百年の満月 / page18


「ごめん、怒った?」  黙りこんだままの僕を気遣ってか、彼女は笑いを止めて、僕の顔を覗きこむ。  そして、ふと思いついたように、首に掛かったままの月時計を手にして、もう一度月 を灯す。  ベンチの真中、僕と彼女の間の空間に生まれる、小さな夜空。 「ねえ、ちょっと私の目を見て。……私の瞳の中に、満月は幾つある?」  言われる通り、僕は彼女の、綺麗な黒の瞳を見つめる。ひとつの瞳に、ひとつの月。 両の瞳で、ふたつ。 「月は、ふたりの想いから構成されていると仮定します。すると、一つの月は博士とお ばあちゃんのものと推定されます。」  ここで、『鳥』は、一瞬迷ったように言葉を切って、そして、少し早口で、僕に問い を掛けた。 「……では、もう一つの月は、誰と誰の想いから構成されているか、解を導きなさい。」 「え……?」  僕が、彼女の問いをまだ解釈しきれない隙に、彼女はすっと立って、雪の残る中庭を 街の方へと駆け出し始めた。 「ねえ、早くおばあちゃんに、月時計見せに行こう!」  僕は慌てて、残ったコーヒーを飲み干して、彼女の後に続く。  彼女の胸で揺れる、ちいさな天球に灯った、ふたつでひとつの月を、導にして。  気がつくと、僕達を包む大きな天球の満月は、いつの間にか、随分高くに昇っていた。  あまねく照らし拡散して淡くなった、満月の月明かり、彼女が駆ける舗道に灯る、街 灯達の明かり、そして、彼女の月時計の明かり。  その光の中を、彼女を追って駆けながら、僕は心の内で、そっと祈る。  博士、僕、『鳥』、『鳥』の祖母。そんな一夜限りの雪のひとひら達。  その短い生命の想いを、願わくば、あの天空の満月が、ずっと憶えているように。  そして願わくば、朝を迎えて僕達が消えた後も、十年、百年が過ぎても、僕達の灯し た満月が、ずっと光を灯し続けるように。  今宵の満月の下、舗道を駆けながら、そう、僕は祈る。                                    Fin.             挿入詞:『百年の満月』/zabadak アルバム『桜』より                       作詞:小峰 公子 作曲:吉良 知彦




ノートブックに戻る