2000年9月分



9/20
なにげなく……
雑誌にうちのページが出てたり(爆)
サイアスっていう科学雑誌ですけど、その中の1コーナーであるキーワードを元に様々なHPの内容で話を進めていくという記事で、今回はロシア原潜事故から「DSRV」。
最初にイギリスのDSRVを紹介した後に「海自ではどうか」ということになって海自HPで「ちよだ」の紹介。その後にもう少し細かい解説で本ページ。そしてDSRV制作元の川崎重工のHPに飛んだ後に、DSRVの運用についての解説と繋がりました。
この流れで分かるように、うちのページは海自HPの補足的役割のちょい役だったみたいです(笑)
まぁ、それでも本家よりも情報量が上という満足心はありますね(^^:

この文章、しばらく前に書いたけど、いろいろあってアップできてなかった(苦笑)


9/4
ちょっと佐世保へ……
いってきました。
今回は旧海軍墓地へも行ってみましたが、そこにはあるわあるわ。旧軍艦艇の慰霊碑が。
そこにあったのは、巡洋艦以上でも「金剛」「榛名」「霧島」「加賀」「雲龍」「瑞鳳」「鳥海」「矢矧」「妙高」「足柄」「羽黒」そして「那智」。
一応HP名、ハンドル名に使わせてもらっている以上、見過ごすわけにも行かずに手を合わせてきました。
駆逐艦やその他でも「秋月」や「常磐」、各種潜水艦や上海事変、第四艦隊事件の戦死者、水雷艇「友鶴」の殉難者についての物もありました。
その後にこの場所を清掃しているおじいさんに捕まって、その後にたっぷりと昔話を話してくれました。
昭和18年に15歳で駆逐艦に乗り組み、乗艦は沈没。その後に海防艦に移り、鹿児島付近でいりろやっていたそうです。
戦後は、航路啓開のために掃海艇に乗り組み、その後朝鮮戦争でも上陸を支援するために朝鮮半島まで行ってその後に海自にいたそうです。
凄惨な現場を見ているためか、その言葉はかなり重い……というか、痛い物がありました。
水葬の際には吹き飛んで足りない部分を適当なもので継ぎ足し(腕がないのなら木の棒、頭がないときはてるてる坊主のような布の頭など)て、人の形を形作った後で重石を抱えさせて沈めたとか、船内に貫通弾があったときはその部屋は人肉があたり中にへばりついていたとか……
そして、いろいろ見聞きして、マスコミは偏った見方しかせず、その上事実をねじ曲げて伝えていると憤慨していました。
記憶のずれとかそう言うのがあって、もしかするといくつかの部分は実際とは異なる可能性も捨て切れませんが、それでも話には充分な重みがありました。
その後に佐世保史料館リターンズ。
前回読み損なった72式魚雷に付いての文献と所持していない世界の艦船のバックナンバー読み。
72式魚雷については、大戦中の魚雷開発からこの魚雷の開発史と退役までが書いてありました。
……でも、その前のお話が効いたせいか、しばし意識がもうろうとしていたようです(爆)
なお、一緒に行った人は、豊富で貴重な資料を目の前にして悶えてました(笑)。


9/3
最近、上空をよくヘリが飛んでいる……
前々から訓練へ向かう陸自のヘリ(確認できたのはOH−6やCH−47)が飛んでいたんですけど、最近はそうではないローターマストの高い民間仕様ヘリをよく見ます。
で、思い当たる節があってちょっと確認に移動。予想通り近くにある島(橋でいける)で観光ヘリが営業していたり。
ヘリは予想通りというかロビンソンR−44小型ヘリ(4座)で、お客を乗せて頻繁に離着陸しているあたりはまだ商業的には黒字っぽくやっているようでした。
で、料金は一機貸し切り(といっても、一機しかないけど)3人までで5分8000円。高いと見るか安いと見るかはそれぞれでしょうけど、2700円弱(3人搭乗で一人あたり)でちょっとの空の旅と見れば、まぁそこまできつい料金ではないでしょう。なお、15分くらいでは20000円でした。


戻ります。