ときめきメモリアルショートストーリー
魅惑の香水
第一話『紐緒結奈の惚れ薬』の巻
紐緒結奈の在学当時、きらめき高校の科学部、電脳部の二つのクラブの部室
には秘密の地下研究室へ通じる隠された出入り口が存在していた。
それは、かつては結奈伝説の一つとして流布されている風説の域を出ないも
のであったが、近年、国際プロジェクトチームによる大がかりな発掘調査によ
りその存在が明らかなものとなった。
結奈は高校在学中からこの研究室で数々の実験や研究を行っていたらしい。
世界征服ロボの試作、さまざまな化学物質の合成、遺伝子組み替え、超人口知
能の研究、物質のデジタルデータ化などなど、その内容は多岐に渡り、科学の
あらゆる分野を網羅していたと言われている。
1997年、彼女が最上級生の年の文化祭では科学部が物質転送実験、電脳
部では軍事衛星のハッキング実験を行い多くの生徒を驚嘆させたが、それはこ
の研究室での研究の賜物であった。
科学部、電脳部は表面上は普通の文化系クラブとして活動していたのだが、
両部の部長、副部長をはじめとして全ての部員は紐緒結奈の熱烈な信奉者で占
められており、結奈の手足となって働いていた。これはその後、結奈の世界征
服計画に於いて重要な役割を果たした人物がこの両部から多数輩出しているこ
とでも明らかであろう。
当時、紐緒結奈はこの二つのクラブの影の支配者として君臨していた。今で
も科学部、電脳部には数々の結奈伝説が語り継がれているらしい。紐緒結奈は
両部の部員にとってそれだけ巨大な存在だったのである。
結奈は高校在学時から伊集院グループをはじめとする、多くの企業の顧問と
して活動していたことでもよく知られているが、地下研究室はその商談の場と
もなっていたと言われている。彼女は多くの企業に発明品を売り込み、さまざ
まな依頼を受けて、莫大な研究資金を得ていた。その潤沢な資金により、後の
世界征服計画の基礎が形作られていったのである。
また数は少ないがきらめき高校の生徒が彼女の科学力を頼って相談に訪れる
こともあったらしい。この物語は一人の少女がその噂を聞きつけ、結奈の秘密
研究室を訪れたところから始まる。
*
科学部の秘密研究所の応接室として使われていた一室に据えられた粗末なパ
イプ椅子に一人の少女が座っていた。その少女は髪をポニーテールにし、やや
幼い顔立ちをした子供っぽい少女だった。彼女はある目的で紐緒結奈に面会す
る為、科学部を訪れ、科学部長に案内されてここへやってきたのだ。彼女は少
し不安そうに部屋の中を見回していた。応接室とは言ってもソファもなければ、
調度品もなにもない、ガランとした殺風景な部屋だった。
結奈の莫大な裏資金のことを考えれば、その気になれば応接セットを揃える
くらい簡単なことだったと思われるが、応接セットなどという無駄なものにお
金を使うくらいなら、一円でも多く研究に金をつぎ込みたいと考えていたのだ
ろう。そういう結奈の性格をよく現している部屋だとも言えた。
やがて研究室のドアが開き、紐緒結奈が入ってきた。制服の上から白衣を着
込み、携帯用のノートスパコンを小脇に抱えている。科学部長は結奈の姿を見
ると慌てて、結奈のための椅子を用意した。結奈が目配せをすると科学部長は
深々とお辞儀をして部屋を出て行った。
科学部長が出て行ったのを見送ると、結奈は目の前に座っている少女に目を
移した。
「あなたね。今日の依頼者というのは。」
彼女は椅子に腰掛けるとそう話し掛けて来た。
「は、はい。私、二年の早乙女優美と言います。」
優美は少し緊張気味に答えた。なんだか異様な雰囲気を持ったこの一年上級
の女生徒を前にして少し膝が震えていた。
「早乙女優美ね。あなたの名前なんて別にどうでもいいわ。あなたはどうして
この秘密研究室の存在を知った訳?」
「あ、あのそれはお兄ちゃんが・・。」
「お兄ちゃん?」
「はい、早乙女好雄っていいます。」
「なるほど、あの情報屋ね。彼の持っている情報は重宝しているわ。つまりあ
なたは早乙女好雄からこの秘密研究室の情報を得た訳ね。」
