かこ日記

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●3月31日

なかなか起きられず、昼近くまで寝てました。
風呂に入って気分を変えてテレビをつけたらイキナリ有珠山噴火のニュース。
東京にいると、なんだか実感がありませんが、これからがタイヘンなんでしょうね。
現地の皆さん、頑張って下さい。(何と言ってよいやら・・・)

夜、NHK関係のOさんとS氏が遊びにきてくれました。(おみやげありがとうございました)
相当のストレスらしく、かなりお飲みになってました。
仕上げは「江川亭」だったのですが、麺の種類がかわり味もなんだか、って感じになってしまっていて少し残念でした。


●3月30日

朝、市役所〜地域センター。

夕方、三軒茶屋〜渋谷方面で雑用。
渋谷で床屋さんを探したのですが、なかなか見つからず結局消防署で教えてもらいました。
何故か、丸井近辺クラクションを鳴らす黒塗りの車がいたので何かな、と思ったら、信号待ちの吉川忠英さんでした。
あの人とは妙な所で遭遇します。

夜、今年の元旦に仕事をした「SOPHIA」のコンサートを観にNHKホールまで行きました。
コンンサートは素晴しいものでした。
演出・構成的にもホーっと思うところが多く、オヂさんももっと勉強しなくては、と思いました。
3階のドアそばの階段で見ていたのですが、4曲くらい聞いたところで係のお姉さんに追い出されてしまいました。
階段で立ち見されると、後ろのお客さんの迷惑になりますので、と言われたのですが、後ろのお客さんは3メートル位上でしかも全員スタンディング状態。
なんだかなあ〜、と思いつつも指示された3階最後列にいったら、立ち見のお客さんばかりで何も見えないではありませんか。
もう一度、お姉さんに他に観てもいい場所は、と聞いたら、両サイドの壁に張り付いているなら通路でもOKとのお許しを頂き、やっと残りの曲を鑑賞できました。
まあ、たまにお客さんの苦労を味わうのもよいものです。

お客さんと言えば、殆どの曲を全員で歌っていて、それはまるで、ロックバンド伴奏付きの歌声喫茶か、シングアウトのフォークソングクラブロック版か、合唱部ロックバンド伴奏付き、といった感じでした。
あんなに歌っていて、ホントにバンドのボーカル聞いているのかは謎でした。
でも、なんか良い雰囲気の客層でした。

終了後、ホールをでたらライターのM嬢に何年ぶりかでバッタリ。
10年以上前からの知り合いなのですが、すっかり売れっこライターになってて忙しそうでした。
こういう再会も嬉しいものです。

その後、下北「zaji」にて先週再会した、米光亮氏と飲みました。
いままで話したことも無い様な内容の展開になりなかなか面白かったです。
深夜、ラジオの仕事から流れてきた某バンドのベーシストK氏、事務所Oさんも合流し、結局わけのわからない展開になりました。
私は、沈没状態で帰宅しましたが、酒豪の男たちは深夜の下北沢の街へと消えていきました。


●3月29日

朝、睡眠不足&二日酔いのまま地域センターへ。
午後、近所のんさん宅。
夕方、激しい雨があがっった後、とても大きい虹を見ました。
いままで見た虹の中でいちばん立派で、少し感激でした。

ここのところの疲れもあってあとは休養してました。


●3月28日

朝は地域センター。
夕方、中野坂上にて何年かぶりで、フランスでお世話になったコーディネーターT氏と再会しました。
彼とはビアリッツというところで開催された映像音楽祭以来のお付き合いで、作曲家のガブリエル・ヤレドと知り合うきっかけを作ってくれた人でもあります。
そのガブリエルからのCDと楽譜を受け取るために久々に会った、というわけです。
某飲み屋さんまで出向いたのですが、ザ・広告業界といった面々と一緒だったので、少し場違いでした。

