波の音が聞こえる巻貝のおかげで、朔月はうまく満ち潮と引き潮の時間を
測ることができるようになり、宿題の表は少しずつ出来あがっていきました。


 女の子は、月が明るく輝いている満ち潮の夜になると、決まって朔月のと
ころに遊びにきました。

「名前はなんて言うの?何処から来たの?」
 朔月がそうきいても、女の子は教えてくれずに、ただふわりと秘密めいた
微笑みを浮かべるだけでした。



「私達は、あの光の音に呼ばれて来るのよ。」
 ある満ち潮の夜に、女の子は群青色にさざめく海の方を指差して、ぽつり
と呟きました。


 その指の先には、月影に照らされた波穂が輝いていました。月の光は波の和
音と揺らぎに合わせて、幾千もの光の蝶のようにさらさらと音を奏で、夜の海
に舞うのでした。


「父さんのピアノの音だ……。」
 並んで聴きながら、朔月はそっとつぶやきました。



 天空に浮かんだ月は、表に描かれた形と同じように、だんだん細くなって一
旦消えた後、また元通りにまるくなってゆきました。

 そして、また満月の満ち潮の夜がきました。


「花火、ひろってきたの。打ち上げてみない?」
 女の子はいつもと変わらない、細波のような微笑みを浮かべて朔月のところ
に遊びに来るのでした。


 二人は砂浜に拾ってきた花火を置き、拾ってきたマッチで火を灯しました。

 僅かな沈黙の後、高い音を上げて、満月で微かに霞む天空に、紅色と翠色の
光の花が開きました。けれどもその輝きは一瞬だけで、跡には夏の終わりのよ
うに、流れる光の余韻が夜空に残っていました。

 女の子がその名残を見上げて呟きました。
「花火って、消える瞬間が好きなの。」


「……僕、今日で帰らなきゃいけないんだ。」
 一瞬だけ、ずっと聴いてきた波の音だけが夜の空気に流れました。

「うん、知ってた。表もできあがったものね。」


 朔月は女の子の小さな手に、白いものを渡しました。それは、あの波の音が
聴こえる巻貝でした。

「耳にあててみて。」
 女の子は、初めて会った夜の朔月と同じように、巻貝をそっとあてて、耳を
澄ましました。


 最初は、いつもと変わらない波の和音だけが流れていました。同じ旋律を、
繰り返し、繰り返し。

 不意にその和音に共鳴するように、さらさらさらと、たどたどしくも綺麗な
調べが聴こえてきました。

 それは、女の子が来る満ち潮の夜にいつも流れていた、月の光が海面に輝い
て流れる音楽でした。


「僕、今はまだうまく弾けないけど、大きくなったら、きっと君を呼べるよう
にうまく奏でるから。だから……。」

 女の子は何も言わずに、ただ今までで一番嬉しそうに、一番優しく微笑んで
いました。

 こうして、月の男の子と、波の女の子の宿題は一枚の表と、白い巻貝を残し
て終わったのでした。


   月のピアノが呼ぶ 波のかたちがこたえる
   いつかまたきっとひとつになるわ
   
   私たちのなかで たしかに息づいている
   かたちのない歌が聴こえたら
   夜の向こうへ行けるでしょうか?

                    −『潮見表』/ Song By Mimori Yusa −
                                                                   Fin.





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