冬至祭の夜に

                 冷たい乾いた夜風はさらさらと流れ、娘の許へと音を届ける。届くの は、陽気な笑い声、軽やかに奏でられる笛や弦楽器の調べ、それに合わ せてステップを踏む踊り娘の手にした鈴の音、この夜空と同じくらい澄 んだ歌の声。

             眼下に小さな村を見下ろす、なだらかな丘の上にたった一本そびえ立 つ広葉樹。夏には青々と茂っていた葉は、半分は黄色く色付いて永い歳 を経た古い幹を飾り、残りは根の廻りに柔らかい毛布の様に降り積もっ ている。そんな古い樹の最も高い枝に、娘は座っていた。

 そこからは、次第に藍色に染まりゆく村が一望できた。いつもなら、 家々にほのかな灯りがともり、一日の仕事に疲れた住人を優しく迎え入 れる、そんな時間。だが、今日はいつもとは違った。小さく点々とした 家の灯りは僅かで、代わりに様々な彩りを持つ数多の灯りが重なり合い、 賑わう村の広場を照らしていた。その輝きは、踊る村人の影や、時たま 通りかかる冷たい夜風に明滅していて、ありふれた小さな村に、一夜限 りの幻燈を映しているかにも見えた。

しかし、娘はそんな幻の様な光景を見ずに、ただ目を閉じて、風の届 ける音に耳を澄ましていた。

一年の内、最も永い夜の訪れる日。その夜の始まりに、村人達は祭を 行なう。今年一年の平穏な日々と豊かな収穫や、子供達の無事な成長に は感謝を込めて、来年も同じ柔らかな春の日が、変わらない朝が訪れる ようにと祈りを込めて。

 娘は、この古い大樹の枝の上で、その賑わいを聴くのが好きだった。 瞳を閉じるのは、その方がより良く音を感じ取れたし、それ以前に、村 人達の喜びや歌声をただ聴覚だけで感じるのが好きだからだったから。 だから、娘はずっと昔からこうしてきた。

祭の賑わいは、夜が更けゆくとともに、ますます大きくなる。聞こえ てくる陽気な歌声や笑いの声。そんな音達に、娘は瞳を閉じたまま、優 しく微笑みかける。

 大気はますます冷たく澄み渡り、空の色も藍色からより真の闇へとそ の濃さを増してきた。それとともに、あたかも遠い異国の楽の調べかと も思えた、村人達の賑わいは、その後奏を残して、薄れ、消えていった。 代わりに、音を届ける役目を果たした風達の、さらさらと木の葉を散ら す静かなざわめきが大気に流れる。

 娘は、そっと目を開いた。一夜限りの幻燈の輝きは、はかなき夢の様 に去り、今は再びその棲み家に戻った村人達の、眠りの前の最後の灯だ けが点々と残るばかり。そのほのかな灯も、一つ、また一つと消えてゆ く。

 娘は、大樹の懐から乾いた大地に降り、軽い足取りで、眠りに就かん とする村の方へ歩いていった。

先程までの、華やかな灯の彩りも今は絶え、村を照らすのは、寒々と した天からの月明かりのみ。その有るか無きかの明かりの中を、娘は歩 いていた。

 娘は、祭の後の、静かに眠りに就いた村の中を歩くのが好きだった。 ずっと昔からこうしてきた。その静けさの中には、祭の後に特有の、再 び日常に戻り行く淋しさはなく、むしろ、今年一年の平穏な暮らしに対 するささやかな満足感、そして感謝に満ちていた。

 冴々と身を冷やす夜風にも構わず、それどころかその風を心地良げに 顔に受け、娘は歩を進める。

 村の中心から離れた小さな家の灯が、いまだに闇の中に浮かんでいた。 その灯は、あたかも港に船を迎え入れる夕刻の灯台の様に、暖かい光を 投げ掛けていた。

(おや、こんな時間に……。)  それに気付き、不思議に思った娘は、そっとその家に近付いて行った。 家の扉は僅かに開いていて、そこから優しい暖炉の光が揺らめきながら、 もれ出していた。扉の隙間から覗いてみると、暖炉の傍で眠る、まだ年 若い女性が見えた。その腕には、まだ生まれて間もない赤子が、すやす やと寝息をたてている。

娘は音を立てないように、そっと扉を開け、暖かな家の中に入り、凍 てつく夜風が入らぬようにその扉を閉めた。テーブルには、粗末だが普 通より手を込めた食事と、ささやかな飾り付けがそのまま残っている。 台所の火の傍には、いつでも温められる様にと、前もって料理されたシ チューが鍋に入って置かれていた。

娘は、眠る母親と赤子の傍に、静かに近寄った。年若い母親は、しっ かりとその懐に赤子を抱き、優しげな表情を残したまま、眠りに落ちて いた。祭にも行かず、遠くの町で働く夫を待っていたのだろうか、そん なことを娘が考えていると、赤子が娘に気付いたのか、身じろぎして、 僅かに小さな手を伸ばした。

 生まれて間もない赤子の瞳は、いまだ自分の生きる世界を見る事無く、 閉じられていた。しかし、赤子は、確かに娘の存在を感じ取り、娘を「 見て」いた。

『わたしは、あなたの古いお友達よ。』       娘は、赤子の問い掛けに答えた。  赤子は、何かを娘に訴えかけた。 『大丈夫、恐くないわ。私が見ているから。ずっとずっと私があなたを 見ているから。』  赤子は、その小さな手を紅葉の様に開き、娘の方に伸ばした。 『約束するわ。だからほら、勇気を出して。』

 そっと娘の手が、赤子の手を優しく握り締める。そして、赤子は瞳を 開いた。自分の生まれた世界をを見るために。永く短い命をこの世界で 生きるために。

 月明かりを残したままで、真白い雪が降りだしていた。娘は再び丘の 上の大樹に戻り、その雪の中、村の今日最後の灯が消えるまで、見てい た。あるいは、その灯の下の、若き夫婦の喜びの声を聴いていたのかも しれない。

 雪は静かに、祭の終わった村に降り積もる。眠る幼子を、白い毛布で 包み込むかの様に。

 ずっとおまえたちを見ていよう。   ずっとおまえたちを守っていよう。   今夜もおまえたちが安らかに眠れるように。   明日も同じ朝日がおまえたちを照らすように。  娘は瞳を閉じ、優しく静かに微笑んだ。  今宵、冬至祭の夜に……。



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