ロッコとピエトロ
言わずと知れた序盤の悪役二人組であります。しかしペリーヌたちから見たら悪役ですけれど、彼らも生活がかかっている訳ですから、仕方のない面もあるんですよね。
彼らの商売ぶりを見ていると必ずしも繁盛している訳ではなさそうです。どの村に行っても写真を撮らせてくれる人はさほど多くなく、二組の写真師が同じ道を行くというのは死活問題だ、と考えても無理のないところだったと思います。
一方のペリーヌ母子はインド衣装を着て人を集めるという工夫を始めて以来、結構、商売も繁盛してましたし、ロッコとピエトロに比べると商売敵の存在というのをさほどの脅威とは感じてなかったかも知れないって気がします。その点でペリーヌたちには余裕があったんじゃないかな、という気もします。
余談ですけれど、じゃあエドモンが生きていた頃はどうだったんだろう、という思考も湧いてくるのでした。
ロッコとピエトロの商売ぶり、インド衣装を着る前のマリさんたちの商売の状況、更に写真を撮って貰うにはかなりのお金がかかる、という点を考え合わせてみると通常の状況では写真を撮らせてくれる人はそんなに多くないんじゃないかという思われます。
原作の方でもペリーヌのこんな台詞がありました。
「お金が無くなりましたのでフランスへ行かずにギリシャへ向かいました。その方が旅費が安かったのです。写真器械を持っていたお父様はアテナの町で人々の写真を撮り、これで私たちは暮らしました。お父様はそれから家馬車と、私を救ってくれた驢馬のパリカールとを買い、道々写真を撮りながら陸路をフランスへ帰ろうとなさいました。ところがまあ、写真を撮る人の少のうございましたこと! それに山の道のひどうございましたこと、大抵悪い細路しかなくてパリカールは一日に何度も死ぬところでした。お父様がブソヴァチァで御病気になられた事は申し上げました。お亡くなりになった様子もお許しを得てお話ししないでおきます、できますまいから。お父様がいなくなられても旅を続けてゆかなければなりませんでした。お父様がいて人々に信頼をさせ写真を写す決心をおさせになっていらしったときでも収入は少なかったのですから、私たちだけになった時どんなにそれは減ったことでしょう! だんだん貧乏になっていってそれが冬の盛り十一月から五月まで、パリに着くまで続きましたことも、後でお話致します。あなたはお母様が鹽爺さんの家で亡くなられた次第を今ファブリさんからお聞きになりました。お母様の亡くなられたことや、ここへ来るようにというお母様の最期のお言いつけのことも、後でお話し申し上げましょう。」
(岩波文庫版『家なき娘』下巻 P270より抜粋)
これを見るとやはりエドモンが生きていた頃から収入は少なかったようですし、インド衣装という裏技を編み出せなかった原作では、エドモンの死後、更に悲惨な状況に陥っていたようです。
話がそれましたが、要するに一般的には写真屋さんというのはそんなに客を集められる商売ではなさそうだ、ということです。それなのに、奇抜な衣装で人を集めて楽々と商売をしているマリたちの様子は、ロッコとピエトロにしてみればさぞかし悔しかったろうと思います。それがロッコたちの目に、写真の腕もないのに、妙ちきりんな服を着て、人々の目を欺くインチキ写真屋と映ったとしても無理からぬところがあると思います。
しかし写真比べで負けてしまったのは致命的でしたね〜。たぶんロッコたちも自分たちの写真にはそれなりに自信を持っていたのだと思いますけれど、何故、ピエトロ・ファンファーニ大先生の写真がマリの写真に後れを取ってしまったのか?
勿論、ロッコたちの口上の中の
「イタリア一、いや世界一の写真師、ピエトロ・ファンファーニ先生ですぞ」
と、いう台詞は思いっきり誇張が入っていると思いますが、それにしてもです。それでもそれなりの自信は持っていたと思うんですよね。
まあ物語の展開上、マリの写真の腕の方が勝ってるとした方が話が進めやすいので、制作者の都合でこういう設定にした、というのもあるかも知れませんが、それを言ってしまっては身も蓋もないので、もちょっとマシな説を考えてみます。
マリというと真面目な性格、だというのは衆目の一致するところだと思います。その真面目な性格から、お金を貰って写真を撮るからにはいい加減なことは出来ない、という意識が強く、また自分は初心者だという意識もあり、そこから来る緊張感がマリさんの写真の腕を向上させたのかも知れません。
一方のピエトロの場合、元々それなりの腕は持っていたのだと思いますが、長年に渡る不安定な流浪の生活の中で、日々研鑽をすることを忘れ段々と惰性で写真を撮るようになっていった、というのは一つ考えられるところだと思います。
もう一つ、もしかしたらマリたちの持っていた写真機の方が、ロッコとピエトロの持っていた写真機よりも最新式で性能が高かったんじゃないか、という説もあるようです。
そもそもあの時代、写真機というのは高価なものだったと思います。マリたちの場合はエドモンがつい最近までは事業をやってて、そこそこのお金持ちだった為、写真機を持っていたと納得のいく説明がありますが、ロッコとピエトロの場合はあんなその日暮らしの生活をしていて、どうやって写真機を手に入れたのだろう、という疑問があります。
想像するとしたら、元々、ピエトロはいいとこの坊ちゃんだったが、家が没落して、こんな暮らしをせざるを得なくなった、というのも考えられるでしょう。
また元々は写真屋さんで奉公をしていたが、一生懸命溜めたお金でやっとの思いで写真機購入した。だが店を構える程のお金はなく、結局、旅の写真屋になった、というようなことも考えられるでしょうか。
どちらにしてもエドモンの方が割りと近い時期にお金持ちだったと考えられる為、写真機も最新式であった、というのは一つの想像として成り立つんじゃないかな、という気がします。
まああれやこれやと想像は膨らむ訳ですが、悪役として登場した二人ですけれど、いろいろ考えてみると、ある意味気の毒なところもある二人かな、という気もするのでした。
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