ、とぼやきながら、りゅうのすけ君は冷蔵庫の扉を閉めました。 そして、唯ちゃんの顔を一瞥しただけでリビングから出ていこうとしました。ですが。 「よくないもん。唯だって直接関係してるんだよ」 なんだか知りませんが、唯ちゃんはとてもとても嬉しそうにほほ笑んでいるんです。 その表情が、もうどうしようもないくらいに憎らしくて、作ったこぶしはぷるぷるです。 とはいえ、りゅうのすけ君はなにもできないんですよね。 女の子には手は出さない、本当に心優しい男の子なんです。 だからこそ、影ではいっぱいもてるんですよね。 「でね…」 唯ちゃんはりゅうのすけ君の正面にぴしっと立ちます。 それから、咳払いをしました。 「もし勝負しないようだったら、唯さんはもらったぁ!」 そう言いながら、唯ちゃんはびしっとポーズを決めてくれちゃいます。 手の位置といい、首の傾き角度といい、指先の伸ばし具合といい、なるほど、西御寺公のポーズです。 ですが、それでもかわいい、なんて思えるだけ、本物よりはましに見えますね。 にしても…伝言で伝える内容じゃあないですよね。しかも唯ちゃんに頼むなんてねぇ。 「…だって。ちゃんと伝えたからね」 唯ちゃんの、正確なまでの西御寺公ポーズに、りゅうのすけ君は開いた口が塞がりませんでした。 ですが、唯ちゃんには聞かなくてはいけない事があるんです。 一度きちんと口を閉じ、二度ほど咳払いをして、唯ちゃんをぎろっとにらみつけます。 「そういえば…なんでオッケーしたんだよ」 「なにが?」 ちょっととぼけてみると、りゅうのすけ君の顔、真っ赤になります。 赤鬼りゅうのすけ君です。きっと五番の似合う男の子に変身です…って、誰もわかりませんよねぇ。 「唯が決める事だろ? あいつと踊るか踊らないかなんて」 「…うん、でもね…」 「でももへったくれもあるかよ。俺まで巻き込むなよな」 「だって…面白そうだったし」 りゅうのすけ君、もうたまりません。お腹の中がむかむか君でいっぱいなんです。 だけど、上目使いの唯ちゃんに、どなれるはずもありません。 こめかみと唇と両肩と両手をぴくぴくぷるぷる震わせて、込み上げるものをなんとか押さえているんです。 もっとも、唯ちゃんの今の一言は、本音とは違うんですけどね。 「…勝手にやってろ」 ぷん、と背中を向けて、自分の部屋に行こうとするりゅうのすけ君です。 これ以上、唯ちゃんの顔を見ていたら、なにをするか自分自身に責任がもてなかったんです。 目の前を横切るりゅうのすけ君を、唯ちゃんは止めようとはしませんでした。 ただ、ぽつりとつぶやいたんです。 「でもね、お兄ちゃん。人間にはね、どうしても避けられない勝負があるんだよ」 意味深長なその台詞に、りゅうのすけ君は足を止めて、ちらちと振り返りました。 なんだかしりませんが、壁にもたれかかって、ハードボイルドにかまえている唯ちゃんです。 おまけに、さみしげにほほ笑む姿が、なんともちょっといやはや似合いません。 だいたい、唯ちゃんが言うにはちょっと渋いというか違うというか…変な台詞ですもん。 いったい誰から聞いてきたんでしょうねぇ。でも、次の言葉は本音のようでした。 「唯は…お兄ちゃんの事、信じているからね」 ちょっとざわざわしている、帰り間際のホームルームの時間です。 今、教壇にクラス委員長が表れました。白いヘアバンドとめがねのよく似合う女の子、友美ちゃんです。 「これから、体育祭の出走登録をしてもらいます。まずは、第一競走の短距離走…」 もうすぐ体育祭、という事もあって、出走登録を提出する時期になりました。 にしても、いつの時代もどこの学校も、こういう時って静かにはできないんですよね。 そして、さくさくともいかないんですよね。 でも、友美ちゃんはさすがです。 将来のドラッグデザイナーさんらしく、ちゃきちゃきと決めていくんですよね。