潮見表 〜Tide Table〜

                                              

 吸い込まれそうなほど高い群青の夜空から、八月の月がまるで窓を開けた
みたいに円く輝いています。

 その光が跳ね返って、ちらちらと音を奏でる海の波穂を、少年はじっと見
つめていました。
 時折、手元の懐中時計を気にしながら。

「いつ満ち潮かなんて、わかんないよ……。」
 朔月という名の少年は、不安そうに傍らに置いた一枚の紙に目をやりまし
た。


 その紙には、一つの表が書いてありました。

 横軸には、満ち潮の時間と引き潮の時間。
 縦軸には、満月から次の満月までの月の形。

 朔月は、お父さんに一ヶ月間かけてこの表を完成させるようにと言われて、
この海岸に来たのです。


 ひたひたと、同じリズムを繰り返しながら、静かに波は近づいてきます。
 もうすぐ、最初の満ち潮の時間でした。


「何してるの?」
 急に澄んだ声に話し掛けられて、朔月は驚いてうなだれた顔を上げました。

 何時からそこにいたのか、目の前に白いワンピースを着た、綺麗な黒髪の
女の子が立っています。


「この表はなあに?お月様の表?」
 女の子は、朔月の手にした懐中時計と表を覗きこんでたずねました。

「潮の満ちる時間と、引く時間をこの表に記録しなくちゃいけないんだ。だ
けど、いつ満ちるのか見ててもよくわかんなくて……。」

 朔月は、しょんばりと女の子に打ち明けました。
そうしている間にも、着々と満ち潮の時間は迫ってきます。


「いいものあげましょうか?」
 女の子は微笑んで、朔月に小さな白いものを差し出しました。

「……貝?」
 受け取った朔月の手には、小さな巻貝がのっていました。

「耳にあててみて。」
 朔月は、女の子の言う通りに、巻貝の口をそっと耳にあてがいました。


 すると、貝の奥から、微かに波の音が聴こえてきました。静かな和音のよ
うに、同じ旋律を繰り返し、繰り返し。だんだんその音楽は大きくなってき
ます。

 やがて、波の音は硝子のコップから炭酸水が溢れ出すみたいに、巻貝の中
に響きわたってきました。


「今よっ」
 娘の掛け声につられて、朔月は懐中時計のボタンを押しました。その二本
の針は、潮が満ちた時間ぴったりを指して止まっていました。


「ほら、目で見るよりも、音を聴き取ったほうがよくわかるでしょう?」
 女の子は首をかしげてにこりと微笑みました。





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