ときめきメモリアルショートストーリー

魅惑の香水


第二話『早乙女優美のお弁当』の巻


 三日後の昼休み、再び科学部室を訪れた優美は紐緒結奈の調合した、嗜好を
コントロールする秘薬とそれに対応した香水を受け取った。秘薬の方は粉末状
の何の変哲もない白い色をしている。香水の方は匂いを嗅いでみるとほのかに
よい香りがするという程度で、特に強い匂いがするというものでもなかった。

『さてと、これをなんとかしてこれを彼に食べさせなきゃいけないんだけど…
…、どうやって食べさせたらいいかなぁ・・・。』
 教室に戻って五時間目、六時間目の授業を受けている最中にも優美はずっと
そのことばかりを考えていて授業も上の空だった。(もっとも優美の場合、授
業なんて上の空というのはいつものことであったが……。)
 結奈に頼み込んで薬を作ってもらったのはいいものの、彼にこれを服用させ
ることが出来なければ意味がない。もし彼が風邪でもひいてくれれば、オブラ
ートにでも包んで風邪薬だと言って飲ませる方法もあるだろう。しかしそう都
合よく、風邪をひいてくれるとも思えなかった。
 それにどこでこれを彼に飲ませるか? これも問題だ。なにしろ“性欲を増
進させる”などというとんでもない作用を持つ薬である。うかつなところで飲
ませたら何が起こるか判らない。香水の力で優美に注意を惹きつける効果があ
るとは言え、周りに多くの女性がいる場所では彼の性欲が他の女性に向かって
しまうということもありえないことではないかも知れない。そんなことになっ
たら彼を“性犯罪者”にしてしまいかねないではないか!(^^;
 なんとか彼と二人きりになれる場所で自然に薬に服用させることが出来ない
ものか、優美は思案に暮れていた。

 考えていてふと思い付いたのが虹野沙希のことだった。虹野沙希は運動部の
アイドルであるが、料理が得意なことでも有名である。彼女の作るお弁当は
“虹弁”と呼ばれて運動部の男子の間では憧れの存在となっている。
 優美は以前その虹野沙希が学校の中庭であの人といっしょにお弁当を食べて
いるのを目撃したことがあるのだった。二人が楽しそうにお弁当を食べている
光景は優美の心に強い印象を与えた。そしていつか自分もあの人の為にお弁当
を作って食べさせてあげたい、という夢を抱くようになったのだ。
 自分がお弁当を作ったとしても味の点では虹野沙希のものには到底適わない
だろうが、しかし紐緒さんに作って貰った惚れ薬の力を借りればあんな風に楽
しい時間を過ごせるのではないだろうか? 薬もお弁当に混ぜてしまえば自然
に彼に食べさせることが出来る。それにお弁当を食べるからと言って滅多に人
が来ない屋上にでも誘い出すことが出来れば完璧だ。

「よーし、お弁当だ! 明日は早起きしてお弁当作りに挑戦よ!」
 自分の思い付きにわくわくしてしまって、優美はいきなりそう叫ぶと威勢よ
く立ち上がった。優美は今が授業中だったことなどすっかり忘れていたのだっ
た。
 なんだか視線を感じて周りを見てみるとクラスの生徒たちの視線が優美に集
中していた。みんな呆気に取られた顔をして優美を見つめている。
『しまったぁぁぁ! 授業中だってことコロッと忘れてた・・。』
 今頃気付いても後の祭りであった。クラスメートたちのくすくす笑いが教室
中にさざなみのように広がっていく。
「みなさん、静かにしなさい。」
 数学担当の女教師が授業を中断して生徒たちに声をかけた。教室内に広がり
かけていた笑い声が静まると教師は優美に目をやった。
「早乙女さん、お弁当がどうかしたの?」
 優しい落ち着いた声で訊ねる。しかし口調は穏やかだが、目つきには険悪な
気配が漂っている。
「まだ六時間目よ。さっきお昼を済ませたばかりなのにもうお腹が空いちゃっ
たのかしら?」
「い、いえ、違います! お弁当じゃなくて・・そう、お勉強です。明日は早
起きして一生懸命お勉強やろうかなぁ・・・、なんて・・。(^^;」
 慌ててごまかそうとして優美は口からでまかせを言った。しかしそう言いな
がらもなんて間抜けなことを言ってるんだろうと心の中で冷や汗たらたらの優
美であった。
「そう、お勉強って言ったの。早乙女さんがやる気を出してくれるなんて、先
生嬉しいわ。」
と、口では言いつつ女教師は冷たい視線で優美を見つめている。
「は、はい……、喜んで頂けて光栄です・・。」
「早乙女さんは随分張り切っている御様子だから、早速、黒板のこの問題でも
やって頂こうかしら。」
 そういうと教師は黒板を指差した。なにやらややこしい計算問題が書かれて
いる。
「えっ・・、そ、そんなぁ〜。」
 教師に促されて黒板の前に出て行ったのはよいものの優美に問題が解ける訳
もなく、さんざん嫌みを言われていびられてしまったことは言うまでもない。

