かこ日記

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●5月31日

夕方から、青山劇場でミュージカル「オケピ」の公開通し稽古を観に行ってきました。
三谷幸喜氏の脚本・作詞?・演出も素晴しかったですが、今年アタマからこの仕事に専念していた 作編曲・音楽監督・指揮の服部隆之氏の音楽もまた見事なものでした。
役者さんたちも生き生きしてました。
日本発のミュージカルもここまできたんだな〜、と感慨深いものがありました。
お勧めしたいものですが、東京公演の前売りは完売だそうです。

大阪公演はまだ手に入るかもしれません。


●5月30日

今日は、RXのライブにゲスト出演のため、新宿のリキッドルームまで行ってきました。

奇妙なキッカケだったのですが、以前に某BANDのベーシストK氏と飲んでたときに、尊敬するベーシストが聖飢魔IIの石川氏だというので、「じゃあ直接話してみれば・・」と、夜中にもかかわらず彼の携帯に電話したところ、なんと「RX」のライブを何年かぶりでやる、という話になり今回の乱入が決まったのでした。

シークレットのゲストで、出番はアンコールのみだったので、リハーサルが終わってから本番まで4時間近くあいてしまいました。
あまりにも暑い日だったので、思わず生ビールを飲みに行ってしまいました。
昼間に去年のミュージカル仕事の関係で静岡方面と連絡をとったときに、「ネコさん、焼津では蛇口からビールがでますよ」などと言われてしまい、頭がスッカリ生ビールになっていたためです。
新宿の「ライオン」の1階と地下でそれぞれ一杯ずつ飲みました。
美味しかったです。

現地に戻っても出番まであと2時間。
ふ〜っとした気分だったのでいつの間にか寝てしまいました。
某事務所のH氏が楽屋に登場してくれなかったら、本番も寝過ごしていたかもしれません。
でも、スポニチK氏からの「ネコさん、ヤクルトが首位になるかもしれないよ〜。祝杯あげませんか。」という電話で一気に目が醒めました。

9時過ぎにやっと出番が。
いや〜、楽しいやら、懐かしいやらで、とても気分よく演奏できました。
やっぱり、RXはウマい!

終了後、現地打ち上げに参加していたら、エンジニアK氏から電話が。
今日は、「赤鬼」の利き酒会の日なので早く登場するように、との沙汰が。
慌てて、打ち上げを後に三軒茶屋に向かいました。
店内は大盛況でした。
新婚の歌手Kさんにも久々に会えました。

帰り道は「おやじ窟」経由でした。
生ビール〜ウィスキー〜日本酒〜焼酎はかなり厳しい展開でした。


●5月29日

朝7時起き、9時入りでNHKまで行ってきました。
今日は、先週アレンジした「ふるさと」の収録の立ち合いでした。
番組は「ジャパネスクな男たち」という、なんともNHKらしいタイトルで、和泉元彌、市川染五郎、東儀秀樹の3氏が出演し、日本の伝統芸能を身近なものに感じられるように、といううBSのバラエティー企画ものでした。

私が担当したのは、東儀秀樹の篳篥(ひちりき)と西川八重さんの弦楽四重奏によって日本の名曲を演奏し、雅楽の楽器の良さを知ってもらおう、というコーナーでした。
アレンジ的には弦カルの密集した和音で笙(しょう)のような感じを出し、その中を篳篥(ひちりき)のメロデューが漂う、という計画だったのですが、リハーサルを終えて、さて帰ろうかな、と思っていたら、御本人から「雅楽には笙と篳篥の合奏はあり得ない。必ず低音があります。チェロで低音を出せませんか?」とのリクエストが出てしまい、しかも「もっとオーソドックスな感じでやりたいんですよ」と言われてしまいました。

打ち合わせでは、あまりありふれた感じではなく、という事を確認し、しかもデモテープまで提出していたのに・・・、と30秒程途方に暮れましたが、なんとかしなければならないのと、幸い本番まで時間があったので、現場アレンジに突入してしまいました。
さすがに、先週アレンジの方針で悩んだので、別ネタで変更分を考え、現場で五線紙を調達してもらいスコアを書き、写譜のやり直しをお願いし、本番の30分程前に別バージョンのパート譜が完成しました。
さっそく、弦カルの皆さんの楽屋で音合わせをしてもらい、譜面チェックはOKになりましたが、御本人とはブツケ本番という事になってしまいました。

