2000年10月分



10/23
イージス駆逐艦「コール」のテロ被害について……
とりあえず、わかっていることをごく簡単にまとめるとイエメンのアデンの港において第五艦隊所属のアーレイ・バーク級駆逐艦「コール」が補給などを受けるべく停泊をしていると一隻のゴムボート(二人乗り)が接近。
接近してきたゴムボートには200キロ前後の爆薬が積まれていたと見られ、それが爆発したことでコールの船体に長さ約12.2m、幅(高さ?)約6mほどの四方ほどの大穴が開きそこから浸水。
被弾場所は第一機関室の付近と思われ、おそらくは爆破の衝撃、そしてその後に続いた浸水によって20名弱の乗員が犠牲になり、30名近くが負傷。
爆発威力の大部分は外へ逃げたとはいえ船体に大穴を開けるほどの威力です。このことは見方を変えると、単魚雷や小型の対艦ミサイル程度では即座に沈むことはないと言うことでしょう。もっとも、被弾したのがダメコンに対して最も優れていると言われる米海軍だったために沈まなかったのかもしれませんが……
また、犠牲者の中に女性が入っていたと言うことは米海軍に置いて女性の戦闘艦艇の乗り組みもそれなりに進んでいると言うことになるでしょう。
そして、今後のコールですが、報道によると復旧工事は現地並びに近隣の国では行わずに本国へと持ち帰った後で本格的に修理を施すのだそうです。これまでは基本的に曳航されて行く物でしたが、今回はなんと重量物運搬船を持ってきて「その上に載せて」持ち帰る計画だそうです。まさか満載状態重量8400トンあまり(コールはフライト1型)ではいきませんが、軽くしても6000トン近くはあるでしょう。工業用プラントの輸送ではそれを超える重量での輸送があったかもしれませんが、(空母を除く)大型艦艇の輸送を船に乗せて行い、あまつさえ大西洋を越えるなんて初の試みではないでしょうか。しかも、バウ・ソナーがあるために艦首を少し外にはみ出した斜めの角度で載せなければならないそうです。
ただ、これによって移動速度が格段に上がり、早く修理に着手することも可能になるそうです。


10/20
隣街に……
なぜか掃海艇が来ていたので見学に(笑)
来ていたのは艦番号666 掃海艇「おぎしま」
「はつしま」型の18番艦で第2掃海隊群所属、定係港は佐世保。
平日と言うこともあってか体験航海はなく、停泊状態での船上案内だけでした。
前科が地連の人に知られていたらしく、案内係が「濃い人用」だったらしいです(爆死)
でも、それでもだいたいにおいてわかっていたのはむこうの見積もりが甘かったのか、自分が濃かったのか……(笑)きっと前者(^^;
ひとまずはこの型に装備されているS−4掃海具ならびにその曳航装置で、現在からすると旧式は否めないのですが、海自掃海艇としては初めて掃討能力を持つことになったと言う点からするとなかなか興味深い装備でしょう。


10/17
かなり間が空いてしまったり(汗)
この前空自のレーダーサイトがどんなものかを見に(といっても、敷地外から)行きましたけど……やっぱり標高の高いところ(といっても、1000m程度)にありました。
すぐ近くにパトリオットと交代したナイキ対空ミサイルが展示してありましたけど、白い機体は錆が浮いて展示状態はお世辞にもいいとは言えませんでしたけど、今の対空ミサイルと比較したら直径が大きい分大柄という印象は持ちました。
ちなみに、そこまでの山道は、特にコーナー部に「タイヤのスリップ痕」や「ぶつかった後」、「散乱したプラスチックやガラス」、「投げ捨てられたお菓子などのゴミ」がたくさんありました。
それはどう見てもそこでドリフトをがんがんやっていたということになるでしょう。山頂に駐留する警戒隊のみなさんにしてみればはなはだ迷惑なことでしょうね。下手に事故ったら救助に行く羽目にもなりそうな気もしますし……。

最近ふと思ったこと……
日本に置いて「大戦時の歴史や兵器」などに興味があると言えば「軍拡」「反平和」といきなり偏見を持つ人が多いこの国ですけど、よく考えてみるとなぜこの期間、そしてその後に関する軍事の興味だけが蔑まなければならないのでしょうか。
「軍事」という面からだけで見れば「戦国時代」も同じ次元になるはずです。
それなのに、前者はそれだけで下手すれば白い目で見られかねず、後者は「いい趣味」としてもてはやされる……歴史としてその作戦を見たり、その時に使用された装備品を分析するという点だけで言えば双方は等価値なはずです。
考えられる点としては第二次大戦については「体験者がまだいる」という面と「負け戦」で変に自虐的な歴史観が根付いているからかもしれませんね。
歴史の教科書でも第二次大戦の日本については確実に教えるであろう事は「原爆」「終戦」の三日間……あえてつくと言っても「東京大空襲」程度のことしかなく、反面戦国時代などは期間が長いこともありますけどそれなりに書いてあります。大戦中のことは他に書いてあるとしても「日本とドイツの悪逆非道な振る舞い」くらいしかないような……・。
これでは、歴史に関する興味が偏っていくのもしょうがないともいえますね……。しかし、これでは過去のことを知り、それを教訓として将来に生かすという観点ではかなり損をしていると言えるでしょう。例えば短期的視野で物事を考え、その上机上の空論で自爆や、現場を知らない参謀や司令官など昨今の問題も同じように繰り返されていますし。
そして、「英雄」がいないという点もあるでしょう。近代戦は司令官といえども一つのユニットとして動くことになり、作戦立案もコンピュータの助けを借りながら集団でやるものですから一人の名案があったとしてもそれを処理するのはコンピュータや作戦立案部であって歴史として残ることはないでしょう。それこそ湾岸戦争などで名前が出たのは司令官だけであって、それすらも人々の記憶からは消えています。
それとも、「海外を侵略したから」いけないのでしょうか?それでも、秀吉の朝鮮出兵については(失敗したこともあってか、それとも古すぎるのか)あまり大きくは聞きません。
現代日本では「軍備=海外侵略」という短絡的な図式しか頭にない人が多いですし、国会議員の中にもその短絡思考で自衛隊員の生命を危機に陥れようとした方々も大量にいるでしょう。例えば湾岸派遣の掃海艇に(固定装備である)バルカン砲を積んではいけないとか、武器は自動小銃一丁にするか二丁にするか、不審船に向かっては体当たりしろとか……その命令を守って自衛隊員が被害にあったとしても処分は現場に行くのであって、いった本人は軽い責任追及をかわすだけですむんでしょう。
そして、自衛隊のみで海外へ進出するということも全くないですし、自衛隊員も(幹部でさえ)それを望んでいる人はほぼいないはずです。侵略(たいていは領土奪還など別の言い回しを使用する)を行おうとするのは政治家であって、自衛隊ではありません。よほど洗脳術に長けた人が上にいない限りはまずもって自衛隊による外国侵略が発生することは無いでしょう。そもそも、「武器は小銃一丁のみ」というぼけた国会決議を律儀に守っていった点でも「軍の暴走」とか「侵略」とかあり得ると思います?
そう言う観点から見れば、日本ほど「防衛」「災害出動」に特化された軍事集団もないでしょうね(^^;
結局の所日本という国は「近代戦」に関しては無知と共に偏見もかなり入って否定的な感情論がまかり通る国ですが、「中世以前の戦争」に関したらもしかすると下手な外国よりも興味がある人が多い国なのかもしれません。

イージス駆逐艦「コール」のテロ被害についてはまた後ほど……



戻ります。