                   *

 次の日の昼休み、学食へ向かっていた彼は優美に呼び止められた。
「こんにちはーっ。」
「あっ、優美ちゃん、どうしたの。」
「うん、あのね、優美、お弁当作って来たの。一緒に食べませんか?」
 少しはにかんだようなそぶりを見せつつ、先輩にこう持ち掛けた。昨日の授
業中は少々失敗してしまったが、そんなことをいつまでも引きずっている優美
ではない。立ち直りは早いのだ。嫌なことはさっさと忘れて今日は珍しく早起
きしてしっかりお弁当を作ってきたのだった。勿論、香水をつけてくることも
忘れなかった。
 お弁当を作ってきたものの、彼が自分の誘いに乗ってくれるかどうかについ
ては多少の不安もあったのだが、彼は優しい性格をしていて女の子の頼みを断
れない人であることはよく知っていた。その為、他の女の子の誘いにもほいほ
い乗ってデートに出かけたりしてしまうのは少々腹立たしいのだが、今日に限
ってはそういう彼の性格は都合がよかった。
「えっ、いいけど。」
 案の定彼は誘いに乗ってきた。計算通りである。優美は秘かに心の中でほく
そえんだ。
「じゃ、屋上に行きましょうよ。青空の下で食べるのも楽しいですよぉ。」
「そ、そうだね。」
 勿論、屋上なら滅多に人が来ることがないのは計算済みである。
「そうと決まれば早く行こうよ。」
「わかったよ。
 優美に袖を引っ張られて彼は引きずられるようにして屋上に向かった。

「はい、どうぞ。頑張って作ったんですよ。
 屋上について、シートを広げて座り込むと優美がお弁当を差し出した。蓋を
開けてみるとエビフライにミートボールにタコさんウインナーにウサギさんの
リンゴ。なかなか女の子っぽいかわいらしいお弁当だ。見た目はとってもおい
しそうである。唯、一見華やかなエビフライもミートボールも冷凍食品をチン
しただけのもので、見事な手抜き弁当だったのだが……。優美にしてみれば、
電子レンジでチンするだけでも堂々と胸を張って“私が作った”と主張するに
相応しい立派な料理ということになるらしい。
 そして仕上げに紐緒結奈に貰った怪しげな薬をたっぷりとお弁当に振り掛け
てあることなど、彼は知るよしもなかった。

「それじゃ、遠慮なくいただきます。」
 どんな弁当を食べさせられるのかと実は内心はらはらしていた彼だったのだ
が、見た目がおいしそうなので安心したらしい。例の薬も暖かいお弁当に振り
掛けるとすぐに溶けて消えてしまったらしく、見た目ではそんなものがかかっ
ているとは判らなかった。彼はお弁当を食べ始めた。