というわけで、そそくさと帰るわけにもいかず、本番にも立ち合うハメに。
東儀さんのコーナーは終わりの方だったので、2時間以上立ちっぱなしでした。
スリルある本番の演奏でしたが、無事終了し、ホっとしました。

番組全体を見ていて「ジャパネスクな男たち」、というよりは「サラブレットな男たち」といった気がしました。
7月23日、BS2でON AIRだそうです。

やっと外に出たのは、5時過ぎでした。スタジオ内では長袖だったのに、あまりの暑さにビックリでした。
帰宅後、私の誕生日宴会が待ち受けていました。
今日のメンバーは、助産婦Iさん、看護婦Mさん、MIXER'S LABK氏、Iさんでした。(皆さん、豪華プレゼントありがとうございました。)
宴会は深夜まで続き、朝の4時頃、なぜか私はリビングの床で寝ていました。
長〜い一日でした。


●5月28日

怒涛のスケジュールは、40歳最後の週だったせいかどうかは謎ですが、やっとのお休みでした。
午前中は、喜多見の公園。
昼寝。
夕方は、近所の見廻り〜近くの公園でした。
いきなり、20数年ぶりの中学校の同級生U氏に出会ってしまいました。

40歳最後の日のためか、はたまた世紀末のためか、不思議なものです。


●5月27日

早朝から、急ぎCMアレンジ仕事でした。
昨晩打ち合わせ、今晩録音というバブル期のようなスケジュールなので、シンセのオペレーターのブッキングもかなわず、アレンジ終了後、自宅録音モードへ突入。
夕方、A-DAT2台分の録音を終え、タクシーにて機材ごと移動しました。
土曜で雨のせいか、首都高が思いっきり混んでいてかなりアセリました。

狛江〜月島のスタジオまでの道のりは遠かったです。
到着してすぐに、現地のスタッフが機材をトランクからおろしてくれたのですが、なんとタクシーの運転手さんのケースまでおろしてしまう、というトラブルがいきなり発生してしまいました。
すぐタクシー会社に連絡してもらったのですが、運転手さんが狛江〜月島間の仕事に気をよくしてしまったのか、無線が通じない、といった状況で連絡が取れず困ってしまいました。

録音の現場は、急ぎ仕事、職人状態で進行しました。
お客さんの入りも良く(代理店系多数)緊迫してるはずなのに楽しい現場でした。

終了後、エンジニアK氏の車にてウチまで機材の移動。(ありがとうございました)
移動中に、祖師谷大蔵肴処「庵」、閉店時間。
狛江「木舞家」、閉店という悲しい事実を知りながら、機材をおろしてから、「豆八」行きました。 私は、27時半頃リタイアしてしまいましたが、K氏、プロデューサーS氏は何時位まで頑張ったのか謎のまま就寝しました。

ちなみに、夕方と同じ会社のタクシーで帰宅し、例のケースの返却をお願いしました。
乗った途端にその(無線が通じない)タクシーのナンバーが無線で呼ばれていたのには笑ってしまいました。


●5月26日

朝から、昨日の続き。
もう、時間の猶予が無いのでなんとかアレンジを終了し、その曲のデモテープ作り。
夕方までには、と言っていたのですが出来てみれば、もう夕方。

大慌てで、NHKエンタープライズまで向かい納品。
でも、プロデューサーは忙しそうで、聞いてくませんでした。
知りませんよ・・・。

夕食後、時間が余ってしまったので渋谷〜外苑前を散歩。
なんか、異次元の人種たちの観察をしてしまいました。
ところが、表参道付近で見慣れた人種を発見したら、今回の相曽晴日アルバムのデザインをお願いしようと思っていたデザイナーKさんとバッタリ。
いりなり発注完了しました。

それでも、打ち合わせまで30分ほどあったので、南青山マンダラ前で出演者をチェックしたら、なんと栗コーダーカルテットと書いてあったので、思わず楽屋に乱入してしまいました。
そうしたら、最近ヴァイオリンを購入した栗原氏が「今日、ヴァイオリンを弾くので教えてくれ〜」という事になり、いきなりのワンポイトレッスンをしてしまいました。

