書名:女遊び
著者:上野 千鶴子
発行所:学陽書房
発行年月日:1988/6/10
ページ:274頁
定価:1400円+税
著者初のエッセー集。男女同権などジェンダーが風靡した時代。女の権利が強く世の中に出てきた時代で、男女機会均等法などが施行された。男と女の話。エッセー、コラムが盛りだくさんの本です。
この中で地縁、血縁などによっていた時代、女の地位は低く虐げられてきた。それに変わって女縁を提案している。人は人との関わりがないと生きていけない。でも地縁などは望む、望まないに関わらず嫌々でも付き合っていかないといけない。特に嫁として地域社会に入った人にとっては。でも段々地縁、血縁とは離れて暮らす人が多くなってきた。しかしそれは反面孤独で生活することになる。したがって今までの男のように社縁で繋がるか?そうではないでしょう。女縁で選択した女達と繋がって行った方が良いのではないかそんな提案。
ボランティア、退職後の活動などについて、アメーバー組織、ベ平連のやり方が紹介されている。
・やりたい者がやる。やりたくない者はやらない。
・やりたい者はやりたくない者を強制しない。
・やりたくない者はやりたい者の足を引っ張らない。
これはベ平連の前に1960年の三井三池闘争の中の「大正行動隊」の行動原則が手本だとか?
近未来の男と女の成り行きを綴っている。20年以上前の本ですが、未だに通用するところが一杯ある。なかなか面白い本です。
本書より
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人類が暮らしを営むには、水と火が不可欠だが、女の役目はいつもこの火と水の管理だった。水道もガスもない前近代的な暮らしの中では、朝起きて最初の仕事は、家族のために水を確保するという仕事だった。・・・(途中省略)・・・重労働である。
この平時の重労働を担ってきたのは、いつも女たちだった。水汲み女の図は見たことがあるが、水汲み男、というのは聞いたことがない。この重労働を、女に代わって男がやろうと申し出た社会は、どうやら歴史上なさそうなのである。
「かよわい女をたくましい男が守ってきた」という学生に、私はこう答えることにしている――
現実には、強い男が弱い女をいたわってきた例より、強い男が弱い女につけこんできた歴史の方が長いんだよ、と。そのうえ、女は実のところ、かよわくも何ともなくて、重労働に十分耐える生き物でもあるのだ。
最後に、平時の男たちの怠惰は、いざ戦時に男たちが身を挺して女子供を守る働きによって免責してもらえるだろう、という考えがある。ところでちょっと待てよ、男たちはいったい何から女たちを守ることになるんだろうか。考えてみると、これもバカバカしいことがわかる。
男たちは他の男たちと争いを起こして、自分の女たちを守っているだけである。「守られて」みなければ、敵のほうがもっと「いい男」かもしれないのだ。
ここまでからくりがわかれば、「男は仕事・女は家庭」の性別役割分担が、いったい誰の役に立っているか、よオーく考えなくても、すぐにわかるというものだが、ジョーシキという名の思いこみに囚われている、女の子たちのアタマの中を変えるのも、なかなか苦労ではある。