F1を語る
TRIBUTE TO AYRTON SENNA(前編)


今年も無事サンマリノGPが終了しました。 あれからもぅ3年経つんですねぇ…。そぅ、アイルトン・セナが亡くなってから…。

1994年5月1日、イタリアのイモラ地方に位置する アウトドローモ・エンツォ・エ・ディノ・フェラーリサーキットで行われたサンマリノGP。 前日シムテックのローランド・ラッツェンバーガーが、ビルヌーヴコーナーで314km/hもの スピードでコンクリートウォールにクラッシュ、壮絶な激突死をとげ、 サンマリノGPの開催が危ぶまれる程の重い空気が漂っていました。
過去10年間F1での事故死は全く無かったのですが、この事故で「F1安全神話」の崩壊が 始まりました。

決勝、スタートでベネトンのJ・J・レートがスタートに失敗し、 ロータスのペドロ・ラミーがそれに追突、 破片が散乱し両マシンは大破しました。当然赤旗中断再スタートかと思われたのですが、 セーフティカー(コース状況が良くなる迄、レースを先導しつづけるオフィシャルの車) が導入され、5週目再スタートがきられました。
そして、魔の7週目。タンブレロコーナー(高速コーナーで平均300km/hで走行する)で、 セナの乗るウィリアムズFW16はコーナーを曲がれないままコンクリートウォールに激突、 大破しました。

事故の原因はまだはっきりとしたことは分かりませんが、 一説によると、急遽改造したステアリングコラムの 溶接に不備があり、タンブレロの入り口でステアリングが全く動かなくなったということです。
ステアリングの異常を感じたその瞬間、セナは数十メートルの間にアクセルを緩め、 ものすごい速さでシフトダウンをし、310km/hから210km/hまで減速したと言われています。

死因としては、折れたサスペンションアームが飛んできてセナのヘルメットを貫通、 頭に突き刺さったとそうです。

当日おいちゃんは、11:55pmから始まるF1サンマリノGPの中継を録画する為 ビデオをセットし、その前にやってたフジTVのニュースを見ていました。
11:30pmから始まるそのニュースで小幡アナが、 「F1サンマリノGPで、ウィリアムズのアイルトン・セナが事故を起こし、病院に運ばれました」 と言っていましたが、 「クラッシュかぁ〜。だいぢょぅぶかなぁ〜?何戦休んだら復帰すんのかなぁ〜?」 と思う程度でした。
放映が始まり、三宅アナ、今宮さん、川合ちゃんの三人が中継に先駆け、 重い雰囲気でセナの事故の状況を説明 していました。「おぉぉぉっー!こりゃぁ、ただごとぢゃぁねぇなぁ〜」と思いましたが、 そのまま中継を見ていました。 しばらくすると、 「アイルトン・セナが入院していたボリョーニャの病院で亡くなりました」 とのニュース速報が入りました。 その瞬間、全身から血の気が引いたのを今でも覚えています。
結局その日は一晩中、起こった事が信じられず、眠れないまま会社へ行きました。

続く…。 後編はここだよ