その後、祖師谷大蔵肴処「庵」にて某バンドのベーシストK氏、選曲Tさま、という奇妙な組み合わせで集いました。
話しは盛り上がり、「おやじ窟」へ移動。
沢山飲みました。


●3月27日

朝、地域センター。
午後、急ぎCM仕事の譜面の仕上げ。

夕方、「狛江市中学校吹奏楽合同演奏会」というのに行ってみました。
演奏はなかなかだったのですが、客席側の態度には呆れてしまいました。
演奏中も喋りっぱなしだったり、携帯が鳴りまくっていたりで、観客としてのマナーが全くなってませんでした。
やっぱり狛江に文化は育たないんだろうなあ、と淋しくなりました。

21時からスタジオで急ぎCM仕事の録音でした。
監督とクライアント待ちが1時間程ありましたが、いたって和やかな現場でした。
無事進行してくれるとよいのですが・・。

終了後、エンジニアK氏(御馳走様でした)と池尻大橋「つくしの子」にて美味日本酒を堪能しながらの反省会?でした。
通り道の「おやじ窟」はお休みでした。


●3月26日

午前中、喜多見の公園に光合成に行ってきました。
暖かく、気持ちよかったので、昼から生ビールを飲んでしまいました。

夕方、吉祥寺に移動。
今日は、マンダラ2UBiK(NaO2)ライブにゲスト出演しました。
御来場の皆様、ありがとうございました。

現地打ち上げの後、帰りに寄った「麺家」はイマイチだったかもしれません。
帰宅後、BSの「フォーク大集合」ビデオにてチェックしたものの、寝不足だったのでバタンキューでした。


●3月25日

朝から急ぎCM仕事のデモテープ作り。
夕方、完成したテープとともに赤坂で向かいました。
打ち合わせはけっこうスンナリいったので、渋谷で今日が初日の「ストレイト・ストーリー」を 鑑賞しました。
レイトショーで8時30分の回(料金が1300円とお得でした)に行ったのですが、思った程の混雑もなくゆったりと観ることができました。
感動しました。
さすがデビット・リンチ監督、という映像美の世界にドップリとつかっていたのですが、エンドロールが終わって客電がついて、ノビをしてたところに「ネコさ〜ん」という声が。
最前列で観ていたので焦点が定まらないまま目をショボショボさせて振り向くと、そこには御近所の加藤みちあきジャン・ピエール夫妻がいるではありませんか。
狛江周辺ではちっとも会わないのに、初日の映画館でバッタリ、という偶然にもう少しで流れそうだった涙もひっこみ、「なんで〜?」と大笑いになってしまい、感動はカットアウトされてしまいました。

あまりにも偶然の出会いだったので、帰りに和泉多摩川「ハーベスト・ムーン」にて軽く一杯のつもりでけっこう飲みました。

3月は再会の月なのかなあ・・?。


●3月24日

今日は何年かぶりで、米光亮氏の仕事にヴァイオリンで参加しました。
久々だったのに、お互い昔のままで楽しい仕事でした。

夕方、あき時間に「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」を鑑賞しました。
広島で南こうせつさんに推薦された映画だったのですが、なかなか素晴しい作品でした。
チェロってやっぱりいいなあ、と思いました。

夜は、急ぎCM仕事のテレシネに立ち合いつつの打ち合わせでした。
明日のピンチを予測し、二子玉川経由にもかかわらずまっすぐ帰宅しました。


●3月23日

朝は地域センターでした。
もうすぐ花見だというのに寒かったです。

夜、デザイナーKさんと、去年の 志太のミュージカルの舞台用音源CDのデザイン打ち合わせをしました。
次に五反田に移動し、急ぎCM仕事のテレシネの現場にて打ち合わせ。
その後、西麻布の「イエロー」に行く、と言ったら音楽プロデューサーT氏と監督F氏が暇つぶしに付き合ってくれる、という名目で某店で軽く飲みました。
深夜「イエロー」にて「イマジン」に出演していた鈴木一真さん のライブを鑑賞しました。
芸能色の全く無いバンドで、ロックしててカッコよかったです。
でも、店内の通勤ラッシュの電車状態にはビックリでした。
息苦しかったので、某店にダルセーニョしたものの以外と早い帰宅でした。