そして、20時半からプロデューサーS氏と急ぎCM仕事の打ち合わせ。
急ぎ、といっても明日録音の超急ぎ仕事です。
その後、東北新社に移動し、監督を含めた打ち合わせ。
複雑な経緯の仕事だそうで、打ち合わせは23時過ぎまでかかってしまいました。

その後、さらなる打ち合わせをの為(?)千駄ヶ谷に移動するも金曜日のため満席、西麻布へ移動することになったのですが、移動中にベーシストのやまひら夫妻から携帯に電話が。
どうも、祖師谷で飲む約束をしていたらしいのです。
もう、3時間も待っているということだったので、西麻布のメンバーには失礼して大急ぎで肴処「庵」に駆けつけました。
MIXER'S LABK氏、エンジニア増田氏、終了間際には女優Kさんも合流し、楽しい時を過ごしたのですが、私は急ぎ仕事の事が心配で思いっきりは酔えませんでした。
27時位の終了でした。


●5月25日

朝、地域センターに行くも さすがにグッタリでした。
並みの疲れではないのは、9年という歳月をかけてしまったアルバムのMIXが終了したからかもしれません。

午後からは、容赦なく次のアレンジ仕事に取り組みました。
お題目は、唱歌「ふるさと」だったのですが、これがまたまた難航。
名曲の編曲というのは、いつでも行き詰まってしまいます。
エーイ、とやってしまえば1時間位で出来るのでしょうが、さまざまなパターンを考えてると思いっきり時間がかかってしまいます。
28時過ぎまで頑張ったのですが、挫折。
仮眠状態へ・・・。


●5月24日

スタジオでの相曽晴日アルバムのMIXの続きの日でした。
今日はジャケットの原画関係の打ち合わせも入りました。

エンジニアの三浦氏には、終了後の美味しい生ビール、を 今日の目標として頑張ってもらったため、私は24時頃から大忙しでした。
というのも、12時を過ぎると居酒屋以外の店を探すのが難しくなってくるためです。
そのため、祖師谷大蔵肴処「庵」 との連絡を約30分間隔でとり、現在の現場の状況を報告しながら(野球の試合経過の報告のようでした)、店の営業時間延長の延命措置に奮闘しました。
が、25時(基本の閉店時間)を回った段階で、流石に火を落とすという事で、今度は別の店の検討に入りました。

そんなこんなで、25時半頃、1991年からスタートしたこのアルバムのすべてのMIXが終了。
感慨深いものがありました。
でも、これから、マスタリング、ジャケット、プレス、販売についての進行があります。
まだまだ、先は長いです。

お疲れの会は結局26時過ぎから、狛江「豆八」にて執り行いました。
本人と、三浦氏、MIXER'S LABK氏、と4人で乾杯&歓談していたら、夜が明けてしまいました。


●5月23日

朝は、地域センター。
午後から、スタジオ相曽晴日アルバムのMIXでした。
音の加工子三浦氏のトラックダウンと並行して、エンジニア増田氏によってスタジオブース内に仮設された録音システムにより、ヴォーカル録りを同時進行してました。
最後のあがき、ってやつですが、なかなか良い唄が録れました。

あまりの疲れにアッサリ帰宅。
でも 帰宅後、テレビでジェフ・ベックをやっていたので思わず見入ってしまいました。


●5月22日

やっといい天気だな〜、という日だったので近所の見廻りに行ってきました。
お昼は喜多見の「志美津や」という蕎麦屋さんで食しました。
元アメリカ大統領、ジミー・カーター氏が訪れた事のある店、だそうです。 上品、禁煙なお店でした。

その後、電動ハブラシを購入しました。
今まで使っていたものの、替えのブラシの部分がもう手に入らなくなってしまったので本体ごと購入するハメになってしまったのです。
なんかもったいないけど、歯のためです。

夕方、「トーマス・クラウン・アフェア」を鑑賞しました。
リメイクものなのですが、ビル・コンティの音楽がとてもよかったです。
そして、ビデオを返却がてら「木舞家」、という展開でした。


