ねこ日記

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●12月31日
「SOPHIA」コンサートのため大阪への移動日でした。
二日酔いのため、仮死状態で新幹線に乗り、大阪のホテルにたどり着きました。
グレート栄田家と夕食会の後、みんなの抽選券を預かり、カウントダウンパーティー(ホテル内の)に一人淋しく参加しました。
結局、抽選にはハズレ「な〜んだ・・」と言われる情けない2000年を迎えました。


●12月30日
今日はネコかるライブの日でした。
御来場の皆様、ありがとうございました。

今年は終了していた「おやじ窟」をムリヤリ開けてくれたマスター、ありがとうございました。


●12月29日
明日のネコかる「忘年会ライブ」の準備のはずが、なぜか印刷屋さん状態のまま一日が終わってしまいました。
もう年賀状が元旦に到着する希望はなくなりました。
とほほ・・・。

ここのところ珍しく忙しかったので、宴会への出席が足りず(いつも飲み屋でゲストを決めているもので....)明日のネコかるには例年ほどゲストが登場しないかもしれません。
確実なのが小峰公子さん、天才照明家の雑賀博文氏です。
でも、誰が登場してもおかしくない「忘年会ライブ」です。
もしかしたら、某有名バンドのメンバーや、某大物女優さんも遊びにきてくれるかもしれません。
ともあれ1900年代最後のネコかるライブです。
皆様、お待ちしています。


●12月28日
「SOPHIA」の元旦用のリハーサルの2日目でした。
リハスタの入り口で岩男潤子さん夫妻とバッタリ。
元気そうでした。
リハは順調でメンバーともゆっくり話せて、今までのバンドものとはかなり違う展開になってきました。
帰宅後、小峰公子さんからの宴会の誘いがあったのですが、ウッカリ寝てしまったら10時を過ぎていたのでウチでジットしていました。
かなり疲れてるみたいです。


●12月27日
「SOPHIA」の元旦用のリハーサルでした。
なかなかの手応えで、楽しみです。
夕方から、「イマジン」第2話のMA立ち合い。
かなり、奥の深いドラマかもしれません。

終了後、赤坂「時代屋」、下北「ベルベット」でした。


●12月26日
「たま」のコンサートの日でした。
新宿の物凄い人手に圧倒されながら、アルタの大きなテレビで有馬記念を見てしまい、入り時間に遅刻してしまいました。
結局、2着3着でした。
コンサートはとても楽しく、良かったのでは、と思います。
終了後、打ち上げを断わって一路三軒茶屋へ。
「赤鬼」の忘年会で美酒を堪能しました。
帰り道に「おやじ窟」。
以上。


●12月25日
今日は一日、元旦の「SOPHIA」コンサート用のアレンジをしてました。
結構時間がかかり、いつの間にか朝の5時をまわっています。
年賀状も書かなければ(印刷しなければ)、と思いつつも、明日の「たま」のコンサートに備えて睡眠を選ぶことにしました。


●12月24日
今日でこの「Site Neko」が2周年を迎えました。
2年間で54000近くのアクセス、ありがとうございました。
皆様、今後もよろしくお願いします。

今日は劇伴仕事のビデオを見て追加の音楽について検討してました。
夜の電話打ち合わせで、さすがに年内の録音はキビシイだろう、という事になり、年明け早々も禅問答は続くようです。

さて、この劇伴仕事ですが、内容は関西テレビ(東京はフジテレビ)の「イマジン」というドラマで、来年の1月11日火曜日の夜10時からスタートします。
ホームページも立ち上がりつつあるみたいです。
関西テレビの番組ページはここ
フジテレビの番組ページはここです。
応援、よろしくお願いします。


●12月23日
かなり疲れが残ったまま起床。
どうも寝違えたもたいで首から肩にかけてがバキバキになってしまいました。
仕事しなければ、と思いつつも夕方までボーっとしてしまいました。
夜は、両親×2、助産婦Iさん、Sさんと、クリスマス鍋の会を決行しました。
かなり長時間の会だったので、過労のためか最後は床で気絶してました。


●12月22日
朝、地域センター。
少し昼寝をしてから、NAE-CHUの X'mas Liveの最終日のため、新宿ミノトール2に向かいました。
リハーサル中にプロデューサーM氏がわざわざ劇伴仕事の1回目、2回目のビデオを届けにきてくれました。
ちょっと現実に引き戻されましたが、3日ともそれぞれ違った展開になり、楽しいライブとなりました。
終了後、現地打ち上げ。
帰りにいただいた大きな花篭をかかえてタクシーを探したのですが、さすがに年末で見つからず、混雑する小田急線の終電で移動しました。
隣のお客さんのスーツに花粉のサービスをしてしまいました。
狛江に着いたら、いままで見たこともないようなタクシー待ちの行列が。
閉店だというのに「木舞家」で一杯飲ましてもらい、タクシーを呼んでやっと帰宅しました。