●3月22日

朝は近所の地域センター。
夕方から、26日吉祥寺 マンダラ2用のUBIK(NaO2)リハに参加しました。
両腕バキバキ状態が続いていてかなり辛かったです。
終了後、台湾料理「旺旺」にて食事会。
同時刻に三鷹で飲んでいた吉川忠英さんのお誘いなどもありましたが、さすがの蓄積疲労のためまたまたあっさり帰宅。
狛江の駅からのIタクシーの愛想の悪さに辟易ししました。


●3月21日

今日は、南青山マンダラ小峰公子さんのソロライブの日でした。
怒涛のライブ、というよりコンサート並の曲数で両腕がバキバキになるくらい弾きました。
またまた楽しいライブとなりました。
1月にやったCM仕事、「ロイヒつぼ膏」NICHIBANの皆さんや、代理店、スタッフの皆さんもお客さんとして観にきてくれてビックリでした。(皆さん、ありがとうございました)

あまりの疲労のため、支那そば「大吉」でソバを食べてあっさり帰宅しました。


●3月20日

今日は、祖師谷「IKEDA」のライブに参加しました。
とても楽しいライブとなりました。

終了後、「おやじ窟」にて休養しました。


●3月19日

休養日、のつもりでした。
夕方、吉良知彦家と祖師谷酒処「庵」で会食のつもりだったのですが、明日のライブの下見ということで「IKEDA」まで行き、また「庵」にダルセーニョ。
休養日、のつもりだったのですが・・・。


●3月18日

どうも、花粉にやられたらしく、午前中お医者さんに行ってきました。
もう、何とかしてください、のお願い状況でした。

午後からは、21日の南青山マンダラ小峰公子さんのライブのリハでした。
もう、両肩がバキバキです。

終了後は、小峰さんと祖師谷酒処「庵」にてミーティングでした。?
かなり疲れてますです。


●3月17日

朝、地域センターで昨日の話の続き等を打ち合わせしまあした。
その後、御近所の某所の某会のビデオ撮影係をつとめたものの、バッテリー切れでトホホ状態になってしまいました。
(S婦人、ゴメンナサイ)

夕方から、21日の南青山マンダラ小峰公子さんのライブのリハでした。
終了後、お好みアジア食堂「そ」にて食事会。


●3月16日

朝、地域センターで新企画の相談を少々。
続いて祖母のお見舞に行きました。

午後からは事務仕事の地層と格闘。
いつまでたっても格闘。
休憩がてら、「BRAND」を見たのですが、何故かカット割りが気になるようになってしまいました。
その後も事務仕事はつづく・・・。


●3月15日

朝から事務仕事の日々でした。
午後になっても、昨日、大慌てで資料を作った急ぎCM仕事関係からは何の連絡も無く、昨晩あんなに早く帰る事もなかったなあ、と思いつつ、やっぱり相当たまっていた事務仕事に専念してました。

夜は、南青山マンダラ相曽晴日さんのお友達の、若宮優子さんという方のライブを観に行ってきました。
いろいろ勉強になりました。

帰りに、酒処「庵」にて、晴日さんとレコーディングの打ち合わせ。
ここのところ進行が遅れているのは、花粉のせいである事を再確認しました。


●3月14日

昨晩、あまりにも異文化に接してしまったため、起床するも首のあたりまでアルコールがまわっていました。
しかも急ぎのCM仕事の問い合わせがあり、今日中に資料が欲しい言われてしまいタイヘンでした。
事務連絡が飛び交う中、資料を作りつつ、税理士O先生と申告の連絡をしつつ、といったドタバタ状態でした。

