2007年ありがとう! 感謝   2007.12.30
 2007年ももう終わるのですね。
 今年という年は私にとって、とても感慨深いものがありました。
 その一つは新しい方々との出会いが多々あったことです。勿論その中には大切に塩漬けにされて、地中(母の懐)深く埋められていた方々もおられました。つまり魂の復活の人たちです。

 何故塩にまぶされていたのか?
 それは中途半端なうちに塩を払って地上に浮かび上がると、魔に見つけられ脱落して(食われて)しまうからです。
 この刻に目覚めてこられたこと、とても嬉しく、神々に感謝しかありませんね。

 この世は陰陽、共に並び立つ・・・
 特にこうした時代はそれが顕著に表れる・・・
 神が正しい光なら、魔も又必要があってこの世に跋扈する。

 魔もまた神也・・・人の生死を越えたところに真実があるのでしょう。

 宇宙には正邪はありません。
 すべて人類から見た正邪なのです。
 ある意味、人類が生きるための都合のいい解釈が、正邪を決めているのかも知れませんね。

 昨年(2006年)後半から、私への最後の蔽いも取り払われたようです。私もまた表舞台に出ることを拒否されたものでした。

 今年から積極的に母なる大地に隠された方々へのアプローチを始めました。それが天の示唆であったからです。

 ほんとに大勢の方々とお会いしました。
 なかには、まだ魂の光が薄い方もおられます。この世的な情から離れられないのでしょうね。
 つまりこの世への執着から逃れられない。

「そうですよね!?」
 そんなに簡単にこの世の、人としての執着から離れてたまるか!!ですよね。
 私もずっとそう思っていました。でも人としての執着から開放された時キット人は宇宙と繋がっていくのでしょう。
 考えてみれば、永遠に流転、変転しながら続いていく宇宙から見れば、人類の生死など一瞬の時でしかないのでしょうから・・・

 もう一つ感慨深かったことは、19年間続けてきた氣功教室の仲間たちのことです。
 私もよくこれほど長く教室続けてきたな!と思いますが、それよりも強く感じたことは、19年間にこの教室で出会ってきたお弟子さんたちのことです。
 生意気な言い方をすれば、よく育ってきたな・・・と思うことが多々ありました。
 じつは刑部流の氣功功法には、とても難しいものがあります。
 何故難しいか?といえば、
 殆どの功法は私が組み立てたものではなく、中国氣功の代表的なものと「白隠禅師の軟蘇の法」以外は(上から)降りてきたもので構成しています。
 ですから、超感覚で学ばねば、中々習得できない功法が多かったのです。
 頭で考えていても、いつまで経っても習得出来ません。

 つまり私の氣功は普通の氣功の修練法ではなく、魂を開く修練法であったわけです。

 開いてきましたね・・・!
 ドンドン魂が開き、目が見えるようになってきました。
 覚醒が始まってきています。
 来年2008年厳しい環境の中で、私の仲間たち(お弟子さんたち)は、本当の自分を(己を)知り始める。

 何処から来て、今生、何を成すために生まれてきたのか?
 そして何処へ帰るのかを・・・・!!

 私や私の仲間たちは来年から、ファイナル・ステージに立てるでしょう。
 何故って・・・その為に生きてきたのですから・・・・・
 塩を振り払った人々と共にこれからが本番です。
 どうか覚悟をしてください。

 師走の居間にて
合掌   刑部恵都子
折りたたまれた多次元の接点・・・時空を超えて(2)   2007.12.25
 最初から読みたい方はこちらをどうぞ
8.オリオンの星が故郷?
 最近はオリオンに導かれることが多くなってきた。もしかしたらオリオン座の星から今生地球に転生してきたかもしれないと思っている。(上のお方様は違うと云われているが・・・)
 私以外にも現在大量にこのような転生をしている人々がいる。地球での、あの世とこの世の行き来の転生とは異なり、星からの転生があり、その転生で地球に生まれた者達は各自役割を持って生まれてきているような気がする。
 私の知っている何人もの子供たちは、生まれる前の宇宙のことを知っている。またお母さんのお腹に入る以前の光景も覚えている。そんな彼らも今生に生きる辛さを感じているようだ。これらの子供たちがこれからの地球を担っていくのだろう。
 彼らは神を知っている。神と呼ばれている正体を知っているのだと思う。
 宇宙と繋がり宇宙の叡智を見につけている。今の地球人とはDNAも異なっているのだろう。原爆が爆発しても彼らは生き延びることが可能な新人類だと私は思っている。

 今2007年の後半だが、後4−5年で全てのことが明かされてくるだろう。また今後更に大きな出来事が生じてくる。それを、教えてくる存在がある。これは当たる、当たらぬという世界ではなく本当にその通りに世界も宇宙も動いている。
 今後世界的な、食料不足、水不足が起こってくるだろう。否、もう起こってきている。世界も日本も同じである。日本は今のところ一見護られているかのようだが、このままの状態を維持することは出来ない。
 人間が真摯に対応しなければ、このままでは滅びてしまうということを明確に感じている。

9.イエス・キリストとの出会い!?
 私が数ある体験の中でも、深く感動したのは、イエス・キリストのようなお方との出会いである。2002年2月2日、主人と子供たちと夜7時頃、杉並の道を歩いている時のことだった。暗い中、前から歩いて来る人とすれ違った。すれ違ったとき初めのうちは“おこも(乞食)さんかな?”と思った。しかし、みすぼらしい身なりのその人お顔を見て吃驚した。その人のお顔は光輝いており、この世のものとは思えなかったからだ。思わず振り向くとそのお姿が忽然と消えてしまっていたのだ。暫くは何が起こったか解からず、その場に呆然と佇んでいたように思う。じつは先頭を歩いていた主人もこのお方の姿を見ていた。後にその話をすると「イエス・キリストのような乞食さんのことか?」と言う。「でも不思議だね・・・あの道暗かったよね。なのに何故あんなに鮮明にお顔が見えたんだろうね。」とも言っていた。
 その後イエスキリストに纏わる出来事が次々と起こってきた。
 氣功教室を終わって食事をしようと自宅に何人かの生徒さんが来た時、その中の一人が一本のビデオを持ってきた。それは「最後の誘惑」という映画のビデオだった。食事中数人と一緒に、その映画を見ているうちに突然異様な臭気が漂ってきた。あまりの臭いに椅子から立ち上がって鼻を押さえながら「何この臭いは・・・」と叫ぶと、「先生テレビ・・・テレビを見て」と一人が叫ぶ。テレビに眼を戻すと、映画の中でイエスが弟子を生き返らせる奇跡を行う場面で、弟子の遺体を祠から出して抱きしめているではないか・・・その側で弟子達が鼻を覆って後ずさりしている・・・・「何?・・・いったいこれはなんなの?・・・」映画の中にズッポリ入れられてしまったかのような臨場感に、私は突然涙が噴出し人のいる前で泣きじゃくるしか方法がなかった。当時このような現象の数々に、イエスという存在に、意識を向けざるを得なくなった。

10.神秘現象は覚醒のための道具
 神秘現象が起こること事態は、大きな意味でたいしたことではない。今生何を目的に生まれてきたのか、今まではそれを自分に教えてくれる道具でしかなかった。18年間気功の修練や瞑想を教え続けるという活動を通して、松果体(百会の下、松ボックリ様)の重要性が分かってきた。

11.松果体の開花
 松果体は生き通しの魂魄の、全ての記憶を刻んでいると思っている。松果体が開くと満開の蓮の花のようになるのだろう。仏の蓮華座も額の蓮華様の印もこれを表しているのだと思う。昨今は上級教室で松果体を開く修練を行っている。これによって会陰から百会までのチャクラを開くことが出来るようだ。松果体を開くことで、人の意識が変わる。宇宙を知り宇宙と一体となり、人の意識の大変革が起こると思っている。

12.最後に
 人類には、今後過酷な試練が待ち受けている。しかし、生き延びる必要がある。子供たちにこの世界(地球)を手渡していかなければならない。ただ、今のまま何もしなければ滅びてしまう。叡智を出して合って人類を救っていかなければ、あの世に行って子供たちにも別なる存在たちにも恥をかいてしまう。そのために私はここにある。
折りたたまれた多次元の接点・・・時空を超えて(1)   2007.12.5
 先日行われた意識科学研究会での講演内容です。サトルエネルギー学会の本に掲載するものですが、こちらでも2回に分けて掲載する予定です。
1.はじめに
 はじめまして、刑部恵都子と申します。
 30年ほど、気功を含め様々なことをやってきましたが、今まであまり表に出て話す機会を敢えて作りませんでした。最近では時が来たのか、表にでることを許されてきたようで自分の会以外でも何回か話をさせてもらっています。

2.宇宙の星からの転生
 「時空を超えて」きざなテーマを掲げたが、私は今生宇宙から(別次元)直接地球に転生した気がしてならなかった。地球は自分にとって生きづらい場所であり、子供のころから両親の言っていることがよく理解出来なかったこともある。両親は「人生はこの世一回きり」であると言っていたし、その頃の世間の常識は殆どそうだったように思う。私は僅かではあるが、生まれてくる前の世界を覚えていた。幼いながら、その世界に帰りたくて仕方がない程、覚えている世界は素晴らしい世界だった。
 長じて私は仏教の世界に接し、法華経を読み漁ったことがある。その中に輪廻、転生という話や宇宙観が語られていて、そこでやっと人々との違和感、理解し得なかったことが、法華経の中に存在していたことに安堵感を覚えたものだ。
 現在生まれてくる子供たちの中には、生まれてくる前の世界を覚えている子供達がかなりいるようだが、私の時代には殆どいなかったのかも知れない。

3.不可視の世界へ
 初めて子供を生んだのが30歳であったが、お産によって根のチャクラ、「会陰(エイン)が開き、尾てい骨の根本のエネルギーが開放されたようだ。これによって頭頂までのチャクラも開き、脳の松果体の活性化が可能になったのではないかと思う。
 言葉は好きではないが、子供の時とは違った不可視の世界が見え始めたのもこのころからだったと思う。
 その頃、祖母が病院で誰にも看取られることなく一人で死んでいく姿を夢で見て、見えない世界に踏み込んでいくようになった。
 子供の時から様々な体験をすることによって、人の生死に対しても別な感覚を持っていたように思う。

4.チャネリング
 1989−1990年に、氣功教室を終えて何人かの人とのんびりしていた時、急に超越した意識感覚になり、拡大意識というか、宇宙に存在していたときの自分と重なる様な体験をした。それからはしばらくチャネリング状態が起き、64編ぐらいのチャネリングを記録している。又、気功の弟子たちの前で突如、幽体離脱がおき、その周辺が零下何度になったのかと思えるほど寒くなり、皆を驚かせたり心配させたこともあった。当時、思いもしない言葉を語るということも屡々起こっていた。
 記録されたものをみると、自分の意識と別の意識が共存していることが感じられた。自分のしゃべったことは暫くすると忘れてしまうが、チャネリングを記録したものを見直すと、始めの頃の話は、信じられないことに宇宙の話しばかりであった。その内容は、まるでギリシャ神話や世界の様々な神話と重なり合うようなことが記されている。中ほどからは現実の世界のことも記されていたのだが、当時そのこと(チャネリング自体)があまりにも荒唐無稽なことなので、私自身がチャネリングを信じることが出来なくて、押入れの隅にそれらをしまい込んでしまった。でもそれを破り捨てることができなかったことが何故なのか不思議でもあったのだが・・・

 その後、人の仕事のお手伝いをするようになった頃、ロシアに行きゴルバチョフに面会をし、ゴルバチョフを日本に招致することに成功したが、ロシアからの帰国の途でラジオから聞こえてくるニユースで金日正が亡くなったことを聞いた。その時、記憶の中にその日彼が死ぬことが、チャネリングの記録の中にあったことを思い出した。このことから、押入れにしまい込んでいた64篇の記録を取り出し読み返してみて、そこに幾つかの真実が存在していること確認することになった。
 しかしチャネリング状態になることを相変わらず拒否していることに変わりは無かった。

5.夢見によるメッセージ
 しかしチャネリングを拒否することになんら意味も無いことに気付いてはいた。何故ならメッセージを受け取らなくても、夢見(予知夢)や、白昼夢が頻繁に起こり、そのことで相変わらず様々なことが巻き起こってきたからだ。
 ある時は耐えられない眠気を感じて仮眠をすると、夢にある風景が現れた。松の木があって遠方に富士山が見える。これはどこと?と夢の中で問うと「三保の松原」という声が聞こえてきた。三保の松原に行くと夢と同じ景色がそこにあった。これは前の本にも書いたことだが、夢見で誘導されるままその場所に行くと、夢と同じ光景が常にそこに現れた。こうしたことが続き、その場所場所を線で引くとそこに不思議なレイ線が現れてきて、それがまた神業へと繋がっていった。 その一つが地震と津波を回避する神業の道であった。
 初めのうちは自分がここに行きたいとか、こうしたいという意思はまったくなく、自分以外の意識が夢見を通して誘導したものであったが、その旅の中で、日光男体山に向かって土下座をした時「人々の罪穢れをお許しください。至らない私どもをお許しください。地球を護ることをお許しください・・・!」と侘びる言葉が自然と湧き出できて、涙がとどめなく滴り落ちた。そのとき始めて「私が今生この世に生まれてきた意味を知らされ、その役割を知った」

