生還 〜厳冬の甲斐駒ヶ岳黄蓮谷の記録〜

 1995年の年末は例年になく降雪が少なかった。私は密かにこのまま雪が降らないで新年を迎えられることを期待していた。というのは、今回の正月山行は、甲斐駒ヶ岳黄蓮谷右俣でのアイスクライミングを計画していたからである。黄蓮谷のアイスクライミングとしてのルートは、一般に積雪の少ない12月上旬が適期とされ、それ以降の時期になると深いラッセルと雪崩の危険にさらされることになる。しかし、12月上旬は仕事が忙しく休暇が取れないので今回はやむを得ず、年末の時期に入ることにした。そういうわけで、ひたすら雪の降らない正月を待っていたのである。

 12月30日、甲府市内の自宅を7時00分に車で出発する。メンバーは御坂山岳会のU氏とK氏と私の3人パーティーだ。スピーディーな登攀をするためには理想的なメンバーだ。8時00分、竹宇駒ケ岳神社に今回の登山の安全を祈願して出発する。黒戸尾根の登山道は落ち葉で埋もれて秋山のようだ。15時00分、五合目小屋に到着する。もうひとがんばりして黄蓮谷目指して下降する。しばらくするとトレースが無くなりルートを見失う。思い切って沢の中に降りて強引に下る。途中クライムダウンでてこずったが、17時00分、千丈ノ岩小屋に到着する。広くて快適なビバークサイトだ。22時の気象通報で天気図を作成する。低気圧が接近しており、明日から降雪となることを知る。このときは、明日一日で黄蓮谷を抜ければ大丈夫だろうと思っていた。

坊主ノ滝 50m

奥千丈ノ滝 200m

 12月31日、起床とともに空をうかがうと高曇りである。これならば今日一日で抜ければ雪崩の心配はないと判断した。7時10分出発。黄蓮谷本流に入ってからは歩きにくいゴーロと薮を漕ぎながらの高巻きでペースが上がらない。登るにしたがってラッセルは深くなる。坊主ノ滝取り付きで登攀用具を出す。この頃から雪がちらつき始めた。滝は50メートル、下部の氷結はあまいが傾斜は70度、アイスハーケン2本を使用して越える。9時50分、全員が坊主ノ滝を越える。次の15メートルの滝でもザイルを使用し、その後現れる小さな滝はフリーで越える。二俣から右俣に入る。次第に両岸が迫ってきてやがて奥千丈ノ滝200メートルが現れる。傾斜は緩いがスケールが大きいので、スタッカットで2ピッチ登る。あとはコンテニュアスで進む。雪は本降りとなり、ラッセルは急激に深くなる。
 次の15メートルの滝でKをビレイしているとMが叫んだ。チリ雪崩に襲われデポしてあったザックが埋まる。いよいよ危険地帯に突入してきたことを実感する。やがて渓床は50メートルの平坦なインゼルとなる。時刻は14時30分、ここならば雪崩の危険はないだろうと思い、一応用心のため大きな岩陰にテントを設営する。

 1月1日、テントの中で出発の準備をしていると突然ドンと大きな衝撃を受け、ザーと雪の流れる音とともにテントが動いているのを感じる。何事かと外へ飛び出すと外の景色が昨日の記憶と違う。テントごと本流からの雪崩の末端に押し流されて移動していたのだ。あと5メートル流されていればテントごと滝壷の下に墜落しているところであった。テントを固定していたアンカー4本のうち1本だけが効いていた。ここも危険だということが判明したので慌てて出発の準備をするが、テントの外に出していたアイゼンやヘルメットが雪に埋まり、探し出すのに1時間ほどかかり、出発は9時となってしまった。
 雪の状態はひじょうに不安定で雪崩の危険があるので本流の登攀を変更し、烏帽子沢付近から黒戸尾根に伸びる支尾根へエスケープする。天候は晴れているが風速20〜30メートルの強風が吹き荒れている。ダケカンバの点在するハイマツ帯を膝までのラッセルで進が、頻繁に襲う突風のためペースが上がらない。ピッケルを持つ左手指の感覚がなくなる。本流では昨日積もった雪のため、チリ雪崩が頻発している。
 傾斜25度の雪面をKがトップ、私が2番目、Uがラストでトラバースしているときであった。あと50メートルほど進めば潅木帯に入り一息つけるところであった。後ろにいるUが、「わー」と何か叫んだのと同時に足元の雪面が動き出した。表層雪崩だ。斜面の上方にクレバスがぱっくりと口を開けて斜面全体が動いている。トップのKが雪に埋まりながら雪崩に流されてゆくのがスローモーションのように見える。私は下半身が埋まったが、潅木にしがみついて止まった。雪崩から難をのがれたUがKを掘り出すために空身で走って行く。私は下半身の自由が効かずその場で「大丈夫かー」と叫ぶと、Kは雪のなかから片手をあげて「大丈夫でーす」と返答する。無事であった。
 3人はトラバース地点から少し戻ったところの潅木帯に避難したが、これから先、進路も退路も雪崩で断たれてしまった。時計を見ると14時30分であった。雪崩による精神的ダメージも大きく、今日はもう登る気力を失ってしまった。周囲の潅木にザイルを張ってテントを固定し、3人は座ったまま一夜を明かした。一晩中ジェット機の轟音のようなすさまじい突風が、斜面に張り付く我々を吹き飛ばそうとした。アマチュア無線で自宅へ下山が遅れそうなことを伝える。

黒戸尾根より鋸岳

黄蓮谷登攀終了(黒戸尾根烏帽子岩付近)

1月2日、快晴無風の朝を迎えた。左手の指と顔の感覚が戻らない。凍傷にやられた。天候が回復したので上部ルートがよく見える。急斜面での装備の装着にてこずり、9時00分出発。雪崩を避けるため岩壁帯にルートを取る。稜線に脱出するルートが未知なので、たまらない不安感に襲われる。ハイマツ混じりの岩壁でザイルを出して2ピッチで通過すると、ハイマツの緩傾斜帯が稜線まで続いている。助かった。ここでザイルを解き40分ほど歩いて縦走路に出る。3人は手を取り合って生還できた喜びを確認する。11時50分であった。
 これまでの登攀と比べると冬の黒戸尾根の下りはハイキングのようなもの。ただ、アイゼンで梯子を下るのには閉口する。15時00分、五合目小屋に到着する。普通ならここでもう一泊するところだが、もう一刻も早く家族の待つ家庭へ帰りたい。がんばって今日中に下山しよう。19時30分、ヘッドランプを点けてボロボロになって竹宇駒ケ岳神社にたどり着く。そこから車で甲府市内のラーメン屋に入り、遅い夕食を摂る。私の箸を持つ左手(私は左利き)は凍傷のため水脹れができてうまく使えない。Uも凍傷にやられている。しかし、このときのラーメンはうまかった。ほんとうにうまかった。

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