●5月21日

朝刊の折り込みに、時期市長候補推薦の広告が入っていました。
内容の半分は、現市長に対する悪口というか、あげ足とりのような文章でした。
なんか基本的な「イジメ」って感じで、こんなことで教育問題を考えてくれるのかな〜、と不安になってしまいました。
それにしても、自転車優先のまちづくり、とは・・・。
文化関係には全く触れてないのも悲しかったです。

夕方から、祖師谷大蔵「IKEDA」に向かい、IKEDA BANDのライブに飛び入りのためのリハ〜本番。
見事に難解な曲の数々で、リハから目がショボショボになってしまいました。
本番はとても楽しかったです。
本番の前後は肴処「庵」にて休憩してました。?


●5月20日

まったりと起床。
ここのところの梅雨のような天候のため、なんとなくキッパリと起きられません。

事務仕事を少々の後、あざみ野まで行ってきました。
リコーダー奏者の国吉美織さんたちのグループ、「ノンキー・プロジェクト」のリハーサルを見学しました。
リコーダの世界、奥が深いものがあります
現場は、 山内地区センターというところの音楽室だったのですが、グランドピアノ、折りたたみではない譜面台、オーディオなどが完備していて、それは立派な施設でした。
ちなみに狛江の公民館のホール(旅館の大広間みたいな感じ)にはアップライトしかありません。
各種活動も盛んなようで、羨ましく思ってしまいました。

終了後、メンバーの皆さんと集った後、今度は三鷹まで移動。
吉川忠英さんが指導している、「ABE SAN'S」の3回目の宴会(じゃなくってライブ)に参加しました。
会場の「ミラージュ」というチャイニーズのレストランに、いよいよステージを設営したので、その完成したステージを眺めながら飲んだり演奏したりする、という趣旨の会でした。
ゲストミュージシャンも多数で、なかなか楽しい会となりました。

以外と早めの解散だったので、「おやじ窟」に寄り、遅めの終了を迎えました。


●5月19日

朝、6時起きで新宿に向かいました。
空腹、喉の乾き、しかも朝のラッシュ、という3重苦で、すでに具合が悪くなりつつも、8時少し過ぎに、健康保険指定のクリニックに到着。
各種検査を受けました。
空腹で飲んだバリウムのまずいのなんのって・・・。
どうも、役所とNHKと病院は苦手です。
一通りの検査を終え、午前の説明を受けました。

まわりにチャンジーが多かったせいか、先生にはまだ若いから大丈夫、と言われました。
まあ、その先生もかなりのお年でしたが・・。

クリニック指定の店で昼食の後、時間が余ってしまったので、歌舞伎町から伊勢丹方向を散策。
映画でも、と思ったのですが時間の会わず、結局床屋さんに行きました。
慣れない緊張の疲れからか、すっかり寝てしまいました。

午後に、別の先生からの説明を受けました。
結局、酒、タバコを控えれば、という指導でしたが、たくさん飲んだ場合にどうすればよいか、など現実的な質問をしてきました。
どうも、酒量と健康は別もののようです。?

帰宅後、「プリティ・ブライド」を鑑賞。
なかなか面白かったのですが、原題の「RUNAWAY BRIDE」からのタイトルの豹変ぶりには驚きました。

夜、思わずヤクルト× 巨人戦をテレビ観戦。
悲しかったです。

結局、「木舞家」に行きました。
「狛江市」について、諦めるだけではなく、ナントカできないか、の話をしてました。


●5月18日

ドロドロ状態で起床。
午後も、仕事の電話以外は、殆ど使い物にならずに夕方を迎えてしまいました。
夜は、テレビで阪神×ヤクルト戦を見ました。
岡林の復活に感動しつつも、明日、初めて「人間ドック」というところに行くので、9時以降は何も食べてはいけないと言われ、近所の中華屋で慌てて夕食。

徐々に、初体験の出来事への恐怖心が芽生える中、12時には就寝しました。
でも、寝る頃になっても前日のアルコールが残っていた感じがしました。


●5月17日

近所のエコルマホールで、なんと「アルバン・ベルク四重奏団」のコンサートがあったので行ってきました。
さすが狛江、という感じで、当日券で前から2列目、演奏者たちから10メートル位の席を手に入れる事ができたのはラッキーでしたが、例によって観客がすごかったです。

