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桐生悠々自伝 思い出るまま

書名:桐生悠々自伝 思い出るまま
著者:太田 雅夫
発行所:伝統と現代社
発行年月日:1980/10/8
ページ:344頁
定価:2500円+税

桐生悠々(政次)という明治・大正・昭和を生きた反軍・反戦を貫いたジャーナリストの自伝です。こんな人が居たと言うだけでちょっと嬉しくなる。第四高等学校を退学、小説家を目指して上京するが失敗して郷里(金沢)に戻る。改めて東京法科大学(東大法学部)に入学。その後東京府の官吏、保険会社、出版社、下野新聞社の主筆など点々とするが、その後大阪毎日新聞に学芸部員として入社するが、満足な仕事を与えられず退社。その後大阪朝日新聞へ転籍。大阪朝日新聞所属のまま東京朝日新聞内に勤務。その後信濃毎日新聞の主筆となる。ここで1933年「関東防空大演習を嗤ふ」という記事を書いたことで、信濃毎日新聞が倒産の危機に瀕する原因を作った。ここを追われ個人雑誌「他山の石」を発行する。
「関東防空大演習を嗤ふ」という記事は「日本の都市防空の脆弱性を正確に指摘したことで知られる」その後の東京大空襲で桐生悠々の書いたとおり、軍部は米軍機に手も足も出せなかった。本土空襲を受けて時は敗戦、防空大演習なんて意味がないと書いた。
むのたけじさんなどもこの先輩を見習った1人かもしれない。生き方、価値観が同じような感じがする。今の世にジャーナリストと言える人が居なくなってしまった。世間がどうであったも言わなければならない事を言う。言える。これはジャーナリストして絶対必要なことではないかと思う。

本書より
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桐生悠々は生粋の明治人で、明治のジャーナリストが身につけていた「社会の木鐸」と「無冠の帝王」という誇りを持ち、明治・大正・昭和の三代に渡って自分のペンは祖国の危機を救うためにあることを信じて疑わず、自分の信念・思想を曲げることはなかった。とくに満州事変後のきびしいファシズムの流れの中にあって、あくまで軍部の弾圧に抗しながら、個人雑誌「他山の石」に立てこもり、ペン一本で最後まで言論人としての活動をつづけた傑出した反軍・反戦のジャーナリストであったのである。

新体制総花主義
景気づけには総花主義もよい。
だが船頭多くして船山に登る。
各自の方向にこれを漕ぐならば。
船はジグザックに進めばまだしも。
却って逆戻りしないだろうか。

景気づけには総花主義もよい。
だが総花主義は八方美人主義だ。
自称色男の見本間に。
やきもち喧嘩がおっ始って。
芝居が打てないで済みはしないか。

景気づけには総花主義もよい。
善悪、大小、新旧等々の混合だ。
化学的の作用を起こすものがなければ。
NACLは各自に遊離する。

世界観国家観には稍目ざめていても。
人生観には無知なる手合いだ。
臣民道徳観でごまかし得ても。
全体としての人間を知らねば。
一切の方面において「闇」を見る。
(他山の石 昭和15年9月20日)憲兵隊によって全文削除された

人動(やや)もすれば、私を以て、言いたいことを言うから、結局、幸福だとする。だが、私は、この場合、言いたい事と、言わねばならない事とを区別しなければと思う。
 私は言いたいことを言っているのではない。徒(いたずら)に言いたいことを言って、快を貪っているのではない。言わねばならぬことを、国民として、特に、この非常に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国社の一人として、同時に人類として言わねばならぬことを言っているのだ。
 言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。だが、言わねばならぬことを言うのは、愉快ではなく、苦痛である。何故なら言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならぬ事を言うのは、義務の履行だからである。もっとも義務を履行したいという自意識は愉快であるに相違ないが、この愉快は消極的の愉快であって、普通の愉快さではない。
(他山の石 昭和11年6月5日)

桐生悠々 軍に屈せず一人の戦い
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO12414970X00C10A8CR8000/
桐生悠々 関東防空大演習を嗤う
http://www.aozora.gr.jp/cards/000535/files/4621_15669.html