6.時空を超えた「折りたたまれた世界」
 話しは飛ぶが、そのころ別な夢で宇宙に関してのことや、ホログラム、折りたたまれた次元のことを夢で図解のかたちで知らされた。また原子の中の光子のことも教えられた。これらは魂の次元では知っていたことではあったが・・・
 簡単な例をいうと、ひとつの大きな紙(宇宙)が何重にも折り畳まれており、そこに切りとおしのようなものを通し、紙を開いて見るといくつもの穴が開いている。一つの穴が一次元(平面)では一つの穴、多次元では幾つもの穴になる。この夢によって、今生の私と折り畳まれた別の宇宙の私が繋がっていることが解かった。そしてパラレルワールドの世界も確信できた。人の魂とは原初から生き通しであり、過去・現在・未来の刑部恵都子のことを、深い瞑想状態によって知ることができる。ある意味どこをみても、宇宙的次元でみたら全ては今である。それが3000年前であっても3000年後のことであっても見た瞬間が今である。だから数千年も前に記された聖書の暗号の中に、私の名前が組み込まれていてもなんの不思議なことでもないと!と理解できたのもこの夢見を通してであった。

7.聖書の暗号とホピのつながり
 1996年「ジパング・黄金の太陽」という本を出版した。翌1997年に『聖書の暗号』という本が出版された。この本を読んだとき、全てがつながった。
「聖書の暗号」の内容と自分の夢見体験が繋がった。そこから暗号に組み込まれた世界に入り、ヨルダンに行き、聖書の暗号に秘められた世界を垣間見せて頂いて、世界最古のインディアン、ホピ族の長老の家に泊まり不思議な体験もした。
 その時々に、自分の置かれている世界と、時空を超える世界の違いを認識し続けていた。

 後に知ったことであったが、オリオン星座とホピ族は元でつながっている。ホピは、オリオン星座の七つの星と深い関係があり、いままでこの七つの星座の通りに居住地域を移動してきたようだ。

 彼らは(特に長老)敢えて水道も引かず電気もない生活をしているが、宇宙に起こる全ての事を知っている。これは驚くべきことである。

 青い星のビジョンを見たことによって、青い星の伝説(伝承)を持つホピと出会うことになった。これは未確認ながらNASAも青い星のことを掴んでいると本に書く人がいる。初めに見た青い星は何かに隠れているかのように一部しか見えなかった。しかし最近の私のビジョンでは青い星は全体像を顕しつつある。青い星を含めて太陽系宇宙の星星の大変化には今後意識を持ち続けたいと思っている。
 
つづく
真実のメッセージ4   2007.10.30
 すっかり秋めいてきました。不思議な形の雲が、赤やけの空に染まって見えます。
 このところ波動が荒く、訳も解からず体調を崩す人が多いようですね。

 メッセージBに書き切れなかったことを書くことにします。
 まずブラジルのジュセリーノの予言について・・・・・

 先日、ジュセリーノが20年ほど前に予言していたという、アメリカ前副大統領アル・ゴアさんの、ノーベル平和賞受賞が現実に予言どおりであったことを、目の当たりにしました。
 受賞発表をテレビ報道で知ったとき、ある意味新しい時代に突入したことを、感じました。
 彼が予言していることは、近未来に起こるとても厳しいことが網羅されています。
 今まで予言されて、現実にその通り起こったことが、90パーセント以上であると、たま出版から出版されている「未来からの警告」という本に書かれています。
 それは未だ信じがたいことではありますが、もしそのことが本当なら、このことは人間の技などで無く、ブラジルの一人の人間を介しての神々の警告だと思わざるを得ませんね。

 先日、たま出版のコラムを見てみると、最近のジュセリーノの予言情報を載せていました。
 そこには、海外の予知が外れていることも正直に書いてあります。
 しかしそれは日本語に訳す折の、解釈の違いかもしれないとの、弁解に近いことも述べられていました。

 私ごとで恐縮ですが、私も夢見で誘導され様々なことを学んできました。しかし初めのうちは、夢見のビジョンを正確に解釈できずに、どうしても夢見で示された場所に行き着かず、ウロウロと探し廻ったこともありました。
 でもそのことは、たとえ1年後であろうと、夢見の内容が間違いなかったことが証明されることの連続でした。
 ですから夢見での上のお方様の誘導は、私にとって100パーセント正確で、間違いのないものなのです。
 ところがそれを人様に説明することは、とても難解なことなのです。
 何故かというと、先ほども書きましたように、場所の誘導は判り易いのですが、大きな災害や、事故の場合は時間が判らないことが多いからです。

 例えば私の場合、2000年9・11のアメリカ、ツイン・タワー崩壊の予知夢を見たのが、災害の起きた1年ほど前(1999年8月16日)のことでした。
 そしてこの大惨事の予知夢のことは、当時何人もの人たちに話しており、現実に起こった大惨事の直後に、その予知夢のことを覚えていた方が「驚きましたね。先生が見た夢の内容とそっくりではありませんか!」と知らせてくれました。

 ところが申し訳ないことに、当の私の方がその予知夢のことをウッカリ忘れていたのでした。じつは次々と見る夢見を全て覚えてはいられないのです。(弁解ですが)
 この時の予知夢は現実に起こるまで、丁度1年くらい懸かりましたが、もっと時が懸かることもありますし、夢見の直後に起こることもあるのです。

 私の場合、時(日時)を示されることもありますが、示されないことも多々あります。
 それはそれで意味のあることなのでしょう。
 ですから当たる、当たらないで解釈できることではないような気がします。

 ジュセリーノの場合は、彼の予言が90パーセント当たる!と彼自身が言っているそうですが、それは違う論点からの発言であると思います。

 彼に夢身をもって、予言させる・・・・・
 そのことを人々がどう捉えるか!
 それが大事なことなのではないでしょうか。
 ジュセリーノの予言が全て本当に起こったら、2043年には世界の人口が減少し、人類の8割が消滅してしまうそうです。
 そして2038年から2040年までの間に、カリフォルニアと日本からオーストラリアまでの太平洋の島々は、地震と火山噴火で海中に沈むことになるのです。
 それは困りますよね。このままでは、今の若い人々は子供たちと地獄の苦しみの中で沈んでいかねばならない・・・

 だから神々は彼の夢見を通して、警告をしてきているのです。

 こ・の・ま・ま・ではそうなってしまうぞ!!!と。
 さぁどうしますか!?

 私の見るところ、彼のいう日時はともかく、起こることの規模は随分と小さくなってきているようですし、夢見やビジョンどおりにはならないことも多くなってきているように感じます。

 何故なら、その予知夢を回避させる努力が実を結び始めているのです。
 そしてそれは彼自身も望んでいることでしょう。
 彼の予言をどう捉え、どう回避させるか!
 それこそが上のお方様たち(神々)の一番の関心ごとなのでしょう。

 私の使命、お役目は、ジュセリーノとは少し違います。
 私は夢見を通して起きることを知らされ、回避のための祈りをするものです。
 云うならばエジプトの旧約聖書の中に書かれている、ヨセフのようなものです。
 夢見を解釈し人々に回避のための誘導をするもの・・・・!なのです。

 また日本にはこうした予言を真剣に捉え、マイナスをプラスに変えることができ・・回避させる力? を持つ者たちが結構いるのでしょう。私はそう思っています。
 これからどうか一刻も早く、自分の使命、お役目を思い出し、その位置について欲しいものです。

 ところで、昨今巷で取りざたされている、フォトンベルト、アセンションとか次元上昇について書きたいと思います。
『ちなみにジュセリーノの予言には、フォトンベルトも、アセンションも、次元上昇についても書かれていません』

 私を誘導する上のお方様もこうしたことは知らせてこられません。

 しかし巷で人の云う、アセンションとやらは、起きる方が人類にとって幸せなことなのかも知れませんが・・・じつはその思いや願いがこうしたことを云はしめているのでしょうか?

 私はこうした本は、殆ど読んでおりませんでしたが、というか(最近の巷の情報は何も心に入ってきません)が、最近お知り合いになった方々が、アセンションとか次元上昇というタイトルの本を出されているので、何が書かれているのか? ちょっと知りたくて読んでみました。

 その中でフォトンベルトのことは私には、意味不明なことでした。
 というより、そうしたことは起こらないと思っています。

 アセンション及び次元上昇ということ(同じことかな?)・・・も云っている意味は解かりますが、その内容についてはまったく理解出来ません。

 人類の意識改革、地球の大変革、これは起こるでしょう。私はその為にこの地球に転生してきたのですから・・・
 人類はこれから艱難辛苦に襲われる・・・これもジュセリーノの言っている予言と近いものがあるでしょう。

 ところが次元上昇に関して云えば、地球の次元上昇にともなって人類もまた次元上昇すると書かれていますが、それが私には理解が出来ないことです。
 それは例えば私のこの身体が、地球の次元上昇にともなって、どう変化するのでしょうかね?
 この老いてきた細胞が、突然ボム!とばかり花開き、若返り、不老不死になって宙でも飛べるようになるのでしょうか?(そうか!光のボディ、半身半霊になると書いてあった)
 そんな映画(マトリックス)があったような!?

 全ての人に次元上昇が起こらないとして、ではその対象になる人々は地球上でどれほどの数だと言うのでしょうかね。
 身魂を清め浄化ができ、神のお眼鏡に叶う人とは・・・・どれだけの数いるというのだろう。

 それともう一つ解からない事が・・・
 次元上昇で人々が一度死んだようになって、それからグレンと生き返る・・・としましょう。(日月神示より)
 半歩譲ってその時、地球も人類も別次元に移行する・・・としましょうか。
 しかしその次元が何故5次元なのでしょうか?
 それは誰が決めて、どなたに降ろされたことなのでしょうね。私には解からない!?

 しかし、今でも人は死ねばこの重い肉体から離れて、幽体(アストラル体)となって、自由に時空を飛びあの世に移行して行きますよね。
 そのこととアセンションと、どう違うのだろう?

 あの世とは、この世(3次元)とまったく次元の違うところでしょ。
 死していく処とは、もともと別次元、異次元の所ではないのでしょうか・・・
 だって肉体から離脱しても、厳然と別次元で生きていますもの・・・・
 そのことと、アセンション、次元上昇と何がどう違うというのですかね?

 地球レベルの大カタストロフィーが起きて、全ての人類が死んであの世に行く・・・その時、地球が次元上昇する。と云うことなのでしょうか?
 とにかく私には理解出来ないことばかり・・・

 ということで、この話はここに一旦置いておきましょう。

 これから先は、上のお方様たちから知らされた壮大な宇宙計画(仕組み)の話をしたいと思います。

 私は昔から(子供の頃から)知っていたことがあります。
 想像したり考えたのではなく、僅かであろうと知っていたのです。それは私がこの世に生まれる前の世界のことをです。
 ですから、セミナー等でよく話しますが、とてもこの世では生きづらかった。
 で、今の私がいるのですが・・・

 2000年の1月2日、初夢を見ました。
 浄化して、後に甦り・・・・という言葉とともに1111・・・・4444・・・6666という数字が見えました。
 1111という数字は私にとって、神の計りごとという意味です。
 4444はこの世の試練と捉えました。
 6666は大調和です。
 この時の私は、夢の中でこの示唆は(大宇宙)とこの世の大調和だと感じていました。

 するとその2日後、1月4日明け方にかけて長い長い夢を見ました。

 消された記憶・・・改竄された記憶・・・星の・・・
 地球の、人類の、全ての記憶を消されて・・・植えつけられた別な記憶
 誰に改竄されたのか? 別の星の存在に・・・

 改竄された記憶を埋め込まれた人々が、地球に人として転生してきた。100年ちょっと前から・・・
 何のために?
 実験・・・実験!?
 こんな夢でした。

 起きてこの言葉の全てを書き続けていましたら、以前ある存在(不可視の)から云われた言葉が甦ってきました。

『この100年で人類は急激、急速に進歩している・・・それをオカシイト思わぬか!? 過去これほど急速な変化は起きてはおらぬ』という言葉。

 この夢見が、2000年の初めということも意味あることだと思いました。
 これからの100年紀に何が起こるのか?
 この明け方起きてから、ずっとこの夢を反芻し続けておりました。

(次回につづく)

 長くなりました。この続きはすぐにでも掲載するつもりです。
真実のメッセージ3   2007.10.13
 やっと秋らしくなってきましたね。風が爽やかです。
 家のベランダから見える隣家の巨木も、イキイキしてきているようです。

 まず岐阜県、飛騨高山の位山での出来事を書きます。
 本格的な私の魂の覚醒は、この位山で起こったといっても過言ではありません。
 初めの著書「ジパング・黄金の太陽」にも書きましたが、緑の太陽と光臨する光の輪、天の岩戸で散策する13人の古代の女性らしきビジョン・・・等々を見て、更に位山のピラミッドとしての全容を見せていただきました。

 そうした体験を通して私は自分の魂がなんであるか・・・
 何故今、この地球に生まれてきたのか・・・私は何処から来て、どこへいくのか? その全てを知ることが出来ました。

 ですからこの飛騨の位山は私の原点でもありますし、懐かしい魂の故郷なのです。この16年来、何度この位山に参拝登山したか、今定かではありません。

 でも今年は一度も登山する機会がありませんでしたので、エジプトに行く前には必ず行かせて頂こうと思っていました。
 ということで登った位山は、私にとって初めての体験をもたらしました。
 それは五葉山の厳しさとは異質のものでしたし半端なものではありませんでした。