・Odakyu OXで買い物したオバさんたちのビニール袋の音があちらこちらで聞こえていた。
・私も実はタバコを買ってビニール袋をもっていたので、通路に置いておいていたが、後ろの席の人が途中から足を投げ出したため、ガサっといってしまった。
・隣の席のクラシックファンのような人が曲の終わる3分くらい前から両手を構えて拍手の準備をしていた。
・少年が静かな楽章でいきなり立ち上がり、堂々と退場していった。(犯罪でも起こるのかと思う程だった。)
・観客ではないが、空調の音があまりにも大きかった。

まあ、そんなわけで見事に集中力を欠く客席でしたが、そんな事とは関係なくステージの演奏は素晴しいものでした。
ネコかるの第3弾もそろそろ作らなければなあ、なんて気分にもなりました。

その後、二子玉川で作曲のNさんと待ち合わせ、何故か祖師谷大蔵肴処「庵」に移動。
ゲーム関係の話がチンプンカンプンだったので助っとにコナミYさんを呼び出し、深夜にはMIXER'S LABK氏一行も合流。
結局、盛り上がってしまいました。


●5月16日

朝、地域センター。
午後は、ダラダラとテレビを見てました。
夕方、去年のミュージカル仕事の記念CDの納品日の相談、相曽晴日アルバムの仕上げの日程の調整などをしてました。

夜、近所の見廻り。
狛江市内の音楽環境を探ってました。
そのまま、「木舞家」に流れ、Y氏と児童センターの中高生向け企画の打ち合わせ。?
その後、MIXER'S LABK氏、あらきなおみさんが合流し、深夜まで謎の展開でした。

帰宅後も飲んでいたようです・・・。


●5月15日

朝から、二子玉川の高島屋SCに行ってました。
ズボンを購入しました。
最近は、犬や猫用の洋服や、おもちゃ、お食事セットなどが豪華なのにビックリでした。
ウロウロしているうちに夕方になってました。

でも、飲み屋はまだ開いていない時間だったので、アッサり帰宅。
野球もないので、休養してました。


●5月14日

朝から、喜多見の公園でのんびりしてました。
現地で、昼食&ビール。
夕方も近所の公園でぶらぶら。

夜は、母の日記念宴会。
野球を見ながらダラダラ飲んでました。
平凡、平和な一日でした。

それから、一昨日の児童センターの件ですが、中高生対象です。
中高年対象ではありませんので、あしからず。


●5月13日

朝、映画の上映会があるというので、公民館まで行ってきました。
多目的ホールというので、さぞかし立派なホール(とは全く思っていませんでしたが)かと思いきや、建物の3階だわ、出入口が舞台前の通路の左右だったりして、非常時には半分は避難できないなあ、という作りのものでした。
案の定、上映が始まってから遅れて入ってくる人がドアを開けるたびに明るい光が差し込み、とても映画鑑賞って気分ではありませんでした。
どういう基準で設計してるのか不思議な気分でした。

気を取り直し、喜多見の公園に着いたらいきなりのドシャ降り。
大慌てで帰宅しました。

夜、野球を見てゴロゴロした後に、ふと途中から見た「伝説の教師」の放送室のシーンで、機材がSSLだったのにはビックリしました。
今までのストーリーがわかりませんが、学校にレコーディングスタジオでもあるのかなあ?
それとも、ビデオのMAでもやるのかなあ?
謎でした。

狛江にもSSLを!?


●5月12日

朝、地域センター。
午後、去年のミュージカル仕事の記念CDの最終チェック。

夕方、児童センターの企画に関する打ち合わせでした。
狛江市内のロック、フォーク系のグループorソロの中高生を対象に何か役に立てればよいのですが・・。
もちろん、ボランティアです。