これなら早そうです。 もう第六競走の女子限定の短距離走の登録ですもん。 ぽつぽつと手が上がり、その中に唯ちゃんもいてました。 そして、除外もなく、今すんなりと出走が決まりました。 友美ちゃんは、登録した人の名前を黒板に書いていきます。 友美ちゃんと唯ちゃんのお友達、いずみちゃんの名前もありますね。 実はこっそり恋のライバル勝負ですが、それはまた別のお話。 今は、唯ちゃんといずみちゃんは仲良くおしゃべりしてますもん。 「ねぇ、唯。あいつ、やっぱりあれに出るのか?」 「うん。だって、残りそうな競走ってあれしかないもん」 「へへっ。日頃怠けてるからちょうどいい運動かも…あ、起きた起きたっ」 いずみちゃんがいたずらそうな顔をして笑います。唯ちゃんも、つられてくすくすです。 今ごろになって起きるのは、当然ながらりゅうのすけ君しかいないんです。 大きなよだれの池に気がついても、ティッシュで拭いて何事もなかったかのようなふりをします。 なにせ、午後の授業はすべて睡眠学習でしたからねぇ。そりゃ溜りますって。 そして、まだまだ寝ぼけ眼です。何度かごしごしこすって、それから大きく伸びをしました。 教壇にいるのは友美ちゃんみたいです。という事は、ホームルームみたいですねぇ。 そう言えば、そろそろ体育祭の出走登録をするとかしないとか… と、黒板をなにげなしに確認した途端の事でした。 ふ、ふざけるなっ、と大声を出してしまったんです。 「なんで障害しか空いてないんだよっ!」 りゅうのすけ君は、机を両手でばん、と叩きました。そして、立ち上がってしまいます。 実は、両手がものすごく痛いんですけど、みんなに注目されてはなにもできません。 でも、そんな事はどうでもいいんです。 起きたてだというのに鼻息を荒くさせて、友美ちゃんと黒板を見る目はとても恐いんです。 なるほど、気がつけば、残っている競走は八十八大障害(秋)だけですからねぇ。でも。 「空いていないわけじゃなくて、他の競走が埋まってしまっただけよ」 少しもおびえた様子はなくて、むしろどこか笑っているような友美ちゃんなんです。 それもこれも、りゅうのすけ君のおかれた状況を知っているからなんですよね。 実は、今回の体育祭は、りゅうのすけ君に限り二種目以上の参加が必須なんです。 さぼろうにも、単位を賭けられてはしかたないんです。 しかも、体育だけならまだしも、古文に英文法に世界史という、 体育祭にまったく関係のない科目まで相乗りしてきたのだからたまりません。 まったく、先生方も何を考えているのでしょうかねぇ。 一種目は、最終競走のクラス対抗全員リレーで問題ないんです。 ですが、もうひとつなにかに出ないといけないわけなんです。 で、残っているのが…障害だけですもんね。 「…だ、談合だ!」 なんて、りゅうのすけ君が叫ぶのも無理はありません。 なにせ、あの障害競走です。普通の人はやりたがらない障害競走です。 そういう競走ですから、多少の裏工作があったのかもしれませんもんね。 ま、実際に、 「単位かかってるらしいじゃん」「他に空いている競走もないしね」「ぴったりだな」 と、談合の裏側を見せつけられたら、りゅうのすけ君にとっては面白くありません。 こめかみがひきつります。頬がぴくぴくします。まったくもってむかむかっ、です。 ですが、黙ってここは受け入れるしかなさそうです。 単位には勝てませんし、出走が決定している競走に割り込む事もできませんからね。 納得はいきませんがあきらめました。 友美ちゃんはほほ笑みながら半回転です。そして、黒板に名前を書きはじめるんです。 「じゃあ、障害はりゅうのすけ君と西御寺君で決まりね」 「ちょ、ちょっと待て。なんで西御寺がいっしょなんだよっ!」 