何故有機農業か?韓国自然農業の趙さんは旨いことをいった。
化学肥料、化学農薬がでてきたからそう言わざるを得なくなった。
数千年の時をかけて築き上げてきた農法と、たかだか数十年の科学主義の科学農法。
科学主義と、化学物質にまみれた現代で、人類は生存基盤を侵され始めている。

2004年は田んぼも無農薬に挑戦した。
結果は、悪い方に出たようだ。同じく挑戦した我孫子市の玉根さんという
有機農家からも惨憺たる結果、と言う手紙をちょうだいした。
除草が問題だ。私の耕作面積2町5反歩の内2、3反歩は試験的にやってきたが、
今年は全田挑戦。結局最後は手取り除草となり、面積が多くなり草の方が成長が早く
手取り除草が間に合わず途中で一部あきらめた田んぼもあった。
10月27日無農薬稲作実践農家で交流会があったが決め手はなかなかない。
しかし、、、、と続く、、、、

さあ始めよう!無農薬栽培!
化学農薬が普及してからまだ40年、それまでの農業に農薬などなかった。
農業の歴史は、数百年を越え数千年。その間農薬などなかった。
数千年の時を、先人は農業をし、食を確保してきた。
農薬や化学肥料がなければお米や野菜ができない、というのは嘘だ。!

明治からの科学主義が、日本の農法の基点となっていることが、問題だ!
と思うがどうだろうか?
問題は、自然の摂理を忘れたことにある。人間が食料を作り出しているのではなく、
豊かな地球環境、自然の恵みによって人間が生かされていることが基本であり、
いわばお釈迦様の手のひらの孫悟空のような存在であることを自覚できない
愚かな人間が、今問題になっているのではないか!?
カルチャーしよう!

ミュンヘンでは、市民の大半が市民農園を持っている。
そこでは野菜など30%位自給しているという。
足らない分は、農家の作った野菜でまかなう。
カルチャーとは耕す人のこと。
カルチャースクールに通うことではない。
自然から学び、恵みに感謝しながら、
知恵や想像力をつけてゆくことではないか。
小さな土地でもよいから大地を確保し、始めよう。
始めれば見えてくる。
 そこにはいろいろな生き物が生息し、複雑な生態系が生まれる。
人間も、その生態系の中でこそ生きていられることを
実感できるのではないか。
自給を始めよう!
 自給することは、文化の始まりではないか。
そこには自分のなした仕事があり、自分の成し遂げた確かな結果が生まれる。
誰かに言われてやるものではない。
自分の器量がそのままでるのだ。ごまかしは一切ない。
種を蒔く人がいなければ、芽は出ないのだ。
芽が出なければ、育てることもかなわず、食べることもできない!?
 よく考えてみれば、人間の造ったものなど何一つない。
地球と大地と太陽と自然が作り上げたものを人間が利用しているだけ。
食べ物は大地自然が、工業にしても
全ては地球からの採取物があってこそではないか。
 そこに自給の意味がある。
一度、人間の生存の原点に還ってみることが必要なのではないか。
近頃の世相を考えるとそんな思いに駆られる。
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