書名:街場の中国論
著者:内田 樹
発行所:ミシマ社
発行年月日:2007/6/15
ページ:245頁
定価:1600円+税
靖国参拝問題で中国・韓国は何故騒ぐのか?何故東京裁判の当事者アメリカは何故騒がないのか?清国と日本は同じような時期に西洋化を目指したのに、日本は成功、清国は失敗したのか?中華思想とは何か?そして中国はどういうふうに「苦しんでいる」のか。そんな問題を設定して前代未聞の巨大国家13億人の統治にどんなふうに苦しんでいるのか。著者のゼミで講義した議事録を書籍化した本です。
アヘン戦争から朝鮮戦争まで100年間、戦がなかった時期が殆ど無かった中国、また国内が戦場になっていた国。何故そうなったか?
中華思想というのは西洋のようにきっちりと領土、境界を区切った考え方ではなく。結構アバウトな区切りで、漢民族は、自らを「華夏」と呼び、その周辺を東夷、北狄、南蛮、西戎と呼んでいた。この周辺の国を支配していた訳ではない。貢ぎ物を持ってきた国には、その貢ぎ物以上の物品を支給していた。アバウトな関係を結んでいた。したがって西洋の国境、境界という概念は余りなかった。華夏の中でも厳密ではなかった。
したがっていままで一度として中国が一致団結して何かを行ったことは無かった。日清戦争後も中国国内にはいろいろな軍閥が居て西洋の各国、日本などの支援を受けたりして国内はバラバラだった。13億人とも言われる中国を一枚岩で統治することなど出来るはずがない。これが中国の苦しみ。文化大革命、改革開放など行っている。今経済成長も段々低下してきている。インフラが整備して、国民の大部分が豊かであれば7%の成長でも問題は起きないが、今まで10%、15%の成長を続けてきた国が、7%に落ちると言うことは国を崩壊させるだけの危機を含んでいる。景気が上り調子の時は国民の不満も所得の上昇によって解消、我慢できていたが、これからは所得格差に目覚めた国民が騒ぎ出す。
そんな国民の関心を外国に向けさせる。これはどんな政府でも同じ、そして反日、国内が旨くいっている国は外部に原因を求めることはしない。
江戸幕府の統治の仕方は、全国を徳川幕府という強力な権力で支配していた訳ではなく、藩という単位で統治していた。したがって幕末西洋化でも、教育でも各藩が自分の資金を準備して西洋の文化、技術を導入していた。したがって明治になっても準備が出来ていた。西洋化のスタートがスムーズに切れた。藩という単位でリーダー、指導者、職人、技術者が養成されていた。明治に国となってもリーダーとなる人材が沢山居た。
したがって「廃県置藩」すなわち廃藩置県の逆で、ちいさい国(自治体)をたくさんつくって、すぐれた指導者をたくさん養成しようという発想も捨てたものではない。市町村合併、道州制はこれと対極とする考え方、西洋的な考え方?でもアメリカは州は意外と自立して独自の政策を行っている。アメリカ一辺倒の日本に何故、アメリカの州の考え方を取り入れなかったのか?
日本の植民地政策で朝鮮と台湾の違いは何故?これも興味あるテーマです。第二次世界大戦後、台湾は蒋介石が毛沢東と戦って逃げてきたところ。朝鮮は自分たちで独立戦争を行ったわけでなく、ソ連、アメリカに独立させて貰った国。昔から中国の属国だった経緯もひとつの要因か?
なかなか面白い中国論が展開されています。