深夜、ビデオのチェック。
眠ってしまわないように立って見ました。
かなりクタクタです。


●12月21日
朝、久々に地域センターへ。
少し、気分転換になりました。

夕方からは、NAE-CHUの X'mas Liveの2日目でした。
昨晩とは別の趣きでしっとりしたライブとなりました。

帰りがけに「木舞家」で軽く夜食。


●12月20日
午後から、珍しく初めての作曲の先生のスタジオ仕事でした。
スタジオに着くなり、普段会わない所謂スタジオミュージシャンの方々ばかりだったので、いきなりブースに篭ってジットしていました。
曲は「おかあさんといしょ」用のものだったのですが、最後まで場違いな感じでした。
「チキンダンス」という曲でした。
ON AIRでお聞き下さい。

夕方からは、「ミノトール2」というお店に入り、NAE-CHUの X'mas Liveのリハーサルと1日目の本番でした。
スリルあり、笑いありの楽しいライブでした。
終了後、近くの「***」にて軽く打ち上げ。
明日にそなえて早めの解散でした。


●12月19日
午後、来年の初仕事の打ち合わせに行ってきました。
久々のバンドものです。
元旦に「SOPHIA」というバンドの大阪城ホールのコンサートに、なんとネコかるで出演します。
2000年は大阪で迎えることになりそうです。

夕方から、グレート栄田家に遊びに行きました。
一緒に行っていたチェロの大沢氏のカルテットのCDを鑑賞しました。とても良く出来ていました。

帰ろうかと思っていたら、劇伴関係の打ち合わせに行く事になり、急遽池尻方面へ。
禅問答はまだまだ続くようです。


●12月18日
相曽晴日トラックダウンの続きの日でした。
来春には完成できる気がしてきました。

夜は、富田勲先生関係の「ハイドン会」という酒飲みの会に初参加しました。
「菊姫」の社長さんも登場するという、豪華な会でした。
その後は「おやじ窟」にてクールダウンでした。


●12月17日
朝、10時近くにスタジオから帰宅しました。
すぐ寝たかったのですが、電話連絡やら、睡眠導入薬がわりに飲んだりで、結局1時頃になってしまい、このまま起きていようかなあ、と思いつつも気絶状態で寝てしまいました。
夕方からは、意識が朦朧としつつもスタジオに到着。
今日からいよいよ相曽晴日さんのトラックダウンに突入しました。
エンジニア三浦氏の感動的なMIXを堪能しました。
現場で、アシスタントMさんに私の字を「アル中の人が書いたみたいな字です。」と言われてしまったのにはショックでしたが、皆さんには大ウケしてました。


●12月16日
今日はいよいよスタジオでの録音の日でした。
なんと、14時〜33時という仕事になってしまいました。
この後どのような展開になるかはプロデューサーMさん、選曲のTさん、に全てを託すしかありません。
(遅くまでお疲れさまでした。)

そういえば、劇バンの「バン」は「判」ではなく「伴」だという指摘がありました。
劇の伴奏音楽だから当然ですよね。
( 解説さま、ご指摘ありがとうございました。)

ちなみに、今日のエンジニアの三浦氏は、「香盤表」の事を「降板表」だと思っていたそうです。
(素晴しい録音をありがとうございました。)


●12月15日
20時間労働はさすがにこたえます。
なんとか譜面を書きました。
でも、いまだに善問答の答えは見つかっていません。
この仕事はもしかして、1900年代最後のイジメなのかなあ・・・?


●12月14日
いよいよ劇伴仕事の佳境を迎えて長時間労働が始まりました。
今日は各テーマ系の曲の最終編曲でした。
いつの間にか朝の4時を過ぎていたので、インターネットでポール・マッカトニーライブ中継でも見て気分転換しようかなあ、と思ったのですが、予想通りの大混雑で結局見れずじまいでした。


●12月13日
今日、起きて気付いたのですが、昨日は朝までに五食も食べるは、ひたすら寝るはの、過食、過眠状態に陥ってました。
完全逃避モードになってしまいました。
どうなることやら・・・。

夜になって、雅子さまの御懐妊をお祝いするため「木舞家」に向かったのですが、『宮内庁、雅子さま懐妊の可能性認める さらに検査へ』という事で、なんとなく地味な気分で帰宅しました。


●12月12日
なんだか眠り病の日でした。
午後、競馬を申し込んでウトウトしていたらいつの間にか夕方になっていました。
遊びの100円が2900円にはなったものの、メインはボロボロでした。

劇判の方向を確認したり、ビデオの整理をしたり、童謡のアレンジをしたりしているうちに、「そうだ、こんなに家に篭っていると下世話な感じがでない!」と思い立ち、街の空気を求めて「おやじ窟」へ。
下世話を堪能してきました。
(マスター、送ってくれてありがとうございました。)


●12月11日
朝から山積みになっていたCDの移動を始めたらナント棚卸しのような状況になってしまい、相当の時間を費やしてしまいました。
やはりフリマでもやるしかないかなあ、と思うほど聞いたこともないようなCDが沢山出てきました。
夕方、作曲のK・Aさんからメールがあり、ディズニーもののCDを聞いてみたい、との事だったのですが、こんな状況だったので普段は探すのに何時間もかかるものが一発検索(?)できました。