「なんでって、登録してくれたからよ」 まるで何事もなかったかのように、黒板にふたりの名前を書き終える友美ちゃんです。 うーん、西御寺公は意志表示をしていないんですけどねぇ。 ここまでくると、まさに予定調和なんです。もはや、完全犯罪としかいいようがありませんもんね。 おまけに。 「なんか勝負があるらしいじゃん」「他にいい競走もないしね」「ぴったしじゃん」 なんて、またもや裏側を見せつけられたら、ますますもって不快指数が急上昇です。 要するに、しゃんしゃん総会なんですってば。勝負する事は決定事項なんですってば。 それだから、やっぱり一言怒鳴っておきたい気持ちになるのも仕方ありませんよね。 「西御寺、お前っ!」 斜め前に座っている男の子は、振り返る様子もありません。 伸ばした後ろ髪も、ぴくりとも動きはしないんです。 ただただ、黙って黒板を見つめているだけなんです。 そして、それよりさらに前に座っている女の子の視線に気がつきました。 なんとも嬉しそうに、にこにことしているのは、当然唯ちゃんしかいないんですよね。 「くっ…」 結局巻き込まれてしまっただけに、お腹の中はとろっと溶けたチーズみたいです。 やり場のない怒りに歯ぎしりぎりぎりです。握った右手の握力は計測不能なんですもん。 でも、もうどうしようもありません。戦わざるもの食うべからずですもんね。 へなへなと席につきました。そして、いすの前脚を浮かして子供みたいにすねます。 友美ちゃんに変わって、片桐先生が教壇に立ちました。 こうして、長くて短いホームルームも、三本締めでようやく終わりとなりそうでした。 学校を囲む木々が、どことなく色を変えはじめています。 さみしげに、ゆらゆらと葉っぱが落ちていくんです。 ふと空を見上げれば、お日様と赤とんぼさんです。 真っ青な空は本当に綺麗で、降り注ぐ日の光がぬくぬくと心地いいんですよね。 あの空に、開催を知らせる花火が上がったのは、もうずいぶんと前の事です。 何をするわけでも、何をしたわけでもなくて、気がついたらもう体育祭当日で、 しかも午前中の競走はすべて終わっているんです。 そうです。早くもお昼休みなんです。 お昼ご飯は四段重ねお弁当です。見た目も中身も、まるでおせち料理みたいです。 もっとも、りゅうのすけ君がひとりで食べるわけでもなく、唯ちゃんの分もあるんですよね。 つまりは、ふたりはいっしょに仲良くお昼ご飯しなくちゃいけないんです。 だから、ふたりはお弁当箱を中心に向かい合っているんです。 クラスのござの上で、お見合いのように見つめあっているんです。 むすっとにこにこの正反対ですけどね。 「おい、唯。なんでいっしょに食わなくちゃいけないんだよ」 と、あぐらを組んでいるのはむすっ君です。 少し前かがみに、子供のように唇を尖らせているんです。 でも、やたらと低音の効いた、それはそれは怖い声をだすんです。 もともとうわさのふたりですから、先ほどから、激痛のはしりそうな視線とやかましいひそひそ話を感じているんです。 おまけに、クラスの方々は気をつかってくれて、少し離れた場所でごはんしているんですもん。 そのおかげで、目立つの目立たないのって、さすがのりゅうのすけ君だって思わず顔を赤らめちゃうくらいです。 「だって、いっしょのお弁当箱なんだもん」 けれど、にこにこちゃんは気にしません。 太ももの間に両手をはさむようにして、ちょこんと正座をしていらはるんです。 でも、残念な事にジャージなんですよ。ちっ! 「それとも…お昼はいらない?」 「…あのなぁ。俺さまは朝も食ってないんだぞ。昼を抜いたら死んでしまうではないか」 「じゃあ、いっしょに食べようよっ!」 唯ちゃんは、語尾にハートが付いてしまうほどの、うきうき声を出しました。 足を崩して女の子座りになって、鼻歌の曲目を選んでから、てきぱきと準備し始めました。 