夕方、某事務所に資料テープを届けた後、「イマジン」最終話のMAに立ち合いました。
昨日が打ち上げだったせいか、現場は見事に「最終」という感じの終わった状況でした。
なかなか見応えのある作品になったと思います。

終了は深夜でしたが、関テレH氏、監督S氏、選曲T氏と西麻布の「ON THE ROCK」?にて軽く飲みました。
急ぎ仕事のため途中退場しましたが、「ネコさんが帰るって言うんだからよっぽどなんでしょう」と、皆さんにスンナリ帰していただきました。

「イマジン」関係の皆様、ホントにお疲れ様でした。


●3月13日

朝、地域センターへ。
午後、事務仕事を少々。

夜、六本木まで上京し、「イマジン」の打ち上げに参加しました。

いや〜、ザ・芸能界を垣間見てきました。
クイズの賞品には、プラダのバックや、DVDプレーヤー、海外旅行なんてのまであって、バンドマンにはなんとも不思議で居場所のない空間でした。
後学のために、2次会、3次会にも参加しましたが、主演級の役者さんたちも全員参加で、大カラオケ大会でした。
皆さんの体力にはビックリでした。

途中退場して、選曲T氏たちの集いに参加のため赤坂の「ローラン」という店へ。
こちらも普段いかないような店(やっぱりカラオケでした)で、貴重な体験でしたが、赤坂の店って高いですねえ。

帰りがけにT氏に大腸そば、というのを御馳走になりました。(T様、御馳走様でした。)

凄まじい一日となりました。


●3月12日

極度の二日酔いに見舞われました。
夕方まで使い物になりませんでした。

気を取り直して、今日は初対面の小坂明子さんという方のお宅にお邪魔しました。
またまた、回想おやじになってしまいますが、中学の頃に聞いていたYAMAHA提供のFMの番組でポプコンというコンテストの事を知り、中野サンプラザの関東甲信越大会、というのを見にいったら、バックにオーケストラがいて感激し、その時のアンケートの懸賞で当たった「世界歌謡祭」を見にいったらさらに大きいオーケストラで大感激し、そのアンケートの懸賞で洗剤(当時はオイルショックでした。)が当たる、という信じられない体験をしたのです。
これがきっかけで、自分はポピュラー関係のアレンジの仕事をしたいなあ、と思いはじめました。
その「世界歌謡祭」でグランプリになったのが、小坂明子さんの「あなた」という曲でした。

そんな方からオーケストレーションについて相談にのってほしい、と言われてしまいドキドキものでお会いしました。
小坂さんは、最近はすっかり作曲家として活動してらっしゃるそうで、オーケストラの仕事も多く、勉強したい、との事だったのですが、私自身がヤマハの編曲の本に載っていた「あなた」のスコアでアレンジの勉強をしてたもので、なんとも不思議な感じでした。

結局、彼女のオーケストレーションには何の問題もなく、オーケストラ談義みたいになってしまいましたが、とても楽しい時間でした。
(菊姫、御馳走様でした。)

帰りに、打ち合わせと称して祖師谷酒処「庵」に向かいました。
軽く、のつもりだったのですが・・・。


●3月11日

今日は、吉川忠英さんが指導しているギターサークル「ABE-SUN'S」主催のライブに参加してきました。
ライブ自体はとても楽しく、盛り上がったのですが、ギャラ代わりにいただいたウィスキーがあまりにも美味しく、飲み過ぎてしまいました。
いや〜、ホントに飲みました。

皆様、お疲れ様でした。
ありがとうございました。

帰宅後の朝の4時頃、まだお会いしたこともないのに、某アーティストに電話してた模様です。
つづく・・・。


●3月10日

広島からの帰京日でした。
ホテルのロビーに集合だったのですが、そこでマネージャーIP氏が昨晩遭難した事を知りました。
Dr.Kプロジェクトの某キーボード奏者から聞いたホテルへの道のりが正反対だったようでした。
やはり、バンドマンの酔っ払った発言を信じてはいけないのかもしれませんね。
帰りの新幹線の約4時間は、現場での待ち時間の多さにくらべたら、とっても楽な移動でした。

