「じゃあ、いいかげん帰らないとね。」
「……わしが誰かは、訊かんでもよいのか?」
「あの家守さんが教えてくれたから、もうわかってるわよ。」
私は、細い目の綺麗な顔の青年に、最後にもう一度笑って言ってやった。
「お稲荷さんの、狐さんでしょ?」
「……違うわい。」
丘を降りてくる頃には、もう東の空はすっかり紺色の夜気に満たされていた。
低くに、そっけないふりをして、金色に輝く、いちばん星。
離れ離れにある、蒼白い街灯のたもとを通る度に、私の小さな影法師が、枯れたすす
きの穂影に、ふわりと踊る。
まだ何だか、胸の奥がほんわりと痛くて,私は口笛を吹きながら、いつもの街に繋が
る、小さな駅へと歩く。
気の向くままに夜風にこぼれる、たどたどしい三拍子のリズム。
小さな駅のホームで、単線のレールの果てからくる、クリーム色と橙色のディーゼル
カーを待っている時、急に何だか視線を感じた気がして。
私は、西の空をくるりと振り返った。
夜ににじんで、夕暮れの水彩が溶け切った、山のかたちの、その近く。
何時の間にか、細くて紅い、三日月が浮かんでいた。
ワルツを奏でる音楽隊の、指揮者のように、銀色の三角を描いて。
「ねえ、もういちど、聴いてみてくれる?」
私は、その細い瞳に呼びかけてから、久しぶりに、へたっぴいな歌を歌った。
心のままに、その月に届くように。
Fin.
Image of 『Tin Waltz』/Zabadak アルバム『桜』より
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