 台風の最中の五葉山登山は、私にとってさほど厳しいものではありませんでした。試練は多々ありましたが、護り導かれていることを確信しながらの登山でしたから・・・

 しかし、この度の故郷の位山での体験は、思いもかけない程とても厳しいものでした。
 それは『未浄化(魔)のものを、身に纏う者をこの位山に登らせてはならん・・・・!』
 ということでした。
 登る前に、車の中で上げた祝詞の最後に、一陣の風と共に響き渡って来たのがこの言葉でした。

 それにもかかわらず私は登山を強行しました。
 その全ての負が、私の身に降り掛かりました。一歩一歩が鉛のように重く、足が上がりません。それでも歯を食いしばって登ろうとしましたが、貧血のような症状が起き、倒れそうになりました。

 皆に先に登るように指示して、暫くそこに伏していると、脳裏に言葉が刻まれていきます。
『これからは全てを肩代わりすることは出来ない・・・これまでの刻とは違うことを身に沁みて感じよ。一人一人が己自身で身も心(魂)も浄化しなければならない』
 との厳しいお言葉。

「そうだった! もはやこの身で肩代わりはできない・・・選別の時に至ったのだ・・・」
 日本にとっても日本人にとっても、本当の意味で厳しい時代に突入したのだと、心から理解させられました。
 これまでは、何故か日本は護られ続けていた。それがいいか悪いかは別にしてですが・・・
 そして日本人は本当にヤワになってしまった。

 本能が閉ざされ、未だ自らの欲に喘いでいる・・・・自我を捨てられない。
 悲しいな・・・! 淋しいな・・・・哀れだな・・・

 その後、詫び続けながら、やっとのことで天岩戸まで登ることが出来ました。

 しかしあまりの苦しさに、登ることを断念することも頭に浮かびました。明日があるではないか・・・と。
 でもやはり私にとってはこの瞬間しかありません。一瞬一瞬の積み重ねですからね。
 いい体験でした。私は位山の神々に甘えきっておりました。反省しきりです。

 ところがその翌日の明け方、位山の側のホテルの一室で座っておりますと、ありがたいメッセージを頂くことが出来ました。

 これからが皆さんにお伝えする本番です。

 身魂を浄化せよ。
 神の柱に浄化した身体を・・・浄化した魂魄を・・・神の柱に括りつけ結べよ。
 それこそ三位一体。結びの本当の姿である。と。

 解かりますか? 図で書きましょうか?


 図でも示されましたので・・・・。

 そうでしょうね!
 そうでもしなければ、これからきたるであろう艱難辛苦を乗り切ることは出来ませんよね。
 神の光の柱に、我が身魂を括りつけ結ぶことが出来れば、どんなに心強く安心なことか!?

 これこそが神なるものの慈愛の心なのでしょう。
 有り難くて・・・ありがたくて、時の経つのも忘れ座り続けておりました。

 体験は厳しかったけれど、やはり神(上)なるお方は優しかった・・・。
 私は幸せ者ですね。

 人々が心から身魂を浄化して、この大難を乗り切ることが出来ますように・・・
 心からの祈りを捧げます。
合掌   刑部恵都子
今なぜエジプトなのか   2007.8.9
 年間のセミナー・トークのコーナーに載せてある、11月16日出発予定のエジプト行きのことで、今思うことを書きます。
 日程、詳細、などは別項に追って掲載させて頂くつもりです。

オベリスク  このところ世界中を襲う異常気象によって、食糧危機が現実のものとなってきたこの時期、創世記のヨセフの物語が、何人かの人の意識に上ってきているようです。
 先回のメッセージにも掲載したので、詳しいヨセフの物語はそれぞれで読んでいただくとして、大筋では7年の大豊作の時に7年の大飢饉のための備蓄をなし、エジプトとヘブライの民を救ったというヨセフの物語・・・・・

 創世記に書かれたヨセフの時代とは、いったいいつ頃のことだったのか?
 その時代、エジプト全土の民は、どれほどの数だったのか?
 7年の間、大飢饉のための穀物等をどういう方法で備蓄したのか?
 心底そうしたことを知りたいと思い始めました。

 しかし私の拙い知識や、常識的な考え方で出てくる答えではありません。

 ヨセフの章の中に、暗号として私の名前が組み込まれていたのであれば、まずはエジプトに行かねば・・・その場その場に立ってみなければ何も解からない・・・・何も始まらない・・・・・
 まぁ、いつも通りの私の感性、思考が、ムクムクと頭を擡げはじめたと言うことなのです。

 しかし実を云うと私がエジプト行きを考えたのは、これだけではありませんでした。

 それは昨年6月のある深夜のこと、珍しくこんな声が上から降り注いできました。
「イクナートン! イクナートン! イクナートンの遺跡・・・・遺跡の秘宝・・・・」
 思わず部屋の天井に向かって声を上げました。
「イクナートンって人のことですか? 誰のことなのです!? なにがおっしゃりたいのでしょう?」
「・・・・・・・・」
 しばらくは何も響きませんでしたが
「イクナートンよ!」との呼びかけを最後に気配も消えていきました。

 常には、声と言うより言葉が脳裏に響いてくるのですが、この時は珍しく声として聞こえてきたように感じていました。
 翌朝、パソコンでイクナートンを検索してみますと、こんなことが判りました。

『BC・3000年頃にエジプトが統一されてから、古代エジプト王朝は幾度もその系統が変わり都も変わった。その古代エジプトが勢力、文化ともに最盛を誇った第18王朝――――紀元前1353年―――エジプト新王国時代のアク・エン・アトンの治世――アメン・ホテプ4世』
 このアメン・ホテプ4世こそがイクナートンのことだったのです。

太陽神の像  后はその美しさと、残された胸像で有名なネフェルティティ、その息子(娘婿?)がエジプトの王として、発掘されたミイラ、秘宝でその名が知られているツタンカーメンのことでした。

 アメン・ホテプ4世(イクナートン)は、それまでの宗教(多神教)を改革し、民に「太陽神、一神教」を崇めるように宣言をし、遷都までなした「異端の王」と云われている。

 ここまで読んだ時、ふっ!と笑いが出てしまいました。
「そうか! なるほど・・・それは(イクナートン)もしかしたら私かもしれない・・・・!?」
 正直そう思いましたね。

「異端の王」「一神教の提唱者」私ならありうるな・・・・そう思ったのです。

 この世の常識の範囲で・・・・生きることの苦しさ・・・
 この世の人々が説く、この世の実相というものを理解出来ずに生きることへの違和感・・・・
 そんな感覚のなかで生きてきた私・・・・

 さらに調べると、イクナートンは宇宙の存在と交信した最古の人間・・・・との情報も得ることが出来ました。

 少ない情報ではありますが、私なりに安易に解釈すれば、その一神教の後を継いだのが、モーゼであり、イエスだったのかもしれませんね。
 それはともかく、ここまでくればもう行ってみるしかありません。
 ということで、エジプト行きを決めました。

 しかし五葉山の時もそうであったように、行って見なければ、本当のことは判りません。今述べていることは私なりの理由です。
 上のお方様の思惑は計り知れません。
 私の旅は常にそうでした。
 その場に行って(立って)みて、始めて解かることの連続でした。

 今、ヨーロッパは洪水と熱波に襲われて、なかなか観光もままならない(暑くて外に出られない)状況だそうですが、11月の16日の出発予定ですから、少しは状況も変化していると思っています。
 そして常と同じで、なんの心配もしていません。

 今、なぜエジプトなのか・・・・・ということを、お話させて頂きました。

 いつまでも、ゆったりとした魂の旅が出来る地球であって欲しい・・・・今の願いです。

 生きとし生けるものの命の平安を願って・・・・・
合掌   刑部恵都子
7月30日の書き込みの件について   2007.8.1
 地方に行っていて今日(8月1日)帰ってきました。
 掲示板に妙な書き込みをして、ご心配をおかけました。出来る限り説明をしたいと思いますが、このことは多岐にわたって不可視(上なるお方さま)の存在と繋がっていることでもありますので、とても説明が難しいのでそのことについてはご了承ください。

 五葉山の登山が7月15日でした。
 掲示板の書き込みにもあるように、激しい風雨の最中とても厳しい登山であったにもかかわらず、一人の脱落者もでずにお詫びと(人々の犯した罪穢れ)祈りと、感謝の登山になりました。

 翌16日、新潟沖地震が起き、京都府、奈良と地震が続いて起きました。

 私が五葉山セミナーを決めたのは今年の春頃のことでしたが、しかしそれを決めたのは実は私ではなかったと言うことなのです。

 それは上なるお方様が、また私をお使いになったと言うことでしょう。
 五葉山行きが間近に迫ってきたある日、私に対してこれでもか〜これでもかと言うほどのお試しと共に、何度も地震に対する意識(メッセージ)が流入してきました。

 それは台風の進路と共に起こるであろう、地震についてのことでした。
 ですから14日五葉山に向けて家を出るとき、娘に「地震が起きるであろうから充分に注意するように」と言い置いて家を出ました。

 しかし16日起きた地震は新潟沖と京都府、奈良だったのです。
 新潟の被災された方々には、誠に申し訳ないのですが、起こった直後、私は地震が三箇所に分断され、少しは軽減されたのでは・・・・と勝手に解釈してしまいました。申し訳ないことでした。

 それがとんでもない間違いであったと判ったのは、30日のことでした。

 この日の朝、ある方からの電話で『今日、静岡、御前崎沖(遠州灘)にM7・3〜7・6級の地震が引き起こされる。そしてその横にある浜岡原発が壊滅状態になり、首都圏は勿論の事、愛知から名古屋一帯の地獄絵を霊視した人がいる。それは原発壊滅と○○○を狙っているらしい・・・・』との情報が入ってきました。

 御前崎・・・・!?
 御前崎って、先々週の教室で、誘導瞑想中に私の口から出た場所ではないか!?
 えっ! これって・・・・
 私は急いで大きな日本地図を出してきました。
 御前崎から北東に線を引いていくと、五葉山に行き着く。少し外れるが「不死の道」でもある。

 そうだったのか! 私の解釈は間違っていたのかも知れない・・・・

 五葉山には日月の神(ひふみの神)がおわします。
 この山にお呼び頂いたのは今回で三回目・・・いつも後になって、お呼びいただいた理由を教えられた。
 それがこのこと(地震と原発破壊の惨事)だったのか!?
 そうであるならば、この大惨事は回避される!
 きっと何らかの天なる力が動く。
 そう確信することが出来ました。

 そうして、この情報を教えてくださった方にもそう申し上げました。

 その日(30日)午前8時ころ静岡県島田市で1時間に110ミリの猛烈な雨が降り、静岡と浜松間で新幹線が止まっていたのですね。
 島田の駅は御前崎のすぐ上にあります。

 このことは・・・・偶然に起きたこととは思えません。
 計り知れない御力が動いている・・・・・!!

 このことについて他に何か起きてはいなかったのだろうか?
 そう思い調べてみました。
 するとこんな情報が目に飛び込んできました。

 7月30日、あるところの記事に、
『29日夜から、日本の太平洋上に向けてビームが・・・・もしかしたら台風5号を関東にもっていこうとしているのか? あるいは東海地方に地震を起こすためか??』
 こうした文章が載っていました。
 台風を巨大化させたり、人工的に地震を引き起こすための兵器・・・・これが東海地方に向けられていた。

 そうだったのか・・・・深い溜息が出てきました。
 やはりこのことは、日本を壊滅状態にするための陰謀が実際に起ころうとしていたのだ。
 それを阻止するために、上のお方様が力を添えて下さったのだ・・・・

 こう書いても何を荒唐無稽なことを・・・・となかなかご理解いただけないでしょうが、私は全てを納得することが出来ました。
 私もまだまだ未熟ですね。
 ここまでこなければ、全体像が掴めないなんて・・・・・


 8月1日18時52分 大阪・伊月康浩さん撮影

 また25日には巨大な火球がスロベニア、クロアチア、イタリアを横切っていたのですね。
 数百人にのぼる目撃談によると「満月より600倍の明るさであり、殆ど太陽と同じ位だった」と書かれていました。

 昨年も同じような謀略による人工地震の回避の為に、オリオン座の方から、巨大な火球が地球を横断していきました。
 その時はこのメッセージ欄にも動画を載せたので、ご覧いただけると思いますが、ホピの長老も「火球が地球を横切るのは、人類に対する天からの警告のためだ」と話されています。

 地球上において謀略の限りを尽くすものたち・・・・
 人類は風前のともし火のようなものですね。
 人類が蒔いた種を刈り取るだけではなく、同胞(地球に生きる)の者達の手による謀略の真っ只中で、右往左往しなければならないなんて・・・

 しかしそれすら判らずに生きている者たちは、ある意味幸せなのかもしれませんね。
 気がついた時は全てが終わっている・・・・・
 皮肉ではありません。
 一瞬の阿鼻叫喚ならば、致し方ないということでしょうか!?
 グダグダ書くのは止めましょう。ただこれからも同じようなことや、それ以上のことが仕掛けられるでしょう。
 その時の為に、覚悟と勇気と祈りを忘れないようにしてください。
 何故なら、これからが本番なのですから・・・・・・