夜は、各種ブッキング業務。
もうすぐ終了する仕事と、これからの企画、という過渡期状態です。


●5月11日

かなりの疲れを残しつつ起床。
朝から、昨日のテープを検証後、相曽晴日さんと今後の方針を検討しました。

午後、渋谷方面に出向き、楽器屋さん〜NHKエンタープライズで打ち合わせ。
またしてもシンプルで難しい曲の編曲の依頼でした。

帰りに多摩川近辺の見廻り。
夕食後、疲れのためか、9時頃にバッタリ寝てしまいました。

そして、夜中に目が醒め、なんだかんだで朝・・。


●5月10日

昼から、去年のミュージカル仕事の記念CDのブックレットの最終校正。

夕方からは、相曽晴日アルバムのストリングスの録音〜ボーカル&コーラス録音でした。
順調な進行でいよいよ最終日か、と思っていましたが延長戦も有り得るようです。
エンジニアの三浦氏の録音は今日も冴えてました。(ありがとうございました)

終了後、祖師谷大蔵肴処「庵」にてMIXER'S LAB三浦氏、K氏、晴日さんと食事会。
三浦氏開発の「JINRO」の美味しい飲み方を伝授して頂きました。
(皆様、お疲れさまでした。)


●5月9日

朝、地域センターへ。

午後からは、相曽晴日さんの明日のレコーディング用のアレンジ日でした。
いよいよオケ関係はこれで最後です。
気合いが入ってか、力が抜けてか、難航しました。
途中、気分転換に「ナースのお仕事3」を見た以外はマジメに働いていました。

そして終わってみれば朝の5時。
ふ〜〜。


●5月8日

連休明けの月曜日だったので、朝から仕事の電話が多い日でした。
事務関係を少々と、クリーニング屋さんに行ってから蕎麦やで昼食をとったらもう3時近くでした。

慌てて 吉良家に向かいました。
今日は、吉良知彦withネコかる、小峰公子withネコかる、でそれぞれミニアルバムを作る、という無謀な企画の打ち合わせでした。

蓄積する難題の数々をどうやって解決するのかが謎の中、祖師谷「蔵」にて生ビール。
でも、スーパードライの生ってどうしても苦手です。
場所を吉良・小峰家に移して飲み直しました。
ここのお店?はとても美味しかったです。(御馳走さまでした。)

狛江までは電車で帰れたので、自然に「木舞家」に。
その後の「なか卵」のミニ牛丼+卵は余計だったようです。


●5月7日

のんびり起きて渋谷に向かい、アカデミー賞受賞作「アメリカンビューティー」を鑑賞しました。
さすがに良くできてました。
世紀末状態って、日本だけじゃないんですね。

夜は、TAKE OFF 7に知り合いの広告屋E氏が仕切っている「F.A.T.T 」というバンドを観に行ってきました。
技巧派バンドで、延べ音符総数は相当なものだったと思います。

会場内の空気が悪かったため、頭痛がしてきたので「マツモトキヨシ」にバファリンを買いに行ったのですが、さっそく飲もうと思って「お水ありますか?」と聞いたら「売り物の水しかありません」というクールなお返事。
渋谷では薬屋で薬が飲めない、なんて世の中になっていたんですね。

打ち上げは割烹「たっぴ」
その後、下北「zaji」に移動。作家活動が忙しいYupin夫妻や、so-netのおかげで更生できたノリリンと合流し、楽しい飲み会となりました。
さらに、世田谷代田「BOOGIE STOCK」〜ラーメン「?」(まずかった〜)、という展開でした。
やはり下北方面と狛江とでは、時差があるようです。


●5月6日

朝、いきなり「マトリックス」を鑑賞。
グルグルな気分になりました。

午後、シンセのデータ作りを少しやった後、大慌てで「ひばり児童合唱団」に向かいました。
秋のコンサートに向けてのオールスタッフの打ち合わせでした。
ベテランの所謂スタッフ界の大御所、と言われるような方々の中で私などは完全に小僧状態でした。
そのまま西小山の「山静」にて豪華夕食会。
劇団四季関係や教育問題など楽しいお話しの数々で盛り上がりました。

帰り道に「おやじ窟」に寄って「ローマの休日」の後半を見ました。
やっぱり名画ってすごいですね。


●5月5日

朝から花屋さんと連絡をとり、初めて「笑っていいとも」のテレフォンショッキングにお花をだしました。
一昨日、留守電に「ネコさ〜ん、お花か電報送ってくださいよ。」と本人から伝言が入っていたためです。
その人たは、鈴木一真さんで、彼とは「イマジン」の打ち上げ以来のおつきあいです。
放送でタモリさんの「斎藤ネコって誰?」との発言が会場の笑いを誘っていて、私は名前からしてお笑いなんだなあ、などど思っていました。