「はい、そうです。」
「判ったわ。それじゃ、依頼の内容を話してちょうだい。」
そう言われて優美は少しほっとした。なんだか異様な部屋に連れ込まれて、
しかも入ってきたのはちょっと危ない雰囲気を漂わせた女生徒だったので、流
石の優美も緊張していたのだった。
優美は少し躊躇するようなそぶりを見せたが、結奈に促されてやがて決心し
たように依頼の内容を話し出した。
「実は惚れ薬を作って欲しいんです。」
「惚れ薬ですって。」
「はい、優美、どうしても惚れ薬が欲しいんです。」
「あなたはどうしてそんなものが欲しい訳?」
「そんなの決まってるじゃないですか。好きな人がいるんだけど、その人に優
美のことを好きになって欲しいからです。」
優美は答えた。目は真剣である。
「ふーん、好きな相手が……、下らないわね。つまりあなたの好きなその相手
とやらはあなたのことを全然相手にしてくれないって訳ね。」
「そ、そんな、全然って訳じゃないけど……。」
「ま、無理もないわね。少しでも女性の魅力を解する能力を持った男なら、あ
なたのようなガキを相手にするなんてことはありえないものね。」
結奈は見下すような表情で遠慮のないことを言った。優美は少しカッとなっ
て言い返した。
「そ、そんなことないもん! 優美、同級生の男の子の間じゃアイドルなんだ
よ! でも本命の先輩は友達の妹としか思ってくれなくて……。」
「あなたの好きな相手って早乙女好雄の友達?」
「はい。」
「もしかするとあの、テニス部の……。」
「はい、そうです!」
優美はそう答えて、好きな相手の名を言った。その瞬間、結奈の左目がキラ
リと光ったことに優美は気がつかなかった。
「紐緒先輩も彼のことご存じなんですか?」
「一応知っているわ。彼はテニス部では活躍しているしちょっとした有名人だ
ものね。でも惚れ薬なんてものは作れないわよ。」
「だって、紐緒先輩ならどんなものでも作れるってお兄ちゃんが言ってました。」
「科学でどうにか出来るものならね。」
「科学ではどうにもならないんですか?」
「いい、人に惚れるということはどういうことだと思う?」
「どういうことって……、好きになることでしょ?」
「つまり好きとか惚れるということは物質的なものではなく精神の領域なのよ。
人の心というのがどういうものなのか、科学ではまだ解明されていないし、人
の心を自由に操るなんてことは出来ないのよ。」
「優美、そんな難しいことは判んない。」
「ふん、困ったガキね。」
「優美、ガキじゃないもん! 大人だもん。」
優美は拗ねたようにふくれっつらをした。
結奈は少し思案するような素振りを見せていたが、やがて頬にうっすらと笑
みを浮かべて言った。
「分かったわ。はっきりと惚れ薬と言えるものは作れなくても類似のものなら
作れるかも知れないわ。」
「本当?」
「つまり彼の嗜好をコントロールするのよ。ある種の薬物を投与することによ
ってあなたの思う彼がある特定の香りにより敏感に反応するようにすることは
出来るわ。更にその薬物に男の性欲を増進させる作用を持つ薬品を加えれば、
惚れ薬に似た作用を持つ薬を作れるかも知れない。勿論、あなたはそれに対応
する香水を常に身につけておくのよ。」
「せ、性欲を増進させるって・・・。」
「ええそうよ、それがどうかした?」
「だ、だって、優美はあの人が優美のことを好きになってくれたらそれでいい
んです。そりゃあいずれはそういうことになるかも知れませんけど、いきなり
性欲だなんて……。」
「あら、恋愛というのはどんなに美しい言葉を並べたてたって、結局は性欲の
延長線上にあるものなのよ。そしてその性欲というのは動物としての種族保存
の本能に由来するものなの。恋愛というのは要するにそれを美辞麗句で飾りた
てて美化しただけのものに過ぎないわ。それをまるで至高のものであるかのよ
うに主張するのは唯の馬鹿者の戯言よ。」
「ふ、ふーん、でも……。」
「それともなに? あなたにはそれだけの覚悟はない訳?」
「だって……、」
「ふん、呆れたお子さまだわ。」