 地球上に生きる、全ての無垢なる命の為に心からの祈りを捧げます・・・・・
刑部恵都子   合掌
真実のメッセージ2 〜予言と預言〜   2007.7.19
 このところの事象を見、送られてくる様々なレポートを読み、感じることの多い今日この頃です。
 私が夢見に誘われ旅が始まったのは、20年程前からのことですが、自分のこれから成さねばならないことを知らされたのは、3日間にわたる夢(霊夢)の内容ででした。それはさらに遡ること10年程前のことです。(今から30年前)
 それは前著「ジパング・黄金の太陽」の最初に書きましたが、その3日にわたる霊夢が私の人生を変え、その霊夢に今一歩一歩近づいていることを実感しています。

 上の存在はけして無駄なことはしないのですね〜〜
 これが今の正直な気持ちです。

 地球上の時の流れと、宇宙の刻とはまるで違うので、今を生きる私たちの意識では容易に捉えることは出来ませんが、大きな計らいの中に、宇宙から見たらまるで虫か、地球に蔓延るカビのようにしか見えないであろうチッポケな私たちが、じつは宇宙の計らいどおりに、生かされている事を実感しています。

 とはいっても、それは自分達の意志では生きられないと言っているのではありません。

 勿論、歩む道を選ぶのは私たちです・・・・
 道はいくつもあるのです。ただどの道を選んで歩んでも、最後には一つの山の同じ頂上に着くのだろうと思っています。

 頂上は一つしかないのです。

 ところが人というものは、自我の強い動物です。
 その自我が故に険しい道を歩まねばならなくなるのです。
 自我とはなにか?
 肉体を持って地球に生きる・・・それは潜水服を着て海の中を歩いているようなものです。

 窮屈で息苦しい・・・しかしその窮屈な肉体がある故に、自分(己)という自我に執着してしまうのでしょう。

 でもね! いくら険しい山道でも、歯を食いしばって一生懸命、諦めずに歩けば、必ず頂上に辿り着けるのだと思います。

 もし人に差というものがあるとしたら、それは上下の差ではなく、先を歩む(登る)もの、真ん中辺りを歩むもの、一番後ろを歩むものの差なのでしょう。

 しかし今起きている厳しい現実を云えば、この地球上に於いての長い学びの刻が終焉に近づいてきている。
 今生でなかなか頂上に、行き着けない者たちは、更なる学びの星で修行しなければならなくなるのでしょう。
 その選別(篩い)が今起こってきている・・・・・

 それが30年前から私に降りてくるメッセージの一つです。

 しかし私は未来を予言するものではありません。

 私は上の存在の言葉を預かり伝える者です。預言者です。
 霊夢を通して・・・・ビジョンを見て、言葉を降ろされて・・・
 その全てを縁ある皆さんに伝える者です。

 残り少ないこの刻の中で、人々の魂にどれだけの天なるもののメッセージを刻みつけられるか・・・・・
 それが今私に架せられていることです。

 今回招かれた五葉山での試練・・・・それを乗り越えた33と言う人数。
 まず、登山開始の赤坂峠で雨が激しく降り注いだとき、「これでもお前はこの全ての人々を護れるのか・・・!?」
 という声が響いてきました。
 次に、全身ずぶぬれでやっと辿り着いた鳥居の前はまだ4合目ほどだったのですが、
 そこでも「もう止めておけ・・・・! 事故が起きたらどう責任を取るのだ・・・・」と言う声に、わたしは
「大丈夫です。何故なら全ての自然の神々と、彼方様(日月の神さま)が守護してくださっているではありませんか!?」
 と申し上げました。

 案の定、そこでもただ一人の脱落者もなく、護るもの、護られるものとの組ができ、手を繋ぎあい腰を押すものもあり、鉄砲水も流れはじめ、さらに厳しくなってくる登山道を、一歩一歩登っていきました。

 登山している方々の中には76歳という高齢者も2人おり、60歳を越える人もかなりおりました。
 普通なら考えられないことです。
 でもどなたも私を信じてくださったようです。
 ほんとにありがたいことです。
 わたしは、上のお方様に祈り続け、会話をし続けておりました。(その会話の内容は別なところに書きます)

 また、私的なことで云えば、このところかなり痛めていた私の腰も、同行の二人の治療家によって、テーピングがなされサラシもシッカリ巻いていたことも幸いして、自由に山道を行き来出来たこともありがたいことでした。
 しかしこのことさえも、上のお方さまのサポートが成されていたのでしょう。

 いえ、実を言えば腰が痛むことで、始めの試連が成されていたのです。
「この痛んだ腰で大勢の者達を、私の元へ連れてくるだと!? それは無理だ・・・・・」と。

 次の試練が、台風の列島を掠めようとする動きです。勿論、仲間たちには台風の動きを東に逸らすための祈りを、呼びかけていました。
 今回の五葉山行きには、事前に何度も何度も私への試練が襲い掛かっていたのです。

 しかし私も参加者もその全てを押しのけて、全員が頂上に立ちました。

 ところが頂上に着いて山小屋で落ち着いてしまったら、さらに奥にあるアララギの林に鎮座する月の塔には行き着けない。
 今気を抜くことはできない・・・・!

 最後の人々が到着するのを待って、山小屋でホッとしている人たちをせき立てるように、さらに池のようになっているアララギの林にある月の塔に粛々と歩みを進めて行ったのでした。
 その時の私は、まるで鬼のようだったのかもしれませんね。

 そして月の塔の前に立てた・・・・
 後は涙、涙です。あちらこちらから号泣する声も聞こえてきました。
 月の塔に辿り着き、その御前に立てた。祈りが出来た。そのことだけで、すべてが良しなのです。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・!!
 やはりおめでたいことなのです。
 上の方々から、計り知れないエネルギーが注がれていたのです。
 おめでとう・・・!おめでとう!という声と共に・・・・



 その翌16日、新潟沖地震・・・・京都府地震・・・・奈良地震
 と続いて起きました。実はそれらは奥深い根っこで繋がり、巨大化する筈だったようです。

 勿論、新潟沖地震は大きな地震であり、厄災に違いありませんし、被災された方々には、どんな言葉をおかけしてよいのか・・・・言葉も見つかりません。
 しかし実はこんな規模ではない厄災が襲い掛かる筈だったようです。

 東京の自宅を出るとき、南国を襲っていた台風は、東にそれて関東(東京)に向かってきていました。
 それを感じながら、娘に「関東に地震が起こる可能性が高いから、気をつけるように・・・」
 と言って家を出ましたが・・・・(そのことも別に書きますね。)

 さぁ、そろそろ本番の舞台に立ちましょう。
 稽古はそこそこ積んだのでしょうから。
 これから大きな災害が次々と襲い掛かってくるでしょう。食料もなくなってくるでしょう。
 でも恐れてばかりいても仕方がありません。皆さん一人一人がヒーローであり、ヒロインなのです。宇宙の観客がジッと貴方たちが演じる舞台を見つめています。
 ならば、素晴らしい演技を見せてあげましょうよ。地球上で学んだ全ての学びが無駄でなかったことを・・・・お見せしましょう。
真実のメッセージ1   2007.7.3
 7月に入ってしまいました。
 やはり6月中にはメッセージは書き上がりませんでした。すみません。
 九州で大雨のための被害が出ているようです。
 世界の気象状況を検索してみると、様々な国が凄まじい気象状況にみまわれているようです。人類危機状態・・・・といえるほどです。
 そんな昨今、あちらこちらから異常気象、食糧危機警告のレターが届き始めました。中には私が色々な会で話し続けてきた「創世記のヨセフ」の話を書き綴っているものもあって驚いたり、喜んだり・・・・
 それはそれで、結構なことだと思っています。

 もはや、誰でもいい!!!
 大勢の方々に真実を伝えるために、それぞれが力を尽くし欲しいと思っています。
 それが今一番願っていることなのです。

 そして今ここに真実のことを書こうと思っています。
 前に書いたメッセージにそれとなく書いたのですが、じつは私の名前が旧約聖書の「創世記」の中に暗号として組み込まれていることが解りました。
 それを知ったのは『聖書の暗号とホピの預言超シンクロニシティ』という本を発売した後でした。
 それも上記の創世記「ヨセフの物語」の中に、暗号として組み込まれていたことが解ったのです。
 その「ヨセフの物語」は、ご興味があれば各々読んでいただくとして、そのことで、何が私に架せられているか・・・・?
 この半年ほどそのことを考え続けていました。

 その物語の大筋はアブラハムの曾孫のヨセフという人の夢見(予知夢)と7年の大豊作、7年の大飢饉ということなのだと思います。

 夢見(予知夢)と言う特殊な能力を持ち、父親から溺愛される弟に嫉妬した兄達に、疎まれ憎まれたヨセフは、兄達にエジプトの奴隷として売られてしまう。そこでも様々なことが巻き起こり、牢に入れられてしまう。しかし夢見(予知)によって牢の囚われの人びとを助ける。
 ある時、エジプトの王の見た夢を解く人がいない事をもって、ヨセフが牢から出され王の見た夢を解き明かす。
 ヨセフはその夢を7年の大豊作と、その後きたる7年の大飢饉のことであると解釈する。
 そのことによってエジプトの王の信頼を得、豊作の7年に大飢饉のための備蓄をエジプト全土で行い、後に宰相にまで取り立てられ、ヨセフはエジプトの大飢饉からエジプトの民を救うことが出来た。
 夢見(予知夢)のヨセフ・・・・7年の大豊作・・・・7年の大飢饉・・・・・

 本にも書きましたが、私は夢見で誘われて、今まで歩き続けてきました。
 旧約聖書の物語の中に夢見のことが書かれているのは、この「ヨセフの物語」だけです。

 そしてその聖書の暗号は、数千年前(5千年以上も前?)に書かれていたものです。
 つまり、ごく単純に考えれば、私の名前や今生に成すべきことが、数千年前に暗号の中に組み込まれたと言うことになります。
 そのこと(暗号に組み込まれていた)を知った時、私はとてもショックを受けしばらく呆然としていたように思います。
 何故ならそのことで、今後、大きなお役を担わなければならないかもしれない可能性が出てきたからです。それまで感じていなかった緊張感に苛まされたのかもしれません。

 ヨセフは(予知夢)でエジプトの民・・・(及びヘブライの民)を救った・・・・
 私も予知夢で誘われ祈りの旅をし続けた・・・・・
 旧約聖書の、ヨセフ物語に暗号として記されていた・・・・

 ・・・・上のお方さまは何を望んでおられるのか・・・?

 迷い悩み続けて、今年になってやっと決心がつきました。
 全てを顕かにするべき時が来たとおっしゃるのならば、私の知らされたすべての真実を人々に語っていこう・・・・・。
 そうして、近々起こるであろう食糧危機の話、巨大地震、及び津波の話・・・・
 年々大きくなるであろう台風・・・・大風・・・地球危機・・・
 そうした話をし続けています。

 ところが未だ、どこにでも物が溢れていて、快楽を貪れて、一見幸せに暮らせているヤワな日本の人々には、そんな厳しい私の話は信じられないでしょうね。

 身近な者たちでさえ、半信半疑だろうことも頷けるのですが、でも状況はあっという間に変わっていくことでしょう。フト気がついたら、食卓から、食糧が消えていくことさえ私はあると思います。

 しかし常に私がお伝えていることは、未来はまだ決まっていないと言うことです。
 人にとってマイナス(陰)とも思えることが起こると同時に、人にとってプラス(陽)のことも事象してきています。
 私に様々に教えてきてくださる上のお方様たちは、常にそう云われます。
 陰、陽、並び立つ。

 現に10年前と比べれば、思いもかけないほど、人々の覚醒が起こってきています。各会場で話をしていると、それを実感することが多くなってきました。前は女性の方が大きく頷いておられたのですが、昨今は男性の方にその傾向が多く感じられます。それはとても嬉しく頼もしい感が込み上げます。

 上のお方さまもジッと見つめておられるのでしょう。



 ところでもう一つの話を書きたいと思います。
 それは、今年出版された一冊の本の話です。
 今年4月にたま出版から発売された、ジュセリーノ予言集『未来からの警告』という本です。

 先月ある方からこの本読んでくれませんか?と言われてから、1週間ほどで何人もの方々から同じ事を言われました。
 そこで本を買って読んだのが、先週のはじめ頃です。ほぼ1日でいっきにこの本を読みました。

 先ず思ったのは「この方も夢見で誘われている方か?!」ということでした。
 次に思ったのは「この本は、人に恐怖心を抱かせる本だな」ということでした。

 その後、しばらくこのジュセリーノという予言者に意識を向け続けてみました。

 しばらくはそれ以上、何も感じませんでした。
 ところが2、3日前から、突然「ジュセリーノはこんな本を出したいとは思っていない!・・・・人を恐怖に陥れるのが彼の意図するところではない!」という声が中から込み上げてきました。

 監修しているたま出版が当然のように「この本を売るため・・・・!」に別な意図で作った本なのかもしれない・・・・(ごめんね!たま出版さん)
「監修の仕方が間違っているのかもしれない!」という意識が沸々と湧いてきました。
 彼は(ジュセリーノ)は、こうした本になるとは思っていないのではないか・・・・?
 それでなければ、こうした矛盾だらけの本にはならないだろう。

 私から見たら、この本は矛盾だらけです。
 30年位先に地球が崩壊し、人類の8割が絶滅と予言しているのに、ご自分の息子さんが自分の後を継ぐとか・・・・
 えっ!世襲ですか・・・・・?? と不思議な感覚に陥ります。
 だからと言って彼の全てを否定しているわけではありません。
 それは私自身をも否定することになります。

 こうして天から導かれる方は、これからどんどん出てくるでしょう。
 ただどういう存在に導かれているのか・・・・それが問題です。

 ジュセリーノという方は、自分の予言の的中率が90%では不足と書いている。
 100パーセントである・・・・・と。
 ということは、彼の予言するマイナスの事象(地球崩壊、大災害)を人類は何一つ変えることが出来ないということになってしまう。

 それならば、私たちは覚醒することもない! 地球が崩壊するまで今のまま無為に過ごせばいいことになってしまう。
 果たしてそうだろうか!?