その後、テレビ東京の「蕎麦」関係の番組に、「赤鬼」のオーナー滝沢氏の長野に店が出る、とのメールを頂いていたので拝見しました。
健生庵「山愚」、という手打十割そばの店です。
早く行ってみたいなあ、などど思いつつ、思わず近所の蕎麦屋に駆けこみ、大盛蕎麦を食してしまいました。

その後、ひばり関係の打ち込み仕事を少々。
巨匠がアレンジした作品のリメイクなので難航しそうです。

夜は、緊迫した巨人×ヤクルト戦ハラハラしながら見てました。
本当に油断できない試合でした。
やっと上が見えてきました。

食事抜きで野球をみていたので、「木舞家」にて夕食。
メニューにない天ぷらを作ってもらいました。
食べ過ぎで苦しくなったため、早々にダウンしました。


●5月4日

朝、ひばり児童合唱団の皆川先生に緊急の用件でたたき起こされました。
突然の打ち合わせの招集でした。

すっかり目が覚めてしまったので、キューブリック監督の遺作、「アイズ ワイド シャット 特別版」を鑑賞しました。
さすがに美しい映像でした。
ピアノでグイグイ迫るサスペンスシーンも見事なものでした。

夕方、武蔵小杉に向い皆川先生、振付けの山田先生等と打ち合わせ。
いきなり難題がやってきました。
タイヘンです。

夜、旗の台の居酒屋「らくよう」にて選曲T氏、助産婦Iさん、Sさん、看護婦Mさん、途中合流のMIXER'S LABK氏、という異業種交流の会のような集いでした。
この「らくよう」ですが、三軒茶屋の「赤鬼」で働いていた岩瀬さんという人が独立してはじめた店で、旗の台という場所のため、なかなか伺えないでいました。
実に落ち着いたよい店でした。

さらに移動中に合流したマスクちゃんも一緒に「おやじ窟」へ。
異業種交流の会は遅くまで続きました。


●5月3日

昨日、バーボン〜焼酎という展開をしなかったので以外と早起きしました。
でも、両腕バキバキの疲労状態でグッタリしてました。

午後、何故かNHKの地上波で広島×ヤクルト戦をやっていたので思わず見てました。
試合終了まで放送してくれるので有難い事です。
いよいよ首位と2.5ゲーム差。
これからです!

夜は、狛江の児童館の施設を使って中高校生の音楽活動(特にバンド)のお手伝いができないか、というミーティングでした。
でも、打ち合わせ場所が「木舞家」だったため話はまったく違う方向に進み、再打ち合わせになってしまいました。
やっぱり・・・。

無性にラーメンが食べたくなってしまった私は「江川亭」に向かいましたが、皿うどんのように硬い緬にあきれ、ふた口位で退散。
続けて向いの「熊大路」に行ったのですが、以前のようなスープではなく油ギトギトスープになっていて、またまたガッカリ。
途方に暮れて「木舞家」にダルセーニョしてしまいました。
いきさつを話したら、なんと夜泣きそばを呼んでくれる、という事になり国分寺付近から30分程でラーメン屋台が到着。
「**ちゃん」のラーメンを食しました。
シンプルな中華そば、という感じで美味しかったです。
狛江のラーメン文化の絶滅を知った日となりました。


●5月2日

ネコかるライブの日でした。
御来場の皆様、有難うございました。
ゲストのKayokoさん、有難うございました。

なんだか、久々にネコかるの王道のライブ、って感じでとても楽しかったです。
現地乾杯〜「おやじ窟」でした。
寝不足は辛いです。


●5月1日

朝は地域センター。
午後からは、ひたすら明日のネコかるライブ用のアレンジの日でした。
ゲストのKayokoさんの曲が聞いた感じよりも複雑で難航してました。
さらに、最後に提供曲のアレンジに取り組んだ頃にはもう夜が明けてしまい、続く・・・(ステージに?)、って事になってしまいました。
さて、どうなりますことやら。



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