なんだか、自分の原点に戻ったような二日間でした。
初心にかえってガンバル事にします。

夜は、「木舞家」にて地元の集いでした。
そこそこ飲んだ帰りがけに、隣に座っていた初対面のH田さんという人とお話ししたところ、最初は「どんなお仕事ですか?」なんて感じだったのに、どうも中学の同窓生だという事が判明してきて、「オレの事知らねえのかよ〜」と少しカラミ口調になってきてしまいました。
彼は中学時代、けっこう目立ってたらしいのですが、知らないものは知らない、と言ったら悲しそうに寝込んでしまいました。

ジャズ〜フォークも私の人生を変えましたが、学習院初等科〜狛江二中、というのもフォーク初体験なみに私を変えたことを思い出しました。
今週は過去振り返り特集なのかなあ?

そんなこんなでけっこう遅くなってしまい、仕上げのラーメン屋さんが無いのが悲しい、狛江住人でした。


●3月9日

午前中、衣装に合わせた靴を購入のため、マネージャーIP氏とホテルの隣のデパートをウロウロしていたら、いきなり「ネコちゃ〜ん」という聞き慣れた声が。
振り向くと、試着室からさんが呼んでるではないですか。
なんでこんなところでバッタリ会うのかはわかりませんが、靴下のまま出てきた教授から、是非聞いて欲しいCDがあるので、後で楽屋にくるように、との指示を受けました。

靴を購入し、楽屋入りして待つこと2時間。
いよいよランスルーが始まりました。
谷山さんの出番でステージに上がったら、ホスト役のさんはずっとズテージ下手で演奏を見ている、という事が判明。
私の立ち位置から目があってしまい、またまた緊迫状態が復活してきました。

ランスルー終了後、教授に「ちょっといい?」と呼び止められ、教授部屋にてDulce Pontesというファド系のアーティストのCDを拝聴しました。
たしかに素晴しい作品だったのですが、「君〜、こんな成績じゃねえ」と言われてるような感覚でした。
楽屋に戻って 谷山さんに話したら、「ネコでもこわい人っているんだ〜」とさんざん面白がられてしまいました。

また、2時間程待っていよいよ本番でした。
緊迫した斎藤ネコの様子は(どれくらい映ってるかはわかりませんが)ON AIR(3/26)でお楽しみ下さい。

なんだか長くなってしまいましたが、私にとって南こうせつさんは、それ程大がかりな存在だったんだなあ、という事を再確認する仕事となりました。
ちなみに、谷山さんにとってこのような存在は小室等さんだそうです。

2本録りか、と思うほど思いっきり延びた収録終了後、ホテルにて打ち上げの会がありました。
なんだか、凄い所に来てしまったなあ、と思いつつも楽しい仕事だったような気にもなりました。

今日は、ギターの徳武さんチームに合流し、「EL PASO」というC&W系のお店に行きました。
Dr.Kプロジェクトの粟野さん、三浦さんとも親睦を深められ楽しかったです
マネージャーIP氏とはここで別れ、次に昨晩の悪夢よもう一度、という事で「TECO夢」へ。
なんの変哲もないスナックなのですが、バンド、スタッフの皆さんの広島の隠れ家になっているようでした。
カラオケヴァイオリンも登場しました。
仕上げのラーメン屋を探ししばらくウロウロし、「大倉」にて無事ラーメンを食し、ホテルに着いたらもう5時近くでした。

あの頃、フォークについてばかりではなく、夜の行動も学習したんだなあ、とつくづく思った「斎チャン」(当時、まだ本名で仕事してたので、このように呼ばれていました)でした。
皆様、ありがとうございました。