 また彼は、地震や台風等の自然災害を食い止めることは不可能だと言っている。

 そんなことはない!
 日本の人々はそうしたことを祈りで食い止めているのです。
 大難を小難にという命がけの祈りをしている人々がいるのです!

 現に彼の言う日本の災害の予言は外れているではないか・・・・
 予言されている災害が起こっても、彼の云うほどの被害者は出ていない・・・。であるのに、監修者は余分な言い訳を書いている。

 この本だけを見るとそう感じざるを得ない。それでは読む人を恐怖に陥れるしかない。
 でも果たして彼はそうしたマイナスのことだけを発信したいのだろうか??
 それが本当に彼の意図することなのだろうか!?

 ジュセリーノが予言者であることは間違いないことだと感じている。これほど世界中のことを予言して、それが的中していると言っているのだから・・・・・

 しかしそのことが人類に与える影響を考えると、彼のしていることが正しいことなのかどうか?
 それに乗ってこの本を出版しているジャーナリストや出版社は、何を意図し何が発信したいのか?・・・

 それを考えることは、今後、私自身への戒めでもあると感じています。

 上に書いた(ヨセフと予知夢)こととかなり連動していることがあります。
 それも上のお方様の計らいでしょう。

 このメッセージは「読んで下さい」と言われ、読んだ一冊の本から感じたことですが、この方のことは、これからも見つめ続けてみようと思います。

 人々が地球と、地球に生きる全ての命に愛を注いで下さることを願って・・・

刑部恵都子  合掌 
光響詩に想う   2007.6.15
 管理人です。先生の文章を楽しみにされている方には、大変申し訳ございません。いつもは会員NEWSというコーナーを勝手に書かせて頂いてますが、今回その文章をたまには会員外の方にも読んで頂きなさいという先生からのご指令で、4月8日に書いたものをこちらに掲載させて頂きます。この欄に掲載するのは非常に申し訳ないのですが、駄文で少憩していただければ……。
 (なおこの文書は先に掲載の『光響詩(こうきょうし)』に連動しております)
 あれは1996年の6月だったと思うから、もう10年以上前のことになるんですね。40℃を超す猛暑なのに、さして暑いと感ずるでもなく、濃い青の空の下、Sさんと同室で心地よく過ごさせて頂いたエジプトでの日々でした。

 あの頃はまだ生まれ変わる前で、なぜ生かされているのかも知らない愚か者でしたが、貴重な体験をさせて頂いたのだと思います。当時は全くわからなかったことが、今は少しずつこころに染み込んでくるようです。

 その染み込んでくる言霊の中に、ひとつ気になるものがありました。「光響詩」CDのPart2での「あとは目を覚ませば良いだけです」という言葉です。目を覚ますこと――実はそれがいちばん大変なのではないでしょうか。

 自分に照らし合わせてみれば、大病を患い、真実を求めて15年、こころに答えるものはなく、何も得られないままに時だけが流れるように感じていましたから。その15年はただ無闇に救いを求め、叶わず、悲観するだけの毎日だったように思います。

 ですが、16年目に生死の境をさまよう中で、見えないものに助けられました。それも自力ではなく、先生を始め、やさしい魂を持ったひとたちとの繋がりの中で救われたのです。その経験が無ければ、今でも愚か者のままだったでしょう(未だに……ですが(^^ゞ)。

 その体験の中で、いつも見えないものから見守られていること、この世界のすべてが繋がっていること、自分の見る世界は自分の思いが創り出していることを教えていただきました。それは知識ではなく、体験として身に付いたものでした。

 ひとはそんなに単純ではないので、机上の論理をいくら聞かされても、そう簡単に目覚めるものではありません。このような体験をできればいいのですが、ほとんどの方は愚か者の管理人のような痛い体験をされないことでしょう。

 では、その貴重な体験をどうやって皆さんに伝えるか。そう考えていて、思い出す場面がひとつあるのです。それは大手術を終え、見えないものと苦しい問答を続けている最中のことでした。見えないものは問いかけるのです――

 ――おまえは何がしたいのだ。

 悩み、苦しんで、しぼり出てきた言葉は――愛のある世界にいたい――というひと言でした。

 その瞬間、いくつもの鐘が鳴り、皆が「おめでとう」と声をかけるのです。そうだ、貴方は生まれてから今まで、その事をずっと願っていたではないか、と。苦しい問答から解き放たれた僕は、ベッドの上でただ涙を流していました――。
.: * ・・ 。.・. + .. °..: * :.・ 。.: + .・. °.・. * :.・ 。・・ + .. °.: * :. 。・・ + .・.
 これを読んでくださった貴方はどうですか。貴方はなぜ生きていますか。何を望んでいますか。その答が胸の奥底に聞こえたなら、貴方も見えないものと繋がっているのではありませんか。いいえ、必ず繋がっているのです。

 管理人は、先生やその子たちのように特殊な能力は開けていませんし、純粋でもありません。こんな愚かな管理人にも、見えないものが共に在ることを教えて頂けたのですから、未だその時を迎えていない方々のドアをノックするのも、もうすぐかも知れませんね。

 貴方の周りの世界は平和ですか? 貴方の家族や仲間たちは皆、こころ穏やかに生活されていますか? 貴方の視界にはどんな不平等も映ってはいませんか? 貴方のいるその場所は強く温かい氣で満たされていますか?

 ナチュラルヒーリングの皆さんは、日頃の鍛錬で身体の方は問題ないでしょうから、鍛えるべきもうひとつの要――こころ――の準備をしっかりしておいてくださいね。見えないものから声がかかるその時までに。
――生きとし生けるもの、みな平安であれ――と祈った仏陀の生誕の日に
(2007.4.8 管理人)
塩づけリンゴは地湧の菩薩   2007.5.25
 相変わらず気候が定まりませんね。関東は37度を超えたかと思うと、今日は20度を下まわっています。
 でも今日の雨は嬉しいですね。
 首都圏の水がめが枯れてきているようなので・・・
 気象庁の発表(24日)では、今年の夏は猛暑で雨が少ない・・・とのこと。懸念したこと(食糧危機)が起こりそうな、ヤナ気配が漂っています。
 どうかご自分達の本能を動かして、各々が自衛をしてくださいね。

 このところのセミナーでは、こうした(これから続くかもしれない食糧危機の・・・)話をしています。それもまた私の役目だと思っていますので。

 ところで今私は食を断っています。
 といって食糧危機に備えての準備ではありませんよ。
 身体(内臓)を休め、脳(松果体)を活性化するためです。
 現代人は飽食過ぎます。それが身を滅ぼすとも知らずに・・・・・・
 飽食の人の身体(内臓)は、その食糧を分解し栄養分を血液中に取り込むために一日中働き続けます。睡眠中でもです。

 ということはある意味、一年中?・・・一生涯?・・・内臓は働き続けなければいけないのでしょう。
 すると脳の本当の働きが鈍くなり、松果体(第3の眼の後ろにある松ボックリのような形の器官)が働くことが殆どなくなります。
 その松果体こそが宇宙と一体となっています。
 宇宙の一部なのです。
 ですから、宇宙にある全ての記憶、叡智を共有できるのも、この松果体なのだと思います。そしてそれが本能(第六感)と繋がって働くのです。

 しかし現代人はその松果体の働きを自覚することが出来ない。
 何故なら食べ過ぎているからだと思うのです。

 5月、わらの家のセミナーに参加して下さった方から「松果体を開くにはどうすればいいのでしょうか」という質問を受けました。
 松果体の働きを自覚することが出来ない現代の人類が、松果体を開く・・・・・
 それはとても難しいことです。

 松果体が開くということは、松ボックリのような器官が開いて、満開の蓮華の花のような姿になる。
 如来、菩薩の座る蓮華座・・・・・仏の額にある蓮華の花のような模様・・・・

 松果体を開くことが出来れば、人は人を超えるのでしょう。
 私はそう思っています。
 しかし開くことが出来なければ、せめて松果体の働きを活性化しましょうよ。
 それだけでも人は本能がより働くようになって、これからの未来に対しての適応性が増してくるのではないでしょうか。

 その為に私がすることのひとつは断食です。
 動き続けていた内臓の働きを休ませることが出来れば、脳全体も自然とゆったりとしてくる。
 全身の細胞を緩めると共に、松果体に意識を置き続ける。
 私にとって自らが宇宙と繋がることのできる唯一の方法です。
 (メッセージや霊夢を受け取るときは別ですが・・・)

 法華経に書かれている地湧(じゆ)の菩薩たちと同様に・・・・・大地に大切に塩漬けされてこの刻を待っていたリンゴ達(人類の危機の時のためにお役を担った人々のこと、その人々が魔に犯されたり、魂が腐らないようにと天が塩づけにし、大切に大地に隠され護られた人々のこと)・・・・・
 危機的状況の地球・・・・この刻の為に生まれてきた命が、目覚めないでなぜお役を果たすことが出来るのですか・・・・?

 食べ過ぎです。
 それではイザというとき何の力も出せませんよ。
 もうそれほど時間はありません。

 先ずは騎龍観音、そして聖観世音菩薩、十一面観音菩薩、多くの菩薩様が人類に対して、警告と救済に立ち上がり始めた今こそ、人が本気で立ち上がらなければ、きっと後悔をするでしょう。

 これから顕現する菩薩様は弥勒菩薩でしょう。
 未来仏、弥勒菩薩。
 56億7千万年という気の遠くなるほど長い時間の先に顕現し、人類を救済すると云われている未来仏。

 しかしこの太陽系宇宙の中に、人類の学び舎として用意された地球の誕生と共にある菩薩様ならば、そろそろお出ましになられる時なのだと、私は思っています。
 何故ならば、地球の大変革とは、宇宙そのものの大変革でもあるからです。

 全ては大きな計らいの中にあります。
 人間の頭では到底考えられないような広大な宇宙の計らい・・・・・
 その中に組み込まれた命・・・・・それが私たち人類でもあるのです。

 太古から生きている虫たちは、すでに別なる次元(星)に移行しつつあるのでしょう。
 今までとは違うノアの箱舟が用意されているのかもしれませんね。
 私の好きな言葉で言わせて頂ければ、時空を超えているのでしょう。

 いたいけな無垢なる命が、こうして時空を超えてある次元の中に救済されることが私の願いであり、私は今深く感謝申し上げています。

 少しでも多くの人々が塩を振り払い、大地から湧き出ずる地湧の菩薩となって、子供達の未来の為に働かれることを願ってやみません。

 思いもかけなく、私の手元に届いた十一面観音菩薩と聖観世音菩薩に祈りをこめて。
合掌  刑部恵都子 
時空を超えて顕現する聖観世音菩薩   2007.5.6
 内モンゴルから帰って、そろそろ連休も終わろうとしています。先日疲れを癒したくて、娘と富士山の中腹にある叔父の別荘に行っていました。
 30年来この山荘に来ると「しばらくここに滞在していたい」と思うのですが、今回はそうした感覚にならなかった。
 ならないどころか・・・・何か、ざわざわとして居心地が良くない・・・・・私の身体が不調なのか?

