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岡田英弘著作集Ⅳ シナ(チャイナ)とは何か

書名:岡田英弘著作集Ⅳ シナ(チャイナ)とは何か
著者:岡田 英弘
発行所:藤原書店
発行年月日:2014/5/30
ページ:569頁
定価:4900円+税

「秦の始皇帝の統一からシナ(チャイナ)と呼ばれるようになった。シナ以前の古代、黄河流域の落陽盆地を取り囲んで「東夷・西戎・北狄・南蛮」が攻防を繰り返した。漢人とはこれらの諸種族が混じって形成された都市住民のことで、文化上の概念である。」と定義してシナ以前の古代から20世紀に至までの中国(この言葉は新しい)の通史が書かれている。今までの中国の歴史とは全く視点が違っていて、新たな発見が一杯の本です。中国の歴史書は基本的に全王朝の正統を書く事によって現王朝の正統性を示すという立場で書かれている。この正統とは天子は徳がある者、その徳が衰えたり、亡くなった者を滅ぼして、徳のある者が次の天子になる。(易姓革命)著者は14カ国語を使いこなし、中国語、朝鮮語、満州語、モンゴル語などに造詣が深い。それぞれの原書を読んで、ひとりで中国の歴史の通史を書いている。(最近は専門が徹底していて学者は狭い狭い処の研究ばかり)専門分野と専門分野のつながりが出来ないそんな歴史観がまかり通っている。それに比べてこの本は一貫して1人の史観で貫かれている。

秦の始皇帝の時代が中国で一番理想的な時代と規定して司馬遷の「史記」が書かれた。そしてそれが中国の歴史書の手本となり、20世紀に至まで続いている。したがって史記の範疇を超えることは出来ない。現実とは合わない歴史書が出来上がった。中国の正確な歴史というのは事実の正しさではなく、現政権にとって都合の良いこと、これが正確な歴史という意味だと書いている。これは中国の属国だった朝鮮にも当てはまる。何故歴史書を作るか?それは現政権の正統性、統治している大義名分を確認する。認識させるためのもの。したがって都合の悪いことは一切書かない。

また中国の統治形態についても、皇帝が支配するという形態は総合商社の社長、支店の関係のように面として国土を支配するのではなく、点としての都市(郡、群)を地方長官をおいて支配する。したがって国境という概念もない。また皇帝は市場、商売、鉱山、通行などから税を取り、それを私用に使う。また官吏なども無給で、地方長官などになれば自前のお金で赴任し、その地方で皇帝に治める税を納めてしまえばそれ以外は全て地方長官のものとすることが出来た。

公私の公の意味は中国では公である地方官舎などの施設を使って、私的に金儲けすること。長官は裁判官も兼ねていたので原告、被告の双方からお金を取ることも当たり前。両方から金儲けをする。口利きをしたり、代書を書いたり、役人は自分の才覚で、その立場を利用して金を儲けることが当たり前。いまだに中国共産党幹部は莫大なお金を儲けている。他の国とは全く違っている。

また秦から清までの王朝は殆ど漢人以外の地からやって来て中国を支配した(現代中国では異民族がやって来たけれど漢人の威光の前に漢化されてきたといっているが)のは異民族。元朝の時代などは中国はモンゴル帝国の一地方となった。したがって中国の歴史は断絶の歴史。中国4000年の歴史などはまやかし。中国の皇帝に一貫して継続したものは皇帝と漢字の2つ、これはどの王朝でも継続していた。しかし元の頃の公用語は漢字、モンゴル語、満州語の3つで文書のやり取りを行っていた。清の出身は満州族、したがって満州語も公用語。

隋の時代から科挙の制度があって、金持ちも、貧乏人も能力(漢字を使いこなせる)があれば誰でも出世が出来たとされ民主的だと言われているが、この漢字を使う能力というのはなかなか大変、今で言うIQ=140位以上の人でないと漢字が使えない。何故かというと漢字は表意文字で、人々がしゃべる言葉(口語)とはまったく別のもので、漢字は同じでも読みは地方地方で違う。でも書いた漢字ならば判るという代物。したがっていろいろな種族が居る中で唯一のコミュニケーションが出来る言葉として漢字が使われた。

したがって人々がしゃべっている言葉は生活、暮らし、感情などを表すことができるが、漢字は人工的政治用語、商売用語に向いているもの。そして文法がない。だから四書五経などを丸暗記して漢字の使用法を全て覚えないといけない(この丸暗記できる能力の優れた人が科挙に合格する)そして孔子の儒教が、テキストを組織的に配布、教育した。論語など中味が良かったとか、中味に書いてあることが重要視されたのではなく、その漢字の用例として使われたとのこと。したがって日本人ならば論語の一節、漢詩の一節などでその内容も分かるが、中国では判る人が非常に少ない。これがIQ=140以上でないと漢字がつかない理由。

それに比べて日本語は天智天皇の頃から大陸からの侵略を恐れて鎖国を長い間続けてきた。遣隋使、遣唐使などは国書は持って行かなかった(国書の場合唐の年号、年月などの暦を使うと唐の属国になってしまうから)そして、表意文字の漢字、そして表音文字のカタカナ、ひらがなを独自に発明したことによって自由に表現できる手段を手に入れた。特に情感など。そして四書五経、論語、春秋などを返り点、ふりがななどを補って日本独自の解析をして普及させた。したがって日本の方が論語など理解している人がIQが普通の人にまで広まった。また使いこなせる人の絶対数が増えた。そして学問は次々発展して、明治30年頃までには西洋から来た言葉を日本語に直してしまった。社会、民族、人民、主義など一杯(ここで日本語の一大革命があった)そして日清戦争に負けた中国からは大量の留学生が日本にやって来て日本製漢字を持ち帰った。魯迅などは日本を使って物事を考え、それを漢字に直したとか。

どのページを開いても、知らなかったことが一杯あって長い論文調であるにも関わらず、判りやすく書かれているので一気に読んでしまった。今後、この貴重は解釈、岡田史観の視点に立って中国史、モンゴル史、世界史の通史が研究されてくると岡田英弘という凄い偉人がいたことが判ってくるのではないか?でも今、東京大学を始め学会では無視されている。(岡田の才能に嫉妬しているのか?)この本を読んで現代の中国、東南アジアのことなどを鳥瞰してみるとより判りやすく見えてくると思う。