●3月8日

谷山浩子先生のテレビ仕事のため、広島に移動しました。
羽田に早めに着いたので、初めて屋上に上ってのんびり飛行機を眺めてから、そろそろ行こうか、と思ったら、テレビのまわりに沢山の人が集まっていて、中目黒の事故を知りました。

広島の空港から約1時間、バスに乗り、会場の広島厚生年金会館に向かったのですが、車中には、上田正樹さんやチャーさんの姿もあり、どこが「NHK-BS日本のうた フォーク大集合2000 南こうせつとアコースティック・フレンズ」なのか謎でした。

現場に着くと、アーティストごとに楽屋割りがされてて、サポートのミュージシャンもアーティストと同じ部屋に誘導されていたのに、何故か私だけは番組のレギュラーバンドのDr.Kプロジェクトの皆さんと同じ部屋に通されました。
これはイジメかな、と思いつつも、ギターの徳武さんやベースの河合さん、といった懐かしいメンバーと再会しました。

15年ほど前、私が初めてアーティストのバックバンドというものを経験したのが南こうせつさんのツアーだったのです。
そんなわけで、今回の仕事は、卒業した学校の教授の前で講義をするようなものでタイヘン気が重かったのです。
なんせ、当時フォークのフの字もわからない私に様々な事を教えてくれたのが、南さんとバンマスだった石川鷹彦さんでした。
それまで、市川秀男さんというジャズピアニストのアシスタントのような事をやっていたので、テンションつきのコードが当り前、という頭になっていたところに、イキナリの3コードのシンプルな世界。
かなりショッキングな経験でした。
余計な音をだすと、「そんな、複雑なコード弾くんなら、ニコニコして立ってるだけでいいから・・」なんて石川さんに言われたのも、リハーサルに入ってすぐの頃の出来事でした。
その後も、フォークの世界のシンプルなサウンドを理解するのに随分かかりましたが、あの経験がなければ今の私は無い、というくらい様々な事を学ばせていただきました。

そんなこんなで、市川秀男氏と南こうせつ氏という私にとっての2大教授の前ではガチガチに固まってしまうのです。

出演者打ち合わせが長びいたため、楽屋で約3時間待った後、いよいよ谷山浩子先生のコーナーのリハーサルのためステージに行き、教授と何年かぶりの再会をしました。
「やあ〜、元気〜?」なんて気さくに話しかけてくれるのですが、私は早くも固まっていました。
「じゃあ、少し聞いていこうかな。」なんてサウンドチェックの間もステージに残ってくれて、私は緊張というより緊迫と言った方がよいのでは、という状態に陥っていました。
リハーサルの方は、Dr.Kプロジェクトの皆さんの協力を得て無事終了しました。

終了後、教授、Dr.Kプロジェクトの皆さん、マネージャーIP氏、ユイのマネージャーチームと「金ちゃん」にて食事会でした。
「まあ、久しぶりなんだから隣に座んなさいよ。サシで飲もう。」という事になり、南さんのとなりに座った私は、煙草もすうことができないくらい固まってました。
次に「海賊ジャック」という店に移動。今度はバンドのメンバーと飲んでいたのですが、おひらきになった時、南さんに「そろそろ帰ろうか」と声をかけられたので、固まったままタクシーに乗り、一緒にホテルまで戻りました。

やっと一人になった私はベースの河合さんと連絡を取り、謎のスナック「TECO夢」に繰り出しました。
なんと表現してよいかわからない程、強力なママさんに圧倒されました。
後から到着したPAチームと合流してけっこう飲みました。
広島ラーメン「双葉」で仕上げ。
帰ろうと思ったら客引きに会ってしまい、非難のため「TECO夢」にダルセーニョ。
コーダはホテルでバタン、でした。