 目のまん前には、雄々しい富士山が雲一つなく全容を現している。
 それは常と変わらない感動する姿なのだが・・・・・!
 でもいつもと何かが違う。
 そんな感覚に居たたまれなくなって、珍しく早々に家に戻りました。

『もしかしたら、富士の大霊の神氣が消えてきているのか・・・・・!?』
『白龍神界の加護も感じられない!』
『魔が忍び寄ってきている!』

 今までは思っても見なかった感覚を捉えてしまいました。

 ところで話は変わります。
 今年1月21日に行われた神戸スピコンに飛び入りで参加した時「刑部さん、もしも来てくれるなら、なんか話をしてよ」との主催者からの要請に、龍に乗る(騎龍観音様)の話をしました。
 それが思いもかけずに反響が多く、色々なところから問合せを頂き少々驚きました。
 その後もあちらこちらでその騎龍観音様の話をしていましたが、それが更に加速的に動き出しました。

 その騎龍観音様のことを詳しくここに載せますね。
 明治23年(1890年)に原田直次郎という画家が『騎龍観音』を出品し受賞するが、かなりの論争を引き起こす。
 その絵は左手に水瓶を持ち、右手に柳の枝を持つ楊柳観音である。その観音が龍の背に乗って人の目の前に示現してきたところである。
『騎龍観音』画:原田直次郎
(『騎龍観音』画:原田直次郎)
 つまり今から100年以上も前に画かれた絵画です。

 次は今から50年ほど前に台湾で大水害が起きる直前に、大きな廟(日本の寺の様なところ)の前に出現された騎龍観音です。よく見ると龍の背に乗る観音様は顔こそ違え、全て原田直次郎の画いた絵と瓜二つでした。台湾の人々はこの観音様は人々の救済のために現れたのだと、今でも尊崇しているようです。
台湾の廟に出現された騎龍観音
(台湾の廟に出現された騎龍観音)
 次に現れた騎龍観音様は最近のことのようです。
 空中を飛行中のパイロットが前からくる光に、「もしかしたらUFOかもしれない」とカメラで撮った写真を現像したものです。ブレテいますが、まさしく原田直次郎の絵と台湾の廟に現れた観音様です。
 ここまでは話の会やセミナーで、手に届いた写真もお見せしていました。
パイロットが撮った写真
(パイロットが撮った写真)
 ところが最近になって、別なる観音様が姿を現し始めました。
 関西セミナーに来られたある方を通して、十一面観音菩薩様が突如大きくその姿を現し始めたのです。
 深く観想してみると、その観音様は50年ほど前から、この時(時代)に出現される為に、天なるものの計らいで生み出された観音様でした。

 送って頂いた聖なる観音様の絵の前で、深く感謝申し上げておりますと、有り難いことに私の心身が浄化されていくのです。それは大慈悲のエネルギーとしか思えませんでした。

 その2日後、思いもかけないことが起き、私は浅草の観音様の前に立っておりました。
 行くつもりはありませんでした。当日頭に浮かびもしなかったのです。
 当惑しましたね?
 しかし紛れもなく金龍山浅草寺、聖観世音菩薩様の前に額ずくことになりました。

 その時、初めて天なるものの意志が伝わってきました。
 観音菩薩として人の前にその聖なる姿を現すことによって、人類に更なる警告と目覚めを促す・・・・・・

 ファティマにあらわれたマリア様を髣髴します。
 深い感動が胸に広がってきました。

 そして帰りがけに社務所で買った聖観世音菩薩の絵姿を家に持ち帰り、送っていただいた観音様の写真と並べてみますと、思ったとおり同じ観音様のお姿でした。

 次々と顕現される観世音菩薩・・・・・
 それは・・・・・
 それ程、人類は崖っぷち立たされていると云う事なのでしょう。

 様々な事象が一点に集まってきている。
 その一点とは・・・・・・!?
 私の生きている間に必ず起こるであろう大変革。その一点に・・・・・
 陰陽は並び立つ。
 悪しきことと同じだけ、善なることも事象してきている。
 ありがたいことではありませんか! 

 時空を超えて大いなる計らいも動き続けている。

 身は滅びようとも魂の向上を願うために転生をしたこの地球での生・・・・・・
 本当の意味の覚悟をしなければならないでしょうね。

 生きとし生けるものの平安を心から祈って・・・・・・
合掌  刑部恵都子 
『光響詩(こうきょうし)』から巻き起こる様々な体験(2)   2007.4.3
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録音地であるピラミッドの玄室写真もご覧ください
 長女(看護学生1年)は、岩の洞窟?岩の隙間から雨が降り注いでいるのが見える。外は霧雨だ。岩の壁は、濡れていて湿った岩肌が見えている。その中で岩から水がポタンポタンと落ちているのが見える。また祭りの映像は古代の衣装のような服を着た女性が、木魚のようなもので、(楽器?)岩の壁を叩いているのが見えていました。このCDは聴くだけで心がすっきりするそうです。

 末っ子(小6)は、はじめて聴いた時に、「これ何!すごい波動を感じるよ。魂まで揺さぶられるような振動がくる」といいやはりビジョンは

パート1  森の中が見えていました。木立の間に池のように水が溜まり、コンコンと泉が湧き出ているのが見える。白い長いワンピースの女の人がクルクル廻りながら踊っている。空から太陽の光が泉に差し込んでいる。

パート2  祭りで踊っている人の足だけ見える。踊りを踊っている。

パート3  光輝いた人の形に近いものが見えてきた。近づくと光の存在がマリア様だと感じる。私に手を差し伸べた。

パート6  この部分は特別だ。はじめに見えた森が光り輝いている映像が見える。まぶしいくらいだ。

 あまりにも、私にも娘達にも映像が見えて、言葉にまとめるのが難しいです。文章力がなくて申し訳ありません。
 Tさんに伝えた後もこのように数日、我が家ではいろんなビジョンが見え家族で、CDを拝聴させて頂きました。私は先生の2冊の本をネットで取り寄せて読んで見ました。何か不思議な出会いを感じました。
 3日目以降は、私はこの曲を聴くとゆっくりとした舞を踊ります。娘の一人も同じように感じていましたが、どの子であったのか思い出せません。

 娘達の体験は、事前にCDのセリフを見せたり内容を話したりしないで、聴いてもらいました。
 末娘が、マリア様やイエス様のという刑部先生の言葉が出てくる前に、話し出した時には驚きました。ビジョンがよく見える次女は、高2で反抗期でもあります。今でも時々「ママ、あの踊っている自分が見えたときから、私はずっと幸せだよ。学校やどこでも思い出すだけで幸せな気持ちになれる。」と話します。失恋や悩む時期があり少し荒れた時期がありましたが、今はとても落ち着いています。そしてぜひ先生にこの体験をお伝えしなければと思いました。
 私のスピリチュアルな世界に家族は、理解しています。でも息子や次女は、時々嫌がります。何にも感じない普通の生活の方を求めています。息子も幼い頃いろんな世界が見えていました。今中学3年生で、高校受験の真っ只中です。そう言いながらも私が仕事で疲れ休んでいると両手を頭にかざしヒーリングをしてくれます。4人とも優しい子供達です。

 私の末娘は、2歳の時にタイムスリップしてキリストに会っています。以下は、その事を友人に送ったメールのコピーです。

 半年前に末娘と思い出話をしました。鹿児島の家で、娘が2歳の時に「マリア様が死んじゃう」「痛い。痛い」と言って両手で、首を抱えて泣き叫んで転げまわったのです。和室で子供4人と私で遊んでいる最中の出来事でした。兄姉は驚いて、もちろん私も・・何度も「どうしたの」と叫び末娘を抱きかかえました。かなりの時間末娘は涙を流し、震えていました。しばらくして起き上がり元通りの状態に戻っていました。以下娘の話。

 あの時私は幼くてイエス様とマリア様の名前を間違えた、あれはイエスさまだった。私はタイムマシンに乗ったようにキリストへ怒りの声を叫んでいる群集の中にいたイエス様に石を投げつけたり、周りにいる人が拳を振り上げ怒鳴っている広場にいた。怖かった。私はゆったりした服を着ていた。子どもではなかった。(マリア様の服とよく似た服を描いて見せてくれました)次は、丘の上でイエス様が磔にされる場面にいた。なぜ、こんなにいい人がこんな目に会わないといけないかと悲しくこの世で一番の悲しい気持ちで、泣きながら私はそれを見ていた。見るのもつらくて、私は泣いて、体中が痛くなって泣き叫んだ。次の瞬間、今度は同じ丘にイエス様の前に手を合わせて膝まづいている自分だった。丘の上には自分とイエス様と自分の横に姿は見えないけど暖かい存在があった。イエス様の後ろは神様の光で輝いていた。美しい光であった。亡くなったイエス様の表情は穏やかでであった。私はただ泣いていた。気持ちは落ちついていた。次の瞬間気がついたら和室に戻ってママがいた。でもその体験は本当にその場所にタイムスリップしていたようにリアルだった。

 その時の場面を書いて説明してくれました。先日「大人になったらどういう人になりたい?」って訊いたら、「ママは知らないかも知れないけど、私は毎晩寝る前に世界が平和でありますようにと神様にお祈りしているの。戦争がなくなりますようにとか、全ての人が幸せにくらせますようにって。だからマザーテレサのように平等に誰にでも優しく出来る人になりたい」と答えていました。現在娘は11歳です。ヨハネの聖地の写真でヨハネの・・という部分を見ていたらこれを送りたくなりました。

 このビジョンについては、先生のHPに載せるのも、お知り合いの方に送るのもお任せ致します。娘達には了解をとっています。
2007年2月  E.N.
『光響詩(こうきょうし)』から巻き起こる様々な体験(1)   2007.3.28
 時なのでしょうか!
「聖書の暗号とホピの預言の超シンクロニシティー」を出版して以来、深い縁ある方々とお出会いが続いています。
 そのなかであるご一家が、この度わたしの作ったエジプト・ギザのピラミッドのCD『光・響・詩』を聞いたときに起こる様々な体験をメッセージとしてお寄せ下さいました。
 このメッセージの内容は、17歳のお嬢さんと11歳のお嬢さんが主に体験したことだそうです。

 そして「子供たちは、今生お預かりしているという気持ちで育てさせていただいた」とおっしゃるお母様は助産師という大事なお役をされています。

 先日この方々とお会いする機会がありました。
 そこで起きたことは、また別にお話をさせて頂きますが、まずはこのメッセージを掲載したいと思います。

 またメッセージが長いので2回に分けて掲載します。このメッセージを読んでの感想をお寄せくだされば有り難いと思います。
合掌  刑部恵都子
録音地であるピラミッドの玄室写真もご覧ください
刑部 恵都子 様

 ご連絡ありがとうございました。また、ビジョンについてお伝えするのが遅くなりましてお詫び申し上げます。
 私は、鹿児島から関東へ夫の転勤に伴い引っ越してきました。子どもは4人です。
 子供達は、幼い頃いろんな不思議な世界が見えていました。植物の精霊や妖精、龍、天使などです。現在はほとんど見えませんが、必要な時にビジョンが見えます。
 私自身は、助産師として仕事をしています。10年ほど前から自然にヒーリングが出来る様になりました。

 さて、本題に入ります。刑部先生のCDを昨年の夏にTさんから送っていただきました。その頃、私は仕事に追われていました。また、東京にて講習会に参加するためになかなか開封しませんでした。新年になって急に思い出し、慌てて開いてみました。その日は、年の暮れから祖母が亡くなったり、元旦には叔母が亡くなり・・気がやや沈んでいました。先生のCDを聴くと私から3人のマイナスの気が出て行きました。翌日、次女(高2)が、何か悪い霊が、体に中にいるから、どうにかして欲しいと訴えてきました。それで普段は、私がヒーリングをしますが、先生のCDをかけてみました。娘は5,6歳まで見えていましたがその後見えなくなり、最近は予知夢を見るくらいでした。しかし、曲を聴きながら、「わあーすごい。これはDVDだね。目を開けたままで映像が見える。」と

【1日目】
パート1  白い長いワンピースを着て、踊っている自分の姿が見える。足元は藍色の海のようだ。しかし、波はなく、静かな湖の水面のようである。悩みなど無で、幸せで満面の笑みを浮かべて楽しそうに踊っている。この次元とは別の場所に本当の自分がいると感じる。
 今の現世は幻で、本当の魂の自分は幸せでいることを実感する。幸せで嬉しくなりとても気持ちがいい。ヘアースタイルは軽いウエーブのロングヘア

パート2  お祭りの太鼓の音が聴こえる。美内すずえさんのアマテラスのマンガに出てくる白い民族衣装のような服を着て踊っている女の人が一人で太鼓を叩いている。見えるのは一人だが、お祭りだとわかる。

パート3  真っ白な光が空から差し込んで、自分を照らしている。姿が見えないくらい自分が白い光で包まれている。人は元は白い光の存在なのだ。
 光に包まれてクルクル廻りながら両手を広げて踊っている自分が見える。体がとても軽い・・。

パート4  再びパート1と同じように一人で踊っている自分が見える。気がつくと遥か上には、姉(長女)が白い着物を着て自分を見下ろしている。
 姉は霊格が上だと感じる。まるで巫女のようだ。
 ★この映像は、私にも見えました。髪を天女のように結び、きれいな着物を着て、踊っている次女を見ていました。2人とも雲の中にいて広い空の白いフワフワした空間ドームのように広い場所でした。私も目を開けたままでビジョンが見えていました。

パート4  白い光に包まれて砂漠を歩いている。開放した気持ちでとても気持ちいい。

パート5  遠くに白い光が見えてきた。濃いブルーの空にあるような感じ・・。(後でCDの写真を見せると、そっくりの映像が見えたそうです。)元気に踊っている自分が見える。足元は藍色で空も藍色で、その境目は、白い薄い光の線が、水平線のように見えている。映像を見ているだけで、一体感があり自分が踊っていると感じられる。

パート6  宇宙が見える。すべては、宇宙とつながっている。もう淋しくないすべては宇宙と繋がっている。

パート7  ひふみ祝詞は、祝詞を聞いたことがない娘が、楽しそうに「私これ好き」と言いながら一緒に口ずさんでいた。

パート8  この曲は特別だ。膝をついて合掌して祈り終わる自分が見える。

【2日目】
 学校から帰るなり「あのCDが聞きたい!」といい自分でセットして聴き始める。ビジョンを見てから、何かつらい事があっても本当の私は幸せだと解ったからとずっと幸せだと話しています。
 昨日とは、違う映像だ。静かな水の上にいて身をかがめて水面に耳をつけている。波紋が広がっている。悲しい気持ちでいる。湖の色は深い藍色だ。
 自分が楽しそうに踊っている白い服になにか少し色が着いている。前日と同じように姉が白い綺麗な着物を着て、凛として自分を見下ろしている。昨日の笑顔はない悲しげな顔をしている。こっちへおいでと呼んでいる。姉のいる所は、天界に近い、いい場所なのは、わかっている・・。でも私は、下の床が一面藍色の場所で幸せそうに楽しく踊っている。姉が天女のように降りてきて、私に抱きついた。上に行こうと諭されるが、私は行きたくない。この場所が好きなのだ。悪い場所だとわかっていてもここにいたいのだ。変なのは、何か黒い影が私の足を引っ張っている。姉は悲しそうに上に戻っていった。気がつくと足元から、体が黒い色に染まっていった。姉は再び降りてきて、私を抱えている。姉の白い着物まで灰色に染まっていった。私の体が足元からガラガラと崩れていった。きれいな白い姉まで、自分のせいで、灰色になってしまって悲しい・・・。次の場面では、私の体は灰色で立っている。するとポタンポタンと足に雫が落ちてきた、その場所が白くなり少しずつきれいになっていった。白い光が輝きだした。

