「浩之ちゃん」
 オレはゆっくり顔を上げた。
「ん?」
「どうしたの? なんだか元気ないね」
「そうか…?」
「うん。…なにかあったの?」
「いや、べつに…」
「………そう」

「なんだ、心配してくれたのか?」
「え? …う、うん、まあ」
「そっか。…サンキュな」
「えっ?」
「どうした?」
「ううん、なんでも…」
 あかりは左右に首を振った。
「……」
「……」
 少し間を置いて、オレは言った。
「なあ、あかり?」
「うん、なに?」

「お前さあ…」
「うん」
「もし、誰かと結婚して…」
「え!? だ、誰かって…!?」
「まあ、誰でもいい。とにかく、結婚してだな…」
「う、うん…」
「…家庭の主婦になったとしたら、やっぱメイドロボ、
いたほうがいいか?」
「メイドロボット?」
「ああ」
「う、うう〜ん、どうだろ…」
 あかりは少し悩んでから答えた。
「あんまり、欲しくないかも…」

「なんで?」
「だって、お嫁さんの仕事、みんな取られちゃいそう
なんだもん」
「……そっか」
「でも、どうして、突然?」
「いや…」
 オレは微笑んではぐらかした。
「あっ、でも、この前まで一年にいた、マルチちゃん
みたいな子だったらいいかな」
 マルチ…。
「なんで? なんで、マルチだったらいいんだ?」
「だって、一緒にお料理とか、お掃除とかしたら楽し
そうなんだもん」
 あかりは微笑んでそう言った。

「……そうだよな」
「うん」
「…そうだよな。あいつといたら、きっと、いろいろ
楽しいよな…」
「うん」

「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「なんだ?」
 オレが苦笑して訊くと、
「今日の浩之ちゃん、なんだか、すごく優しい感じが
する」
 あかりは、そんなことを言った。


 昼休み。
 飯を食い終えた後、なんの気なしに屋上へとやって
来た。
 その日は、いい天気だった。
 降り注ぐ温かい陽射しは、ぽっかり胸に開いた消失
感を埋めてくれそうな気がした。


 ぼんやりと空を眺めた。
 ふわふわとのんきに流れる雲を見ていると、なんと
なく、ふと、マルチのことを思い出した。


 眩しい朝陽を浴びた、にっこり笑顔。
 それが、オレが最後に見たマルチだった。
 昨日、まだ朝も早い時間、マルチは笑顔で、オレに
最後の別れを告げたのだった。

「どうも、お世話になりました」
「…おい、いいのか? 本当に帰るのか?」
 そんなマルチを引き止めるように、オレは言った。
「このまま研究所に帰ったら、お前はもう…」
 マルチは、ほんの一瞬、表情にかげりを見せたが、
すぐにまた笑顔に戻ると、
「はい、帰ります」
 はっきりとそう答えた。

「だって、研究所には、みなさんが待ってるんです。
わたしの帰りを待ってるんです。開発スタッフの方々
と、そして…」
「……」
「まだ見ぬわたしの妹たちが」
「マルチ…」

「浩之さん、今日までいろいろよくしてくださって、
本当にありがとうございました。わたし、浩之さんに
巡り会えて、本当に幸せでした」
「……」
「この幸せな気持ちを、これから生まれてくるわたし
の妹たちにも感じさせてあげたい。浩之さんのような
素敵なご主人様に巡り会って、いまのわたしのような
幸せを感じて欲しい。そのためにも、わたしは研究所
に戻ります」
「マルチ…」

「浩之さん。もしいつか、どこかで、わたしの妹たち
を見掛けたら、どうか、声を掛けてあげてください。
わたしがこんなにも好きになった方ですもの、きっと
妹たちも、浩之さんのこと、大好きになるはずです」
「…ああ、わかった。オレ、お前の妹が売られたら、
絶対買うよ。記憶はないかもしれないけど、それでも
やっぱ少しはお前の心が入ってんだろ? だったら、
ふたりでまた、新しい思い出を作っていこうな」
「…浩之さん」

 オレがそう言うと、マルチは目から涙を溢れさせ、
「…ううっ」
 一瞬泣きそうな顔をした。
 だが、それでもなんとかこらえると、再びにこっと
微笑んで、
「はい、そうしてください!」
 と、うなずいた。
「わたし、浩之さんのこと…、本当に本当に、大好き
でした! 誰よりも一番大好きでした!」