パクッ、モグモグ、ゴックン。

「ど、どうですか?」
 不安と期待を目にいっぱいに浮かべながら彼の顔を覗きこむ優美。だが彼の
方はと言えば、突然舌に襲いかかってきた未曾有の衝撃の前に慄然として全身
がわなないていた。
『ぐ、ぐえええっっっ!! な、なんだこの味は・・・。』
 全身の皮膚が粟立ち、顔面蒼白になって必死になってその衝撃に耐えている。
「おいしくないですか?」
 なんだかおかしな様子をしている彼を見て優美は心配そうに声をかけた。彼
は目を白黒させながらも心にもなく、
「お、おいしいよ。」
と、答えてしまうのであった。不安そうに自分を見つめる優美の視線に気圧さ
れて、ついうっかり思っているのと反対のことを言ってしまったのだ。ま、仕
方ないか、これが男の優しさってもんだぜ、などと心の中では言い訳をしてた
りする彼であったが……。
「ホントですか? やったーっ。なんか様子が変だったからおいしくないんじ
ゃないかと心配しました。」
 優美は彼が“おいしい”と言ってくれたのでほっと胸を撫で下ろした。そう
いえば彼は虹野さんと一緒にお弁当を食べてた時も一瞬変な顔をして心配させ
た後、にっこり笑っておいしいと言い直してたっけ・・。もう、先輩ってば本
当にお茶目なんだからぁ。
「たくさんあるから、どんどん食べて下さいね。」
 嬉しそうに言う優美のほがらかな笑顔を見て、彼は自分の馬鹿さ加減を呪っ
た。しかし“おいしい”と言ってしまった以上はもう引っ込みがつかない。と
は言えこれ以上このお弁当を食べさせられるのかと思うと背筋が寒くなってき
た。で、取り合えず少しだけ抵抗してみる。
「あ、ありがとう。でも、せっかく奇麗に作った お弁当が勿体無いね。」
「他の女の人のお弁当が食べれて、優美のは食べれないんですか?」
「そんなことないよ。 ただね、こんなに…。」
「食べれないんですか?」
「あぁ、嬉しいなぁ。 こんなにおいしいお弁当を 食べれるなんて。」
『死んだ気で、 食うしかねぇな。』
 こうなったら覚悟を決めるしかなかった。彼は誇張ではなく本気で死んだ気
になってそのお弁当を食べた。見た目はこんなにきれいでおいしそうなのに、
味の方はなんでこんなにひどいのだろう……。そのギャップは理解に苦しむ程
のものだった。

                   *

 余談だがこの時優美が作ったお弁当を食べた彼は「砂糖と塩を間違えてるぞ」
という感想を抱いたと言われている。だが、筆者はこの点に少々疑問を感じる
のだ。塩と砂糖を間違えるというパターンはマンガなどでは登場人物の料理の
下手さを表現する際によく使われる手だが、実際に塩と砂糖を間違えることな
ど滅多にあるものではない。
 またこの時のお弁当の写真も資料として筆者の手元にあるのだが(初めてお
弁当を作った記念に優美が自分で撮影したものであると言われている)、内容
はエビフライ、タコさんウインナー、ウサギさんのりんごなどなどで、一体ど
こで塩と砂糖を間違えたのか少々不可解に感じるのである。これらのことから
優美が塩と砂糖を間違えたというのは、もしかすると後世の創作なのではない
だろうか?
 唯、そのお弁当を食べさせられた彼がそのような感想を抱いたとしても仕方
がないようなとんでもない味だった、というのはどうやら事実だったようだ。
では何故そのような味になったのか? 筆者の見解としては優美が仕上げに振
り掛けた怪しげな薬、それがこの時のお弁当のひどい味の元凶だったのではな
いかと推測しているのであるが如何なものであろうか?

                   *

 彼は息も絶え絶えになりながらもなんとかかんとか必死の思いで優美のお弁
当を食べ終えた。幾分、顔色が蒼ざめているようだ。
「良かった。 全部食べてくれて。」
「ご、ごちそうさま。とても、おいしかったよ。」
 嬉しそうに自分を見つめる優美の顔を見て、無理に笑顔を作ってまたまた心
の中とは反対のことを言ってしまう。全く因果な性分である。
「本当? お世辞でもそんな風に言って貰えると嬉しいな。いつでも言ってく
れたらまた作ってきますね。」
 げげっ? こ、こんなお弁当は二度と御免だぞ! と、思いつつもやはり口
に出せない自分が情けなかった。

                 *

 ふと不思議な気分にとらわれて、彼は優美の方に目をやった。なにかいぶか
しむような顔をしてしきりに優美を見つめている。
「あの、優美の顔になにかついてますか?」
 優美は自分を見つめる彼の視線に内心“しめた”と思いつつも平静を装って
訊ねてみた。どうやら薬の効果が顕れ始めたようだ。
「い、いや、なんでもないんだ。」
 そう言いながらも彼は何故か優美から目を離すことが出来なかった。何故だ
か判らないが優美のことが気にかかってしようがないのだ。なんだか不思議な
香りが優美のいる方向から漂ってくるような……。
 その香りは何故か判らないがもとてもひきつけられるような、その香りの漂
ってくる方向に引っ張られるようなそんな不思議な香りだった。そしてそれは
紛れもなく優美のいる方向から漂ってきている。
 それと同時に突然全身が熱くなってきた。むらむらと体の奥の方から得体の
知れない衝動がこみあげてくる。思わず知らず彼は優美ににじり寄った。
「あ、あの、先輩、どうしたんですか?」
 優美に問いかけられて一瞬彼の動きが鈍った。だがその言葉は微かに彼の耳
を掠めただけでそれに注意を向ける余裕は今の彼にはなかった。
 まるで頭に霞がかかったように思考力が極度に低下してしまっていた。優美
から漂ってくる魅惑的な香りと体の奥底からこみあげてくる熱い衝動によって
理性が麻痺してしまっていたのだ。今の彼にとってそれ以外の物は全てなんの
意味もなさないものであるかのように感じられた。
 彼はその源泉を求めて一歩二歩と優美に近づいて行った。頭の奥の方で理性
が彼の行動を止めようと点滅しているのがかすかに判るのだが、体が言うこと
をきかなかった。彼は優美に向かって腕を伸ばすと、優美の体を抱きすくめよ
うとした。
『いよいよこの時が来たのね。』
 優美は唇を噛み締めた。今日はいざという時に備えて真新しい下着を身に着
けてきていた。準備は万端整っており、気持ちの上でも覚悟は決めているつも
りだった。だがいざとなると心の奥の方から脅えの感情が湧きあがってくる。
とはいえここで“キセイジジツ”を作ってしまうことが出来なければ、今日こ
こへ彼を誘い出した意味がない。思わず後ずさりしたくなるのを必死の思いで
堪え、優美は彼に身を委ねるようにして仰向けに倒れこんでいった。