夜中にふとテレビをつけたら、スタートレックまるごと24時間をやっていて寝なければ、と思いつつも4本も見てしまいました。
修行はつづく。


●12月10日
朝から原作本を読み、ブッキング業務をし、禅問答劇判仕事にむけ精進してました。
その甲斐あって、仕事場の地層たちもだいぶ撲滅できました。
ここ一週間はウチに篭る事になりそうです。


●12月9日
片道約2時間かけて大泉学園まで禅問答劇判仕事の音楽打ち合わせに行ってきました。
録音がいよいよ来週に迫ってきたので、問答ではなく「よろしく・・・」という回答求め系の展開になってきました。
現地に2時間ほどいたのですが、往復とあわせて約6時間。
ウチに帰る頃にはもう暗くなってました。
外環道作るなら並行して電車も走らせて欲しい、とつくづく思いました。
石原さんのお知り合いの方、よろしくお伝え下さい。

夜は、助産婦Iさん、Mさんと今シーズン初の鍋の会。
鍋はやっぱり楽しいです。

(私信・・・エルトンさん、お電話&情報ありがとうございました。)


●12月8日
午前中、地域センターで「命を救う応急手当」のお話しを聞きました。
人工呼吸の実習もあり、たいへんためになりました。

午後、禅問答劇判仕事の原作本を仕入れました。
資料は2冊しかきてなかったのですが、 原作のコミックは10巻までででいる事を知り、慌てて購入しました。
ドタバタしているうちに一日が終わっていました。


●12月7日
朝は、地域センター。
午後からは、禅問答劇判仕事の録音用ブッキングを開始しました。
さすがに、年末で皆さんお忙しく難航しています。
昨日から続いている地層整理で、大きなゴミ袋一杯の書類ももえるゴミとして片付きました。

夜、BSで中島みゆきさんの番組を鑑賞しました。
予算があるってこういう事なんだなあ、とつくづく思いました。


●12月6日
仕事場が機能しないぐらい各地に紙関係の地層が山積みになってしまったので、思いきって大資料整理の日としました。
なんだか、今年一年を振りかえってしまいました。
これって、もしかして大掃除なのかなあ?


●12月5日
朝から近所の見回り。
相曽晴日家とバッタリ遭遇しました。
狛江は狭いとはいえ、この人達とはよくお会いします。
その後、喜多見の公園まで散歩。

午後、大急ぎで競馬の検討をしたのち、禅問答劇判仕事の収録を見学のため、大泉学園に向かいました。
遠かったです。
池袋でなんとなくビックカメラに寄ってしまったし、大泉学園についたらお腹が空いてしまい、立ち食いのうどんを食べてしまったり、着いたと思ったら地図に載っていた裏門というのが日曜日のため閉まっていたりで、撮影所到着まで2時間以上かかってしまいました。
到着して間もなく、今日の競馬の敗北を知りました。
ビデオの撮影スタジオって便利なもので、沢山あるモニターの一つに競馬中継が写ってたので、現場で負けを確認してしまった、というわけです。
ちなみに、ワイド馬券も及ばない3着、4着でした。トホホ・・。
現場では非常に丁寧な作業が進んでいました。
今回の仕事はホントに難しいです。
いまだにコレだっ、と確信できるものがありません。
でも、来週には録音、という試練が待ち受けていますです。

終了後、監督S氏、記録のTさんと、荻窪のshot bar「Lagg tine」にて打ち合わせ。
車での移動だったので、帰りはあれだけ遠く感じた大泉がトテモ近く感じられました。


●12月4日
昨日、久々に朝まで仕事していたので、早起きするも調子がでず、思わず昼過ぎまで二度寝してしまいました。
午後は資料チェックなどしているうちに夜になってしまいました。
夕食後、サントリーミステリー大賞スペシャルのドラマを鑑賞しました。
なかなか見応えのある作品でした。
その後も、深夜まで資料整理に追われてました。


●12月3日
朝、地域センター。
午後、銀行関係を廻った後、バンドネオンの池田氏とバッタリ。
池田宅でコーヒーをご馳走になりました。

夕方からは、ひたすら禅問答劇判仕事の続きをやってました。
なんとか第二弾を発送。
気付けばもう4時をまわっていました。


●12月2日
久々に持病の二日酔いの症状に見舞われました。
午後から、禅問答劇判仕事。
どうも、まとまりません。


●12月1日
朝は地域センタ−。
午後は、禅問答仕事。
夜は、長かったです。
天才照明家、雑賀博文氏、日本一のスモーク男&舞台監督の佐藤アキオ氏と3人で「おやじ窟」を占有し、今後の舞台芸術について熱く語りました。
深夜、自由が丘に移動。
雑賀氏行きつけの「HUCKLE BERRY」にて2次会。
忘年会第1弾だったのかなあ・・・?



1999年11月の日記目次プロフィールお仕事演奏ネコかるリンク