まるで、子供の頃にしたおままごとのような感じです。でも、あの時とは違います。 ちらりと見せる横顔や、指先の動きが、なんとも女の子らしいんです。 だから、りゅうのすけ君はがらにもなく、目の下を赤く染めちゃっているんですよね。 「どうしたの?」 唯ちゃんのアニメタルが急に止まります。しなっとした姿勢で顔を上げるんです。 だから、驚き半分に、ちょっと引いてしまうりゅうのすけ君なんです。 「な、なにがだよ」 「…今、じーっと唯の事見てたでしょう」 「ば、ばかいうな。なんで唯の事なんて…」 あぐらのまま、口ごもってしまったりゅうのすけ君。そっぽを向いて不機嫌そうです。 でも、耳が赤いんですもん。どぎまぎしているのは唯ちゃんにばればれです。 だから、くすくすと、なんとも嬉しそうに笑われてしまいました。 「でも、久しぶりだよね。お兄ちゃんといっしょに学校でご飯食べるのって」 「そ、そうか?」 「そうだよ。だって初めてだもん。同じクラスなのに…なんか寂しいな」 「そういうのは、久しぶりって言わないんだよ」 寂しそうな唯ちゃんも、無理して笑顔を作るんです。はい、なんておはしを渡します。 それも、割りばしではなくて、お家でいつも使っているポレール柄のおはしなんです。 りゅうのすけ君はそれを受け取りながら、受け答えにちょっぴり困ってしまいました。 「い、いつもいっしょだろうが…家で食う時は」 「だって、ふたりきりじゃないもん」 「ふ、ふたりきりって…あ、あのなぁ」 なんだかしりませんが、今日の唯ちゃんはとても強気です。 いきなりそんな球で勝負だなんて、実は唯ちゃん本人だって思いもよらなかったんです。 だから、さすがのりゅうのすけ君もたじたじなんです。完全に弱って困って参ってますねぇ。 当然のように沈黙しちゃいました。いきなりお通夜状態です。空気が重いったらありゃしませんもん。 唯ちゃんはちょっとぷんすかしています。りゅうのすけ君をじとーっと見てるんです。 ああ、どうしましょう。どうすればいいんでしょう。 りゅうのすけ君は悩みました。 せめてこの重い空気だけでもなんとかしようと、ようやく口を開きました。 「…そ、それより…早く食べようぜ。俺、腹減って死にそうなんだからさ」 向かい合っている男の子は、困りきって苦笑いしています。 唯ちゃんだって、実はこだわるつもりなんてなかったんです。 ただちょっと、唯ちゃんの気持ちに気がついてもらいたかっただけですもんね。 それに、唯ちゃんだっておなかはぺこぺこ。 朝は準備に忙しくて、食べるひまがなかったんですから。 「…うん、そうだね。じゃあ、いただきます」 唯ちゃんは、きちんとぺこりとしました。顔を上げればもうにこにこです。 だから、りゅうのすけ君も小さくいただきますをしながらほっとしました。 ご飯ともなると、やっぱりみんな幸せそうな顔になるもんなんです。 「残しちゃだめだからね」 「俺さまが残すわけないだろうが。どれどれ…ふーん、これうまそうだな」 りゅうのすけ君が目をつけたのは、唯ちゃんの目の前の、とてもとても目立つ、大きな大きなハンバーグです。 だから迷いませんでした。おはしがハンバーグを捕まえます。 それはまるで、ざりがにがするめに食いつくような、素早く力強い動きでした。 野人的なその速さに、唯ちゃんが、あっ、なんて声を出した時には遅すぎたんです。 「あー、ひどーい。それ…はんぶんこなんだよ。はんぶんちょうだいっ!」 「弱肉強食の世界に、はんぶんこもへったくれもあるかっ!」 りゅうのすけ君は、小皿を頭の上にのっけると、いー、などと子供みたいなんです。 くやしそうにおはしの先をかむ唯ちゃんですが、当然ながらしらんぷりを決め込みます。 わざわざ身体を引いて、あごをおもいっきり上げて、一口にぱくんしてしまいました。 もきゅもきゅもきゅ、と口が激しく動きます。