 ――大好きでした…。

 ドジで、間抜けで、おっちょこちょいで…。
 怖がりで、泣き虫で、甘えん坊で…。
 いつも一生懸命で、誰よりも優しくて…。
 そんなマルチの優しさは、人間のみならず、動物や、
自分と同じロボットにも向けられていた。

 今後、マルチが発売されて、世界中の至るところに
アイツが溢れ始めたら、この世はきっと平和になるよ
なぁ…。
 …ふと、そんなことを考えつつ、オレは目に滲んだ
涙を手で拭った。


 その日の帰り道、公園で、鳩にエサをやってる変な
オッサンに話し掛けられた。
「やあ、どうですか、あなたも?」
「…どうですかって、鳩のエサやり?」
 普段だったらシカトするところだが、その日はなん
となく、まともに受け答えしてしまった。
「そうそう。鳩は平和のシンボルですからね。大切に
しなくちゃいけません」
 そう言って、オレに2袋ある鳥エサのうちひとつを
手渡した。
 渡されてしまったものはしょうがなく、オレは一緒
になってエサをばらまいた。

「いやぁ、それにしてもいい天気ですねぇ。今朝方は
ちょっとパラついてましたけどね」
 オッサンがパラパラとエサをまきながら言った。
「はあ…」
 適当に相づちを打って、オレもエサをまいた。
「あんまりいい天気なもので、会社を抜け出て、ぶら
ぶらしてるんです」
 オッサンはのんびりした口調で言った。
「ま、どうせ会社に戻っても、なにもすることはない
ですから。…仕事はみんな、ロボットに取られちゃい
ましてね」
「ロボットに?」
「ええ」
 オッサンはうなずいた。

「最近、最新型のなんとかっていうすごいのが、会社
のほうに導入されましてね。…ホント、ロボットは、
よく働きますよねぇ。…なんでもテキパキこなすし、
早いし、ミスもない、おまけに残業だって文句も言わ
ずにやっちゃうし。いやー、まさに社員の鏡ですよ。
私たち人間の社員は、このままどんどん用済みになっ
て、リストラされてくんでしょうかね」
 オッサンはハハハと笑った。
 オッサンがエサをまくと、群がった鳩たちがそれを
ついばんだ。

「でも、じつはわたし、ロボットってやつがあんまり
好きじゃないんですよね」
 ひと息ついて、オッサンは言った。
「…なんで?」
「いや、仕事をとられた逆恨みってのもありますが、
それよりも、やっぱ連中って、機械でしょ? なんて
いうか、こう、そんな心のない連中が溢れ出てくると、
世の中つまんなくなっちゃうっていうか。文句ひとつ
も言わない連中が黙々と働く光景は、あんまり気持ち
のいいもんじゃないですよ」
 鳩が一箇所に集まりすぎたので、それっと、遠くの
ほうにもエサをまく。

「せめて、連中にももう少し、人間らしい心があれば
いいと思いませんか? 仕事終わりに飲みに誘いたく
なるくらいの…。そうすれば、いまの無味乾燥な職場
も、少しは楽しくなるんですけどね」
 そんなオッサンの話を聞いていて、マルチのことを
思い出さずにはいられなかった。
 マルチが働く職場なら、きっと楽しいだろう。
「…そうだろうな」
 オレは微かに笑んで、エサをまいた。

「…でもね、最近こんな話を上司に話したら、笑われ
たんですよね。ロボットには心なんて必要ない、必要
なのはより便利な機能だと。まあ、たしかにそうかも
しれません。ロボットはしょせん人間の道具なんです
から。人間らしいロボットなんて、結局、なんの意味
もないんですよ。デジタル時計を突き詰めて、究極的
な疑似アナログ時計を作ったところで、そこになんの
意味があるかというと、作り手の満足だけで――」
「…?」
 オレが眉をしかめると、オッサンはコホンと咳払い
し、
「――あ、いや、失礼」
 と言った。

「…で、あなたはどう思います?」
 カラになったエサ袋をポケットに詰め込んで、オッ
サンは訊いてきた。
「なにが?」
「ロボットに、心は必要あるのか、ないのか」
「……」
「あなたは、どう思います?」
 少し考えてから、オレは言った。

「あったほうがいいに決まってるじゃねーか」
 きっぱりと笑顔で言った。
「……」
 そうだ、あかりのヤツも言っていた。
 マルチといると楽しそうだって…。
「そっちのほうが楽しいに決まってんじゃねーか」
「……」
 オッサンはしばらく、オレを見つめた後、
「やっぱり、そうですよねぇ」
 と微笑んだ。


 そして、月日は流れ去り…。


 その後

マルチとの再会