                 *

「な、なにを・・しているの?!」
 突然、屋上への階段の出入り口付近で悲鳴のような声が聞こえてきて、彼の
頭に僅かに残っていた理性が目を覚ました。振り向くと幼馴染の藤崎詩織が真
っ青になってこちらを凝視したまま立ち尽くしている。
 気がつくと優美が仰向けに倒れており、その上に覆い被さるようにしている
自分の姿があった。優美は心持ち震えているようだ。掌にやわらかい感触を感
じる。見ると彼の右手は優美の小さな胸の上に置かれていた。
 彼は慌てて優美の胸から手を離し、愕然として立ち上がった。お、俺は今、
一体何をしようとしていたんだ? ま、まさか……。

「あ、あなたがこんな人だったなんて……。」
 詩織は絞り出すような声でそういうと、悲しそうな責めるような目つきでこ
ちらを見つめている。その目にはじわじわと涙が溜まっていく様子が伺えた。
「ち、違う、違うんだ!」
 頭の中がパニックになってしまっていた彼は、慌てて言い訳をしようとして
詩織に近づいた。その時・・、

バッチーン!!

 不用意に詩織に近づいた彼の頬を平手打ちが襲った。頬に手形が残る程の強
烈な一発だった。
「あなたがこんな人だと思わなかったわ。不潔よ、大っ嫌い!!」
 詩織はそう叫ぶと両手で顔を覆って校舎へ続く階段を駆け降りて行った。
「ま、待ってくれ! 詩織!!」
 慌てて詩織の後を追おうとしたその時、優美が突然、声をあげて泣き始めた。
「あ、ゆ、優美ちゃん、」
「えーん、えーん、先輩ったら私にあんなことしようとした癖に藤崎先輩を追
いかけていこうとするなんて……。」
「えっ・・。」
「あんなことされちゃって、優美もうお嫁にいけな〜い!!」
「そ、そんな・・、ちょっと優美ちゃん落ち着いて。」
「先輩、責任取って下さいね。」
 せ、責任〜〜!? 彼の頭の中がさあ〜っと真っ白になった。せ、責任だな
んて、ちょ、ちょっと待て! お、俺はまだ何もやってないぞぉ!! いや、
やったとかやってないとかって問題じゃなくて……、あああ、お、俺は一体ど
うなっちまったんだぁぁ!!

 おろおろする彼の姿を見て、心の中でぺろりと舌を出す優美であった。


              *

「あ、詩織ちゃん。」
 階段を駆け降りてきた詩織はうっかり誰かにぶつかってしまった。
「し、詩織ちゃん、なにかあったの?」
 ぶつかった相手は親友の美樹原愛だった。愛は詩織の泣き顔を見て驚いた様
子で問い質す。
「う、ううん、なんでもないの・・・。」
 詩織は慌ててそう答えたが声が震えているのを隠しきれなかった。
「じゃ、なんで泣いてるの? なにもない訳ないわ。」
 心配そうに詩織の顔を覗きこむ愛。そんな愛を見ていると更に悲しみが高ま
ってきて詩織は泣きながら愛に全てを話してしまった。そして・・・。

 彼が屋上で優美を押し倒そうとしたことはたちまちの内に学校中の噂になっ
てしまった。そして彼に対する悪い噂が流れ、彼に憧れていた女の子たちの間
では相次いで爆弾が点灯したのであった。

                             <つづく>

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