それから、動きが一瞬止まるんです。 だから、心配になる唯ちゃんです。 「…まずいの?」 「うまい、うまいぞぉぉおー!」 いきなり立ち上がったかと思うと、わざわざ構えてから、天に向かって吠えるんです。 ああ、お口の中は極楽天国。 何とも言えぬこの感覚は、いったいどこから来るのでしょうか。 ごくん、と飲み込めば、うっとりと目を閉じて、ほっぺたに両手を当てます。 「…激うま…」 「そんなにおいしかったんだ」 「へへん。食えなくて残念だったな。ほーんとうに、すんごくうまかったぞ」 こういうところは子供の頃から変わっていないりゅうのすけ君。 腰に手をあてて、太陽を背にして、まるで正義の味方さんみたいにえへらへらと高笑いするんです。 ですが、唯ちゃんはくやしそうにはしていません。逆に、なんだか幸せそうなんです。 だから、りゅうのすけ君はいぶかしがります。それじゃあ面白くないじゃないですか。 「お前…なんでにこにこしてるんだ?」 「えっ、あっ…そ、そうだよぉ。唯の分まで食べるなんて、ひどすぎるよぉ」 りゅうのすけ君の言葉に、思い出したようにほっぺをぷくりとふくらませました。 「本当に唯はぷんぷんしてるんだからね。だから、残したら怒っちゃうからね」 「…言われなくてもわかってるよ」 変な怒り方に疑問を抱きつつ、りゅうのすけ君はばくばく平らげていくんです。 とてもおいしそうに食べていくその姿に、やっぱりにこにこしてしまう唯ちゃんでした。 一般庶民が着るような体育着を、一般庶民的に着ている西御寺公です。 でも、普通の人はわざわざふかふかのいすを持ち込んだり、簡易型キッチンでお昼ご飯を作らせたり、 パラソルの下で優雅に食後のお茶なんてしませんよねぇ。高貴な人は違いますね。 ですが、心は優雅どころではないんです。 双眼鏡を両手にして、全身をぷるぷる震わせているんですから。 で、見ていたものと言えば、当然ながら、唯ちゃんとりゅうのすけ君の、 まるで新婚さんか、らぶらぶカップルさんみたいなお昼ご飯の様子なんです。 にこにこしている唯ちゃんが、とてもとてもかわいくてしょうがないのに… 隣にいるのはあのりゅうのすけ君なんですもん。 おまけに、あーん、なんてしちゃってまぁ。 最初は反発して、恥ずかしそうにしていたりゅうのすけ君です。 しかし、しばらくするとまるでかえるのように顔を突き出して、舌で絡めて、ぱくっ、と食べちゃいました。 あーあー、妬けちゃいますねぇ。うらやましいかぎりですねぇ。幸せっていいですねぇ。 「な、なんと破廉恥な事をしているんだ!」 そうですよねぇ。公衆の面前でやる事じゃあないですよねぇ。 それになんとも楽しそうなふたりなんですもん。 西御寺公の心は、もやもやむかむかちくちくなんです。 けどけど…西御寺公がやっている事の方が、破廉恥のように思えない事もないような… あ、またあーんしてます。ぱくっとしました。 唯ちゃん、いっぱいにこにこです。 「んごっ…お、お、おのれぇー、あ、あのあほがぁ!」 西御寺公の叫び声が校庭に響きます。 でもでも…なんかとっても趣味が悪いですよねぇ。 「に、兄さま。あの…大丈夫ですかぁ?」 隣にいる女の子が不安げに尋ねます。 西御寺公と同じように髪を伸ばし、顔だちもどことなく似ている女の子なんです。 もっとも、中身はぜんぜん違うんですけどね。 「ぐはっ…ははっ、大丈夫だ、なんでもない」 西御寺公がようやくこっちの世界に戻ってきました。 双眼鏡を下ろし、乱れた前髪を軽く指で直します。 そして、隣の女の子に優しくほほ笑みました。 「心配してくれてありがとう、静乃」 隣の女の子…静乃ちゃんは、両手を胸元で重ねて、まだ不安そうにしているんです。 だから、静乃ちゃんの頭をなでなでしてあげます。 ちなみに、静乃ちゃんは西御寺公の妹さんです。 