【3日目】
 あの曲が聴きたいといいCDをかける。
 岩から水が湧き出ている。コンコンと湧き出て気持ちがいい。
 もののけ姫で見たような美しい自然の森の映像が見える。木々の中に水が溜まっているあの映像だ。
 このCDは、私達になにか教えていると思う。やはり宇宙を感じる。目を開けたままはっきりと見える。右を見ると光に輝いている美しい未来の地球。そして左を見ると灰色の現在の地球。
 私達は何も考えなくていい。ただこのCDを聴くだけで気づくことが出来るのだ。私達は皆白い光の存在である・・・。と 早く気づかなければあまり時間がないと思う。
 以上が次女の体験と感想です。
つづきはこちら
心と身体を癒すナチュラル・ヒーリング(6)   2007.2.19
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 『法華経』に興味を持って何も解らないまま、ただお経を唱えていた時代、
 氣功やヒーリングに夢中になっていた時代、
 見えざる存在、神仏を意識し導かれた時代、
 様々な時を経て2000年という今日を迎えました。

 神仏に誘われた幸せ、充実感を今全身で感じています。
 結論から考えるなら、入り口はどこからでもいいのではないでしょうか。
 例えば宗教から入ったとしても、氣功、ヨガ、武道からでも良いのでしょう。
 本当にそれを極めようとする心があればよいと思います。
 私も自分の気づきの過程で、本体(根源)というものが変わった気がします。
 もちろん幼かった頃のわがままでどうしようもない「私」も、あるときなんらかのことで、ふと変わった私も「私」なら、またここまで導かれ変化した「私」もまぎれもない私です。

 自分の本体というものは一つしかありませんが、この世に生きることで霊魂はさまざまな学びを通して、変化しているのです。
 虫が孵化して綺麗な蝶になるように、私の中には脱ぎ捨てるべきものがたくさんありました。
 まだまだ美しい蝶とはいえないかも知れませんが、もうすこし、この世で学び続けることによって綺麗な蝶になり、私の本体により近づけたらと願っています。
 そのためにいま、修行を続けているのではないかと思います。
(終わり)
2000年「日本心霊科学協会」での講演の内容をここに掲載しました。
今読み返してみて、懐かしい感があります。
しかし今年(2007年)懐かしいなどと感慨に耽っている余裕はありません。
この7年間にさらに地球は、人類は危機的状況を呈しております。

聖書の暗号に記されていますように、昨年(2006年)起きたかもしれない未曾有の大災害を延期した人類が、更に起こるであろう大災害をくぐり抜け、輝く未来を築くことが出来るのか・・・
本当の意味での正念場に立たされています。

しかし今の日本の世相はそれに相反して、相変わらずの権力闘争、マスコミの似非情報の氾濫、子供達のいじめ問題、夫婦、親子の獣のような殺し合い、何処を向いても吐き気を催すほどの、残忍な事件の乱立・・・・・

天なるものはそうした現象を見て、人類をお許しくださるのだろうか・・・・・
ソドムとゴモラの町が滅ぼされたように、自ら滅亡の道を辿っているとしか思えない。

そしてそれに合い往古するように、太陽が異常な働きを見せ、多くの天体、太陽系宇宙全体がその影響を受け始めてきました。

もう地球だけの問題ではないかも知れない・・・・しかし地球には幾多の生物がひしめき合っている。人類だけの問題ではありません。
人類が蒔いた種を刈り取るだけでは、すまないと思いませんか。

私自身は2012年という年に意識はありませんが、節分明けにふと響いてきた「ファイナル・ステージにお立ちなさい」という声に意識を向け続けて、私なりに刑部恵都子を演じようと思っています。

宇宙へ感謝し・・・・祈りをこめて
合掌 刑部 恵都子
心と身体を癒すナチュラル・ヒーリング(5)   2007.1.30
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 わたしは夢見がとても多く、見る夢は予知夢であり、霊夢でもあります。
 その夢は極彩色で、起きても決して忘れません。
 普通、夢というのは起きると忘れるかぼやけてしまうものです。
 ところが、霊夢は何ケ月、何年経っても決して忘れない鮮やかな夢で、30年近く前に三日間にわたる霊夢を見てから、いまだに見続けています。

 そうこうするうちに、何と呼んだらいいのかわからないのですが、霊夢の中で何かの存在による導きというものを感じ始めました。
「あなたはどなた様ですか。なぜ私にこんな夢を見させ、こんな場所に誘っているのですか」と尋ねざるを得ないことが、あるときから起き続けました。
 昼間、家にお弟子さんがいたり友人が来ているときにも、突如として耐えられない睡魔に襲われ、そのまま眠ってしまうことがありました。

 そんなときには、次から次へと夢を見ます。実にさまざまな夢を見るのですが、ある日その後の神行と結びついてゆく夢を見ました。
 長々と続く松林の中を通って砂浜に出ると、前方に入り江があり、彼方に富士山が見えます。
「ここはどこ?」と夢の中で聞いたら、凛とした声で「三保の松原」と返ってきました。
「三保の松原? 行ったことがないな」と思ったら、パッと目が覚めました。
 声が響く夢は珍しかったので、すぐにその光景を描きとめ、三保の松原と書いておきました。

 しばらくしてその夢のことが気になって、三保の松原に行ってみました。
 三保の松原には羽衣の松というのがあります。
「羽衣の松は有名だけど、思ったより古木でかわいそうなほど元気がないな」
と思いました。
 松林を左に見ながら、砂浜を左のほうに歩いて行くと、前方に入り江があり、雨が降っているにもかかわらず、富士山が雄々しく聳え立っているのが見えました。
 「わぁ、夢と寸分も違わない場所に来てしまった。なぜ夢でこの光景を見せたのだろう。こんなことをするお方はどなたなのだろう」
とつくづく思いました。
 なぜ誘われたのか。その頃から計り知れない「どなた様かに」意識を向けるようになりました。
 その頃の私には神仏という意識はあまりなかったのです。
 その後も、同じような状態で夢を見、猪苗代湖一帯を夢の場所を求めて旅をし、更に日光の東照宮にもたどり着きました。

 ある日、親しくしていたある若いお坊さんが我が家に来られたおりに、この話をしますと、そのお坊さんは何かを感じたらしく、地図上に一本の線を引きました。
 その線は、三保の松原から富士山を通って日光東照宮の鳥居を通ってさらに猪苗代湖に延びています。
 あとで解ったことですが、この線の道こそが徳川家康と天海僧正の謀った関東を守護するための結界といわれるものだったのです。
 さらに、三保の松原から緯度35の線を引くと、鳳来山や岡崎城を通ります。
 その全てに東照宮があり家康との繋がりが鮮明に浮き上がってきました。
 こうして夢で見たことが現実の場所や存在とつながり、それがまた数百年前の世界とつながっていく。
 こんなことがさまざまに起こり始めたのです。

 それからの数年間、徳川家康の張り巡らせた結界を、改めて浄化し張り巡らせるための祈りの旅をし続けたのです。
 まったくおかしな話です。
 しかしその当時のわたしは、この行を不思議なこととも思わず、必死でこの二つの道にある重要ポイントに誘われるままに、ある時は土下座をして、涙を流しながら歩き続けました。
 そしてこの行を行ったことが、わたしを根本から変えていくことにもなったのです。

 初めはまるで偶然のようなことから始まったヒーリングが、次から次へと新たな展開をうみ、霊夢を見ることによりこの行につながりました。
 そして霊地に行くことで、鮮明なビジョンも見せていただくようにもなりました。
 この数年間の出来事によって
「私はこうしたことによって成長をさせていただいている」
と強く感じるようになりました。
 私はそれまで、どちらかというと自意識の強い人間で、自分の感覚を一番大切にして生きてきましたし、子供に対してもこうあらねばならぬという考えを押しつけていたようでした。
 しかし、ここ数年来の経験を経て、そうした考えを変えました。
 子供には子供の人生がある。無用な介入をしないでも、私をどなた様かが見守ってくださったように、娘たちを見守るどなたか様がおられるのだ。
 そう思った途端にすっと肩の荷が下りて、いつになく平安な心になりました。
つづきはこちら
心と身体を癒すナチュラル・ヒーリング(4)   2007.1.23
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 いささかサイキックな話になってしまうのですが、子供達がいろいろな能力を発揮してくれるのを喜んだ私はある日、「目隠しをしても本が読めるのではないか」と思いたち、とうとう実験を行うことにしました。
 子供達は鼻の穴以外すっぽりと包み込んで何も見えない状態にして、別の子供達が選んだ本を手で撫で始めました。すると「本では字が小さいので、絵本にしてほしい」と言うので、絵本を読んで貰うことになりました。
 しばらくすると、彼らは手で絵本を撫でるようにして、少しずつ読めるようになっていきました。見ていてほんとうに驚きました。何度やっても同じように読めるのです。

 ある日の実験の時、ひょっとして子供たちが「私にもやれと言うのでは……」と思っていたら、案の定お鉢が回ってきました。
「緊張はするまい。気功の先生が緊張していたら子供達に教えていることが嘘になる」
 子供達の手で目隠しをしてもらい、「ゆるむ、ゆるむ、ゆるむ」と全身を弛め、なかば瞑想状態になると、本の上に置いてある手が自然に動き出しました。
 何が書いてあるのかな、と何度も手で撫でていたら瞬間的に見えたのです。
「二ページに渡って真ん中に大きな木が見える」
「えっ。じゃぁ木の中に何かいる?」
「う〜ん、タヌキのような、モグラのような、鳥ではないものがぼうっと見える」
「その木の上に動物がいる。もしかしたらタヌキかな」と言ったら、
「当たりっ」と言われました。
 そのとき、私が感じた感覚はまさに「手で見ている」感じでした。手というものはエネルギーを感じたり出したりしますが、ある状態のとき目の代わりもするのではないかと思いました。

 それから数年後、その時と同じ状態を目の当たりにすることになりました。
 超能力を学んでいるメキシコの子供達が、目隠しをして、手で状況を見ながら山手線の池袋駅で電車に乗り込んだのです。
 もちろん駅の構内やホームにはすごい数の乗降客がいるのに、その子供達は人にぶつかることなく、階段を上り電車に乗ったのです。
 それを見ていて、私の教室の子供達と同じ能力なのだと思いました。しかしメキシコの子供達は、超能力というふれこみで行っていましたが、うちの子供達は普通の子供達です。
 超能力とはいったいどう定義したらよいものなのでしょうか。
 別の見方をすれば、子供というものは開発すればするほどすごい能力を発揮するのです。大人ははなから「そんなことできるわけがない!」と思ってしまうのでできないのです。

 はるか前ですが、テレビでユリ・ゲラーのスプーン曲げを見ていて「スプーンって曲がるんだ」と思ってやったらグニャッと曲がりました。素直だったんですね。
 気功教室ではたまにスプーン曲げをします。もちろん子供達の80パーセントは曲げられます。大人も半数の人は曲げられます。
 同じように気功を習っている誰かが曲げた瞬間に、「あの人が曲げられるならわたしも」という意識になるのでしょうか、つぎつぎ曲がり始めます。
 わたしも娘達も大きなカレースプーンを手でちぎります。しかしそれは不思議なこととは思いません。
 その頃、超能力のことがさかんに採り上げられ、テレビなどで超能力番組がもてはやされていましたが、そうした能力はすべての人間に備わっている常能力なのではないかと思うようになりました。
 ところが皮肉にも、ある会で超能力について話すパネラーとして招かれ、会場でその感想を話してしまったため、その会が超能力を前面に掲げている会だったので、たいへんな物議をかもしてしまいました。しかし、いまでも私のその気持ちには変わりはありません。

 気功教室を20年もやっていると、さまざまな体験をするものです。あるとき突然、自分の霊体といったらよいのでしょうか、魂なのでしょうか、その場から移動してしまう、というようなことも起こりました。
 気功教室は大阪や岐阜にもあり、岐阜では教室を終えた夕方、みんなで食事をします。
 お弟子さん達も気功の後なので、みんな弛んでいたのでしょう。お料理もおいしいし、何とも気持ちがいい。「ああ、今日はいい気分だなぁ、気持ちいいなぁ」と思っていたら、瞬間的に弛みの極限状態になったらしく、みんなで食事をしている最中に、気がついたら星の間を疾走していたのでした。
 眠ったままのようなわたしに気づいたお弟子さん達が、びっくりして騒いでいることもまったく知りません。
「何が起こったのだろう。ここはどこ? 私はどこにいるのだろう。でも気持ちいいからこのままここにいたい」そんなことを思っていたようです。
 自分の身体がふわふわして妙に心地よく感じていました。
 お弟子さんたちから見れば、身体がどんどん冷たくなっていき、身体からものすごい冷気が噴き出す。あまりにも異常な事態に対して、身体を温めなければいけないということで私の身体をこすったり、気を入れたりして大騒ぎだったそうなのです。