「優美、お子さまじゃないもん! 大人だもん!」
「大人だったらたかが性欲と言われたくらいでびびらないことね。」
「別にびびってなんかないもん!」
「とにかくまずは既成事実を作ることね。既成事実さえ作ってしまえばこっち
のものよ。この薬はきっとその手助けをしてくれるわ。」
「き、既成事実・・・。」
優美は真っ赤になってうつむいてしまった。背伸びをしてみてもやはりスト
レートにこんなことを言われると抵抗を感じるらしい。
「あなたの好きな相手、この人の性格を分析すると……、」
結奈は手に持ったノートスパコンのキーボードを操作した。
「結構真面目で融通が利かない、それに優柔不断で八方美人と出ているわ。こ
ういう男は恋愛の対象としていない相手でも、近寄ってくる女の子を邪険に扱
うことが出来ないし、既成事実さえ作ってしまえばそれに縛られて二進も三進
もいかなくなるものよ。」
「そんなデータがあるんですか?」
「ええ、このスパコンにはきら高の生徒全員の性格、嗜好、趣味、成績などの
データがインプットされているのよ。このデータの作成の際にはあなたのお兄
さん早乙女好雄にも随分協力を頂いたわ。」
「へぇ〜、そうだったんですか。」
どうやら好雄は結奈の協力者の一人であったらしい。ま、女の子に何か頼ま
れてそれを断るなんて勿体なくて出来ない、という好雄の性格を考えてみれば、
もっともな話ではあったが……。それでこの秘密研究室のことも知っていたの
だろう。
「でもぉ、いきなり“キセイジジツ”だなんて……。優美はもっとロマンチッ
クな恋がしたいんです……。」
「それなら既成事実を作った後で、ロマンチックでもなんでもやればいいのよ。
あなたの好きな彼は結構もてる男の子だし、好きなタイプは間違ってもあなた
のようなお子さまタイプじゃないわ。それに彼の周りには藤崎詩織や虹野沙希
のような超強力なライバルが取り巻いている。彼女たちの魅力にはあなたは遠
く及ばないことは歴然としているわ。既成事実を作ってしまう以外にあなたが
彼を手に入れることが出来る可能性は万に一つもないといってもいいわね。」
結奈に言いたいことを言われて、優美は少々むかっときたのだが、藤崎詩織、
虹野沙希という名前を出されると弱かった。彼女らは学校全体に沢山のファン
を持つ、アイドル的存在であり、好雄の女の子チェックデータでも特Aランク
に位置付けられている存在なのだ。しかも彼に好意以上の気持ちを抱いている
のは明らかだった。優美自身彼女たちには勝ち目がないと自覚しており、だか
らこそ少々胡散臭くは感じていたものの、惚れ薬なんてものを頼みに来たのだ
った。
「どうするの? 性欲だの既成事実だの言われただけで動揺するようじゃ、こ
んな薬は作らない方がいいかしら?」
「いえ、作って下さい。」
優美は意を決して言った。とにかく彼との仲を進展させることが出来るなら
ば藁にもすがりたいような心境だったのだ。
「それだけの覚悟があるってことね。」
「はい。」
「もう一つ付け加えるけど、この薬は一時的に彼の嗜好をコントロールするだ
けで、すぐに彼があなたを好きになるという訳ではないわ。唯、あなたにとっ
て間接的に有利な条件を作り出すに過ぎない。それと効果の持続時間も数十分
から一時間程度と決して長くないの。その限られた条件の中で薬の効果をどれ
だけ生かせるかはあなたの腕次第ってことになるわね。」
「わかりました。優美、ガンバります。」
「よろしい、じゃ、三日後にもう一度おいでなさい。それまでには作っておく
わ。」
「わ〜い、紐緒先輩、ありがとうございます。」
そういうと優美は結奈にお辞儀をして教室に戻って行った。
「ふふ、早乙女優美か……。ちょうどいい人材がやってきたものね。どのくら
い役に立ってくれるかは判らないけど……。。」
部屋を出て行った優美を見送ると結奈はそう一人ごちて怪しげな笑みを浮か
べた。
<つづく>
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