ひとりぼっちの旅
母を亡くし一人きりでの旅を始めて、ラ・シャペル駅に降り立った時、ペリーヌの持っていたお金はたったの5フランと10サンチームでした。
アニメでは語られていませんでしたが、原作ではお母さんのお葬式に20フラン程かかったという記述がありました。パリカールを売って得たお金が30フラン、医者に3フラン払い、ラ・シャペルまでの汽車賃が1フラン20サンチーム、その他シモンじいさんに家賃を払ったりとかいろいろペリーヌの出費を計算してみると、アニメでもたぶんお葬式にそのくらいかかっていると思われます。
さてそうしてペリーヌのひとりぼっちでの旅が始まりました。で、いきなり意地悪なパン屋のおばさんに出会ってしまうんですよね。
『ペリーヌと母マリ』の項でも書きましたが、ペリーヌは決して気の弱い臆病者ではありません。多くの人々からしっかりした娘であるという評価を貰っている少女でした。しかしそのペリーヌにしてマルガレータ(パン屋のおかみさん)のいいがかりや周囲の冷たい視線に脅えて逃げ出してしまいました。
あそこで開き直って『一緒に警察に行って確かめて貰いましょう』とでも言っていれば、マルガレータも引き下がらざるを得なかったでしょう。もし母が一緒にいればペリーヌはそのくらい言っていてもおかしくなかったと思うのです。しかしマルガレータの剣幕や周囲の人の冷たい目に脅えて逃げ出してしまうことになりました。
こういうことになってしまったのはやはり直前に母を亡くしたことで気が弱っており、またひとりぼっちで旅を続けなくてはならないことに対する不安や怖れ、心細さが心の中に宿っていた為であったと思われます。
それにしてもあのマルガレータというパン屋のおかみさんは、ペリーヌ物語の何人かいる悪役と言えるキャラの中でも一番憎たらしいキャラですよね〜。私の(?)かわいいペリーヌが母を亡くして心が弱っているところにあんな仕打ちをするんですから、本当に許せないくそばばぁです。
たぶんアニメのスタッフの中にもそのように思った人がいたんだろうと思います。原作ではあのあとペリーヌはそのまま旅を続けることになるのですが、アニメではすいか畑の農夫の兄弟なんてのが登場して、ペリーヌを助けてくれることになりました。
アニメや小説などに登場するキャラクターに対しては、いくら可哀想で助けてあげたいと思っても普通はそんなこと出来ません。主人公の為に腹を立てたり、同情したりは出来ても物語の中に介入することは絶対に出来ません。
これは私の想像ですけど、たぶんアニメのスタッフの人の中に原作を読んだ時に、ペリーヌを助けてあげたいけど、助けてあげられないもどかしさに歯噛みしていた人がいたんじゃないかと思うのです。
しかしアニメ化という形でリメイクすることにより、その人はあの憎たらしいパン屋のおかみをやりこめてペリーヌを助けてあげることが出来たんですよね。そういうことを実現することが出来たのはとっても羨ましいことじゃないでしょうか? あの兄弟はそういうスタッフの人の思い入れが具現化した存在だったんじゃないでしょうか?
このエピソード、物語全体から見てみると、物語の流れを壊しかねないような側面もなくはないのですが、ペリーヌを助けてあげたいって気持ちはとってもよく判りますのでそんな固いことは言わないことにしましょう。(^_^;)
しかし農夫の兄弟に『おまえとこの固くてまずいパンなんて買わないよ』とからかわれてマルガレータが投げたパンで店のガラスが割れてしまったのには笑ってしまいました。本当に固かったみたいですね。(^_^;)
さて無事にお金を取り戻すことが出来てペリーヌの旅は続く訳ですが、しかしバロンの活躍ですぐに折角取り戻したお金も無くしてしまうことになります。
これについてはアニメを見た時には、折角取り戻したお金だったのに、なんでまたこんな間抜けな一件で無くしてしまわなくてはならないのか、と、少々訝しく思ったのですが、あの五フラン銀貨を持ったままでは話の辻褄が合わなくなってしまうので、こういうことにせざるを得なかったのでしょうねぇ。
しかし前の回ではすいか泥棒を捕まえるのに貢献して株を上げたバロンだったのに、またまたペリーヌに迷惑をかけてしまうことになって、バロンにとってはとんだとばっちりではなかったかと思います。原作にはいないバロンというキャラがうまく機能したとも言えなくはないのですけど……。(^_^;)
そしてあの憎らしいマルガレータはやっつけたものの、やっぱりペリーヌが厳しい境遇で旅を続けなくてはならないことに変わりはないのでした。
季節は8月、お金もなくて飢えと渇き、暑さと疲れがペリーヌに襲いかかります。なけなしのお金を長持ちさせる為、ペリーヌは古くなった固いパンを売って貰ってなんとかお金を持たせようとします。パン屋さんに入って、