 そのときいったい何が起きたのでしょうか。
 じつは未だにはっきりしたことは解りません。ただ、気功を教えながらその日、わたし自身が一番弛んでしまったのでしょう。自然に幽体離脱してしまったとしか考えられません。
 しかしこんな状態は、状況こそ違いますがその後も何回か起こりました。
つづきはこちら
心と身体を癒すナチュラル・ヒーリング(3)   2007.1.16
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 岐阜の気功教室は今年18年目になります。そこで事務局(当時)を担当している女性がある日、あわてて電話してきました。

「助けてください。弟の嫁が車に二度轢かれてしまったのです」
「二度轢かれたってどういう意味?」
「前輪で轢かれて巻き込まれ、また後輪で轢かれてしまったのです。肋骨が8本折れ、骨盤も複雑骨折して病院に担ぎ込まれました」

 私は「わかった、すぐ行く」と言ったものの、どうしてもはずせない用事があり、そこで気功を5年以上やっている上級の生徒さんに電話を入れ、二人ずつで二時間置きぐらいに病院に行ってもらい、とにかく3日間、患部ではなく頭の百会と足から、エネルギーをどんどん送ってもらうことにしたのです。
 病院の医師も好意的で「いいですよ。脊髄損傷ならこの人は生涯起き上がれなくなってしまう可能性があるので、やっていただいてけっこうです」ということでした。脊髄を損傷していれば半身不随は当然でしょうが、もしも頸椎もやられていたら全身不随になってしまいます。

 4日目になってやっと、私は病院に駆けつけることができました。
 折れた肋骨は時間とともに治るでしょうが、複雑骨折した骨盤はそういうわけにはいきません。
 病室に入って「どう。だいじょうぶそう」と妹さんに言いながら、私は腰に手を触れました。冷たい冷気が吹き出しています。
 しばらくエネルギーを送り続けていると、中からあたたかいものが出てくるのを感じました。瞬間「いける」と言った途端、足からエネルギーを入れていたお弟子さんが「動いた!」と叫びました。見ると足の先がピクピクッと動いたのです。
 義妹さんに「足が動いたことがわかりますか」と聞くと、「わかります」と答えました。「じゃあ、絶対に治りますよ」とわたしは言い切りました。

 義妹さんはその後も多くの方々のエネルギーを受け、いま普通に歩き、普通に生活できるまでに回復しました。
 人間はだれでも自己治癒力を持っているし、事故に遭い損傷を受けても、早いうちにエネルギーを通すことによって、回復が早まることをまざまざと確認できました。
 このとき治療に関わってくれたお弟子さんたちは、この事によってヒーリングに目覚め、大勢の人達のヒーリングのために活躍しています。
 さまざまな治療をしているときに感じることなのですが、なかにはエネルギーの乏しい人もいます。悩み、苦しみ、心も身体もかちかちになっている人からは、人を癒す力は出にくいものです。健康で心も細胞も本当の意味でリラックスしている人は、別に何もしなくても、エネルギーが満ちています。

 気功に関わって20年が経ち、いまではあちこちで気功を教えていますが、わたしはけっして人様に教えるつもりでこの世界に入ったわけではありません。
 しかし学べば学ぶほど、気功の力と治癒力のすばらしさを二人の娘に教えたいと思うようになりました。
「財産があるわけでもなく、与えてやれるものは何ひとつない。しかし気功を学ぶことによって生きやすい自分を作り出すことができるだろう。緊張をゆるめ、細胞までリラックスさせることによってエネルギーが満ちあふれる」
 このことを娘たちに学ばせたいと思ったのです。

 上の娘が小学校5年生、下が2年生ぐらいの幼い時に、毎週時間を決めて教え始めました。すると友人達から「そんなに良い方法があるなら、自分の子供にだけ教えないで私たちの子供にも教えてくれない」ということになり、「では、子供だけなら教えましょう」ということで、わが家のリビングで教えはじめたのです。
 それが教室の始まりです。
 しかし家具の置いてある14畳ほどの狭い部屋に、子供たちが十数人も入って練習しているので、ドアは壊れ、床のフローリングもガタガタになってしまいました。
 でも、子供を教えることは非常に楽しいことでした。実にさまざまなことが起こって、興味のつきることがありませんでした。
 子供は何につけ素直に身体ごと受け入れます。また感性も素晴らしいのです。

 気功の基礎修練が終わったあたりで、子供達の身体から金粉が出始めました。
 何人もの身体からたくさんの金粉が出たのです。ピンセットで金粉を集めて、黒い箱の中に入れるとキラキラ光り、驚きと喜びの声でいっぱいになりました。今でもその金粉は保存してあります。
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心と身体を癒すナチュラル・ヒーリング(2)   2007.1.9
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 講演で話したこと以外の補足をここに書きたいと思います。最近読んだある文献の中に意外なことが書いてあって、正直驚きました。
 小田秀人とか浅野和三郎といっても、今の人々にはピーンと来ないかもしれません。
 しかし「ひふみ神示」の著者、岡本天明さんと言えばお判りの方もおられるでしょう。
 その岡本天明さんが昭和20年前後に、杉並区の松庵にあった小田の家の離れ座敷に寄寓していたということが書かれてありました。
 昭和20年というと戦中でもあり、空襲で焼け出された人たちが親戚や知人を頼って、着の身着のまま非難していたようで、岡本さんもそのお一人だったのでしょう。
 そこでも亀井霊媒や様々な霊能者が集まり、心霊の実験が行われたと書かれています。
 今の私達には理解し様もない、不可思議な時代だったのでしょうね。私が直接小田の大叔父から聞いたその頃の話では、大勢の方々がフェアリー(妖精)の出現に遭遇していたようです。
 それは羨ましいと思いましたね。わたしの写した写真にも精霊が撮れているものはありますが、踊りを踊るフェアリーには未だお目にかかったことはありません。わたしの叔父も踊りを踊るフェアリーを見ているそうです。

 今という時代より、よりすすんだ交霊実験が行われていたのは事実のようです。

 そのことが何故なのか? このところフト思うことのひとつです。
 私はいま「ナチュラルヒーリング研究会」という会を主宰しています。そのなかに気功教室があります。教室がきっかけとなって、教室で長く修練しているお弟子さん達と一緒に、導かれるように日本各地にある聖地・霊地を訪れ、浄化の祈り等もしております。
 私がヒーリング(いわゆる癒し)を始めたのは25年ほど前のことで、偶然の出来事(実は偶然ということはないのですが)からするようになりました。

 それは私の友人から「主人が突然、具合が悪くなって動けなくなって会社にも行けない。どうして急にそんなふうになってしまったのか解らない。医者に行っても何も悪いところはないと言われて、ただ寝ているだけなので困っている」という話を聞き、お見舞いに行きました。
 一目ご主人を見て驚きました。本当に痩せ細り、ひどい状態で寝ておられます。手を上げることも辛いとおっしゃいます。
「何だかよくわからないけど、とても苦しいんですよォ」
と言いながら荒い息をしています。その息づかいを聞いていると、こちらの息も苦しくなってきます。
「そんなに荒い息をしていたら、ますます体調が悪くなってしまいますよ。聞いている私も苦しくなってしまうから、少し呼吸を整えましょう」
と言って、当時、東洋医学を学んだ兄から呼吸法を教わっていたので、お腹に手を置いて
「ゆっくり深く息を吸って。はい、ゆっくり吐いて」
とその呼吸法を続けてもらったら、
「ものすごく気持ちがよくなった」ようでした。
 その妻である友人は「主人が明日もまた来てほしいと言っているので来てくれませんか」とおっしゃるので「私でよかったら」と言って翌日も伺い、4、5日ほど続けたら全快され、会社に行けるようになりました。

 そのことが別の友人達に伝わり、ある日「捻挫してすごく腫れ上がって歩けない。来てくれないか」という話がまいこみ「そんなの私に治せるはずがないのだけど‥‥」と思いながらもその友人宅に行き、患部を包み込むようにして手を当てていたら、何と数時間後に見事に腫れが引いて歩けるようになったのです。
 このことも友人達の間で知られ「実は、実は‥‥」となってしまったのです。
 その方々は、当てているわたしの手から気持ちのいい何かが出ていると、口々におっしゃいます。そう言われるのは治療を受けている方々で、当時の私には何もわかりませんでした。

 ある日テレビで、中国の有名な気功師が患者さんに手を当て続ける中、麻酔もかけずに別の外科医が開腹手術をしている光景を見ました。
 それを見た瞬間、私は「あっ、私の手から出ているというものは、この気功の力なのだ。気功を修練すればもっと力が増して、もしかしたらわたしでも麻酔をかけないでこのような手術ができるようになるかもしれない。やってみたい」と思ったのです。
 しかし、私には娘が二人おり、しかも幼かったので、とても中国まで勉強しに行くことはできません。でも何とか気功を学びたいと思い、東洋医学関係の本や気功の本を取り寄せ、読み漁りながら治療を続けていました。

 あるとき、治療を受けて治る人達に共通している何かが感じられるようになってきました。それは緊張をとき、心底リラックスさせる中で起きてくる何かです。
 「もっと弛んで、もう少し楽にして」
などと言って誘導しながら、わたし自身も弛み始めると、その方のエネルギーと、わたしのエネルギーが一体となってくるのです。
 それはつまり、病んでいる人が健康なわたしのエネルギーに同化してしまうのかもしれません。だから治ってしまう、そう思い始めました。

 こうしたことが数年続き、やがて気功を本格的に始めたわけです。
 請われるままに教室ができ、自然発生的に各地に教室が広がっていきました。
 生徒さん達も、気功の修練を続けることによって、自分の自己治癒力が増すとともに他人への治療の力が出てきたのです。

 「心霊研究」誌を拝見していてふと思ったことは、心霊科学協会での心霊治療と、私の治療法とでは違いがあるのだろうか、ということです。
 あるとすれば、私どもの治療法は心霊ではなく、気と弛みというものを使っていることでしょうか。
 気とはプラナーともいい、人間の根本のエネルギー、生命エネルギーです。
 明るい太陽の下でなら、光るものが無数に見えます。あれが気(プラナー)というもので、実際に目にも見えるものです。
 気の力を使うことと、心霊の力をもってする治療法は、根本的に違うと私は考えました。
 また一般的に言えば、人はこの世に生かされていることの認識が薄いように思います。
 はたまた人が、宇宙に遍満する生命エネルギーに生かされているという認識を、どれだけ持っているのか疑問です。
 しかし今日、何かに生かされている自分に気づき始めた方は意外に多いのかもしれません。

 一つの考え方としていえば、気というものは頭とか、足とかから入ってくる(部分的に)ものではありません。
 人は生まれた時から、空気という気と一体になります(羊水という水から空気に変わった瞬間から)。
 そして気持ちという気を動かし続けて生きているのです。
 ところが、身体での気(生命エネルギー)や気持ちの持ち方での気の循環が悪くなったり、滞ったりすることがあるのです。
 それが病気を引き起こす。東洋医学的な観点からいえばこうなるのです。
 気功の修練とは、この気(生命エネルギー)を身体に巧みに通していく方法なのです。
 また空中にある無尽蔵の気を膨大に取り入れ、それをスムースに循環させる。これも気功法のひとつなのです。
 人々がこうしたことに気づき修練すれば、誰もが自分を癒し、他人を癒すことができるようになります。
 気功をお教えするうえで私が一番気を使うことは、その場のエネルギーの善し悪しです。
 よい地場の中でする気功と、悪い地場でする気功では雲泥の差があります。
 それどころか、“癒しろ地”という地場に入れば、そこにいるだけで人は癒されてしまいます。

 あるときそのことを、いやというほど学ばされました。
 どういうことかといいますと、ご縁によって腰が痛くて歩くことも辛い患者さんが治療にみえられました。
 駅から8分ほどの我が家は、通ってこられるその方にとって地獄だとおっしゃいます。
 しかし治したい一心で何度も止まり、休み休み歩いてこられます。
 ところが、やっとのことでたどり着いた我が家の玄関を入るやいなや、その腰の痛みが引いてしまうというのです。
 どんなことをしても腰は痛みません。最後はアクロバットもどきのことまでしましたが、腰は痛まないのです。
 仕方がないから治療はせずにお帰り頂くのですが、3日ほどするとまた痛くなる。その繰り返しでした。
 わたしも困りましたが、その方の困惑ぶりはなんとも痛ましいかぎりです。
 ある時冗談で
「あなたの背中にお化けでもぶら下がっていて、ここへ来ると、ここの気(エネルギー)がいやで背中から滑り降りたりしてね。あなたがうちの玄関を出ると、その辺で待っていたものが、お帰りなさい、と背中に取り憑いたりしてね」
 この冗談がじつは冗談ではないと知ることになるのですが、その当時、こうしたことで、“汚れ地と癒しろ地”をとことん学ばされたものです。

 日本中の土地(地場)を“癒しろ地”にするのも、わたしたち一人ひとりの想い(祈り)に負っているのではないでしょうか。
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