様々な記憶が蘇った、とても長〜い一日でした。


●3月7日

朝、胃の活動を正常化するために地域センターへ。

午後、税理士O先生のところに飲み屋の領収書コレクションや帳簿を紙袋一杯にして、確定申告の依頼に行ってきました。
やはり、私達の世界には麻雀してても1000万円もらえる仕事はないんんでしょうなあ。
毎年、自由業の厳しさを再確認する日です。

夜、「イマジン」9話を鑑賞。
私も通行人で参加してました。
一瞬なので、誰も気付かなかったとは思いますが・・。


●3月6日

朝からアレンジ仕事。
谷山浩子先生の有名曲と最新アルバムからの曲をアレンジしました。
有名曲はカタチを変えるわけにもいかず、難航しました。
アルバムからの曲は盛り上がるかもしれません。
報告は週末になると思います。

夕方から、「イマジン」10話のMAに立ち合いました。
いつものS監督ではなく、N監督の現場は全く芸風が違い、勉強になりました。
音楽をつける場所によってドラマってこんなに変わるんだなあ、と痛感しました。
ドラマ関係の仕事もなかなか楽しくなってきたなあ、と思ってもあと2話です。
プロデューサーの皆さんは、打ち上げの商品の工面に忙しそうでした。
どんな打ち上げなんだろうなあ・・?

終了後、選曲T氏と池尻大橋の「魚や」で飲みました。(私信:田中様、御馳走様でした。メール、お待ちしてます。)
途中からMIXER'S LABK氏、その友人のS氏も合流し、楽しい音楽談義となりました。
帰り道にかるく「おやじ屈」という展開でした。


●3月5日

朝、気分転換に喜多見の公園へ。
昨晩、雨だったのに、もう地面はぬかるんでいない、という水はけのよさにビックリでした。

午後からは、今週の仕事用のアレンジ準備でした。
谷山浩子テレビ仕事です。
演奏者とは早めに連絡がとれたのですが、本人がなかなかつかまらず、「日曜劇場・ビューティフルライフ」を見たりしていました。
電話打ち合わせ終了は深夜でした。


●3月4日

友人のアーティストのお母様の告別式に参加してきました。
御冥福お祈りいたします。

夜は、伊藤真澄さんの仕事に、藤森さんと参加してきました。
ライブ2連ちゃん後だったので、腕がバキバキでした。
しかも、内容はクラシカルなメロディーをきれいに弾く、という私のイチバン専門としないジャンルでした。
ある種のイジメだったかもしれません。
曲は、ホントにきれいでした。

現場となった麻布の某スタジオはかなり荒んでました。
返事をしてくれないタクシーの運転手さんとスタジオのアシスタントは苦手です。

終了後、録音を担当していたエンジニアT氏と久々の再会だったので、祖師谷酒処「庵」にて夕食。
彼の所属するスタジオのマネージャー、Tさんも駆けつけてくれて結局は飲み会に。
ここのところの疲れのため、早めの帰宅でした。


●3月3日

朝、起きてみたもののかなりの疲れで二度寝してしまいました。
なかなか復調しないまま、「NAE&CHUのひな祭り」ライブに参加のため新宿まで這うようにしてたどり着きました。

待ち構えていたのは、お気楽なライブのつもりが非常に難度の高い曲たちでした。
かなりタイヘンでしたが、とても楽しいライブでした。

終了後は、永福町の「龍王」という焼肉屋さんで食事会でした。
美味しかった〜。


●3月2日

今日はネコかるライブの日でした。
御来場の皆様、ありがとうございました。
現地打ち上げ〜「おやじ窟」でした。


●3月1日

今日は、明日のネコかるライブ用のアレンジ日でした。
夕方、父親がインターネットに挑戦したい、という話で中断し、その後、ヘッドホンが壊れてまたまた中断、というアクシデントはありましたが、真面目に働きました。
ゲストの吉良知彦さんの曲はホントに素晴しいです。
早朝まで頑張った成果があるとよいのですが・・。



2000年2月の日記目次プロフィールお仕事演奏ネコかるリンク