「少しくらい固くても構いません、安く売って頂けるなら」
なんていうのは結構勇気のいることだと思うのです。私も昔ビンボーしてた頃(今も貧乏なんですけど(^^;)、残りのお金がほんの少しになっちゃった時にパン屋さんでパンの耳を分けて貰ってそれをかじって飢えを凌いでたりしてた時期があったんですが、「パンの耳を下さい」なんてパン屋さんで言うのはとっても恥ずかしかったです。友人は“犬のエサにするからと言って買えばいい。”なんて言ってましたけど、なかなかそんな風に割り切れるものではないと思います。
そういう体面にこだわらず「固くなったパンを安く売って下さい」と言えるのは、背に腹は替えられないという事情はあったにせよ、ある意味でペリーヌの強さであると言えるかも知れません。
その後、ペリーヌが買い物をする場面では必ずと言っていい程「一番安いものを」という台詞が付け加えられるようになりましたが、この時の経験があったからさほどの抵抗もなく、このように言えるようになったのかも知れません。(勿論女工の賃金はとても安かったので生活を切り詰めなくてはならなかったというのも大きな理由でしたけど。)
話は戻ってその固いパンもペリーヌとバロンの胃袋を満たせるだけの十分な量は買えませんでした。しかも150kmもの距離をペリーヌは歩いていかなくてはいけないのです。
一口に150kmと言ってしまうのは簡単ですが、歩いて行くとなると並み大抵の距離ではありません。ペリーヌは一日30kmずつ歩けば五日で行けるという計算をしますが、30kmもの距離を歩き続けるというのは一日だけでも大変です。
自分の身と引き比べてみますと、一時間や二時間歩き続けるだけなら私でも大したことはありません。しかし四時間〜五時間も歩き続けると足が痛くなって、たぶん次の日は足腰が立たなくなるでしょう。しかし五時間歩き続けたとしても一時間に4km歩いたとして20kmにしかならないんですよね。マラソン選手は42.195kmを走り続けますが、私にとっては30kmもの距離を歩き続けるというのは想像を絶することです。
実は私、ずっと前に京都から高槻まで歩いて行ったことがあります。はっきりとは覚えてませんが、5〜6時間はかかったでしょうか……。とにかく足は痛いし、殆どふらふらって感じでした。(^_^;)(関西以外の人には京都から高槻と言っても判りにくいかも知れませんけど……。)
勿論、ペリーヌはギリシャからずっと旅を続けてきていた訳ですし、私みたいな軟弱で運動不足な人間なんぞとは比べ物にならないくらい足は丈夫だったとは思いますが、それでもたった13歳の少女でしかも食べるものもろくにないという状況は非常に過酷なものだったことは想像に難くありません。
ペリーヌが一人で旅をしていたのは第23話〜第25話のたったの三話の間だけだったのですが、ペリーヌがひたすらてくてくと歩いていく姿というのは凄く印象に残っています。ストーリー中でも最も過酷な時期だったからかも知れません。
お金もなく道連れと言えばバロン一匹。そんな中で空腹と疲労と照り付ける日差しにふらふらになりながらも、ペリーヌは祖父の住むマロクールを目指してひたすら歩き続けます。
結局、行き倒れ同然になって一時は死を覚悟したペリーヌでしたが、幸運にも偶然通りかかったパリカールとルクリおばさんに助けられます。
この展開、御都合主義と言ってしまえばそれまでなんですが、一旦追い詰められてしまう主人公に救いの手を差し伸べるのは作者の主人公に対する愛情の現れであると解釈することも出来ますよね。(勿論、そういう状況に追い込んだのもやっぱり作者ではあるんですけども……。(^_^;))
しかもペリーヌが倒れているのを見つけたのがパリカールだったというのが、なかなかうまい持って行き方だったと思います。と、いうよりパリカールとの辛い別れというのは実はここでペリーヌが助けられる為の伏線だった訳ですよね。ペリーヌのパリカールに対する愛情がこの場面でパリカールを呼び寄せて、ペリーヌの命を救った・・、というようなことを作者のエクトル・マローは考えていたのでしょうか……。
そして実際にペリーヌを助けてくれたルクリおばさん。
「あの時ほど人の親切をありがたく思った事はありませんでした。」
ルクリおばさんに助けられた時のことを、後にペリーヌはビルフランにこのように語っています。
オープニングの歌の三番の歌詞に、
“やさしい人達があたたかく、胸の中に抱きしめて守ってくれる”
というフレーズがありますが、ルクリおばさんという人はこの歌詞を凄く連想させてくれる人だったと思います。
こうしてペリーヌの長く苦しいひとりぼっちの旅は終わり、いよいよオープニングの歌の中では『希望の土地』と表現されている、祖父の住むマロクールへ辿りついたのでした。
☆ペリーヌ物語の部屋に戻る
☆夢のほとりに戻る