まだまだ中学生の、せーらー服のよく似合う女の子なんです。 でも、今日は兄さまの応援という事もあって、きちんと正装してきましたよ。 「本当に大丈夫ですか? 兄さまにもしもの事があったら、私…」 「ああ。本当に大丈夫だよ」 そんな事を言いながら、また双眼鏡でのぞくんです。まだいちゃいちゃしているんです。 いや、まぁ…多少の誤解はあるんですが、はたから見ればそんなものなのでしょう。 きりきりきりと、歯を鳴らして、すれたエナメル質が地面に詰まれていきました。 ですが、西御寺公にふと我が返ってきました。ああしているのも今だけなんです。 「…くっ、まぁいい。夜になれば、唯さんは僕のものになるのだからな」 後夜祭になれば、ふたりで楽しいダンスの時間です。それからの予定だって立っているんですもん。 こっそり秘密なんですが、老後の予定まで考えてある西御寺公です。 双眼鏡を下ろします。 そして、ひとり芝居に疲れたのでしょうか、クッションの効いたとてもいいいすに、深く身体を埋めました。 サングラスをかけ、僕とした事が、なんて、おでこに指先をあてて、またもやひとり、ナルシズムにひたっちゃいます。 ですが。 「あの…」 静乃ちゃんがしずしずと声をかけてきました。 「なんだ、静乃」 「その…鼻血が出ていますよ」 真っ白な体育着は、いつの間にか真っ赤になっていたんです。 その量に気絶してしまう西御寺公でありました。 だから…うっとりしすぎなんですってば。 八十八大障害(秋) 八十八学園体育祭の競走の中で、最も伝統と格式のある競走として知られている この八十八大障害(秋)。 大小さまざまな障害のある襷(たすき)コースを走りぬく、 スピードとスタミナの要求される、八十八の坂越え2000mのハードな競走だ。 見どころは、なんと言っても大竹柵障害で、このきつい障害をいかに早く、 そして楽にクリアするかが勝負の分かれ目になる、と言っても過言ではない。 また、この競走は得点も大きく、ここを勝つ事が勝利への近道と言われている。 ‐八十八学園 体育祭実行委員会- レーシングプログラムをちらりと見ると、そんな事が書いてありました。 もちろん、なんの役にもたちはしませんが、ひまつぶしにはちょうどいいのかもしれません。 ぽん、とそれを適当にほうり投げると、大の字になって、ぼんやりと空を眺めます。 お昼ご飯も終わり、午後の二番手の大玉入れが行われている頃です。 なるほど、耳を澄ませば、激しい音楽と歓声がこんな所まできちんと聞こえてきますもんね。 りゅうのすけ君は、あわわわぁ、と大きなあくびをひとつしました。 お昼を終えてからクラスの場所には戻らないで、この体育館裏でごろごろしているんです。 なにせ、いつもなら熟睡を始めている時間ですもん。慣性として、おねむにもなりますって。 うとうとと、だんだんとこの世から離れていきそうになっていたんですが… 「やっぱりこんな所にいたんだ」 弾むような声です。ちぇりいっしゅな声です。そして聞き覚えのある声です。 そうです、我らが唯ちゃんです。 おじさんのロマンの象徴のような、典型的な体育着姿なんですよね。 大きなリボンにでこぼこの目立つシャツにぶるまなんて…マニーなロマンです。 ですが、りゅうのすけ君にはそんなロマンがわかるはずもないんです。 ちらりと瞳を動かしただけで、また空を向いて目を閉じます。なんとも気持ち良さそうなんです。 ところが、こめかみはお怒りモードになってます。言葉だって、とても乱暴モードです。 「何しに来たんだよ」 「もぉ。りゅうのすけ君も、ちゃんとクラスの応援しないとだめだよ」 「…いいから、お前はあっち行ってろよ。ふたりでいたら、また噂になるだろうが」 ふたりきりだけならいざ知らず、あーんまでしてまったお昼ごはんですもん。 それで噂にならないのがうそですって。 なんだかしりませんが、裏では写真入りで号外まで出回ってしまったくらいですからねぇ。 まったくもって不愉快極まりないんです。 ですが、そんな態度が、唯ちゃんからすれば変に思えてなりませんでした。 だったら、あーんなんてした時に食べなければよかったんですもんねぇ。 自業自得ですもん。 ちょっとむすっとしたまま、りゅうのすけ君の真横に体育座りしました。 そして、隣の男の子を気にしましたが、どうやらかまってはくれないみたいです。 唯ちゃんは、つまらなそうにお空を見ます。 夏みたいな真っ白い雲が、影を残しながら流れていきます。 まぶしげでぬくぬくで気持ちの良いお天気に糸目になっちゃいます。 「気持ちいいね、りゅうのすけ君」 そう世間話を振ったのに、隣の男の子は寝返りをうつんです。しかも、背中向きです。 でもまぁ…これって、りゅうのすけ君なりの優しさなんですよね。それもわかってはいるんです。 ですけど…どうせあんな事しちゃったんです。 思い切って遊んでくれてもいいのになぁ、なんて思うわけです。 ため息、はぁ、です。ちょっぴりさみしいですね。 「だけど…噂になるって芸能人みたいだよね」 「…スキャンダルで喜べるかよ」 唯ちゃんの雰囲気に気がついているせいか、りゅうのすけ君も沈黙は続けられません。 姿勢は相変わらずでも、憮然としながら言葉だけは返してくれました。 やっぱり優しいお兄ちゃんなんです。 唯ちゃんはくすくす笑い出しました。なにか思いついたようです。 「とってもかわいい唯ちゃんに恋人発覚! 相手は同級生のRくん、じゅうはっさい」 「ばか。テレビの見すぎだ」 「でも…噂じゃなくて…本当ならいいのにな…」 「なにか言ったか?」 聞こえそうで聞こえないくらいの、中くらいの声でしたから、思わず振り返ってしまうりゅうのすけ君です。 ですが、待ち構えていたのは、立ち上がって舌をぺろんと出している唯ちゃんでした。 足元から見上げる構図は、新鮮で不思議な感じがしますねぇ。 「なんでもないよーだ。それよりね、障害の人は集合して下さい、だって」 一度でもお兄ちゃんと呼ぼうものなら、それこそ襲いかかろうと思っていたりゅうのすけ君。 少し拍子抜けした感じにため息をつくと、よろよろと立ち上がりました。 それから首をこきこきと鳴らしたり、手首をぶいぶいいわせたり、身体をほぐしていくんです。 その動作が終わるのを待っていた唯ちゃんです。へへっと笑いながらちょっと自慢です。 「唯ね、短距離走で一着とったんだよ。いずみちゃんが二着でね、わんつーしたんだ」 「…いずみに勝ったのか」 「うん。すごいでしょ?」 それはすごい、と素直に驚きます。なにせ相手は体育会系です。弓道部です。 走るよりも早い矢を扱う部です…って関係ないですね。 そんなりゅうのすけ君を見て、唯ちゃんは本当に嬉しそうな笑顔を見せます。 それは、りゅうのすけ君にしか見せない、とびきりの笑顔です。 もし、りゅうのすけ君に隙があれば、きっと抱きついちゃったでしょう。 だけど、ぐっとこらえます。そんな事をしたら、あとあときっと大変ですからね。 「あのね、お兄ちゃん。障害レース、がんばってね。唯…応援してるからね」 それだけ言い残すと、唯ちゃんはぱたぱたと走っていきます。 リボンとか、その…まぁ、いろいろと揺れるんですよ。 そんな後ろ姿を見送ってから、後頭部をぼりぼりです。 …学校でお兄ちゃん、て呼ぶなって言ってるだろうが。 でも、不思議と気合いがのってきました。そろそろ準備を始めるとしましょうか。 …にしても、けっこうあるんだな…あいつ。 なぜか頬を染めるりゅうのすけ君です。やっぱり年ごろの男の子なんですね。 (続) |
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